#もとやスーパー

☆変わる光景、変わらぬ光景~2024能登地震・豪雨 その1~

☆変わる光景、変わらぬ光景~2024能登地震・豪雨 その1~

  きのう(24日)奥能登の地震と豪雨の被災地をめぐってきた。前回行ったのは今月5日なので19日ぶりだった。その間でも随分と様子が変わった被災地の光景もあれば、まったく変わらない光景もある。元日の震災からまもなく1年になる。そして9月21日の記録的な大雨から3ヵ月が経った。能登を中心に被災地をめぐり綴ったブログのこの1年をまとめてみる。題して、「変わる光景、変わらぬ光景~2024能登地震・豪雨」。

              支援ボランティアをこたつで迎える被災地の心

  きのう訪れたのは輪島市中心部から東方にあり、半島の尖端に近い同市町野町。日本史に出てくる壇ノ浦の戦い(1185年)で敗れた平家一族の平時忠が能登に流刑となり、時忠の子孫が開墾したと伝えられている平野が広がる。時忠の子孫の時国家(国の重要文化財)は2軒あり、そのうち上時国家は元日の地震で倒壊した。

  時国家だけでなく、町野町の中心部でも地震で多くの住宅が損壊した。そのうちの一つ、鈴屋川沿いに家がある。地震で倒れ、一階部分の駐車スペースに停めてあった車を踏みつぶし、家ごといまにも川に転落しそうになっている=写真・上=。この悲惨な光景を初めて見たのは6月17日だったが、いまも変わっていない。

  町野町は9月の豪雨にも見舞われた。鈴屋川の五里分橋の欄干などに流木がひっかかり、橋がダムのような状態となって周囲の一帯が濁流に飲み込まれた。その中に、被災地の食品スーパーとして元日の地震後も営業を続け、住民を支えてきた「もとやスーパ-」があった。豪雨で店内に土砂や流木が流れ込むなどしたため、一時休業していたが11月に営業を再開。今月5日に行くと「復活オープン」の看板を掲げ営業していた=写真・中=。中に入ると、卵や野菜、総菜や冷凍食品などが並んでいた。そのときに店員から聞いた話が、「売り場を必要最小限にして、店内を支援ボランティアのキャンプ場にする」との内容だった。きのう、そのキャンプ場を見に行った。

  売り場だった場所に緑のカーペットが一面に貼られていた。そして、周囲にはテントが張られ、こたつもあった=写真・下=。キャンプ場の入り口のボードには、「12月26、27日 広島高校ボランティア団体様10名」「12月28、29日 YMCA様10名」と書かれてあった。この場を提供しているスーパーの経営者には直接会えず確認できなかったが、場を無償で提供しているようだ。被災地を支援するボランティア活動は公費解体での運び出しなどさまざまな場面で目にする。能登の冬は寒いのでこたつを用意してボランティアを受け入れる。この光景を見て、被災地の感謝する心に感動した。

⇒25日(水)夜・金沢の天気   はれ後くもり

★能登の二重被災で踏ん張る食品スーパー 地域の生活守り復興拠点を目指す

★能登の二重被災で踏ん張る食品スーパー 地域の生活守り復興拠点を目指す

  元日の震災と9月の記録的な大雨に見舞われた輪島市町野町をめぐった(今月5日)。地区で唯一のスーパーマーケット「もとやスーパー」が先月営業を再開したと報道されていたので、その様子を見に行った。元日の地震で被害を受けても休まずに営業を続けてきたスーパーだったが、9月21日の豪雨で近くを流れる鈴屋川が氾濫して街一帯が飲み込まれた。同29日に現地を見に行くと、店内の柱や壁には浸水の跡が残り、商品を陳列する大型の冷蔵棚などは横倒しになっていた。

  そのもとやスーパーに今月5日に行くと「復活オープン」の看板を掲げ営業を再開していた=写真・上=。中に入ると、卵や野菜、総菜や冷凍食品などが並んでいた=写真・中=。ただ、以前見た時より売り場面積が小さい。レジの店員に聞くと、「売り場を必要最小限にして、店内をキャンプ場にするようです」との返事だった。

  その店内キャンプ場を見せてもらった。もとやスーパーの店舗の3分の2に相当する500平方㍍を充てたスペースという=写真・下=。被災地の復旧に訪れた業者や支援ボランティア向けに用意したようだ。1人用テントや布団を備える。30人から40人が利用できるが、料金は取らないのだという。町野地域には復旧業者やボランティアが宿泊できる場所がなく、これまで他地域の宿泊地と町野との移動に時間がかかっていた。さらに、冬場になると積雪も想定されることから、屋内キャンプ場がベストと47歳の店主が企画したようだ。店主はクラウド・ファンディングでこう述べている。「被災し壊滅的な状況となった輪島市町野住民の多くの方々は家も車も失い、インフラも復旧していない現在、不自由な生活を余儀なくされています。その中で、私たち『もとやスーパー』は住民の方々の生活基盤であり心の拠り所であり続けると同時に、復興拠点にならなくてはならない、そう思っています」

  このスーパーにはちょっとした思い出がある。大学教員時代に学生たちと「能登スタディツアー」を企画し、ある年、近くの景勝地である曽々木海岸の窓岩の夕日を眺め、その帰りにもとやスーパーに立ち寄り食料を買い込んでいた。すると、わざわざ当時の店主が出てきてくれて、軽妙な能登弁で地域の歴史を語ってくれた。学生たちからは「語りが分かりやすく面白い」と評判だった。

  被災地の食品スーパーとして元日の地震後も営業を続け、住民を支えてきた。9月の豪雨で一時休業したが11月に営業を再開。来春には交流拠点としての整備も予定する。しかし、大雪で地区が再び孤立すればすべてストップする恐れがある。復旧を絶え間なく進めるためも、泊まれる環境を整える。被災地の必死の叫びのように聞こえる。

⇒10日(火)午後・金沢の天気    くもり時々はれ