#オサマ・ビン・ラディン

★憶測呼ぶ「娘との手つなぎ」

★憶測呼ぶ「娘との手つなぎ」

   この画像を見ていろいろ憶測をめぐらした。メディア各社は北朝鮮の国営メディアである「朝鮮中央テレビ」や「労働新聞」の映像として、18日に金正恩総書記がICBM「火星17型」の発射を視察する際に同行する娘の写真を掲載したと伝えている。白の防寒ジャケットに身を包んだ娘が金総書記と手をつないで兵器の前を歩く姿が写っている(※写真は19日付・CNNニュースWeb版日本語より)。

   メディア各社は娘の同行は伝えているが、その理由についての解説がない。冒頭の憶測とは、家族を守りの盾に使おうとの意図があるのではないか、ということだ。金総書記は今月17日まで「空白期間」が30日間と、ことしに入って最も長くなっていた(18日付・NHKニュースWeb版)。

   動静報道のブランクには、アメリカの斬首(ピンポイント)作戦を恐れていたのではないだろうか。ことし7月30日、アメリカは同時多発テロ事件「9・11」の首謀者の一人とされていたアイマン・アル・ザワヒリを潜伏先のアフガンのカブール近郊のダウンタウンで、無人攻撃機に搭載した2発のヘルファイアミサイル(空からの対戦車ミサイル)で攻撃し殺害している。「テロ支援国家」や「ならずもの国家」などとアメリカから敵視されている北朝鮮の金氏にとっては気が気ではない。

   さらに、米韓の合同軍事訓練が長く続いた。野外機動訓練(8月)が4年ぶりに再開され、9月と10月には米原子力空母「ロナルド・レーガン」などが参加した海上機動訓練、11月にはステルス戦闘機と称されるアメリカの戦略爆撃機「B1B」が朝鮮半島周辺の上空で空中訓練を実施した。この間での斬首作戦を金氏は恐れていたのではないか。

   が、金氏は気が付いた、家族といっしょにいるならばアメリカの斬首作戦は実行されないのではないか、と。先に述べたアイマン・アル・ザワヒリ、そして、2011年5月1日、パキスタンのイスラマバードから60㌔ほど離れたところに潜伏していたオサマ・ビン・ラディンも一人でいるところを、ステルスヘリコプターなどで奇襲されている。

   そこで、家族を盾にすることを考えた。手をつないで家族といれば、奇襲攻撃を受けることはない。まったく根拠のない憶測にすぎない。ただ、そう思わせるほど娘との手つなぎは唐突なイメージなのだ。

⇒20日(日)夜・金沢の天気    あめ  

☆バイデンが背負った「9.11」の総仕上げ

☆バイデンが背負った「9.11」の総仕上げ

   あす9月11日はアメリカの同時多発テロから20年になる。2001年9月11日、現地時間で午前8時46分、日本時間で午後9時46分だった。当時、会社から帰宅して、報道番組「ニュースステーション」が始まったばかりの同9時55分ごろにリモコンを入れると、ニューヨ-ク・マンハッタンの高層ビル「ワールドトレードセンター」に民間航空機が追突する事故があったと生中継で放送されていた。食事を取りながら視聴していると、間もなくして、2機目が同じワールドトレードセンターの別棟に突っ込んできた。リアルタイムの映像で衝撃的だった。世界の多くの視聴者が「9・11」テロリズム(terrorism)の目撃者になった。

   その後、アメリカは「テロとの戦い(War on Terrorism)」を錦の御旗に掲げ新たな闘いを始める。当時のブッシュ大統領はアフガニスタンで政権を握っていたタリバンが、テロ事件の首謀者とされたオサマ・ビン・ラディンをかくまっていると非難。翌10月にはアメリカ主導の有志連合軍がアフガンへの空爆を始め、タリバン政権は崩壊する。大規模な捜索にもかかわらず、ビン・ラディンを捕捉できなかった。

   テロとの戦いはオバマ大統領に引き継がれる。2011年5月1日、パキスタンのイスラマバードから60㌔ほど離れた、ビン・ラディンの潜伏先をステルスヘリコプター「ブラックホーク」などで奇襲し殺害。DNA鑑定で本人確認をし、アラビア海で待機していた空母カール・ビンソンに遺体を移送、海に水葬した。作戦完了の直後、オバマ大統領はホワイトハウスでの緊急声明で、「Justice has been done」と発した。声明はアメリカ東部時間で1日午後11時30分すぎ、日本時間で2日午後0時30分すぎだった、ニュースは世界を駆け巡った。

   バイデン大統領は今年4月、同時多発テロ事件から20年の節目にあたる「9月11日」まで完全撤退すると表明した(4月14日付・BBCニュースWeb版日本語)。ところが8月に入り、アメリカ軍の撤退を見越して、タリバンが首都カブールに進攻し、日本時間の16日朝、政府に対する勝利を宣言した。一方、2014年から政権を担ってきたガニ大統領はまさに「敵前逃亡」で出国し、政権は事実上、崩壊した。

   バイデン大統領は8月31日、国民に向けた演説で、アフガンからのアメリカ軍撤退について、「終わりなき撤退を延長させるつもりはなかった」と述べ、同日までに完了したことを発表した(9月1日付・BBCニュースWeb版日本語)。ブッシュ、オバマ、トランプ、そしてバイデンと4代、20年に渡った「テロとの戦い」がこれで総仕上げとなった。2001年9月11日の衝撃的なシーンをリアルタイムで見ていただけに、歴史的な出来事の結末を見た思いで感慨深い。

⇒10日(金)午後・金沢の天気     くもり

★司法の断罪を超える「遺骨の存在」

★司法の断罪を超える「遺骨の存在」

   地下鉄サリン事件から25年が経つものの、「オウム真理教」は過去の話ではない。今でも元教祖、麻原彰晃に帰依している宗教団体の一つが金沢市内にあり、近くの人たちが監視行動を続けている=写真=。何度か近くを通ったことがあるが、麻原の教えがそのまま脈々と伝わっているのかと思うと背筋が寒くなる。あす6日は松本元死刑囚の刑が2018年7月6日に執行されて丸3年となる。さらに不気味さを予感させるニュースがきょう報じられた。

   死刑が執行されたオウム真理教の教祖・麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚の遺骨を次女に引き渡すとした決定が確定した。松本元死刑囚の遺骨の引き渡しを巡っては家族の間で争いになり、昨年9月、東京家裁が遺骨と遺髪を次女に引き渡すと決定し、東京高裁もこれを支持した。これに対し、四女側は「松本元死刑囚が執行直前に遺骨などの引き取り先を四女に指名した」と主張していた。四女らは特別抗告していたが、最高裁は今月2日付で退ける決定をした。これにより、松本元死刑囚の遺骨は次女に引き渡すとした決定が確定した(7月5日付・テレビ朝日ニュースWeb版)。

   遺骨をめぐる家族の争いはこれまで何度かニュースになっていた。2018年7月12日付・毎日新聞Web版によると、四女の代理人弁護士は7月11日に司法記者クラブで会見し、元死刑囚の遺骨を受け入れ、太平洋の不特定地点で船から散骨したいとの意向を明らかにしていた。これに対し、2021年3月10日付・朝日新聞Web版によると、東京家裁は、次女は面会を繰り返していて次女側との関係が「最も親和的」と判断し、東京高裁も支持した。今回、司法判断が確定したことについて、次女の代理人弁護士は「父を家族として静かに悼みたいということに尽きる」とした上で「次女はオウム真理教や後継団体とは一切関係がなく、父の遺骨が宗教的、政治的に利用されることを決して望んでいません。この審判でも主張してきました」と述べた(7月5日付・朝日新聞Web版)。

   おそらくこのニュースを喜んでいるのは信者たちだろう。まさに「仏舎利」が出来たようなものだ。信者たちは次女の自宅にある方向に向かって、イニシエーション(修行)を繰り返し、「聖地」化するのではないか。では、どうすれば「聖地」化を防ぐことができるか。裁判での四女の主張はまさにこのことだと想像する。以下の事例を念頭に置いているのではないだろうか。

   ニューヨークの同時多発テロ(2001年9月11日)の首謀者とされたオサマ・ビン・ラディンに対する斬首作戦が2011年5月2日、アメリカ軍特殊部隊によってパキスタンで実行された。アラビア海で待機していた空母カール・ビンソンに遺体は移され、海に水葬された。また、第二次大戦後、極東軍事裁判(東京裁判)で死刑判決を受けた東條英機ら7人のA級戦犯の遺骨はアメリカ軍によって、上空から太平洋に散骨された。

   「最も親和的」とする司法判断はまるで性善説のようだ。「死刑をもって断罪」は法の次元であって、遺骨があれば宗教はそれを超える。不可解な信仰とテロが復活しないことを祈る。

⇒5日(月)夜・金沢の天気      あめ時々くもり       

☆断罪と消去 変わらぬアメリカの論理

☆断罪と消去 変わらぬアメリカの論理

        きょうの朝刊の記事で歴史の一端が見えてきた。以下、北陸中日新聞(6月7日付)=写真=から引用する。第二次大戦後、極東軍事裁判(東京裁判)で死刑判決を受けた元総理の東條英機ら7人のA級戦犯の遺骨を、上空から太平洋に散骨したとするアメリカ軍の公文書が見つかった。これまで明らかでなかったA級戦犯の遺骨処理について公文書が見つかったのは初めて。

   文書は、占領期に横浜市に司令部を置いた第8軍が作成、アメリカの国立公文書館に所蔵されていた。これを日本大学の高澤弘明専任講師(法学)が入手し公表した。A級戦犯の遺骨の処理については1949年1月4日付けの極秘文書に記されていた。7人が処刑された1948年12月23日未明、東京・巣鴨プリズンから遺体が運び出された。横浜市内の火葬場で焼かれ、遺骨は別々の骨つぼに納められた。そして、小型の軍用機に載せられ、上空から太平洋に散骨された。

   この極秘文書を記したのは、現場責任者だった第8軍所属の少佐で、「横浜の東およそ30マイル(48㌔)の地点の太平洋の上空で自分が広範囲にまいた」とつづっている。遺骨は家族に返還されておらず、太平洋や東京湾にまかれたとの憶測はあったが、その行方は昭和史の謎とされていた(同紙)。
 
   記事を読んで、アメリカ軍による戦犯に対する処遇は今も変わってはいないと実感した。ニューヨークの同時多発テロ(2001年9月11日)の首謀者とされたオサマ・ビン・ラディンに対する斬首作戦が2011年5月2日、アメリカ軍特殊部隊によって実行された。パキスタンのイスラマバードから60㌔ほど離れた潜伏先をステルスヘリコプターなどで奇襲し殺害。DNA鑑定で本人確認がなされた後、アラビア海で待機していた空母カール・ビンソンに遺体は移され、海に水葬された。

   戦犯は「死をもって断罪」だけではない。さらに、遺骨や遺体は海に散骨、または水葬とする。遺骨や遺体が遺族に返還され、墓がつくられることになれば、その墓が将来、聖地化することを想定しての処置だろう。徹底した断罪と消去、変わらぬアメリカの論理だ。

⇒7日(月)夜・金沢の天気     はれ  

☆ニュースをリアルタイムで知る醍醐味

☆ニュースをリアルタイムで知る醍醐味

   あれからちょうど10年になる。2011年5月2日、ニューヨークの同時多発テロの首謀者とされたオサマ・ビン・ラディンに対する斬首作戦がアメリカ軍特殊部隊によって実行された。命令を下したのは当時のオバマ大統領だった。

   パキスタンのイスラマバードから60㌔ほど離れた潜伏先をステルスヘリコプター「ブラックホーク」などで奇襲し殺害。DNA鑑定で本人確認がなされ、アラビア海で待機していた空母カール・ビンソンに遺体は移され、海に水葬した。作戦完了の直後、オバマ氏はホワイトハウスでの緊急声明で、「Justice has been done」と発した。声明はアメリカ東部時間で1日午後11時30分すぎ、日本時間で2日午後0時30分すぎだった、ニュースは世界を駆け巡った。

    ニューヨークの同時多発テロもリアルタイムで見た。2001年9月11日、ニューヨ-ク・マンハッタンの高層ビル「ワールドトレードセンター」に最初の1機が突っ込んだのは東部時間で午前8時46分、日本時間で午後9時46分だった。当時帰宅して、報道番組「ニュースステーション」が始まったばかりの同9時55分ごろにリモコンを入れると、マンハッタンの高層ビルに民間航空機が追突する事故があったと生中継で放送していた。食事を取りながら視聴していると、2機目が同じワールドトレードセンターの別棟に突っ込んできた=写真・上=。すると、番組のコメンテーターが「これは事故ではなく、おそらくテロです」と解説し、スタジオが騒然となった。リアルタイム映像は衝撃的だった。そして、テロリズム(terrorism)という言葉が世界で認知されたのは、この事件がきっかけではなかったか。

   バイデン大統領はきょう「この日」をどう思い浮かべているのだろうか。オサマ・ビン・ラディンに対する斬首作戦は軍によって同時中継され、ホワイトハウスの

   もう一つ。小学生のときにテレビで見た、ケネディ大統領の暗殺シーンと、「悲しいニュースをお送りしなければならないのはまことに残念に思います」というアナウンサーの声が妙に記憶に残っていた。テキサス州ダラスでの悲劇は1963年11月23日(土)に起きた。アメリカ東部時間で22日午後1時30分、日本時間で23日午前3時30分だった。調べると、11月23日に日本とアメリカで放送を衛星中継でつなぐ実験が2回行われた。1回目が日本時間の午前5時27分から20分間、2回目が同じく午前8時58分から17分間だった。その2回目の始まりのときに、毎日放送のニューヨーク駐在のアナウンサーが冒頭の「悲しいニュース」を読み上げ、衝撃的な映像が繰り返し流された。58年も前に、その日に起きた大統領暗殺事件の第一報を生中継で視聴したことになる。

   おそらく、自身は友人たちと遊びながら「朝、テレビ見たか。すごいニュースがあったぞ」とケネディ暗殺事件を知ったかぶりで周囲に語ったに違いない。子どものころからのニュースを語る癖はそのころ身についた。大学卒業後にマスメディアの新聞記者や番組制作を担当、金沢大学ではメディア論を講義した。16年前からはブログでも語っている。自身にとってニュースをリアルタイムで知ること語ることの醍醐味は今も変わらない。

⇒2日(日)午前・金沢の天気      あめ