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☆能登で来年トキ放鳥へ 問題は場所選び、地域それぞれにトキへの想い

☆能登で来年トキ放鳥へ 問題は場所選び、地域それぞれにトキへの想い

  今季2度目の「最強・最長の寒波」はピークはいったん過ぎたようだ。きょうは断続的に雪は降っていたものの、晴れ間ものぞいた。昨夜からきょう夕方の金沢の自宅周辺の積雪は10㌢ほどだろうか。しかし油断大敵で、金沢地方気象台の予報によると、あさって21日から再び強い寒気が流れ込み、3連休にかけて平野部でも大雪になる可能性があるとのこと。春が待ち遠しい。

  残念なこともあった。能登半島の七尾市で温泉旅館を経営する知人がヒートショックで亡くなった。地元メディア各社の報道によると、17日夕方に和倉温泉総湯で入浴中に意識不明の状態で見つかり、急逝した。73歳だった。外の寒気と総湯の湯の温度差から血圧が上昇・降下して、心筋梗塞などが発生したのかもしれない。10数年ほど前、学生たちと「能登スタディツアー」で訪れたのがきっかけで、以降何度かお会いした。前向きな発想をする人で、能登地震で被災した自らの旅館の再建を進めるかたわら、能登の震災復興プロジェクトのリーダーとして旗振り役を担う、存在感のある人だった。冥福を祈る。

  話は変わる。今月15日付のブログで、環境省は国の特別天然記念物トキの能登での放鳥を2026年度上半期をめどに行うことを決めた、と述べた。能登は本州最後の一羽のトキがいたところ。トキの放鳥が来年と決まったことで、テンションを高めているのは石川県庁かも知れない。きょう用事があり県庁に行くと、1階ロビーに「祝 放鳥決定! 令和8年度 能登地域でのトキ放鳥」と大きな懸垂幕が掲げられていた=写真=。懸垂幕の上部にはトキが羽ばたく様子が描かれている。

  環境省では来年6月上旬ごろの放鳥を目指している。これから大きなテーマとなるが細長い能登半島のどこで放鳥するか、だろう。地元メディア各社の報道によると、ことし7月ごろまでに具体的な場所を、県と能登9市町などが選定する。この場所選びが難題だ。

  本州最後の1羽だったオスのトキ、愛称「ノリ(能里)」は1970年1月に能登半島の穴水町で捕獲され、繁殖のため新潟県佐渡のトキ保護センターに送られた。しかし、翌年1971年3月、鳥かごのケージの金網で口ばしを損傷したことが原因で死んでしまう。このような経緯があるので、穴水町では捕獲された場所で放鳥してほしいと主張するだろう。また、半島尖端の珠洲市の粟津地区には10年ほど前から佐渡で放鳥されたトキが飛来している。半島の中ほどにある眉丈山はため池が多くあり、ふもと中能登町や羽咋市には水田が広がる。1961年の記録で5羽のトキが確認されている。志賀町には毎年コウノトリが飛来して営巣が確認されているので、トキにも来てほしいとの想いがあるだろう。能登の人たちには地域それぞれにトキに対する思い入れがある。

  放鳥場所をどう選定していくのか。去年元日の地震で道に切れが入り、餌場とする水田に水を供給するパイプラインが破裂したところも相当ある。県のテンションの高さをリーダーシップとして、トキ放鳥の場所選定に活用してほしいものだ。

⇒19日(水)夜・金沢の天気    ゆき

★帰らぬ拉致被害者 家族は無念の想い 能登での拉致1号事件から48年

★帰らぬ拉致被害者 家族は無念の想い 能登での拉致1号事件から48年

  北朝鮮による拉致被害者の家族である有本明弘さんが亡くなったと報じられている。96歳だった。娘の恵子さんはロンドンで語学留学中だった1983年に北朝鮮に連れ去れたことが、「よど号」ハイジャック事件(1970年3月31日)の実行犯の元妻(日本人)が2002年3月に法廷で証言して明らかになった(Wikipedia「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」)。日本政府が「拉致」という言葉を使って問題としたのは、1988年3月の参院の質問で当時の国家公安委員長だった梶山静六氏が初めてだった。政府は1991年から水面下で北朝鮮に対して拉致問題を提起していたものの、当時は北朝鮮との国交正常化に重きを置いていて、拉致問題の表向きの対応は希薄だった。

  1997年2月に拉致被害者の家族による「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」が結成されると一転した。2002年9月17日、当時の小泉純一郎総理と北朝鮮の金正日国防委員長による首脳会談で、北朝鮮は長年否定してきた日本人の拉致を認めて謝罪。拉致被害者の5人が帰国した。2004年5月26日にも小泉総理が北朝鮮を訪れ首脳会談を行い、先に帰国した5人の家族が帰国することになった。

  政府は北朝鮮に拉致された被害者として17人(5人帰国)を認定しているが、さらに北朝鮮による拉致の可能性を排除できない871人に関して、引き続き捜査や調査を続けている(警察庁「拉致の可能性を排除できない事案に係る方々」)。北朝鮮による拉致事件は終わっていない。(※写真は、政府の拉致問題対策本部公式サイトより)

  「拉致1号事件」は能登半島の尖端近くで起きた。能登町宇出津の遠島山公園の下の入り江は山が海に突き出たような岬で、入り組んだリアス式海岸だ。1977年9月19日、東京都三鷹市の警備員だった久米裕さん52歳と在日朝鮮人の男37歳が宇出津の旅館に到着し、午後9時ごろに2人は宿を出た。怪しんだ旅館の経営者は警察に通報した。旅館から歩いて5分ほどの入り江で、男は外国人登録証の提示を拒否したとして、駆けつけた捜査員に逮捕された。久米さんの姿はなかった。

  しかし、当時は拉致事件としては扱われず、公にされなかった。その後、拉致は立て続けに起きた。同年10月21日に鳥取県では松本京子さんが自宅近くの編み物教室に向かったまま失踪(2号事件)。11月15日、新潟県では下校途中だった13歳の横田めぐみさんが日本海に面した町から姿を消した(3号事件)。

    拉致問題をめぐっては、2002年9月と2004年5月の日朝首脳会談で拉致被害者5人とその家族が帰国したことで、北朝鮮は「拉致問題は解決済み」との主張を変えていない。有本明弘さんは長年にわたって運動を続けてきたものの恵子さんの救出には至らず、無念な想いだったに違いない。政府には覚悟を持って被害者家族の無念の想いを晴らしてほしい。

⇒18日(火)夜・金沢の天気   くもり時々ゆき

☆再び最強・最長の寒波 車のスタック防ぐため予防的に通行止めも

☆再び最強・最長の寒波 車のスタック防ぐため予防的に通行止めも

  けさから風が吹き荒れている。最強・最長の寒波が再びやってきた。ウェザーニュースWeb版(17日付)によると、きょうから冬型の気圧配置が強まり、19日にかけて強い寒気が流れ込む。寒気の影響は長く続く見込みで、日本海側では三連休にかけて断続的に雪が強まる。寒波による大雪に警戒を呼びかけていて、北陸や東北の平地では20日夜までで内陸の地域では100㌢以上の雪が降り、山沿いの多いところでは150㌢以上の積雪の増加が見込まれている。

  国交省北陸地方整備局と新潟地方気象台、高速道路会社「NEXCO東日本」はきのう16日午後、共同会見を開いた。気象台の説明では、今回の寒気は今月4日から北陸地方に大雪をもたらしたこの冬一番の寒気と同じ程度の強さで、23日までの1週間ほど居座る見込みという。 17日夕方からの24時間に降ると予想される雪の量は新潟の山沿いで最大70㌢で、その後も雪が続く見通し。北陸地方整備局とNEXCO東日本は、大雪の際には道路を通行止めにする可能性もあるとして、最新の情報に留意し不要不急の外出を避けるよう呼びかけた。また、金沢地方気象台は大雪による交通障害や高波、着雪、雪崩、落雷、竜巻の突風などに注意を呼びかけている。

  国交省金沢河川国道事務所と中日本高速道路は、雪の降り方によっては車の立往生を防ぐために予防的に通行止めを行う可能性があると発表している。通行止めの可能性があるのは、石川県内の「のと里山海道」の徳田大津インターチェンジと穴水インターチェンジの間、国道8号の加賀市の熊坂交差点から福井県にかけての3.4㌔の区間、北陸自動車道の県内すべての区間など。通行止めを実施する可能性が高まった場合、1日前に呼びかけを始め、3時間前には通行止めを実施する時間帯や具体的な区間を決めるとしている。(※写真は、能登半島の積雪の道路側溝にはまり動けなくなった大型トラック=今月7日撮影)  

  石川県は災害対策本部連絡員等会議を開き、被害発生時の連絡体制を確認。水道管の凍結防止対策なども呼びかけた。去年元旦の地震では輪島市の朝市通り周辺の240棟が焼損した。このとき、水道管の凍結が原因で消火栓が断水状態となり、火災が広がったとされている。

  再びやってきた最強・最長の寒波でこれから1週間は緊張が続く。

⇒17日(月)夜・金沢の天気     ゆき

★そもそもなぜトランプ大統領はWHOを毛嫌いするのか 脱退通告の根深い背景

★そもそもなぜトランプ大統領はWHOを毛嫌いするのか 脱退通告の根深い背景

  4年ぶりに返り咲きとなったアメリカのトランプ大統領は就任初日(今月20日)にWHO(世界保健機関)から脱退すると表明し、大統領令に署名した。発効は1年後の2026年1月22日となる。トランプ氏は1期目終盤の2020年7月6日にもWHO脱退を通告したが、2021年1月に大統領に就任したバイデン氏が発効前に撤回した。トランプ氏は一貫してWHO脱退を表明してきた。この執念深さはどこから来ているのか。

  これまでWHO脱退を語るトランプ氏がその理由に挙げたことは2つ。一つは拠出額で、アメリカは年間5億㌦(780億円)を拠出しているが、人口が多い中国は3900万㌦しか負担していないと指摘してきた。もう一つはWHOの中国寄りの姿勢で、トランプ氏は1期目のときから、新型コロナウイルスの対応に不満を示していた。

  中国・武漢市で発生した新型コロナウイルスが国際問題化したのは2020年1月だった。WHOと中国の関係性が疑われたのは1月23日だった。中国の1月の春節の大移動による影響で、世界にコロナ禍をまき散らす結果となった。日本を含め欧米各国で感染者が出ていたにもかかわらず、この日、WHOは「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」宣言を時期尚早と見送った。同月30日になってようやく緊急事態宣言を出したが、この頃すでに、中国以外での感染が18ヵ国で確認され、日本やアメリカ、フランスなど各国政府は武漢から自国民をチャーター機で帰国させていた。まさに緊急事態が起きていた。

  そのWHOの緊急事態宣言後に物議をかもしたのがテドロス事務局長の発言だった。「私は先日中国に渡航し、習近平国家主席のリーダーシップを目の当たりにした。他の国も見習うべきだ。中国国外の感染者数が少ないことについて、中国に感謝しなければいけない」(2020年1月31日付・日経新聞Web版)。これに対し、当時のアメリカ大統領トランプ氏は「なぜ中国は感染者を出国禁止にしなかったのか」と痛烈に批判し、ツイッターや記者会見で新型コロナウイルスのことを「チャイナウイルス」と揶揄した。この年の5月下旬にはアメリカの感染者は世界最多の165万人、死者が10万人に達したことから、政府の初動対策の遅れに対して世論の批判が吹き上がった。火の粉をかぶる状態に追い込まれたトランプ氏はさらに態度を硬化させ、「WHOは中国に完全に支配されている。WHOとの関係を終わらせる」と7月に脱退を通告したのだった。

  WHOのテドロス氏は中国との関係が取り沙汰されているものの、2022年に再選され同年8月から2期目に入っている。任期は5年間。WHOのシンボルの旗には杖に巻きつくヘビが描かれている。ギリシャ神話で医の守護神となったとされる名医アスクレピオスはヘビが巻きついた杖をいつも持っていた。それが、欧米では医療のシンボルとして知られるようになった。トランプ氏には中国に巻きつくテドロス氏のように見えているのかもしれない。

(※写真・上は、アメリカ大統領トランプ氏のコロナ禍でのマスク姿=2020年7月12日付・CNNニュースWeb版。写真・下は、テドロス事務局長の記者会見の様子=同8月24日付・WHO公式ホームページ)

⇒16日(日)夜・金沢の天気     くもり時々はれ

☆「トキが舞う能登」を震災復興のシンボルに 環境省が本州で初の放鳥へ

☆「トキが舞う能登」を震災復興のシンボルに 環境省が本州で初の放鳥へ

  きょうの金沢は朝から晴天。予報だと、気温は10度まで上がった。そして、あす16日はさらに12度まで。雪国に住んでいるとうれしくなる数値だ。雪が溶けるから。朝8時ごろ、近所の人が一人、二人と出てきて、「積み雪くずし」が始まった。玄関の前などの除雪で積み上げた雪を今度は崩す作業だ。気温が10度に上がっても、積み上げた雪はそう簡単に溶けない。なので、スコップを入れてカタチを崩すことで、空気の熱が雪の表面に広く伝わり、溶けるのを加速させる。あるいは、太陽光で熱を帯びたコンクリートやアスファルトの表面に崩した雪を散らす。雪を溶かす作業は意外と楽しめる。

  話は変わる。環境省はきのうトキ野生復帰検討会を開催し、国の特別天然記念物のトキの放鳥を2026年度上半期をめどに能登地域で行うことを決めた(14日付・環境省公式サイト「報道発表資料」)。本州でのトキの放鳥は初めてとなる。環境省は本州における「トキと共生する里地づくり取組地域」にを目指す自治体を2022年度に公募し、能登と島根県出雲市の2地域を選定していた。今回のトキ野生復帰検討会で能登が野生復帰をするに足るだけの自然的、社会的環境と地域体制が着実に整備されていると認め、来年度の放鳥が正式に決まった。(※写真は、輪島市三井町洲衛の空を舞うトキ=1957年、岩田秀男氏撮影)

  能登でのトキ放鳥は深いつながりがある。かつて、「本州で最後の一羽」と呼ばれたトキが能登にいた。「能里(のり)」という愛称で呼ばれていた。オス鳥だった。能登には大きな河川がなく、山の中腹にため池をつくり、田んぼの水を蓄えていた。そのため池にはトキが大好物のドジョウやカエルなどなどが豊富にいた。能登半島の中ほどにある眉丈山では、1961年に5羽のトキが確認されている。そのころ、田んぼでついばむエサが農薬にまみれていた。このため、1970年に能里が本州で最後の一羽となる。当時、新潟県佐渡には環境省のトキ保護センターが設置させていて、能里は人工繁殖のために佐渡に送られた。ところが、翌年1971年3月、鳥かごのケージの金網で口ばしを損傷したことが原因で死んでしまう。

  こうしたいきさつから能登ではトキへの思い入れがあり、石川県と能登9市町は環境省の本州でのトキ放鳥に熱心に動いてきた。国連が定める「国際生物多様性の日」である5月22日を「いしかわトキの日」と決め、県民のモチベーションを盛り上げている、県は能登でのトキの放鳥に向けた「ロードマップ」案を独自に作成。トキが生息できる環境整備として700㌶の餌場を確保するため、化学肥料や農薬を使わない水田など「モデル地区」を設けて生き物調査を行い、拡充を図っている。こうした取り組みが環境省で評価され、能登での放鳥の段取りがスムーズに進んだようだ。

  能登半島地震の災害からの復興のために石川県が提示した『創造的復興リーディングプロジェクト』の13の取り組みの中に、「トキが舞う能登の実現」が盛り込まれている。トキが舞う能登を震災復興のシンボルとしたい。その思いが動き出す。

⇒15日(土)夜・金沢の天気     はれ

★政府が備蓄米21万㌧放出へ コメの小売価格が半年前より7割アップ

★政府が備蓄米21万㌧放出へ コメの小売価格が半年前より7割アップ

  このところ近所のスーパーで地元産のコシヒカリが高騰している。きょうの価格は5㌔袋で3780円(税抜き)だった=写真・上=。米価について去年8月25日付のブログでも述べているが、そのとき同じスーパーで購入した新米は10㌔袋で4580円(税抜き)だった。5㌔で換算すると2290円なので、1490円高くなり、率にして7割近くのアップだ。コメの小売り価格の高騰は金沢市だけでなく全国に広がっているようだ。  

  そんな中、江藤農林水産大臣はきょう午前の記者会見で、米価の価格高騰に対応するため、政府備蓄米の放出について発表した(メディア各社の報道)。それによると、大手の集荷業者を対象に販売数量は21万㌧と定める。初回は3月上旬にまず15万㌧の入札を開始し、3月半ばには落札した集荷業者への引き渡しを始める。実際に備蓄米が店頭に並び始めるのは3月下旬から4月ごろになると見込んでいる。残り6万㌧に関しては今後の状況をみて判断していくとしている。江藤大臣は備蓄米の放出について、「この状況をなんとしても改善したいという強い決意の数字だ」「必要があればさらに数量を拡大することも考える」と述べていた。

  そもそも、なぜコメの小売価格が高騰しているのか。去年、コメの小売価格が高騰したのは、2023年産米の収穫量が前年比1.4%減の661万㌧と過去最少となったことが原因だった。猛暑のため、イネの吸水が蒸散に追いつかずに枯れてしまう「高温障害」が各地で発生。この障害で白濁したコメが大量に出て、コメどころ新潟県などで深刻な被害が出た。去年夏、金沢のスーパーでも一時品切れ状態が続いた=写真・下、2024年8月20日撮影=。秋に新米の季節となりようやく落ち着いた。では、去年秋に収穫されたコメはどうだったのか。農水省の公式サイト(12月10日付「令和6年産水陸稲の収穫量」)によると、2024年産米の収穫量は前年比2.7%増の679万2000㌧で、収量が増加に転じるのは2018年産以来6年ぶりと発表していた。それなのになぜ価格高騰が続いているのか。

  流通の在り方を問う見方が出ている。2024年産米を巡っては、JAなど既存のメインの流通業者に加え、中小業者や外食チェーンなど新興勢力も買い付け競争に参加した。買い付け業者の増加で在庫が分散したり、一部の業者が在庫を抱え込んだりした結果、JAなどを通じた主要なルートに流れるコメの量は前年比21万㌧減った(14日付・日経新聞Web版)。農水省が今回用意する備蓄米21万㌧は、この主要ルートで減った分を根拠に放出するようだ。

  また、1月下旬に農水省で開かれた有識者会議では、出席者の一人から「スーパーがコメの販売抑制目的で値上げに踏み切っている」といった指摘が出ていた。卸からの供給が減るなか、店頭から商品が消える事態を避けるため、売価を上げることで販売数量をコントロールしているという(同)。流通サイドにいかるな理由があったとしても、消費者へのしわ寄せは止めてもらいたいものだ。

⇒14日(金)夕・金沢の天気    くもり時々はれ

☆大の里の大銀杏と化粧まわし 郷土のゲートウェイ飾る新たな等身大パネル

☆大の里の大銀杏と化粧まわし 郷土のゲートウェイ飾る新たな等身大パネル

  JR金沢駅の観光案内所には石川県の郷土力士の等身大パネルが設置されている。そのパネルの一つ、大関の大の里のものがきのう一新されたと地元メディアで報道されていたので、さっそく見に行った。等身大パネルは石川県観光企画課が設置しているもので、JR金沢駅のほか小松空港と能登空港にも置かれている。大の里(津幡町出身)のほか、遠藤(穴水町出身)、輝(七尾市出身)、欧勝海(津幡町出身)のパネルも並んでいる。

  今回新しくなった大の里のパネル=写真・上=と、これまでのパネル=写真・下、去年7月撮影=を比べてみる。大きく2点が異なる。一つは髪型の大銀杏の姿だ。これまでのパネルはざんばら髪だった。2023年12月に展示され、同じ年の秋場所で十両に昇進したときのものだ。2024年の夏場所からはちょんまげで土俵に上がり、同年の秋場所で2回目の優勝を果たして大関昇進を決めた。以降も髪型は変わらず、「ちょんまげ大関」と呼ばれていた。史上最速と称されたスピード出世に髪の伸びが追いつかなかったのかもしれない。大銀杏の姿を披露したのはことし1月の初場所だった。

  前のパネルと異なるもう一つが化粧まわし。これまでのものは青色を基調としたもので、ロゴには「上を目指す」「一番を」などの意味が込められていた。今回のパネルでは、墨絵で描かれたような龍の図柄だ。所属する二所ノ関部屋のX(旧ツイッター)によると、足立美術館に所蔵されている作品で横山大観の『龍興而致雲』(りゅうおこりてくもいたす)。「龍は雲を得て天を目指す」という意味で、乱雲と雷鳴の中でごつごつとした岩肌にもめげず激しい動きを見せる龍の気迫が表現されている作品という。確かに、並んでいる遠藤、輝、欧勝海と比べても、大の里の体は大きく、龍のような力強さを感じさせる。ちなみに大の里の身長は192㌢、体重185㌔だ。大銀杏と化粧まわしで生まれ変わったような力士の姿ではある。

  2023年夏場所に幕下で初土俵を踏み、所要9場所で大関昇進。賜杯を2度抱いて、怒濤のスピード出世。24歳の本人は決して満足してはいないだろう。横綱になって、また新たな等身大パネルが故郷のゲートウェイを飾ることを期待したい。

⇒13日(木)夜・金沢の天気    くもり

★転出超過が大幅アップ 能登半島地震で県外へ移住増えたのか

★転出超過が大幅アップ 能登半島地震で県外へ移住増えたのか

  最強寒波は一服状態となった。金沢では夕方から小雨が降っていて、気温も10度ほどになった。しばらくこの状態が続きそうで、晴れで最高気温が12度との予報もある。ただ、それもつかの間。気象庁は北陸地方に「低温と大雪に関する早期天候情報(北陸地方)」を発表している。17日からは冬型の気圧配置が強まり、降雪量もかなり多くなるとの予報。 この早期天気情報は、10年に1度程度しか起きないような著しい低温や降雪量となる可能性が高まっている時に出される注意喚起の情報だ。最強寒波が再びやってくる。    

  震度7の地震、記録的な大雨、そして今月4日から北陸に吹き荒れた最強・最長の寒波。 3災の能登半島を3日間(今月6-8日)かけてめぐった。最終日、金沢に戻ると面白いが景色があった。金沢大学角間キャンパス近くの山側環状道路を車で走ると、中央分離帯に「雪団子」が並んでいる。一つや二つではない。串に刺した団子状態でしばらく続いていた。雪国ならではの景色だ。(※写真は、金沢市もりの里の外側環状道路。中央分離帯の植え込みに雪が積もって団子のように=8日正午すぎ撮影)

  話は変わる。総務省がまとめた令和6年(2024)の人口移動報告(ことし1月31日公表)によると、去年1年間で石川県からほかの都道府県に転出した人は2万2247人だったとの統計が出ている。前の年に比べて1271人、率にして6%増えたことになる。転出者を年代別にみると、20代が1万349人と全体の4割以上を占め、次いで30代が3942人で、20代と30代で6割以上を占めた。県内に転入した人は前の年より444人少ない1万8071人で、転出から転入を差し引くと、4176人の転出超過となる。2023年の転出超過は2461人、2022年は2360人だったので、2024年は転出超過が大幅に増えたことになる。

  転出超過には能登半島地震が関連している可能性がある。石川県外の公営住宅に暮らしている被災者255世帯を対象に、石川県庁が電話で意向調査(12月9-27日)を行った。回答があった176世帯の集計で44%に当たる78世帯が「石川県には戻らない」と答えた。その理由は「安定した仕事を見つけた」などの回答が多かった。一方で、21%に当たる37世帯が「戻りたいが課題がある」と答えた。その中では、公費解体や修繕など「住まい」の問題を挙げる世帯が多かった。震災で自宅に戻れなくなり、県外に転出した20代、30代の世代が就職や子育てのためにそのまま移住するケースが増えているのではないだろうか。

⇒12日(水)夜・金沢の天気     あめ

☆震度7・記録的大雨・最強寒波 3災の能登冬路をめぐる~5~

☆震度7・記録的大雨・最強寒波 3災の能登冬路をめぐる~5~

  震度7の地震、記録的な大雨、そして今月4日から北陸に吹き荒れている最強・最長の寒波。 3災の能登半島を3日間(今月6-8日)かけてめぐり、「あれはどうなったのか」と気になっていた場所に行った。NHK大河ドラマ『利家とまつ』(2002年放送)で話題を呼んだ、加賀百万石の礎を築いた前田利家の正室まつの遺灰がまつられている菩提寺「芳春院」。寺がある輪島市門前町は震度7の強烈な揺れに見舞われ、多くの建物が倒壊し、芳春院も全壊した。

     「利家とまつ」ゆかりの寺院 再建は緒に就くのか

  震災後に何度かこの地を訪ねたが、倒壊現場はまったく手が付けられていなかった。今回行くとすっかり片付いていた。当初、宗教法人に対しては公費解体が適用されないのかと思っていたが、宗教法人が所有する建物も全壊および半壊の建物は災害廃棄物として公費解体の対象だった(2024年1月・環境省「公費解体・撤去マニュアル第1版」)。そして、能登半島地震は「特定非常災害」に指定されたので、神社や仏閣などの場合でも自治体が発行する被災証明書があれば、法人が解体しても、その費用は補助の対象となる。そうした情報は震災後の混乱の中で交錯したのだろう。芳春院が、野ざらしとなっていた釈迦三尊や達磨大師などの本尊を救い出したのは5月、公費解体を終えたのは10月だった。(※写真・上は、公費解体を終えた現在の芳春院と、解体を待つ芳春院=去年7月6日撮影)

  公費解体は終えたが、この先さらに難問がある。再建への道筋だ。門前地区では住民の大半が仮設住宅で暮らしていて、自宅の再建もままならない状態という。そのような中で檀家を集めて、寺院の再建計画はスムーズに進むだろうか。芳春院に隣接する曹洞宗の大本山・総持寺祖院は山門(国文化財)=写真・下=などは無事だったものの、33㍍の廊下「禅悦廊」(同)が崩れ、一部はブルーシートで覆われていた。

  芳春院や総持寺だけではない。能登では寺社が相当に傷んでいる。能登で一番多い寺院は浄土真宗で、真宗大谷派東本願寺のまとめ(去年6月19日時点)によると、能登地域にある寺院353ヵ寺のうち、被害があったのは331ヵ寺で、そのうち本堂の倒壊など大規模被害は72ヵ寺、庫裏は69ヵ寺に上る。これに他宗派の寺院や神社も加えると相当な数に及ぶだろう。

  能登の寺院や神社は地域コミュニティーの中心の一つでもある。寺で毎月28日に「お講」が開かれる。浄土真宗の宗祖とされる親鸞上人の月命日にあたり、地域の年寄り衆や子どもたちが集い、お経の後に山菜や海藻の精進料理が供される。人々は会話を交わし、情報交換の場ともなっている。その寺でのコミュニティーが地震で今も絶たれた状態になっている。また、奥能登の伝統的なキリコ祭りは地域の神社が拠点となって、キリコや神輿が街中を練り歩く。震災で神社が損傷し、祭りを断念した地域も多い。
  
  石川県は国の支援を受けて設置した「復興基金」(総額540億円)の配分について県内19市町と協議を重ね、被災者の暮らしやコミュニティー施設の再建など27の事業を盛り込んだ活用方針を決定している。今月5日の会議では新年度に基金から80億円の拠出を決めている。伝統の祭りなど通じて地域のコミュニティー施設の役割を果たしてきた神社や仏閣の再建には最大1200万円を補助するとしている。寺社の再建はようやく緒に就くのか。
 
⇒11日(火)夜・金沢の天気     くもり時々はれ  

★震度7・記録的大雨・最強寒波 3災の能登冬路をめぐる~4~

★震度7・記録的大雨・最強寒波 3災の能登冬路をめぐる~4~

  寒波襲来からきょうで1週間となる。能登の七尾市では43㌢、金沢で27㌢、加賀市で78㌢の積雪(午前11時現在)となっている。地元メディアの報道によると、雪による事故も相次いでいる。加賀市では除雪中に自宅脇の側溝に転落して70代男性が死亡、金沢市でも除雪中や歩行中での転倒で負傷する事故が起きている。また、金沢と能登を結ぶ自動車専用道「のと里山海道」ではけさ雪によるスリップで車が横転し、一部区間で3時間、通行止めとなった。金沢地方気象台の予報によると、冬型の気圧配置は徐々に緩むものの雪はあす11日にかけて続く見込みのようだ。

     まるでスキーのジャンプ台・・能登島大橋の雪景色

  去年元日の震度7の地震、48時間で498㍉という9月の記録的な大雨、そして今月4日から北陸に吹き荒れている最強・最長の寒波。 「3災」ともいえる能登半島を3日間(今月6-8日)かけてめぐり、これまで見たことのない光景を目にすることあった。半島の中ほどに位置する七尾市の能登島大橋。かつて島だった能登島を1982年に長さ1㌔、全線2車線の橋で結んだ。これまで能登島を何度も訪れているが、冬場は今回が初めて。積雪の大橋を走ると、まるでスキーのジャンプ台を滑っているような感覚になった=写真・上=。もちろん、スキーのように「滑降」はできなのでゆっくり運転で。

  能登島を結ぶもう一本の橋「ツインブリッジのと」(620㍍、中能登農道橋)は地震で橋桁が損傷し、さらに道路との間に40㌢ほどの段差ができ、現在も通行ができなくなっている。能登島には「のとじま水族館」や「ガラス美術館」などがあり、アクセスの上からもツインブリッジの復旧が待たれる。

  そして、「あれ、櫓(やぐら)に人が」と一瞬思ったのが、七尾市から北上した穴水町の海岸沿いで見た「ボラ待ち櫓(やぐら)」だった=写真・下=。穴水湾では櫓に漁師が上って、ボラなど魚群が湾に入って来るのを見つけて、「ボラが来た」と叫ぶと、周囲の人が集まって海に仕掛けた漁網を引き上げるという漁法があった。現在その漁法はないが、観光施設としてボラ待ち櫓が湾内に何ヵ所か設置されている。その一つに人影のようなものが見えて、「櫓に人が」と思った次第。

  ボラ待ち櫓が観光名所になったのも歴史的なエピソードがある。明治22年(1889)5月、東京に滞在していたアメリカの天文学者パーシバル・ローエル(1855-1916)が能登半島の地形とNOTOという地名の語感に惹(ひ)かれ、鉄道や人力車を乗り継いで当地にやってきた。そのときボラ待ち櫓に登り、「ここは、フランスの小説でも読んでおればいい場所」と、後に著した「NOTO: An Unexplored Corner of Japan」(1891)で記した。好奇心の固まりのようなローエルがその後、アメリカに帰国しアリゾナ州に天文台を創設し、火星の研究に没頭する。火星の表面に見える細線状のものは運河であり、火星には高等生物が存在すると唱えた。その後、アメリカでは地球外の生命体への関心度が高まり、SFブームが起こる。

  ローエル研究者の中には能登の海から火星の運河を着想したのではないかと、実際にボラ待ち櫓を見学に来たケースもあった。穴水町には「米国人天文学者 パーシバル・ローエル上陸の地」と刻まれた石碑が立っている。

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