#コラム

☆豪雨被害の農地復元に4、5年 世界農業遺産の能登が問われるレジリエンス

☆豪雨被害の農地復元に4、5年 世界農業遺産の能登が問われるレジリエンス

  前回ブログでは千枚田での記録的な大雨の被害にスポットを当てたが、能登地方の水田ではさらに深刻な被害が起きている。がけ崩れや河川の氾濫が顕著だった輪島市町野町の農村部に行くと、町野川の周囲の田んぼには河川水が流れ込み流木など積み重なっていた=写真・上、今月3日撮影=。同じ町野町の時国集落に行くと、集落の裏山から流れてきた土石流がふもとの農地を覆っていた=写真・下、今月1日撮影=。平氏と源氏が一戦を交えた壇ノ浦の戦い(1185年)で平家が敗れ、平時忠が能登に流刑となった。その時忠の子孫がこの地を開墾したと伝えられている。2軒の時国家(国の重要文化財)のうち上時国家は元日の地震で倒壊した。

  能登の農村集落でよく見る風景は、農家には裏山があるということだ。田畑だけでなく山林も所有してきたのだろう。今回巡った町野町の集落では、いくつかの農家でその裏山が崩れていた。中には、住居や農機具などを保管する納屋が土砂で半壊状態になっているところもあった。地震で山の地盤が緩み、豪雨で土砂崩れが起きたのだろう。裏山が崩れ、田畑は冠水。能登の農家の底知れぬ苦難を見る思いだった。

  メディア各社の報道によると、石川県の馳知事は今月9日の記者会見で9月の記録的な大雨で、輪島市や珠洲市など奥能登地区で水田を中心に950㌶の農地が冠水し、このうち400㌶で土砂や流木が堆積するといった被害が出ていると説明した。400㌶のうち「大規模被害」とされる100㌶は、河川などの流れによる浸食などで農地が原形をとどめない状態で、復旧には4年から5年以上かかる見通し。また、「中規模被害」の150㌶は、大量の土砂が堆積し復旧には1年から3年程度かかる見込みという(9日付・NHKニュースWeb版)。

  馳知事は「生産者にやる気を出してもらうためにも可能なところから早めに修復することが必要だ。作付けまでの半年で整備が進められるところを軸に復旧をお願いしたい」と述べた(同)。前回ブログでも述べたが、能登半島の里山や里海は2011年6月に国連世界食糧農業機関(FAO)の「世界農業遺産(GIAHS)」に認定された。この後、GIAHS国際会議(2013年5月)が能登の七尾市で開催されるなど、能登の里山里海が世界から注目されるようになった。大規模被害などを被った農地をどう速やかに復元していくのか、能登のレジエンス(復興)を世界は注目している。馳知事には「復旧をお願いしたい」ではなく、陣頭指揮で自ら掲げる「能登の創造的復興」に取り組んでほしい。

⇒14日(月)午後・金沢の天気    はれ

★豪雨で崩れた輪島の千枚田 国際的にも注視「持続可能な棚田をどう復元する」

★豪雨で崩れた輪島の千枚田 国際的にも注視「持続可能な棚田をどう復元する」

  9月21日に線状降水帯も発生して48時間で498㍉という記録的な大雨に見舞われた奥能登。被害が出たのは家屋や道路、橋梁、森林などのほかに農地がある。今月3日付のブログでも述べたが、がけ崩れや河川の氾濫が顕著だった輪島市町野町の農村部では、町野川の周囲の田んぼでは流れ込んだ河川水で横倒しになった刈り入れ前の稲が一面に広がっていた。泥水をかぶり倒れた米はおそらく3等米以下、規格外だろう。元日の能登半島地震で田んぼに亀裂が入ったり水路が壊れたりで、奥能登では作付け面積は例年の6割ほどと言われていただけに、農家にとっては二重の災害だ。

  先日(今月8日)輪島の白米千枚田の大雨被害の様子を見に行った。棚田の中腹あたりが大きく崩れている様子だった=写真=。ほかにも、水路が壊れたりしている部分などもあった。千枚田は立ち入り禁止となっていたのでつぶさに見ることはできなかったが、かなりの被害が出ているのではないかと推測した。

  この光景を見て正直な話、胸騒ぎがした。元日の地震で地盤が緩み、豪雨で一部土砂崩れが起きたのだろう。千枚田がある能登半島の外浦は海岸と山が接したいわゆるリアス式海岸で、山崩れやがけ崩れがよく起きる。輪島市の「土砂災害ハザードマップ」=図=をチェックすると、千枚田の真ん中を通る国道249号(赤線)から上手の山の斜面は土砂災害特別警戒区域(赤塗)となっている。千枚田がある白米町では、「大ぬけ」と今でも地元で伝えられる大きな土砂崩れがあった。1684年のこと。いわゆる深層崩壊だ。その崩れた跡を200年かけて棚田を再生という歴史がある。大ぬけの歴史が繰り返さなければよいのだが。

  石破内閣の小里農水大臣が10日、輪島市を訪れ千枚田を視察した。案内したのは棚田の維持活動に取り組む白米千枚田愛耕会のメンバーだった。小里大臣は視察のあと記者に質問に答え、「1月の地震から復旧・復興に取り組んでいた矢先の豪雨災害で心を痛める思いだ。地震の被害に対して支援してきたが今回の新たな被害についても同じような形で支援したい」と述べ、能登半島地震での支援の枠組みを活用して壊れた水路や設備の修繕の費用などを能登の農業を支援していく方針を示した(10日付・NHKニュースWeb版)。

  千枚田は2001年に文化庁の「国指定文化財名勝」に指定され、2011年に国連世界食糧農業機関(FAO)から認定された世界農業遺産「能登の里山里海」のシンボル的な棚田だ。震災と豪雨後に「持続可能な棚田」をどう復元していくのか、国際的にも注視されているのではないだろうか。

⇒13日(日)夜・金沢の天気   はれ

☆ノーベル平和賞が授与される日本被団協 「被爆者の証言活動は唯一無二」と評価

☆ノーベル平和賞が授与される日本被団協 「被爆者の証言活動は唯一無二」と評価

  「ノーベル平和賞」という言葉で思い出すのが、もう50年前の1974年に受賞した佐藤栄作元総理だ。佐藤氏の受賞は、非核三原則の宣言や核拡散防止条約(NPT)に署名したことが当時高く評価された。そしてきのう(11日)、ノルウェーのノーベル賞委員会はノーベル平和賞を広島と長崎の被爆者の全国組織「日本原水爆被害者団体協議会」(日本被団協)に授与することを決めた=写真・上=。このほか「核」に関連する平和賞は、「核兵器なき世界」を掲げたアメリカのオバマ元大統領が2009年に、非政府組織「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)が2017年に受賞している。ノーベル賞委員会はまさに平和賞の授与を通じて、核廃絶・核軍縮の運動を後押し、国際世論を喚起してきたのだろう。

  平和賞の授賞を発表したノーベル賞委員会のヨルゲン・ワトネ・フリドネス委員長は授賞の理由を次のように述べている(「ノルウェー・ノーベル委員会」公式サイトの動画より)=写真・下=。以下抜粋。

  「広島、長崎での被害を生き抜いた被爆者の証言活動は唯一無二のものである」「歴史の証人として個人の体験を語り、自らの経験に基づく教育キャンペーンを張り、核兵器の拡散と使用に対する警告を発することで、核兵器に対する反対運動を世界中に広げ、定着させることに貢献してきた。被爆者の活動は、私たちが言葉で言い表せないことを表し、考えられないこと考え、核兵器によってもたらされる理解し難い痛みと苦しみを理解する助けとなっている」「アルフレッド・ノーベルの意図することの核心は、献身的な人々が変化をもたらすことができるという信念だ。ことしの平和賞を被団協に授与することで、肉体的な苦しみや辛い記憶を平和への希望や取り組みに生かす選択をしたすべての被爆者に敬意を表したい」

  うがった見方をすれば、今回の被団協への平和賞授与は、現在世界は核の脅威にさらされているとの警鐘なのかもしれない。2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻以降、ロシアは核兵器の使用をほのめかすなど脅しを繰り返している。ノルウェーやスウェーデン、フィンランドの北欧はロシアと隣接している。ノルウェーはNATOにすでに加盟していたものの、 中立国を掲げていたスウェーデン、フィンランドはロシアのクライナ侵攻を機に相次いでNATO入りした。それほど北欧では切迫感があるのだろう。

  もう一つ、ノーベル賞委員会の日本政府に対するメッセージかもしれない。核兵器を法的に禁止する「核兵器禁止条約」は2021年1月に発効したものの、日本は批准も署名もしていない。むしろ、条約に一貫して反対してきた。なぜ反対してきたのか。日本政府は「条約に核兵器を保有する国々が参加しておらず、日本が加わっても、核廃絶にはつながらない」を繰り返してきた。アメリカの「核の傘」に入っている気兼ねがあるのか。被爆国であり、核兵器の非人道性を訴える非保有国のリーダーとなるべきは日本ではないのか、と。

  きょう12日に開催された日本記者クラブ主催の党首討論会で、立憲民主党の野田代表が石破総理に対し核兵器禁止条約について「せめてオブザーバー参加をしてはどうか」と質した。すると、石破氏は「核のない世界を究極的にはつくりたい」と述べたものの、「現実として核抑止力は機能している」と言及。オブザーバー参加ついての返答は避け、核の力で相手の攻撃を思いとどまらせる核抑止力を強調していた。石破氏は佐藤元総理、そして被団協のノーベル平和賞を受賞をどう受け止めているのだろうか。

⇒12日(土)夜・金沢の天気    はれ

★能登震災から280日余り 変わる風景・変わらぬ風景~風車停止、転落車そのまま~

★能登震災から280日余り 変わる風景・変わらぬ風景~風車停止、転落車そのまま~

      元日の地震の被災地をさらに記録的な豪雨が襲い、多くの住宅が損壊した。これまで自治体は災害ごとに罹災証明書を発行していた。この場合、判定結果によって公費解体や生活再建支援金給付の対象にならないケースもある。そこで、石川県では内閣府と協議し、地震と豪雨の二重被災を一体的に扱うことで、被害認定を迅速にそして被災者への支援を拡充できるようにした(11日付・地元メディア各社の報道)。たとえば、地震で公費解体から除外されていた「準半壊」の家屋が豪雨で浸水によって「一部損壊」となった場合、被害を加算して「半壊」扱いとする。これによって公費解体が行われるようになり、生活再建の支援も手厚くなる。県と内閣府と協議がスムーズに行われたことは、石破総理による能登視察(今月5日)の成果の一つかもしれない。

  話は変わる。能登半島を縦断する自動車専用道路「のと里山海道」を走行すると、震災直後と変わらぬ風景がいくつか見えてくる。その一つが山並の山頂にある停止した状態の風力発電の風車だ=写真・上、9月10日撮影=。金沢から走行すると横田ICの手前に見える風景はまるで、「山頂の一本足のカカシ」ではないかと。メンテナンスを施して順次稼働させればよいのではと考えるが、風車は山地にあり、たどり着くまでの山の道路に亀裂ができたり、土砂崩れなどで寸断されているのだろう。風力発電が立地する場所は珠洲市が30基、輪島市が11基、志賀町が22基、七尾市が10基で、いずれも震度6弱以上の揺れがあった地域だ。そのうち再稼働しているのは、志賀町にある日本海発電(本社・富山市)の9基を含めて10数基ではないだろうか。記録的な豪雨でさらに山道が崩れメンテが難しくなっているところがあるのかもしれない。

  横田ICを過ぎてしばらくして見えてくるのが、アスファルト道路に大きなひび割れが入り陥没した風景だ。崩落した道路を走行した乗用車が転落した現場はいまもそのままの状態だ=写真・下、8月8日撮影=。道路から転落した車の風景だ。のと里山海道を走行していると見えるので、自身を含めて多くの人が「いつになったら車体を引き揚げるのか」「なぜ片付けないのか」などと思っているに違いない。むしろ、車の所有者と道路を修復している国交省の間でどのようなやり取りが交わされているのか。ある意味で不思議な風景ではある。(※写真・上と下の風景は今月9日に確認。そのままだった)

⇒11日(金)夜・金沢の天気    はれ

☆解散いろいろ「バカヤロー解散」や「郵政解散」 選挙手始めはポスター掲示板

☆解散いろいろ「バカヤロー解散」や「郵政解散」 選挙手始めはポスター掲示板

       きのう(9日)NHK中継の衆院本会議での模様を視聴した。額賀議長が解散詔書を読み上げ、恒例の万歳三唱が響き渡った。総選挙(今月15日公示・27日投開票)へと動き始めた。その後の記者会見で、石破総理は今回の解散を日本の社会のあり方を大きく変える「日本創成解散だ」と強調していた。今一つピンと来ないネーミングだ。解散をめぐる俗称はいろいろあるが、強烈なのは「バカヤロー解散」だろう。1953年(昭和28)3月の衆院予算委員会で、当時の吉田総理が社会党の議員との質疑応答中に「バカヤロー」と発言したことがきっかけで解散にいたった。日本の政治史に残る名称となった。(※写真・上は、衆院解散を報道する各紙)

  自身の印象に残る解散は「郵政解散」だ。2005年(平成17)8月8日、参院本会議で郵政民営化法案が否決されたのを受けて当時の小泉総理は臨時閣議を開いて衆院の解散を決定。小泉氏は郵政法案が参院で否決された場合は衆院を解散して総選挙に打って出ると予め明言していた。そして、衆院で反対票を投じた自民議員には公認を与えず、郵政民営化に賛成する候補を擁立した。郵政民営化を前面に出したことで改革イメージが有権者に浸透し、9月11日の投開票では自民は公示前の212議席を大きく伸ばして単独過半数(233)を上回る296議席を獲得。当時は「地滑り的勝利」と評価された。

  1986年(昭和61)7月6日の衆院選で初当選を果たし、2002年(平成14)9月30日の小泉内閣で防衛庁長官に任じられた石破氏は上記の「郵政解散」のいきさつなど小泉氏の手法を熟知していることだろう。身内であっても断罪する姿勢だ。今回、派閥の政治資金規正法違反事件をめぐり、収支報告書に不記載があった議員と選挙区支部長の計12人は公認せず。不記載があったほかの34人については公認したものの、比例選の重複立候補は認めず。ただ、非公認の議員については、「選挙のみそぎ」を受けて当選すれば、追加公認をする(9日・党首討論)。

  自宅近くの金沢市総合体育館を前を通ると、選挙のポスター掲示板が早々と設置されていた=写真・下=。能登半島地震や9月の記録的な豪雨にさらされた能登の市町では選挙実施は重荷だろう。災害対応に関わっている職員が多く、果たして職員の人手が足りないのではと憶測する。とは言え、選挙は選挙だ。震災と豪雨、そして選挙の難関をどう能登の自治体は乗り切るのか。

⇒10日(木)夜・金沢の天気     くもり 

★能登震災から280日余り 変わる風景・変わらぬ風景~倒壊ビル解体へ、3D住宅~

★能登震災から280日余り 変わる風景・変わらぬ風景~倒壊ビル解体へ、3D住宅~

  能登半島地震から280日余り、季節は移ろい「寒露」の頃だ。金沢の最高気温が20度を下回り、街路樹が色づき始めている。そして被災地の様子も変わり始めている。きのう(8日)輪島市を珠洲市を巡った。

  徐々にではあるものの、地震で全半壊した家屋などの公費解体も進んでいる。焼失家屋が約300棟にも及んだ輪島市河井町の朝市通りは焼け焦げたビルなどはほぼ解体され、更地に戻りつつある。今月5日に輪島市の現場を視察した石破総理に対し、同市の坂口市長は新たな建物を建てるため、土地区画整理を行うなどと説明していた(5日付・地元メディア各社の報道)。地域の再開発が動き出すのだろう。

  横倒しとなった7階建ての「五島屋」ビルは震災のシンボルのような光景となっている。その倒壊ビルの解体作業が7日に始まった(5日付・地元メディア各社の報道)。現地に行くと、倒れた基礎部分でパワーショベルが動いていた=写真・上=。報道によると、行政による公費解体で、2棟ある五島屋ビルのうち倒壊を免れた3階建てのビルの解体から着手し、市道にはみ出している7階建てビルは来月から取り掛かるようようだ。国交省は倒壊原因について基礎部分の調査を現在行っていて、行政は国交省と連携を取りながら、市道にはみ出した7階部分から本格的な解体作業を進めるようだ。

  このブログの8月9日付で紹介した珠洲市の「3Dプリンター住宅」が完成したとニュースになっていたので見に行った。同市上戸町にことし7月にオープンしたホテルの別室。ホテルの支配人が兵庫県西宮市のスタートアップ企業である建築会社に発注して造った建物。2人世帯向け平屋タイプで、ダイニングや寝室、バスルームなどがある。石川県では初めての「3D住宅」という。中には入れなかったが、日本海が一望できる。そもそもが何が3Dなのかと言うと、3Dプリンターが設計データを読み込み、ロボットがコンクリートを塗り重ねて、壁や屋根を成形する仕組みのようだ。

  8月上旬にホテルで食事をとった時にホテル関係者から、「耐震性や耐水性、防火性に優れていて、家のカタチもこれまでの能登にはなかったもの。地震で壊れた住宅の再建を気軽な別荘風にと考えれば住みやすい家になりますよ」と聞いた。一戸建てより安価に、仮設住宅より居心地よくと考えれば、「なるほど」と思えた。これまで能登になかった家の風景が能登半島の尖端、珠洲市にある。

⇒9日(水)夕・金沢の天気    はれ

☆自民裏金問題で石破総理の決断 20日後の総選挙は果たして「吉」と出るのか

☆自民裏金問題で石破総理の決断 20日後の総選挙は果たして「吉」と出るのか

  能登半島の地震と豪雨の被災地(5日)を視察して激甚災害の指定を表明した石破総理は6日、矢継ぎ早に自民党本部で派閥の政治資金パーティーを巡る不記載があった議員の衆院選(今月15日公示・27日投開票)の対応方針を公表した。党の処分が継続中なら政治倫理審査会で説明した場合を除き非公認とし、不記載議員は公認する場合も比例代表への重複立候補を認めない(7日付・メディア各社の報道)。石破氏らしい即決感のある対応だ。

  今回の方針では、地元石川1区の小森卓郎代議士と2区の佐々木紀代議士の比例代表への重複立候補は認められないことになる。ちなみに、旧安部派の2人の不記載額は小森氏が70万円、佐々木氏が184万円。小森氏は財務官僚出身で石川出身ではないが、かつて県の総務部長を担った経験から2021年10月の総選挙で初当選を果たした。佐々木氏は大御所の森喜朗元総理と同じ根上町生まれ。森氏の地盤を引き継いで当選連続4回。同じく不記載額が1482万円で党の役職停止となった宮本周司参院議員の後任として4月から自民県連会長の座にある。

  石破総理とすれば、政治資金パーティーを巡る裏金問題に片を付けない限り、有権者の支持は得られないとの判断だったのだろう。何しろ、衆院選の投開票まであと20日と時間がない。「党内野党」とも言われた石破氏でしかできない厳正な対応だったのかもしれない。

  今回の石破総理の選挙対応の背景には、この問題を散らかしたままでは自民党が相当追い込まれるとの危機感があるのだろう。それが読める数字がメディア各社の世論調査だ。たとえば、内閣発足を受けて実施された日経新聞の緊急世論調査(今月1、2日)の内閣支持率は51%、不支持率は37%だった。これを前の岸田内閣の発足時(2021年10月)の支持率59%、不支持率29%と比べると、かなり下回っている。さらに前の菅内閣の発足時(2020年9月)の支持率は74%だった。日経調査では、2002年以降の内閣と発足時の支持率と比較して石破内閣が最も低い数字だ。また、読売新聞の緊急世論調査(今月1、2日)でも支持率51%、不支持率32%となっている。本来ならばご祝儀相場で高いはずの内閣発足時の数字がようやく過半数越えでは、低迷状態とも言えるだろう。

  もちろん、党内では「マスコミに迎合しすぎる」や「低額なのに、不記載で悪者扱いにもほどがある」といった怨嗟の声もあるだろう。今月27日の総選挙で民意はどう判断を下すのか。

⇒7日(月)夜・金沢の天気    あめ

★日曜アラカルト~大の里が凱旋巡業、総理の「置き土産」は激甚指定と自衛隊風呂~

★日曜アラカルト~大の里が凱旋巡業、総理の「置き土産」は激甚指定と自衛隊風呂~

  自宅近くに金沢市総合体育館がある。午前9時すぎにコンビニでの買い物帰りに近くを通ると、体育館を囲むように長蛇の列ができていた=写真・上=。列の光景はこれまで何度か見たことがあるが、これほど長い列は初めてかもしれない。ピンと来た。そうかきょうは大相撲地方巡業の金沢場所か、と。地元出身のあの大の里が出場する。この秋場所で幕内2度目の優勝を果たし、大関昇進を決めた大の里だ。まさに、故郷凱旋の巡業だ。地元の相撲ファンとすれば晴れ姿を見逃すわけにはいかないという心境なのだろう。それにしても長い列だ。

  石破総理がきのう能登の震災と豪雨の被災地を視察に訪れ、豪雨被害について「激甚災害」に指定する意向を表明した(6日付・メディア各社の報道)。元日の震災についてはすでに激甚災害を受けており、それに続く指定となる。これによって国からの支援が多岐にわたる。公共施設では学校や病院などの復旧が優先され、道路や橋、上下水道といったインフラも優先される。農業や漁業など一次産業への支援があり、被害を受けた農地や漁港の復旧、農業機械や漁船の修理・再購入の支援が行われる。個々の被災者に対しては、住宅の再建費用や一時的な住居の提供、災害融資の利子補給や、生活再建支援金の支給など多岐にわたる支援が行われる。石破総理の能登視察の「置き土産」だろう。

  9月21日の記録的な大雨で河川の氾濫や土砂崩れが起きたため、住家や仮設住宅を離れ二週間経った今でも490人余りが避難所での生活を送っている。このような中、「自衛隊風呂」が珠洲市で再開した。6日付の地元メディアによると、大量の流木や土砂が流れ込み地区全体で断水が続いている同市大谷地区の公民館駐車場で陸上自衛隊が入浴場をきのう開設した。地震による同市での自衛隊による入浴支援は、銭湯などの入浴施設などが復旧したため、8月31日で終了となっていた。しかし、大谷地区は市内中心部とつながる国道の通行止めの状態続いていて、大雨では一時孤立状態となった。男女別風呂で、入浴時間は午後4時から同8時まで。地域の人たちは2週間ぶりの湯船に心が和んだのではないだろうか。これも石破総理の「置き土産」なのかとふと思った。(※写真・下は、自衛隊による入浴支援施設=珠洲市で、2月22日撮影)

⇒6日(日)午後・金沢の天気   くもり  

☆就任早々に能登の被災地視察 石破総理の足で稼ぐ政権の存在感

☆就任早々に能登の被災地視察 石破総理の足で稼ぐ政権の存在感

★「防災庁」設立を石破総理が所信表明 あす能登視察で切なる叫びを聴いてほしい

★「防災庁」設立を石破総理が所信表明 あす能登視察で切なる叫びを聴いてほしい

  きょうも石川県内は全域で雨模様だ。能登では先月の記録的な大雨や元日の能登半島地震の影響で地盤が緩んでいるところがあり、半島尖端の珠洲市ではいち早く昨夜、雨が強まり土砂災害のおそれがあるとして、市内の大谷、若山、清水、仁江の4地区の534世帯996人に避難指示を出し、早めの避難を呼びかけている。

  余談かもしれないが、珠洲市は先手を打ち、行動が実に速い。元日の震災後に仮設住宅の建設を進める石川県に対し、世界的な建築家で知られる坂茂(ばん・しげる)氏に珠洲市での仮設住宅の建築設計を依頼してほしいと要望したのは同市の泉谷満寿裕市長だった。その要望が実り6棟90戸が完成した。県産のスギを使い、木のぬくもりが活かされた内装となっている。同市の観光名所である見附島の近くあり、外装の色合いも周囲の松の木と妙にマッチしていて、まるで別荘地のような雰囲気だ。

  そして、去年5月5日に最大震度6強の揺れに珠洲市は見舞われた。この地震で死者1人、負傷者数48人、住宅の全半壊131棟の被害が出たが、その年の秋に開催した「奥能登国際芸術祭2023」(9月23日-11月12日)を無事やり遂げた。当時、市議会では、震災復興を優先して開催経費(3億円)をこれに充てるべきとの意見や、行政のマンパワーを復旧・復興に集中すべきとの意見が相次いだ。泉谷市長は「地域が悲嘆にくれる中、目標や希望がないと前を向いて歩けない。芸術祭を復興に向けての光にしたい」と答弁し、予定より3週間遅れで開催にこぎつけ、14の国・地域のアーティストたちによる61作品が市内を彩り、大勢の鑑賞者が訪れた。

  ちなみに、自身が初めて泉谷市長と関わりを持たせていただいたのは2006年6月の市長選で初当選されてまもなくのころだった。当時、金沢大学の地域連携担当スタッフだった自身は、生物多様性をテーマとした環境保全プロジェクト「里山里海自然学校」(三井物産環境基金)を泉谷市長に提案させていただいたのがきっかけだった。市内の小学校の空き校舎を無償で貸与していただいた。その後、金沢大学から5名の教員スタッフが常駐し、環境境保全型の農林水産業を実践的に学ぶ人材育成プログラムを実施、現在も「能登里山里海SDGsマイスタープログラム」として継続している。これまで述べた国際芸術祭や世界的な建築家、大学との関わりなどから、能登の尖端にありながら、時代の先端を走る珠洲というイメージを持つ県民は多い。ましてや震度6強の地震に2度も見舞われながら。

  石破総理はきょう衆院本会議で所信表明演説を行い、この中で「防災庁」の設立に向けて、専任閣僚を置くよう準備を進めると述べた。また、発災後速やかにトイレ、キッチンカー、ベッド、風呂を配備する官民連携体制を構築する。防災庁の具体化に向けて、ぜひ本庁をとは言わないが、拠点を能登に置いて珠洲市などの取り組みと連携してほしいと願っている。石破総理はあす5日に能登を視察する予定だ。ぜひ、被災者の切なる叫びを聴いてほしい。(※写真は、きょう4日の衆院本会議での石破総理の所信表明演説の様子=総理官邸公式サイトより)

⇒4日(金)午後・金沢の天気   あめ時々くもり