#オリンピック憲章

★「ヒロマシの祈り」とオリンピック憲章

★「ヒロマシの祈り」とオリンピック憲章

   前回のブログの続き。8月6日はオリンピック期間中であるが、1945年に広島に原爆が投下された日でもある。3日後の9日は長崎にも投下された。6日と9日は日本では平和の祈り日であると同時に、核兵器全面禁止と廃絶を求める運動が活発になる日でもある。

   NHKニュースWeb版(8月2日付)によると、広島市の松井市長はIOCのバッハ会長に書簡を送り、(原爆が投下された8月6日午前8時15分に)選手村などで黙とうを呼びかけてほしいと求めていた。これに対し、2日午後、IOCから、黙とうを呼びかけるなどの対応はとらないといった返答が広島市にあった。その理由についてIOCは「歴史の痛ましい出来事や様々な理由で亡くなった人たちに思いをはせるプログラムを8日の閉会式の中に盛り込んでおり、広島市のみなさんの思いもこの場で共有したい」と説明している。

   バッハ会長は7月16日午後、広島市の平和記念公園を訪れ、原爆死没者慰霊碑に献花している。では、なぜ、「6日の黙とう」を避けたのか。以下憶測である。オリンピック憲章に違反すると、IOCは判断したのだろう。憲章の50条2項ではこう記されている。「No kind of demonstration or political, religious or racial propaganda is permitted in any Olympic sites, venues or other areas.」(オリンピックの用地、競技会場、またはその他の区域では、いかなる種類のデモンストレーションも、 あるいは政治的、 宗教的、 人種的プロパガンダも許可されない)。この「いかなる種類のデモンストレーション」に相当する行為としてみなされるとの判断ではないだろうか。

   オリンピックにおける黙とうが原爆投下を否定するデモンストレーションとみなされるとの解釈だ。原爆投下に関する歴史認識には、日本とアメリカでいまだに隔たりがある。アメリカでは「原爆投下によって戦争を終えることができた」と正当化する意識がいまもある。アメリカの世論調査機関「ピュー・リサーチセンター」の調査(2015年)では、65歳以上の70%が「正当だった」と答え、18歳から29歳の若者も「正当だった」との答えは47%だった(2020年8月21日付・ロイター通信Web版日本語)。2016年5月28日、当時のアメリカ大統領のオバマ氏は歴代大統領として初めて原爆死没者慰霊碑を訪れて献花した。ただ、アメリカ国内の反対世論を意識して、「謝罪はしない」と事前に公言していた。

   また、原爆投下についての中国側の論調もはっきりしている。「長年にわたり、日本は第二次世界大戦、特に原子爆弾の被害者であると自らを位置づけてきたが、原子爆弾を投下されることになった歴史的背景について触れることはほとんどなかった」(2020年8月7日付・人民網日本語)

   上記のようなアメリカや中国の論調があるなかで、IOCとしては広島市長のメッセ-ジに応じることをためらったのだろう。IOCは代案として8日の閉会式で「歴史の痛ましい出来事や様々な理由で亡くなった人たちに思いをはせるプログラム」を設けるという。どのような内容なのか注目したい。

(※写真は、広島市の平和記念公園を訪れ、原爆死没者慰霊碑に献花するIOCのバッハ会長=7月16日付・AFP通信Web版動画より)

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☆オリンピックの政治利用って何だ

☆オリンピックの政治利用って何だ

   「オリンピックを政治利用してはならない」との言葉はこれまで繰り返し聞いてきた。先の東京都議選(7月4日投開票)でも、自民と公明は選挙公約にオリンピックを入れていなかったが、都民ファーストの会は「無観客での開催」を、共産は「中止」を、立憲民主は「延期または中止」をそれぞれ公約に掲げていた。無観客、中止、延期と言えども、オリンピックそのものを公約に掲げること自体が政治利用ではないのかと考える。

   では、オリンピック憲章ではどのように明記されているのか。憲章の50条2項ではこう記されている。「No kind of demonstration or political, religious or racial propaganda is permitted in any Olympic sites, venues or other areas.」(オリンピックの用地、競技会場、またはその他の区域では、いかなる種類のデモンストレーションも、 あるいは政治的、 宗教的、 人種的プロパガンダも許可されない)と。これだけだ。「オリンピックの場」における政治的なブロパガンダなどは許されないと限定的な解釈だ。

          今回の東京オリンピックで上記の憲章に反するとして、IOCの勧告を受けたのが韓国選手団が選手村のバルコニーに掲げた横断幕だった。豊臣秀吉の朝鮮出兵に抗した李舜臣将軍の言葉にちなんだと連想させる、「臣にはまだ5000万国民の応援と支持が残っています」とハングルで書かれた横断幕だった。IOCは政治的宣伝と判断。横断幕は先月17日に撤去された(7月18日付・AFP通信Web版日本語)。

   そもそもなぜ、オリンピックの政治利用がこれほど敏感になったのか。ルーツはドイツで開催された1936年のベルリン大会だった。オリンピックがナチスドイツに仕切られ、総統だったヒトラーが開会宣言を行うなど、まさに大衆の熱狂と国威発揚、いわゆるポピュリズムを醸し出す道具として使われた。その3年後、ドイツはポーランドを侵攻し、第二次世界大戦が始まる。戦後、1980年のモスクワ大会では、ソ連によるアフガニスタン侵攻への抗議のためアメリカを中心とした西側諸国がボイコット、日本も同調し不参加だった。1984年のロサンゼルス大会では、ソ連が安全上の懸念を理由にボイコットした。

   オリンピックはまさに国内政治の道具や、国際政治の駆け引きの材料に使われてきた。では、次なるオリンピックの政治の争点はどこに焦点が当てられるのか。来年2022年の北京冬季オリピックではないだろうか。すでに、EU欧州議会は7月8日、北京冬季オリンピックついて、中国政府が香港や新疆ウイグル自治区での人権侵害を改善しない限り、政府代表や外交官の招待を辞退するようEUや加盟国に求める決議を採択している(7月9日付。時事通信Web版)。選手たちの北京ボイコットなどはおそらく、東京オリンピック・パラリンピック後に最大の課題になってくるのではないだろうか。

(※写真は、7月23日の東京オリンピック開会式の模様=NHK番組)

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