☆番記者が手強さを感じる次の総理は
安倍総理の後継を決める自民党総裁選挙がきのう8日に告示され、石破茂、菅義偉、岸田文雄の3氏が立候補を届け出た。きょうの新聞各紙に党本部での演説会の内容と、その後の共同記者会見の発言要旨が掲載されている=写真=。記者会見の内容を吟味してみる。
面白いは安倍政権へのそれぞれの評価だ。以下、発言順でコメントは一部を抜粋。菅氏「安倍政権の経済政策は私が引き継ぐ。客観的に見ておかしいことは見直す。文書改ざんは二度と起こしてはならない。謙虚に耳を傾ける」。岸田氏「経済政策や官邸主導、トップダウンで物事を決める姿勢は評価できる。一方で強力な権限は謙虚に使っていく姿勢が大事。説明責任をしっかり
果たしていく姿勢は何より大事だ」。石破氏「地方や女性の潜在的な可能性を最大限に引き出すことはまだ不十分だ。森友、加計学園、桜を見る会はどの世論調査でも納得した人が非常に少ない。特定の人が利益を受けることを、政府がやっていいはずがない。要するに、えこひいきがあってはならない」
菅氏と岸田氏は、いわゆる「モリカケ」問題ではそれぞれ通りいっぺんの回答だが、石破氏は突っ込んだ発言をした。「世論調査でも納得した人が非常に少ない」と。そもそも、石破氏は今回の総裁選そのものに批判的だ。「詐欺のような総裁選はやめるべき」と『週刊朝日』(9月11日号)で述べていた。記事を引用する。「現在、自民党は党員数の拡大を目指して総力を結集していますが、党員を勧誘するときのセールストークは『党員になれば、あなたにも自民党総裁を選ぶ選挙権があります』というもの。自民党総裁を選ぶことは多くの場合、総理大臣を選ぶことに等しい。その投票権があります、というのが一つのウリなんですね。いざとなったら、党員投票はやりませんというのでは、詐欺じゃないかと怒る党員もおられるのではないでしょうか」
確かに、政治的な空白が起きるので、国会議員票と各県連の票のみで総裁を決めること自体が、「詐欺」に相当するというのは理にかなってはいる。うがった見方だが、石破氏はこのことを言いたいがために立候補したのではないだろうか。記者会見での「えこひいきがあってはならない」と主張しているのも、詐欺発言と文脈が連なるのではないか。
もう一つ、国会と総理会見についてのそれぞれの発言だ。6月の通常国会の閉会後、2ヵ月半に安倍総理は記者会見を行わなかった。その是非について記者たちは問うた。
最初に発言したのは石破氏だった。「メディアは国民を代表して聞いている。可能な限り、答えなければいけない。政治の義務だ」。菅氏「首相の国会出席は世界と比べて圧倒的に時間が多い。出席は大事なところに限定すべきだ。そうしないと行政の責任をなかなか果たせない。首相の会見については、官房長官が朝夕2回会見しており、内閣の方針は官房長会が責任をもって説明する」。岸田氏「記者会見は手が挙がらなくなるまで質問に答えるのが大事だ。首相の日程で限界があるのも事実だ。日本の首相の国会への拘束時間は先進国の中で桁外れだ」
総理への記者会見は、権力者とジャーナリストの真剣勝負の場でもある。問題は、総理に聞くべきことを聞くことではないだろうか。時間の長さや回数の問題ではない。内閣全般のことであるならば、菅氏が述べた通り、「官房長官が朝夕2回会見しており、内閣の方針は官房長会が責任をもって説明する」でよいのではないか。
ところが、メディアの記者たちはそれだけでは納得しない。総理が何を語ったことだけでなく、言葉や心のブレ、顔の表情、本音など心理的な変化も記者たちは読みたがっている。なので、あえて刺激的な言葉で質問したりする記者もいる。あるいは、国会議事堂や官邸で歩いている総理に「ぶら下がり」で質問をしたりする。上記の3氏の発言を読む限り、記者たちが本音をなかなか探れない人物とは誰か。発言を読んでも分かるように、実務肌の菅氏ではないだろうか。顔の表情を変えず、ブレない発言は石破氏や岸田氏に比べ、突っ込みどころがない。総理番の記者たちはすでに手強さを感じているかもしれない。
⇒9日(水)夜・金沢の天気 あめ
記事によると、アメリカ西海岸の山林で毎年のように起きる山火事が今年は異常に広がっていて、マツタケの採取ができず、日本への出荷に待ったがかかっている。オレゴン州ではマツタケは高価で売れることから、「白いゴールドラッシュ」と呼ばれているそうだ。 








た。会見が終了したのは11時32分だった。日をまたぐ直前まで記者会見を実施したのは、沖縄のアメリカ軍属の男による女性の遺体遺棄事件について、首脳として何とかサミットが始まる前にけじめをつけておきたかったのだろう。ある意味でギリギリ間に合ったと、政府関係者は胸をなでおろしているかもしれない。以下、共同記者会見の様子を=写真・「NHKニュース」=をテレビで見ていてのメモだ。
を下げて黙祷をささげた。頭を下げての黙祷は日本では当たり前なのだが、アメリカではこれが原爆死没者に対する「謝罪」と映るのだろう。もし、安倍氏とオバマ氏が2人同時に献花し黙祷をささげたら、片や頭を下げる姿、片や下げない姿がくっきりと対比される。すると、映像的な印象度として、オバマ氏の姿は日本では良くないものになる。献花にあたっては、日本とアメリカで随分と打ち合わせ、計算されし尽くされたのだと中継映像を視聴しながら感心した
ニュースだった。このニュースに接した多くの日本人は、5月に被爆地・広島を訪れたオバマ氏への返礼の訪問と感じたのではないだろうか。

