#カムバック朝市

★2025能登レジリエンス元年~④

★2025能登レジリエンス元年~④

  能登地震後のレジリエンスを象徴するのが「出張朝市」ではないだろうか。昨年元日の火災で輪島の朝市通り周辺で商店など240棟が焼け、店を出す場がなくなった。それなら出先をつくって朝市を開こうと朝市組合が出張朝市を企画し、初めての出張朝市を3月23日に金沢市漁協の荷さばき場で開いた。震災から83日目の「初売り」でもあった。

   輪島の出張朝市に活気 「買うてくだぁー」は復興への叫び

  この日、現地に行くと朝市のいつもながらの活気があった。「一夜干し」「干物」などの海産物のテントが30ほど並び、土曜日ということもあり、家族連れなどで混雑していた。一夜干しなどは飲食スペースであぶって味わうこともできた。テントをのぞくと、一夜干しをめぐって売り子のおばさんと男性の客が交渉をしていた。一夜干しセット6000円(送料込み)をめぐる駆け引きのようだった。客「さっき、あぶって食べたノドグロがうまかった。東京の知人に送りたい。ちょっとおまけして5000円にならないか」、売り子「輪島から出張して久しぶりの店なんやけど、出張経費がかってるんで、5800円でどうかね」、客「そうか、出張経費がかさんでいるんだね。では、ありがたく5800円で」。この客は2セット購入していた。

  出張朝市はこの1年で金沢のほか全国90ヵ所で開催してきた。一方で、「カムバック朝市」を目指し、7月10日からは輪島市内の商業施設「ワイプラザ輪島店」の通路でテント営業を再開。さらに、そもそも朝市は屋外店舗なので、朝市通りの近くにある同市マリンタウンで1日限定の野外開催を行うなど地元での催しを増やしている。

  今月3日に輪島を訪れた折、ワイプラザ店の出張朝市を見てきた=写真=。朝市の初売りは慣例で4日とされてきたが、今年は商業施設の初売りに合わせて2日となった。このため休んでいる店もあったが、8つの店が開かれていた。これまで何度か蒸しサザエを買ったことがある店も開いていたのでのぞいた。「ことしもなんとか商いができて、ほっとしとるんやわ」とおばさんは常連客と笑顔で言葉を交わしていた。

  出張朝市とは言え、テントからは漁師町のおばさんたちのいつもながらの「買うてくだぁー」の元気な声が聞こえる。輪島の朝市は1400年の歴史があると言われている。この「買うてくだぁー」がレジリエンス、復興への叫びのようにも聞こえた。

⇒5日(日)夜・金沢の天気   くもり

★震災で倒壊した輪島の7階建てビルを解体 焦土と化した朝市通りは更地に

★震災で倒壊した輪島の7階建てビルを解体 焦土と化した朝市通りは更地に

  輪島の漁港で漁船の水揚げの様子を見た後、元日の最大震度7の能登地震で倒壊した7階建てビルや、200棟の店舗・住宅が全焼した朝市通りをめぐった。横倒しとなった7階建ての輪島塗製造販売会社「五島屋」ビルは能登震災のシンボルのような光景となっていて、現地に行くと周囲には十数人が見学に訪れていた。さりげなく「どこから」と尋ねると、九州から来た行政関係者だった。

  現地では、パワーショベルなど重機が3台が動いていた=写真・上=。行政による公費解体で、2棟ある五島屋ビルのうち倒壊を免れた3階建てのビルは解体が終わり、市道にはみ出している7階建てビルの解体が始まっていた。解体と合わせて、国交省は倒壊原因について基礎部分の調査を現在行っている。解体は当初、上部から段階的に輪切りにして解体していく予定だったが、周囲への安全面に配慮して側面から崩すように作業を変更した。3階以上は年内に、ビル全体は年度内に作業を終えるようだ(17日付・地元メディア各社の報道)。

  震災のもう一つのシンボルとなっていた焦土と化した朝市通りはほぼ更地にようになっていた=写真・下=。朝市組合の関係者は震災以降は金沢などで出張朝市などを続けてきたが、最近では「カムバック朝市」を目指して、朝市通りの近くにある輪島市マリンタウンの特設会場で1日限定のイベントを催したり、地元での屋外開催を増やしている。

  震災前は360㍍の通りに200余りの露店が並び、地元で獲れた魚介類や魚の干物、野菜、民芸品などがずらりと並んでいた。おなじみのオレンジ色のテントが並ぶと、中から「買うてくだー」と声掛けがある。売り手と買い手のおばさんたちの楽しそうなやり取りが目に浮かぶ。市民生活を日常に戻すためにも、一日も早い朝市通りの復興を願う。

⇒17日(日)午後・金沢の天気  あめ