#コラム

☆リアリティ番組、いよいよ「BPO沙汰」に

☆リアリティ番組、いよいよ「BPO沙汰」に

   台本のない共同生活を描いたリアリティ番は実話、損害賠償金つきの誓約書兼同意書によって、出演者たちが制作者側の意図に沿って演じていた番組だった、のか。フジテレビの番組『テラスハウス』に出演していた女子プロレスラーが自死した問題で、遺族がBPO(放送倫理・番組向上機構)の放送人権委員会に人権侵害を申し立てる書類を提出した(7月15日付・共同通信Web版)。

   番組の中で、同居人の男性が女子プロレスラーが大切にしていたコスチュームを勝手に洗って乾燥機に入れたとして怒鳴り、男性の帽子をはたく場面が流れ、視聴者から誹謗中傷のSNSなどが集中し、本人が追い込まれた。母親によると、このシーンについて、スタッフの指示があったと本人がかつて話していて、「暴力的な女性のように演出・編集され、過呼吸になっても撮影を止めてくれなかった。人格や人権が侵害された」と訴えている(同)。

   BPOがこの問題を審議することになれば、リアリティ番組の中で、女子プロレスラーが凶暴な悪役を演じさせられたのか、それが誰の指示によるものだったのか、損害賠償金つきの誓約書兼同意書の意図はどこにあったのか議論になるだろう。台本のないリアリティさを売りにしていた番組だったので、映像に描き出される彼女の言動そのものが、人格・個性と視聴者に受け止められた。これが、娯楽バラエティー番組であれば役者による演技と受け止められ、視聴者からのSNSによる誹謗中傷もそれほどではなかったのではないか。リアリティ番組で過剰な演技が要求されていたとすれば、まさに「人権侵害」といえるだろう。

   フジテレビの社長は7月3日の記者会見で、「現在、検証作業中であり、事実関係の精査などを行っている」と前置きし、「一部報道にスタッフが“ビンタ”を指示したと書かれているが、そのような事実は出てきていない。一方で、『テラスハウス』という番組は性質上、出演者とスタッフが多くの時間を過ごしており、多くの会話をしている中で、撮影では、出演者へのお願い・提案などはある。 」と述べている(フジテレビ公式ホームページ)

   この問題は「BPO沙汰」にすべきだと考えている。5月にこの問題が発覚し、女子プロレスラーの自死はSNSでの誹謗中傷が招いたと社会問題となった。自民党はインターネット上での誹謗中傷対策を検討するプロジェクトチームを立ち上げ、匿名による中傷を抑制する法規制などを検討を始めている。ところが、この問題の根本はテレビ局側が出演者に過剰な演技を要請したことが原因ということになれば、別次元の問題だ。視聴者もテレビ局側にある意味で騙され、煽られたことになる。

   BPOは放送や番組に対して政治や総務省が介入することを防ぐ目的で、NHKと民放が自主的に問題を解決する姿勢を示すために設けた第三者機関である。「人権侵害」と認定されれば、テレビ局側もそれ相当の自己改革が迫られる。この際、リアリティ番組の放送基準を明確にすべきだろう。このままうやむやにしてはならない事案だと考える。

(※写真はイギリスのBBCニュースWeb版が報じた女子プロレスラーの死=5月23日付)

⇒16日(木)朝・金沢の天気    くもり

★「論よりマスク」 説得力に欠けるWHO

★「論よりマスク」 説得力に欠けるWHO

     アメリカのトランプ大統領のマスク姿の写真が今月12日付・CNNニュースWeb版で掲載されていた=写真・上=。首都ワシントン近郊の軍病院で負傷兵を見舞った際の写真で、黒マスクの姿は堂々とした印象だ。トランプ氏のマスク姿はこれまで写真や映像で見たことがなかったので、本人は「マスクは医療関係者か、ギャングがするもの」と勘違いしているに違いないと思っていた。そのトランプ氏もマスクをせざるを得ない状況に追い込まれてきたのではないか。

   ジョンズ・ホプキンス大学のコロナ・ダッシュボード(一覧表)の最新版では、アメリカだけで感染者累計が336万4918人、死者が13万5616人だ。コロナウイルス感染拡大は社会生活だけでなく、軍隊にも広がっている。同時に、外出時のマスク着用を義務化する州や都市も増えている。ニューヨーク州知事は「マスクの着用は戦いに参加していることを意味する。着用ほど愛国的なことはない」とマスクの徹底を呼びかけている(7月4日付・NHKニュースWeb版)。この緊急事態にトランプ氏自身も自らも感染の危機感を抱き始めたのではないか。

   もう一人、マスク姿を見せない重要人物がいる。WHOのテドロス事務局長だ。パンデミック宣言以来、ほぼ3日に一度、ジュネーブの本部で記者会見を開催しているが。会見でマスク姿を一度も見せたことがない。6月5日の会見=写真・下=で、テドロス氏は各国政府に向けて一般市民にマスクを着用するよう奨励すべきと勧告した。マスクの重要性を強調したこの日は、自らマスクを着けて会見に臨むべきではなかったのか。言っていることと行っていることのちぐはぐさを感じる。

   直近の会見(7月13日でも、テドロス氏は「Mixed messages from leaders are undermining the most critical ingredient of any response: trust. 」と、おそらくアメリカを意識して、国のリーダーは対応を間違って信頼を損なっていると強調している。そして、国内で手洗いやマスクの着用などの公衆衛生の原則が守られなければパンデミックは悪化するだけだと説いている。「論より証拠」という言葉がある。だったら、自らマスクをして会見に臨んではどうか。この公式ホームページは世界中の人たちが見ているが、テドロス氏に対する心象は共通しているのではないだろうか。側近にアドバイスする人もいないのか。

⇒15日(水)午前・金沢の天気    あめ時々くもり

☆ブログ「5555日」 近未来への追記

☆ブログ「5555日」 近未来への追記

   昨夜、ブログをアップロードしてから気がついた。編集画面の左上にさりげなくブログ開設からの経過日数が表示されている。よく見ると、なんと「5555日」、ぞろ目の記念日だった。2005年4月28日付でこのブログをスタートさせたので、満17歳のブログではある。産声を上げたときの書き出しはこうだった。

  「ことし1月にテレビ局を退職し、4月から金沢大学の地域連携コーディネーターという仕事をしています。大学にはさまざまな知的な財産があって、それを社会に還流させていこうというのがその趣旨です。一口に知的な財産と言っても、それこそ人材や特許など有形無形の財産ですから、それを社会のニーズに役立てようとすると、そのマッチング(組み合わせ)は絡まった細い糸をほぐすような作業である場合もあります。」

   いま読み返すとなんとも緊張した書きぶりではある。ブログなので、読まれることを意識し過ぎたのかもしれない。何しろ「です」「ます」調がなんともレトロな感じがする。

   「5」のぞろ目といえば、同じ石川県出身の「55」の松井秀喜氏をテーマにこれまで21回も書かせてもらった。テレビ局時代に取材した甲子園大会での「5打席連続敬遠」(1992年)の思い出や、NYヤンキ-スの時代、そして2012年の引退のときなど、その都度取り上げている。そして「野球の天才というより、努力の天才」が 松井氏の姿ではなかったか、と述べてきた。

   このブログをテーマに、2017年12月に新書『実装的ブログ論―日常的価値観を言語化する』(幻冬舎ルネッサンス新書)を出版した。実際に見聞きしたこと、肌で感じたこと、地域での暮らしの感覚、日頃自ら学んだことというのは揺るがないものだ。それらは日常で得た自らの価値観である。その価値観を日常で刻む作業がブログだと思っている。ただ、ブログはフェイスブックやツイッター、インスタグラムなどのSNSと違って孤独な作業でもある。近未来で、この自らの価値観をAI化したいと考えている。AIにすべてのページを読み込ませ、価値観を共有するAIブログくんと対話ができれば、それはそれで新たな人生の付き合いが始まるのではないか。

           5555日目のきのう7月13日の訪問者(UU数)は640、閲覧数(PV)は1286だった。これまでにアップしたページ数は1673。「3.3日」に1回ということになる。

⇒14日(火)朝・金沢の天気     あめ

★演出なきリアリティ番組はあるのか

★演出なきリアリティ番組はあるのか

   フジテレビのリアリティ番組『テラスハウス』に出演していた女子プロレスラーが5月23日に自死した事件がいまだにくすぶっている。視聴者から批判が殺到したビンタのシーンは番組スタッフの指示と母親が証言した(「週刊文春」7月2日発売号)。フジテレビ側は社長が今月3日の記者会見で「一部報道にスタッフが“ビンタ”を指示したと書かれているが、そのような事実は出てきていない」「感情表現をねじ曲げるような指示は出していないということだ」と述べている(フジテレビ公式ホームページ「6月度社長会見要旨」)。真向から対立している。

   番組のシナリオ台本はなかったとは言え、番組には必ずディレクターが立ち会い、視聴者の反応を意識した構成が練られていただろう。「台本なき演出」があったと考えるのが普通だ。

   かつて、テレビマンとして番組制作にかかわっていた。ドキュメンタリ-番組を制作するに当たって気をつけていたことは、「演出」の気持ちにかられないようにすることだった。なぜならば、ドキュメンタリーは事実を構成する番組なので、「演出」あるいは「やらせ」はタブーである。ところが、ディレクターとしては番組のストーリー性を常に考えるので、つい「こんなシーンがあると映像の流れ的にはリアリティがあっていいんだけれどな・・・」などと思ってしまう。番組の完成度を高めたいのだ。

   そのような思いを戒める「事件」が起きた。1992年に放送されたNHKスペシャル『禁断の王国・ムスタン』(9月30日・10月1日放送)。ムスタンはネパール領の自治王国で、「テレビ未踏の番組」が触れ込みだった。視聴率は14%をさらい、さすがNHKと好評を博した。それが一転、「やらせ番組」の代名詞の烙印を押されることになる。

   翌年1993年2月3日付の朝日新聞でスクープ記事が出た。疑惑はいくつもあった。登場した「国境警備兵」は実際は警察官だった。映像中の「少年僧の馬が死んだ」は実際は別の馬だった。「高山病に苦しむスタッフ」の映像は実際は演技だった。「岩石の崩落、流砂現象」のシ-ンは取材スタッフが故意に引き起こした、などの「やらせ」疑惑だ。NHKも内部調査を行い、「過剰な演出」「事実確認を怠り誇張した表現」と認めた。同年3月、電波行政を所管する郵政省(現・総務省)はNHKに対し虚偽報道であるとして大臣名で厳重注意の行政指導を行った。

   その後も、関西テレビの『発掘!あるある大事典Ⅱ』では捏造が発覚した。2007年1月7日放送「納豆でヤセる黄金法則」はアメリカの大学教授の研究をもとに「DHEA」と呼ばれるホルモンにダイエット効果があるとの説を紹介し、納豆に含まれるイソフラボンがその原料になるとし、被験者8人全員の体重が減ったとの内容だった。週刊朝日が関テレに質問状を送ったことがきっかけに、番組を制作会社に任せていた関テレが独自調査。コレステロール値や中性脂肪値や血糖値の測定せず、血液は採集をするも実際は検査せずに数字は架空といった捏造が明るみに出た。さらに、大学教授の日本語訳コメント(ボイス・オーバー)はまったく違った内容だったことが発覚した。

   結局、番組は打ち切りに。関テレも一時、民放連の除名処分を受ける事態になった。ある意味でこれは民放の構造的な問題ではなかったかと察している。当時、制作会社は制作9チーム(150人)で1チームが2ヵ月に1本の制作を担当していた。科学データが実証されるのを待っていると時間が必要で、放送に穴を空けることにもなりかねない。時間に追われたディレクターは「とりあえず、絵だけ撮れ」とカメラマンに指示したのだろう。「体にいいですよ」という番組の結論を導くために捏造したデータやコメントを構築していくことになった。

   話は冒頭に戻る。「リアリティ番組」と銘を打つから、演出だ、やらせだ、捏造だと批判を浴びる。最初から「娯楽バラエティー番組」にしておけば、演出は許される。そして、出演者も視聴者もそれほど抵抗感はなかったのではないか。番組づくりと演出はテレビ制作者の永遠の課題ではある。

⇒13日(月)夜・金沢の天気    あめ

☆「賭けマージャン」不起訴 「ネズミ」の気持ち

☆「賭けマージャン」不起訴 「ネズミ」の気持ち

    もう8年も前の話だが、「ネズミ捕り」にひっかかったことがある。66㌔で走っていて安全運転のつもりだったが、交通警察から「ここは制限速度50㌔です」と言われ、16㌔オーバーの違反切符を切られた。66㌔で走っていてスピード違反は納得できなかった。かといって、拒否して裁判にでもなれば罰金という刑事罰を食らうことにもなりかねない。警察権力は国民に対して建前を強要して、国家の秩序を維持しているのだ、と自分を納得させ抵抗をあきらめた。後日、1万2000円の反則金を払った。   

   このブログでも何度か取り上げた事件。新型コロナウイルスの緊急事態宣言の中で賭けマージャンをしていたとして刑事告発されていた東京高検の黒川前検事長と新聞記者ら4人について東京高検は10日、4人の不起訴処分(起訴猶予など)を発表したとメディア各社が報じている。黒川氏は5月1日と13日の夜、都内にある産経新聞の記者の自宅マンションを訪れ、同社社会部の次長と記者、朝日新聞の記者だった社員1人と4人で賭けマージャンをしていた。この日だけではなく、3年ほど前から月に1、2回の頻度だった。賭け金は1千点を100円に換算する「点ピン」と呼ばれるレートで、1回で1万円から2万円程度の現金のやり取りだった。

   事件が発覚したきっかけは「文春オンラン」(Web版・5月20日付)と週刊文春の記事だった=写真=。「黒川弘務検事長 は接待賭けマージャン常習犯」。その後、市民団体から賭博の疑いで刑事告発が相次ぎ、東京地検が捜査を進めていた。高検は起訴猶予の理由として、4人が旧知の間柄で、動いた金額も多額ではなく、賭博性を高める特殊ルールを採用していないため「娯楽の延長線上にある」とした上で、4人が辞職や停職処分で社会的制裁を受け、いずれも事実を認め反省していることを挙げた(7月11日付・朝日新聞)。

   冒頭で述べた、50㌔規制の道路を66㌔で走行したスピード違反は、警察に「今後絶対に違反はしません。交通ルールを守ります」と反省の気持ちを込めて土下座したとして、許しを得ることはできただろうか。許されるはずがない。では、法の番人である検察最高幹部による刑法の「賭博」に抵触する行為が、「社会的制裁」「事実を認め反省していること」をもってなぜ不起訴となるのだろうか。

   令和元年(平成31年)のスピード違反の検挙件数は113万7255件(警察庁「交通関係法令違反の検挙状況」)だ。交通警察はそれを実績として誇るかもしれないが、「ネズミ捕り」への恨みはけっこう根深い。ましてや、今回の「賭博 不起訴」のニュースで「また、上級国民への配慮か」と格差感を抱いてしまう。検察の不起訴処分が妥当だったかどうかをチェックする検察審査会の判断に注目したい。

⇒12日(日)午後・金沢の天気   くもり

★農ある生活「パーマカルチャー」の第2波

★農ある生活「パーマカルチャー」の第2波

   新型コロナウイルスの感染拡大を背景に、石川県の自治体への移住相談が増えていて、とくに能登地域にある七尾市では前年同時期の約12倍、珠洲市は約4倍になったと、きょう11日付の日経新聞北陸版が報じている。首都圏などから自然豊かな地方に転居したいというニーズ、そして、人口減少に悩む自治体は移住者の獲得を目指している(同)。

   この記事を読んで、「パーマカルチャーの第2波が来た」との印象だ。パーマカルチャーは農業を志す都会の若者たちの間で共通認識となっている言葉だ。パーマネント・アグリカルチャー(パーマカルチャー=Permaculture、持続型農業)を実践したいと農村へ移住を希望する若者たちがいる。農業経験はないが、農業の伝統を守るだけではなく、伝統の上に21世紀の農業をどう創り上げていくか、そこまで考えている。

   第1波は2011年の東日本大震災のときだった。金沢大学が2007年度から能登半島で実施している人材育成事業「能登里山マイスター養成プログラム」の2011年度募集に初めて東京からの受講希望が数名あった。面接で受講の動機を尋ね、出てきた言葉が「パーマカルチャー」だった。里山や農業のことを学び、将来は移住したいとう希望だった。実際、東京から夜行バスで金沢に到着し、それから再びバスで能登に。あるいは前日に羽田空港から能登空港に入り、月4回(土曜日)能登で学んだ。その後、実際に能登に移住、あるいはUターンした受講生もいる。

   彼らと接して、パーマカルチャーは人間の本能ではないかと察している。天変地異が起きたとき、人はどう生きるか、それは食の確保だ。敏感な答えだ。それを彼らは「農ある生活」とよく言う。最近、そのトレンドを能登で散見する。ITエンジニアやデザイナーが移住し、仕事をしながら野菜の栽培に取り組む。仕事の契約など必要に応じて東京へ打ち合わせに日帰りで行く、というパターンだ。石川県の統計で、2018年度で能登地区へ296人の移住があった。その多くが農業を志している。まさにパーマカルチャー志向ではないか。

   コロナ禍をきっかに、リモートワークは普通になった。光回線や5Gなど通信インフラが整っていれば、東京に在住する必要性はない。ならば地方移住という発想が広がっているのではないだろうか。日経新聞の記事に、パーマカルチャーの第2波を感じる。もちろん、この傾向は能登だけでなく全国の地方に広がっているだろう。
(※写真は二宮金次郎像。背中に薪を背負い、学問をする姿は現代流に解釈すれば、多様なライフスタイルの実践主義者のシンボルでもある)

⇒11日(土)夕・金沢の天気    くもり

☆風呂敷の美学

☆風呂敷の美学

   これは風呂敷の美学ではないか、見た瞬間、感動した。先日、知り合いの方からウイスキーをいただいた。ボトルが花柄の風呂敷で包まれてなんとも優雅なのである=写真=。風呂敷は包んで運ぶ道具という単純な概念だったが、包み方、そして結び方によってこれだけ優美に見える。同時に風呂敷の姿にバリエーションというものを感じる。

   これまで個人的には風呂敷は日本の古い道具だと思っていた。さらに「大風呂敷を広げる」という言葉があり、現実に合わないような大げさなことを言ったり、計画したりする意味で使うため、言葉のイメージそのものがよくなかった。その一方的なイメージが間違っていたと気付かせてくれたコメントがあった。7月1日付のブログ「★『マイバッグ』と『マスク』の両立問題」をチェックしてくれた京都の大学教授からのコメントだった。以下引用させていただく。

   「私は15年以上前から風呂敷研究会のメンバーとなり、大学生を対象に風呂敷が日本の伝統文化であり、いかに便利かを教えてきました。昔のような使い方ではなくて、バッグにして使えばとてもおしゃれな風呂敷バッグになります。ナイロンの90㌢角の風呂敷なら折りたためば100㌘もなくてポケットに収まります。エコバッグに比べればとても軽くていつでも持ち運べますね。」

   このコメントで気づかされたのは、今月から始まったレジ袋の有料化は、プラスチックの利用を減らし、再利用可能な袋やバッグを使うという「エコロジー運動」でもある。とうことは、風呂敷は再利用可能な包みの最先端ではないだろうか、ということだ。それがさらに使いやすく、折り畳み式の風呂敷バッグへと進化しているという。   

   大学教授のコメントは続く。「私は愛用してますが、風呂敷バッグの作り方を説明した本は10冊程度でてますが、実際に使っている人を見たことは皆無に近いです。風呂敷は何100年も前から使われてきた日本の伝統文化だと思いますが、ほとんどの日本人は西洋文化であるバッグしか使いませんね。大変残念ですが、もっともっと使う方を増やしたいと頑張ってます!!」

   風呂敷そのものは道具のメインではなくあくまでもわき役である。包みと結びで姿を変えていろいろなシーンを演出する。そして、用済みになれば元の一枚の布に戻る。風呂敷の美学ではないだろうか。

⇒10日(金)夜・金沢の天気    あめ

★日本も例外ではない「ズーノーシス」の接近

★日本も例外ではない「ズーノーシス」の接近

   「ズーノーシス(zoonosis)」という言葉を初めて知った。UNEP(国連環境計画)がこのほどまとめた報告書に出てくる。新型コロナウイルスの発生源として論議を呼んでいるコウモリなど動物由来で人にも伝染する感性病を総称してズーノーシス(人畜共通伝染病)と呼ぶそうだ。新型コロナウイルスの感染症やエボラ出血熱、中東呼吸器症候群(MERS)、HIV、ライム病といったこれまで人間が罹ってきた感染症はズーノーシスに含まれる。

   では、なぜズーノーシスが繰り返されるのか、UNEPのインガー・アンダーセン氏らが報告書=写真=をまとめた。以下、UNEP公式ホームページで掲載されているダイジェスト版「Preventing the next pandemic: Zoonotic diseases and how to break the chain of transmission」(次なるパンデミックの防止:人獣共通感染症と伝染の連鎖を断ち切る方法)から以下引用する。

   低・中所得国では毎年200万人がズーノーシスである炭疽病、牛結核、狂犬病で死亡している。これらの国々は家畜への依存度が高く、野生生物に近い地域社会である。その原因は人の生産活動にある。肉の生産量は50年間で260%増加し、農業生産も強化された。大規模な耕作地や灌漑、ダムなどの農業インフラを拡張したものの、同時に野生生物の空間を犠牲にした。その結果、人と野生動物は近くなり、ズーノーシスとも密接になってきている。

   野生生物の領地やその他の天然資源の過剰な開発をやめ、持続可能な農業を行うことで、土地の劣化を逆転させ、生態系の健全性を守るための投資が必要、と提言している。

   これを読んで、日本ではまったく逆のズーノーシスが起きる可能性が高まっているのではないかと感じた。たとえば、金沢でも人里や住宅街にクマやサル、イノシシ、シカが頻繁に出没している。ドングリなどのエサ不足に加え、里山と奥山の区別がつかないほど里山や耕作放棄地が荒れ放題になっていて、クマ自身がその領域の見分けがつかず、人里や住宅街に迷い込んでくる、とも言われている。

   ズーノーシスに感染したこれらの野生生物が街中を徘徊することを防げるだろうか。

⇒9日(木)夜・金沢の天気    くもり

☆検証されるべきはWHOと中国の関係性

☆検証されるべきはWHOと中国の関係性

   気になった国際ニュース。アメリカはWHOから来年7月6日付で脱退すると国連に正式に通告した。トランプ大統領が5月下旬、新型コロナウイルスを巡る対応が中国寄りだと主張し、脱退すると宣言していた。7月6日に通告を受けた国連サイドは、脱退条件を満たしているかどうか確認作業に入ったとしている。アメリカは1948年にWHOに加盟し、最大の資金拠出国となっており、脱退による活動への影響が懸念されている(7月8日付・共同通信Web版)。

   トランプ氏はこれまで何度も「WHOは中国に完全に支配されている。WHOとの関係を終わらせる」と脱退の意向を示してきたので、ついに実行に移したか、という印象だ。当のWHOは今回の通告に対してまだコメント発表していない。ただ、テドロス事務局長はこれまでアメリカ政府は協力の恩恵を世界は長年受けてきたと強調し、公衆衛生の改善に大きな影響を与えてきたアメリカの貢献を称賛している(6月1日・WHO記者会見)。

   今回の通告を11月のアメリカ大統領選の争点にしようとしているのが、大統領の座を争うことになる民主党のバイデン氏だ。さっそく、7日のツイッターに「大統領としての初日にWHOに戻る」と投稿し、政権を奪還すれば、来年1月に大統領に就任してすぐ、脱退を撤回する考えを示した(7月8日付・NHKニュースWeb版) 。

   冒頭の記事にあるように、国連サイドはアメリカの脱退条件を満たしているかどうか確認作業に入ったとしている。ぜひ、テドロス氏と中国の関係性を明らかにしてほしい。これまで指摘されているように、中国でヒトからヒトへの感染を示す情報がありながら、WHOがその事実を知りながら世界に共有しなかったのはなぜか。トンラプ氏でなくとも疑問に思う。

   そもそも、WHOと中国の関係性が疑われたのは1月23日だった。中国の春節の大移動で日本を含めフランスやオーストラリアなど各国で感染者が出ていたにもかかわらず、この日のWHO会合で「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」宣言を時期尚早と見送った。同月30日になってようやく緊急事態宣言を出したが、テドロス氏は「宣言する主な理由は、中国での発生ではなく、他の国々で発生していることだ」と述べた(1月31日付・BBCニュースWeb版日本語)。日本やアメリカ、フランスなど各国政府はすでに武漢から自国民をチャーター機で帰国させていた。

   ぜひとも、こうしたWHOと中国の関係性がアメリカの主張の通りなのか、国連サイドとして検証してほしいものだ。

(※写真は4月27日、テドロス事務局長の記者ブリーフィング=WHO公式ホームページ) 

⇒8日(水)夜・金沢の天気    あめ

★コロナと大雨の二重禍、そしてボランティアは

★コロナと大雨の二重禍、そしてボランティアは

   きょう未明から雨が降り続き大雨だった。午前中、車で能登方面に出かけたが、フロントガラスに雨が激しく叩きつけ、前方がよく見えかった。ワイパ-を最高速にしたが、かえって見にくい。車体がグレーでライトをつけていない車は要注意だった。

         今回列島を襲っている記録的な大雨で、これまでに熊本県を中心に57人が亡くなり、2人が心肺停止、12人が行方不明となってる。まだ被害が把握できていないところもあり、警察や消防、自衛隊などが引き続き捜索している(7月7日付・NHKニュースWeb版)。

   山中の道路が寸断され、孤立した集落が数多くあるだろう。記録的な大雨の犠牲者は今後さらに増える可能性もある。熊本県の公式ホームページにきょう行われた災害対策会議の模様が動画で掲載されいる。参加者は全員マスクを着用し会議に臨んでいた=写真=。熊本県内では新型コロナウイルス感染で48人の感染者、そして3人が死亡しているので、コロナと大雨の二重の災禍と向き合っている、そんな光景に映った。

   水害の復旧のためのボランティアをどのように集めるのか気になって検索をかけていると、熊本県社会福祉協議会の公式ホームページで「災害・生活復興支援ボランティア情報」(7月7日付)のページがあった。その中で気になったのは、ボランティア参加に関しては、ウイルス感染防止から参加を制限していることだ。

   ホームページをもう少し詳しく見てみる。同協議会では、災害ボランティアセンターの設置に向け準備を進めている。「開設後は新型コロナウイルス感染症拡大防止から、当面は県内被災地近隣の方々に限るなど、範囲を定めてボランティアの募集が行われる予定です。ご理解・ご協力をお願いいたします。」と。これだけの大災害となると連日テレビが大きく取り上げる。すると本来ならば災害ボランティアは全国から集まって来る。ところが、ウイルス感染の防止から全国からの受け入れには慎重にならざるを得ない、ということなのだろう。

   しかし、ボランティアの被災地で作業は「3密」状態だろうか。マスクの着用を守ってもらい、 被災者との「濃厚接触」を避けてもらえばそれだけでよいのではないだろうか。被災地の近隣のボランティアだけは人数が足りない。ましてや、これだけ広範囲の水害となると近隣からは集まらないだろう。

   コロナ禍では、移動の自粛をめぐって意見の違いが交錯する。東京都の小池知事が、ほかの県への不要不急の移動を控えるよう呼びかけたことについて、コロナ対策の西村経済再生担当大臣は政府として移動の自粛は求めない考えを重ねて示した(同)。この意見の違いは、ボランティアにも当てはまる。被災地の復旧をサポートしたいというボランティアの気持ちを前向きに受け入れてはどうだろうか。

⇒7日(火)夜・金沢の天気   あめ