☆豪雨被害の農地復元に4、5年 世界農業遺産の能登が問われるレジリエンス
前回ブログでは千枚田での記録的な大雨の被害にスポットを当てたが、能登地方の水田ではさらに深刻な被害が起きている。がけ崩れや河川の氾濫が顕著だった輪島市町野町の農村部に行くと、町野川の周囲の田んぼには河川水が流れ込み流木など積み重なっていた=写真・上、今月3日撮影=。同じ町野町の時国集落に行くと、集落の裏山から流れてきた土石流がふもとの農地を覆ってい
た=写真・下、今月1日撮影=。平氏と源氏が一戦を交えた壇ノ浦の戦い(1185年)で平家が敗れ、平時忠が能登に流刑となった。その時忠の子孫がこの地を開墾したと伝えられている。2軒の時国家(国の重要文化財)のうち上時国家は元日の地震で倒壊した。
能登の農村集落でよく見る風景は、農家には裏山があるということだ。田畑だけでなく山林も所有してきたのだろう。今回巡った町野町の集落では、いくつかの農家でその裏山が崩れていた。中には、住居や農機具などを保管する納屋が土砂で半壊状態になっているところもあった。地震で山の地盤が緩み、豪雨で土砂崩れが起きたのだろう。裏山が崩れ、田畑は冠水。能登の農家の底知れぬ苦難を見る思いだった。
メディア各社の報道によると、石川県の馳知事は今月9日の記者会見で9月の記録的な大雨で、輪島市や珠洲市など奥能登地区で水田を中心に950㌶の
農地が冠水し、このうち400㌶で土砂や流木が堆積するといった被害が出ていると説明した。400㌶のうち「大規模被害」とされる100㌶は、河川などの流れによる浸食などで農地が原形をとどめない状態で、復旧には4年から5年以上かかる見通し。また、「中規模被害」の150㌶は、大量の土砂が堆積し復旧には1年から3年程度かかる見込みという(9日付・NHKニュースWeb版)。
馳知事は「生産者にやる気を出してもらうためにも可能なところから早めに修復することが必要だ。作付けまでの半年で整備が進められるところを軸に復旧をお願いしたい」と述べた(同)。前回ブログでも述べたが、能登半島の里山や里海は2011年6月に国連世界食糧農業機関(FAO)の「世界農業遺産(GIAHS)」に認定された。この後、GIAHS国際会議(2013年5月)が能登の七尾市で開催されるなど、能登の里山里海が世界から注目されるようになった。大規模被害などを被った農地をどう速やかに復元していくのか、能登のレジエンス(復興)を世界は注目している。馳知事には「復旧をお願いしたい」ではなく、陣頭指揮で自ら掲げる「能登の創造的復興」に取り組んでほしい。
⇒14日(月)午後・金沢の天気 はれ
先日(今月8日)輪島の白米千枚田の大雨被害の様子を見に行った。棚田の中腹あたりが大きく崩れている様子だった=写真=。ほかにも、水路が壊れたりしている部分などもあった。千枚田は立ち入り禁止となっていたのでつぶさに見ることはできなかったが、かなりの被害が出ているのではないかと推測した。
元で伝えられる大きな土砂崩れがあった。1684年のこと。いわゆる深層崩壊だ。その崩れた跡を200年かけて棚田を再生という歴史がある。大ぬけの歴史が繰り返さなければよいのだが。
とを決めた=写真・上=。このほか「核」に関連する平和賞は、「核兵器なき世界」を掲げたアメリカのオバマ元大統領が2009年に、非政府組織「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)が2017年に受賞している。ノーベル賞委員会はまさに平和賞の授与を通じて、核廃絶・核軍縮の運動を後押し、国際世論を喚起してきたのだろう。
の活動は、私たちが言葉で言い表せないことを表し、考えられないこと考え、核兵器によってもたらされる理解し難い痛みと苦しみを理解する助けとなっている」「アルフレッド・ノーベルの意図することの核心は、献身的な人々が変化をもたらすことができるという信念だ。ことしの平和賞を被団協に授与することで、肉体的な苦しみや辛い記憶を平和への希望や取り組みに生かす選択をしたすべての被爆者に敬意を表したい」
話は変わる。能登半島を縦断する自動車専用道路「のと里山海道」を走行すると、震災直後と変わらぬ風景がいくつか見えてくる。その一つが山並の山頂にある停止した状態の風力発電の風車だ=写真・上、9月10日撮影=。金沢から走行すると横田ICの手前に見える風景はまるで、「山頂の一本足のカカシ」ではないかと。メンテナンスを施して順次稼働させればよいのではと考えるが、風車は山地にあり、たどり着くまでの山の道路に亀裂ができたり、土砂崩れなどで寸断されているのだろう。風力発電が立地する場所は珠洲市が30基、輪島市が11基、志賀町が22基、七尾市が10基で、いずれも震度6弱以上の揺れがあった地域だ。そのうち再稼働しているのは、志賀町にある日本海発電(本社・富山
市)の9基を含めて10数基ではないだろうか。記録的な豪雨でさらに山道が崩れメンテが難しくなっているところがあるのかもしれない。
が、強烈なのは「バカヤロー解散」だろう。1953年(昭和28)3月の衆院予算委員会で、当時の吉田総理が社会党の議員との質疑応答中に「バカヤロー」と発言したことがきっかけで解散にいたった。日本の政治史に残る名称となった。(※写真・上は、衆院解散を報道する各紙)
不記載があった議員と選挙区支部長の計12人は公認せず。不記載があったほかの34人については公認したものの、比例選の重複立候補は認めず。ただ、非公認の議員については、「選挙のみそぎ」を受けて当選すれば、追加公認をする(9日・党首討論)。
ルなどはほぼ解体され、更地に戻りつつある。今月5日に輪島市の現場を視察した石破総理に対し、同市の坂口市長は新たな建物を建てるため、土地区画整理を行うなどと説明していた(5日付・地元メディア各社の報道)。地域の再開発が動き出すのだろう。
このブログの8月9日付で紹介した珠洲市の「3Dプリンター住宅」が完成したとニュースになっていたので見に行った。同市上戸町にことし7月にオープンしたホテルの別室。ホテルの支配人が兵庫県西宮市のスタートアップ企業である建築会社に発注して造った建物。2人世帯向け平屋タイプで、ダイニングや寝室、バスルームなどがある。石川県では初めての「3D住宅」という。中には入れなかったが、日本海が一望できる。そもそもが何が3Dなのかと言うと、3Dプリンターが設計データを読み込み、ロボットがコンクリートを塗り重ねて、壁や屋根を成形する仕組みのようだ。
上町生まれ。森氏の地盤を引き継いで当選連続4回。同じく不記載額が1482万円で党の役職停止となった宮本周司参院議員の後任として4月から自民県連会長の座にある。
し、大関昇進を決めた大の里だ。まさに、故郷凱旋の巡業だ。地元の相撲ファンとすれば晴れ姿を見逃すわけにはいかないという心境なのだろう。それにしても長い列だ。
9月21日の記録的な大雨で河川の氾濫や土砂崩れが起きたため、住家や仮設住宅を離れ二週間経った今でも490人余りが避難所での生活を送っている。このような中、「自衛隊風呂」が珠洲市で再開した。6日付の地元メディアによると、大量の流木や土砂が流れ込み地区全体で断水が続いている同市大谷地区の公民館駐車場で陸上自衛隊が入浴場をきのう開設した。地震による同市での自衛隊による入浴支援は、銭湯などの入浴施設などが復旧したため、8月31日で終了となっていた。しかし、大谷地区は市内中心部とつながる国道の通行止めの状態続いていて、大雨では一時孤立状態となった。男女別風呂で、入浴時間は午後4時から同8時まで。地域の人たちは2週間ぶりの湯船に心が和んだのではないだろうか。これも石破総理の「置き土産」なのかとふと思った。(※写真・下は、自衛隊による入浴支援施設=珠洲市で、2月22日撮影)
続いて、豪雨による床上浸水の被害を受けた同市宅田町の仮設住宅を訪れ、住民の声に耳を傾けた。住民は「(水害で)揃えた物も全部だめになったので、この後の生活がちょっと心配というか、心が折れてしまった」と話し、生活再建への支援を石破総理に直接訴えた(5日付・北陸放送ニュース)。また、浸水前まで仮設住宅で暮らしていた漁協関係者から、漁ができていないことを伝えれられ、石破氏は厳しい表情を見せて「よく水産庁に伝えます」と答えた(5日付・北國新聞夕刊)。
そして、去年5月5日に最大震度6強の揺れに珠洲市は見舞われた。この地震で死者1人、負傷者数48人、住宅の全半壊131棟の被害が出たが、その年の秋に開催した「奥能登国際芸術祭2023」(9月23日-11月12日)を無事やり遂げた。当時、市議会では、震災復興を優先して開催経費(3億円)をこれに充てるべきとの意見や、行政のマンパワーを復旧・復興に集中すべきとの意見が相次いだ。泉谷市長は「地域が悲嘆にくれる中、目標や希望がないと前を向いて歩けない。芸術祭を復興に向けての光にしたい」と答弁し、予定より3週間遅れで開催にこぎつけ、14の国・地域のアーティストたちによる61作品が市内を彩り、大勢の鑑賞者が訪れた。