#コラム

☆北陸は液状化現象の多発地帯 震度5弱以下で電柱傾き、ゆがむ道路

☆北陸は液状化現象の多発地帯 震度5弱以下で電柱傾き、ゆがむ道路

  けさの金沢はの冷え込み気温は1度。自宅前の庭や道路には3㌢ほどの積雪となっている。時折、雷鳴がとどろいている。今月6日付のブログでも述べたが、雷が直接落ちなくても、近くで落ちた場合には「雷サージ」と呼ばれる、瞬間的に電線を伝って高電圧の津波現象が起きる。この雷サージが電源ケーブルを伝ってパソコンの機器内に侵入した場合、部品やデータを破壊することになる。何しろ、金沢は全国の都市で年間の雷日数が30年(1991-2020)平均でもっとも多く、45.1日もある(気象庁公式サイト「雷日数」)。雷には注意したい。

  話は変わる。元日の能登半島地震による液状化現象について、けさの朝刊の記事は「震度5弱以下でも液状化多発」の見出しで、能登地震による北陸4県(石川、新潟、富山、福井)での液状化現象は34市町の2114ヵ所で起き、このうち震度5弱以下の箇所で起きた割合が16%におよび、東日本大震災の4%や熊本地震の1%に比べ、4県は液状化しやすい地盤であることが分かったと報じている。日本海沿岸部には液状化が起きやすい砂地が広がっていることが要因とみられる。(※写真は、液状化現状で電柱が大きく傾いた石川県内灘町=1月8日撮影)

  防災科学技術研究所(つくば市)がことし1月から5月に調査を実施。現地で土砂や水が地表にあふれた箇所を確認し、250㍍四方ごとに1ヵ所と数えて集計した。能登地震で起きた液状化の箇所のうち、震度5強の箇所は35%だった。また、半島尖端の震源地から離れた地点では、180㌔南西の福井県坂井市や170㌔東北の新潟市で液状化が確認されている。

  液状化については、金沢市に隣接する内灘町の被災事例をこれまでブログで何度か取り上げてきた。記事では同町の液状化は元日の地震からさらに被害が拡大していると取り上げられている。11月26日に起きた半島西方沖を震源する最大震度5弱の揺れがあり、震度3だった同町では元日に傾いた電柱がさらに傾きがひどくなったことから、被害拡大と分析されている。確かに現地を歩くと、電柱の傾きや道路の凹凸が大きくなっている箇所や新たに電柱が傾斜した場所もあり、被害の範囲が広がったようにも見える。

  そして危惧するのは、このところ能登で発生している地震の震源が元日の半島尖端から南下していることだ。元日の震源は半島尖端の珠洲市だったが、11月26日の地震は半島の西方沖に位置する。地元メディアの報道によると、地震学者のコメントとして、元日の地震で動いた断層とは別の「羽咋沖西断層」が震源の可能性があるとしている。新たな活断層が動きだし、それにともない液状化現象が連鎖するならば、詳細なハザードマップが必要ではないだろうか。

⇒23日(月)午前・金沢の天気    あめ時々ゆき

★建築家・谷口吉生氏が具現化した禅の研究家・鈴木大拙の言葉「スーッとやるんだ」

★建築家・谷口吉生氏が具現化した禅の研究家・鈴木大拙の言葉「スーッとやるんだ」

  館内に入ると「内部回廊」と呼ばれるうす暗く静かな廊下があり、展示室へと伸びている。そして、小さな展示室を抜けると、鈴木大拙館の「水鏡の庭」「外部回廊」「思索空間」のエリアの広がる=写真・上=。水鏡の庭は、コンクリートのプールに水をはったもの。プールには白を基調とした「思索の空間」の建物が映え、風になびく水面に心が打たれる。少しの風でも水面がなびくように設計されているのだろう。

  そして、「思索の空間」の建物には能登でよく見かける白壁の土蔵をイメージする。中をのぞくと、外の風景とまったく別世界の空間が広がる。薄暗い正方形の部屋に木製のベンチが置かれ、畳が敷いてある=写真・下=。どうぞ座禅を試みてくださいと言わんばかりのしつらえなのだ。

  鈴木大拙がよく使った言葉の一つに、「スーッとやるんだ」という短い言葉がある。この場に立つと、その意味がなんとなくわかる気がする。とくに哲学的な意味はないのだろう。風が抜けるようなすがすがしさを感じる心地よい言葉だ。それを谷口吉生氏が建物として具現化したのだろうか、と察した。

☆来年元日に輪島で二重災害の犠牲者追悼式典 防災力強化へ地域担当を配置

☆来年元日に輪島で二重災害の犠牲者追悼式典 防災力強化へ地域担当を配置

  きょうも能登半島の一部が揺れた。気象庁によると、午後0時39分ごろ、能登半島の西方沖を震源とするマグニチュードは3.5の地震があり、海側にある志賀町では震度2が観測された。先月11月26日にはマグニチュード6.6があり、志賀町で震度5弱、金沢は震度3だった。このときは不安が走った。揺れの中心にあたる震央が志賀町にある志賀原発と向き合っている位置にあり、津波は大丈夫か、原発施設への被害はないかと案じたからだ。

  地元紙のきょうの夕刊で、元日の能登半島地震の関連の記事いくつかあった。地震の発生1年となる来年元日に、輪島市で開かれる石川県主催の犠牲者追悼式典に石破総理が出席する、とのこと。式典は午後3時35分開会で、地震発生時刻の午後4時10分に出席者が黙祷をささげる。9月の記録的な大雨による犠牲者も合せて追悼する。地震による犠牲者は今月19日時点で、直接死が228人、災害関連死(県関係者)が270人となる。豪雨による死者は16人となる。514人の死を弔う。

  もう一つの関連記事。政府はきょう、2026年度中を目指す「防災庁」創設を見据え、全閣僚が参加する「防災立国推進閣僚会議」の初会合を総理官邸で開いた=写真、20日付・総理官邸公式サイトより=。47の都道府県を担当する職員として「地域防災力強化担当」を配置し、平時の対策や災害時の情報収集に取り組む方針を確認した。議長の石破総理は「政府一体で本気の事前防災を進める」と強調した。

  内閣府防災部門の定員は現在110人で、災害対応力の強化に向けて、平時は備蓄促進や防災訓練、ボランティア参加などに関して自治体の対応を促す。そして、災害発生時には直ちに現地に駆けつけて災害状況を把握し、避難所の環境の改善など進める。都道府県側にも連携する担当職員の配置を要請する。

  能登半島地震では自治体の対応に関してさまざまな批判が出ていた。住んでいた自治体と避難先の他自治体との相互の情報伝達がなく、被災者に仮設住宅の開設の情報が十分伝わらなかったという事例もある。新設される防災力強化の地域担当には、ぜひ、自治体間のコーディネーター役も期待したい。

⇒20日(金)夜・金沢の天気    くもり  

★能登の被災現場で両陛下が気遣いされた過酷な復旧現場と関連死のこと

★能登の被災現場で両陛下が気遣いされた過酷な復旧現場と関連死のこと

  きょう金沢は冷え込んだ。最高気温が4度、最低が1度なので真冬並みの寒さだった。午後に出向いた能登は最低が0度だった。冷え込みで懸念するのは仮設住宅や避難所で暮らしている人たちのことだ。被災地では疲労に寒さが加わり低体温症などで体調を崩す人が出ているのではないだろうか。

  前回ブログで天皇・皇后両陛下が元日の能登半島地震、そして9月の記録的な大雨の被災者を見舞われるため、今月17日に輪島市を訪れたと述べた。その様子を新聞メディア各社(18、19日付)が詳細に報じている=写真=。

  両陛下は9月の豪雨について、輪島市と珠洲市、能登町の3人の首長から説明を受けた。被災者がこれまで見たこともないような大粒の雨だったこと、震災と豪雨の二重被災に心が折れそうになっている人も多いこと、そうした中でも生活の立て直しに懸命に取り組んでいる人たちもいるとの内容だった。首長の説明に対し、両陛下は「建物を解体する作業員や屋根瓦の職人、あるいはボランティアの確保は難しくないでしょうか」と案じ、災害関連死が多いことについては「災害関連死された方はどのような状況でお亡くなりになったんでしょうか」と尋ねるなど、個々の状況について心配されていたという。

  両陛下が3月に輪島市を訪問した際は、移動はヘリコプターだったが、今回はマイクロバスによる移動だった。そのことで両陛下は、バスからより近い距離で災害現場を目の当たりにされた。このため、屋根に上り危険を伴う復旧作業に当たる人々を案じられていた。 また、両陛下は被災した人々と話す中、涙を流す人が多かったことから、二重被災を受けて心が深く傷つけられていると感じられたようだ(19日付・メディア各社の報道)。

  両陛下が気遣っておられた災害関連死の新たな情報が入ってきた。地元テレビメディアの報道(19日付)によると、きょう災害関連死を判断する行政の審査会が開かれ、新たに15人を認定すると決めた。関連死の認定は新潟と富山両県の6人を合せ276人となり、直接死228人を合せ犠牲者は504人となる。

⇒19日(木)夜・金沢の天気    あめ

☆両陛下が3度目の能登見舞いに 輪島で豪雨犠牲者の冥福祈る

☆両陛下が3度目の能登見舞いに 輪島で豪雨犠牲者の冥福祈る

  天皇・皇后両陛下はきのう(17日)16人が亡くなった9月の能登の記録的な大雨による被災者を見舞うため、輪島市を日帰りで訪問された(18日付・メディア各社の報道)。午前中に特別機で能登空港に到着。マイクロバスで輪島市役所を訪れ、坂口市長から豪雨の被害や被災者の現状について説明を受けた。この後、塚田川が氾濫し、住宅4棟が流され、14歳の少女ら4人が犠牲となった同市久手川町を訪れ、濁流で流され木々や押しつぶされた自動車など被災の傷跡が残る現場で10秒ほど頭を下げ、冥福を祈られた。

  両陛下は豪雨で30世帯51人が避難生活を送る輪島中学校を訪れ、イスに座る被災者と対面し、中腰になって「お体に気を付けて」と声をかけられた。また、両陛下は県警や消防署、自衛隊関係者とも対面し被災者の救助と支援の労をねぎらった。豪雨被害は輪島市と隣接する珠洲市と能登町でもあり、泉谷珠洲市長と大森能登町長がそれぞれの被災状況を説明した。

  両陛下の能登訪問は元日の能登半島地震の見舞いに訪れた3月22日、4月12日に続いて3度目となる。輪島市は地震と豪雨の二重被害が集中した地域。元日の地震では震度7、その復旧・復興の途上の9月21日に輪島市は48時間で498㍉の記録的な豪雨に見舞われた。両陛下は3月に輪島を訪れた際に、店舗や住宅など200棟が焼けて焦土と化した朝市通りで犠牲者の冥福を祈られた。そして今回の豪雨被害による輪島訪問で現地の二重被害の状況を実感されたのではないだろうか。

  石川県危機対策課がまとめた12月17日時点での地震による死者は469人で、そのうち、家屋の下敷きになるなどして亡くなった直接死は228人、災害による負傷の悪化や避難生活での身体的負担による疾病で亡くなった関連死は241人となった。避難者は仮設住宅などに移り、53人となっている。また、豪雨による犠牲者は16人、避難者は400人余り。災害直後からその数は大きく減っていない。輪島では仮設住宅のうち584戸が豪雨で床上浸水などの被害を受け避難所に入っていたが、復旧作業が進み、住民が戻り始めている。

⇒18日(水)午後・金沢の天気   あめ

★能登の「ニューヨーク」全線通行へ 地域の復旧・復興の加速を期待

★能登の「ニューヨーク」全線通行へ 地域の復旧・復興の加速を期待

  能登半島をめぐる幹線道路の国道249号は元日の能登半島地震、そして9月の記録的な大雨により一部区間で不通が続いているが、今月27日午後1時から全線で通行が可能になる。国土交通省能登復興事務所公式サイトの発表(今月13日付)によると、全線で通行が可能になるのは輪島市門前町浦上から半島尖端の部分の珠洲市若山町の53㌔で、一部区間は1車線となり、当面は地元住民や緊急車両に限って利用できる。国の名勝の輪島の白米千枚田の近くを通る249号は1車線から2車線となり、一般車両も通行可能となる。

  能登の地元では国道249号のことを数字をもじって「ニューヨーク」と呼ぶ人もいる。それほど地域に密着し、生活に欠かせない道路なのだ。そして観光ルートでもある。千枚田を縦貫し、名所の窓岩がある曽々木海岸を通り、珠洲市の揚げ浜式塩田へとつながっていた。それが、元日の地震でニューヨークがズタズタに寸断されていた。年末も近くになりようやく全線で通行が可能になるので、地元の人たちにとってはほっと一息つくような話ではないだろうか。

  先日(今月5日)その寸断されていた地域の輪島市町野町大川浜の249号の状況を見に行った。町野町に住む人にとって国道249号は輪島市中心部と往来する幹線で車で30分ほどの時間だった。ところが、地震による土砂崩れで249号が埋まり、山道を遠回りすることになり、所要時間が1時間ほどかかっていた。冬場の山道は雪が多いところを通ることになるので、本格的な降雪期を前になんとか間に合った。(※写真は、今月5日に通行が可能になった輪島市町野町大川浜の249号。1車線で、通行は地元住民や緊急車両に限られる)

  このほかにも、9月の豪雨でトンネルの出入り口が土砂で埋まった249号の迂回路として県道と市道を活用。また、千枚田近くの道路も土砂崩れで埋まったが、地震で隆起した海岸に迂回路を設置することで通行の再開にこぎつけた。249号の全線開通で地域の復旧・復興の加速を期待したい。

⇒16日(月)夜・金沢の天気    あめ

☆「第九」コンサートを聴きながら 能登半島地震のこの一年をめぐる思い

☆「第九」コンサートを聴きながら 能登半島地震のこの一年をめぐる思い

  ベートーベン「第九交響曲」の演奏をきょう聴いて、年の瀬を実感した。石川県音楽文化協会の主催で金沢歌劇座で開催され、石川フィルハーモニー交響楽団の演奏、合唱は県合唱協会合唱団、名古屋なかがわ第九合唱団、氷見第九合唱団のメンバー、指揮者は碇山(いかりやま)隆一郎氏。昭和38年(1963)から続く恒例の年末コンサートで、ことしで62回となる。

  リーフレットに第九をめぐるエピソードが記されている。第九はベートーベンが残した最後の交響曲だが、初演はウイーンで演奏された1824年5月だったので、200周年ということになる。初演のとき、ベートーベンは聴力を完全に失っていて、指揮者の横で各楽章のテンポを指示するだけの役割だった。終演後の聴衆の拍手にまったく気づかず、背を向けていた。見かねたかアルト歌手がベートーベンの手を取って、聴衆の方に向かわせて初めて熱狂的な反応に気が付いたという話だ。そんなリーフレットの説明も目を通していると、演奏が始まった。(※写真は、第九交響曲コンサートのチラシ)

  第一楽章は、弦楽器のトレモロとホルンで始まり、朝靄(あさもや)がかかったような入りだが、やがてホルンに促されるように全楽器が叩きつけるような強奏になる。演奏を聴きながら、元日の能登半島地震を想い起した。穏やかな正月を迎えることができたと思っていたところ、午後4時10分、スマホがピューンピューンと鳴り、緊急地震速報。グラグラと金沢の自宅が揺れ出した。押し入れの引き戸などがガンガンと音を立てて閉じたり開いたりを繰り返している。震源地は能登地方で「震度7」の速報が走った。

  第二楽章は、まるで「ティンパニー協奏曲」だ。ティンパニーを駆使した構成で、弦楽器の各パートによりフーガ風のメロディが次第に盛り上がっていく。震災から復興に向けて動き出した。6月下旬から公費解体が始まり、ガレキは港から船で、金沢と能登を結ぶ自動車専用道路「のと里山海道」はガレキを運ぶ連結トレーラーが目立つようになった。

  第三楽章は、木管楽器による短い序奏に続いてバイオリンが安らぎに満ちた音を奏でる。やがてクラリネットがそれを受け継ぎ。息の長いメロディアと歌声が響く。個人的にこのメロディに雨音を感じた。9月の大雨は最初は柔らかな雨音だった。それが長く続き、ときには強烈に降り、輪島市では48時間で498㍉とい記録的な大雨となり、被害をもたらした。

  第四楽章は、「歓喜の歌」として知られる独唱と合唱を取り入れた楽章だ。管楽器と打楽器による不安げな導入部に続き、チェロとコントラバスによる会話のような演奏が入り、この後、低音弦楽器から順に高音弦楽器へ、そして全楽器による合奏へと高揚していく。聴いているうちに気分が高揚してくるのが分かる。合唱が高らかに歌い上げた後にオーケストラのみで力強く曲を閉じる。同時に、過ぎゆく年を振り返り、来るべき新しい年を喜びとともに迎えたい。そんな気分になる。(※楽章の記事の一部はリーフレットより引用)

⇒15日(日)夜・金沢の天気   あめ

★「今年の漢字」の「金」の意味 金沢でのオーバーツーリズムの現場

★「今年の漢字」の「金」の意味 金沢でのオーバーツーリズムの現場

  「今年の漢字」に「金」が選ばれた。公益財団法人「日本漢字能力検定協会」がその年の世相を表現する漢字一字を投票で募り発表するイベントで、毎年、京都の清水寺で発表されている=写真=。日本漢字能力検定の公式サイトをチェックすると、今回選ばれた「金」には2つの意味があって、輝かしいという意味のキン)」と、影がつきまとうかね)」の2つの側面があるという。キンはパリオリンピック・パラリンピックでの日本人選手の金メダルの活躍やアメリカ大リーグで大谷翔平選手がMVPを獲得した意味が込められいる。「かね」は政治の裏金問題を象徴し、衆院総選挙での与党過半数割れと連動した表現のようだ。

  サイトでは「今年の漢字」トップ20が掲載されている。1位は1万2148票で「金」だが、2位は9772票で「災」、そして4位に7487票で「震」が入っている。この「災」と「震」は元日の能登半島地震、そして9月に能登を襲った記録的な大雨による災害を象徴しているのだろうと解釈した。能登半島地震では金沢も震度5強の揺れがあり、金沢城や兼六園の石垣が崩れ、全国ニュースにもなった。ひょっとして1位の「金」には金沢という思いも込められた票が入っているのではとも憶測した。

  話は飛ぶ。地元メディアの報道によると、兼六園周辺にイノシシが出没していると大騒ぎになっている。体長1㍍のオスとみられ、今月12日撮影の防犯カメラに走り去る姿が映っている。人的な被害はいまのところないようだ。10年前の2014年9月のことだが、兼六園と隣接する金沢城公園でクマが出没し捕獲されている。兼六園と金沢城公園は小立野(こだつの)と呼ばれる丘陵地の尖端部にあり、山から緑地を伝ってエサを探しに来ているのかもしれない。

  さらに話は飛ぶ。ことしに入って兼六園を訪れたインバウンド観光客は11月末時点で50万2502人となり、コロナ禍前の2019年に記録した47万5020人を上回り、過去最多となった(地元メディアの報道)。一方でインバウンド観光客による、オーバーツーリズムの問題も目に付く。これは実際に見た現場の光景だ。今月初めにJR金沢駅近くあるホテルから外国人団体客がぞろぞろと出てきた。先頭の数人がホテルの前の横断歩道を渡ると交通信号が赤から青になり、横断歩道は赤となった。にもかかわらず、会話しながらゆっくりと横断歩道を渡っている。信号無視に業を煮やした車からはクラクションが鳴らされたが、それでも団体の最後部が渡り切るまでこの状態が続いた。欧米風の顔立ちで、団体は50人ほどだっただろうか。

  交通ルールに関しては理解しているが、「みんなで渡れば怖くない」的な一時的な団体行動だったのか、あるいは、彼の国では信号無視がまかり通るのか、と考えさせられた光景だった。交通事故が起きないことを祈る。

⇒14日(土)午前・金沢の天気    あめ

☆両陛下ことし3度目の能登訪問へ 漁業の先細りどう防げばよいのか

☆両陛下ことし3度目の能登訪問へ 漁業の先細りどう防げばよいのか

  ニュース速報によると、天皇・皇后両陛下は今月17日に輪島市を訪問されることが、きょうの閣議で報告された。9月21日に能登地方を襲った記録的な大雨で輪島市などは甚大な被害を受けている。両陛下は被災状況を視察し、被災者や災害復旧に携わった人と面会される。能登訪問は3月22日、4月12日に続いて3度目となる。

              ◇

  ズワイガニ漁が解禁(11月6日)となってから、このブログでカニのことを何度か取り上げているが、周囲から話を聞くと意外なことを耳にする。「殻から身を出すのがめんどうだ」「カニカマの方が酒のつまみ合う」「以前はよく食べたけど、最近は手が伸びない」など。カニだけではない。寒ブリについても「ブリは年がら年中ある。寒ブリだから食べたいとも思わない」といった声だ。「日頃は魚を食べないのか」と質問を振ると、「たまに回転ずしに行って食べるくらい」とのこと。日頃の家庭料理は野菜と肉が中心で魚はめったに出ないようだ。

  上記の話が気になったので、ネットで調べてみる。以下、水産庁公式サイト「水産物消費の状況」から引用。魚介類の1人1年当たりの消費量は減少し続けている。農水省の「食料需給表」によれば、食用魚介類の1人1年当たりの消費量は、平成13(2001)年度の40.2㌕をピークに減少傾向にあり、令和2(2020)年度には23.4㌕となっている。一方で肉類の1人1年当たりの消費量は増加傾向にあり、平成23(2011)年度に初めて食用魚介類の消費量が肉類の消費量を下回りその傾向はいまも続いている。(※写真は、輪島漁港での魚介類の水揚げ=11月15日撮影)

  ではなぜ、魚介類の消費が減少しているのか。農水省「食料・農業及び水産業に関する意識・意向調査」(2019年12月~2020年1月調査・消費者モニター対象)によると、肉類と比べ魚介類をよく購入すると答えた人の理由は「健康に配慮したから」が最も多く、次いで「魚介類の方が肉類より美味しいから」となっている。他方、肉類と比べ魚介類をあまり購入しない人の理由は「肉類を家族が求めるから」が最も多く、次いで「魚介類は価格が高いから」、「魚介類は調理が面倒だから」の順となっている(水産庁公式サイト「水産物消費の状況」)。

  さらに気になるデータがある。2022年時点で約12万人いた漁師が2050年代には7万人まで減少すると予測されている(水産庁公式サイト「水産をめぐる事情について」令和6年10月)。就労者数が減る背景には、漁業は他業種に比べ労働環境が厳しいということがあるようだ。このため、若年層の漁業離れが進み、高齢化が進んでいる。

  上記のデータから日本の漁業は急速に縮小していることがくっきり浮かんできた。消費者の魚介類離れ、若手の漁業離れは単に産業としての漁業に留まらず、たとえば能登では地域経済に深刻な影響をおよぼすのではないかと将来を案じる。何しろ石川県内にある69の漁港のうち66漁港は能登半島に集中しているのだ。

  石川県は能登半島地震の復興プランとして、「13の創造的復興リーディングプロジェクト」を進めている。地域の経済や社会の視点から包括的な対策を講じることを目的としている。この際、漁業者の生活が安定し、次世代に引き継ぐ持続可能な漁業モデルを能登で構築してはどうだろうか。政府から震災復興の支援の手が差し伸べられている今がチャンスなのかもしれない。余りにもざっくりとした話になってしまった。

⇒13日(金)夜・金沢の天気    あめ

★「どぶろく宣言」の中能登町 全国大会誘致とユネスコ無形文化遺産で盛り上がる

★「どぶろく宣言」の中能登町 全国大会誘致とユネスコ無形文化遺産で盛り上がる

  今月8日付のブログでも取り上げた「どぶろく」のこと。きょうは能登半島の中ほどにある中能登町の観光協会が主催した「どぶろく宣言」のセレモニーに参加した。同町は2014年に国の「どぶろく特区」に登録されていて、毎年12月12日を「どぶろく宣言」の日と定めてイベントを行っている。主催者としてあいさつに立った、同町観光協会の船木清崇会長は「ユネスコ無形文化遺産に日本の伝統的な酒造りが登録され、日本酒の原酒でもあるどぶろくを国内に広め、そして世界に売り込むチャンスではないか」と述べた。

  また、来賓あいさつで同町の宮下為幸町長は「どぶろく特区に登録されている市や町が集まって開催する『どぶろく全国大会』を来年度に誘致することがになり、日程は2026年1月16日に決まった」と明らかにした。この大会では全国から80銘柄のどぶろくが集まり飲み比べができることから、どぶろくファンが全国から集まるそうだ。じつは全国大会は2025年1月の開催が決まっていた。ところが、ことし元日に震度7の能登半島地震が発生したことから、いったん中止となった。そこで、改めて2026年1月での開催が決まったといういきさつがある。

  どぶろくは蒸した酒米に麹と水を混ぜ、熟成させた酒。ろ過はしないため白く濁り、昔から「濁り酒」とも呼ばれている。そのどぶろくが全国的にちょっとしたブームになっている。その背景となっているが美容効果だ。どぶろくの旨味成分である「アルファ-EG」というタンパク質が皮膚のコラーゲン量を増やすという作用があり、ふくよかなつやつやした美肌になるという(金沢工業大学バイオ・化学部応用バイオ学科の尾関健二教授の研究)。今回のどぶろく宣言の会場にも女性が訪れ、熱心に話を聴いていた。

  そもそもなぜ中能登町が熱心にどぶろくを発信しているのか。もともと、全国の神社では稲作の収穫を神に感謝する新嘗祭などの神事でお神酒として造られてきた、伝統の酒でもある。現在も全国30社余りで連綿と造り続けていて、そのうちの3社が同町にある。どぶろくは酒マニアのおじさんの酒というイメージもあった。しかし、時代は変わり、ユネスコ無形文化遺産での伝統的な酒造りの登録や美容効果が広まることで、別の価値観がどぶろくに付加されている。ここまでくると能登の新たな地域資源として応援したいという気持ちにもなる。どぶろく全国大会の盛会を祈りたい。

⇒12日(木)夜・金沢の天気   くもり