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☆「ジャニーズ事務所」は廃業へ マスメディアは沈黙か

☆「ジャニーズ事務所」は廃業へ マスメディアは沈黙か

   ジャニー喜多川の性加害問題をめぐって、ジャニーズ事務所はきょう記者会見を行い、現在の社名を「SMILE-UP.」に変更し、この会社で被害者への補償を行ったうえで、将来的には廃業すると発表した。そして、タレントのマネージメントなどを行う新たな会社を設立し、社名はファンクラブで公募するとした。創業者であるジャニー氏の名前を完全に消去することで、この問題にけじめをつけるようだ。さらに詳しく会見内容をチェックする。

   ジャニーズ事務局の会見内容は公式サイトで掲載されている。以下、記事を抜粋。【社名について】 ジャニー喜多川の氏名に由来している以上、社名を変更する必要があるとの結論に達しました。新しい社名は、2018年7月に弊社が立ち上げた社会貢献活動「Smile Up!Project」に由来するものです。この活動は、常日頃応援してくださる皆様のために、どのように社会的責務や使命を果たすことができるかについて、タレント、社員が一丸となって考え、多くのファンの皆様のご支援の元に行動に移すことができたものです。

   【新会社の設立】 弊社は同族経営の弊害を排するとともに、ジャニー喜多川及び過去の弊社との完全な決別をするべく、今後新会社を設立の上、所属タレント(ジャニーズJrを含みます。)及び社員については希望者全員が新会社に移籍し、新会社がエージェント会社となり弊社は補償に特化することを想定しております。新会社には藤島家の資本は入れず、また藤島ジュリー景子は新会社の役員とはならず、経営に一切関与しません。

   【被害者救済】 9月13日付で「被害者救済委員会」を設置の上、同月15日に被害補償の受付窓口を開設いたしました。9月30日時点で478人の方からご連絡があり、そのうち被害を申告して補償を求めているのは325人です。現在、弊社に在籍されていたかどうかの確認を進めながら、被害者救済委員会による補償額の算定のための聞き取り等の手続を進めております。支払開始時期は11月を予定しております。

   この問題がクローズアップさせたのは国連の動きだった。各国の人権状況を調査する国連人権理事会の「ビジネスと人権」作業部会の専門家チーム(2人)が7月24日から8月4日にわたり、省庁や地方自治体、企業の代表、労働組合、市民団体、人権活動家などと会談し、人権上の義務と責任にどう取り組んでいるかを聞き取りした。その中で、ジャニー喜多川の性加害問題について被害者から聞き取りを行ったことから、にわかにクローズアップされることになった。

   最終日の4日に日本記者クラブで記者会見した専門家チームは、エンターテインメント業界に「性的な暴力やハラスメントを不問に付す文化」があると言及。その事例として、ジャニー喜多川氏の性加害問題が2003年の東京高裁の判決で「性加害がある」と認定されたにも関わらず、事実を伝えてこなかったメディア業界、とくにテレビ、新聞などは「その罪は大きい」と指摘した。

   ジャニーズ事務所の会見内容は、「崖っぷち感」が伝わる改革案で本気度が見て取れる。では、一方の当事者でもあるマスメディアはどうするのか。改革案を示すのか。このまま沈黙を続けるのか。(※写真はWikipedia「ジャニーズ事務所」より)

⇒2日(月)夜・金沢の天気    はれ

★「能登サザエ」シーズン終わり アートな「サザエハウス」

★「能登サザエ」シーズン終わり アートな「サザエハウス」

   能登半島の真ん中に位置する志賀町で開催されるシンポジウムの事前打ち合わせのため、昨夜は町内のホテルに宿泊した。けさは午前7時30分に朝食を予約していたので会場に行いくと、バイキング料理がずらりと並んでいた。その中でも、思わず手を出したのがサザエのつぼ焼き=写真・上=。肝の先と貝柱と身の部分がうまい。そして名残惜しさも感じた。能登のサザエの漁期は7月1日から9月30日までの3ヵ月だ。きょう出されたサザエはきのう「9月30日」に採られたものだろう。あすから消えるメニューに違いない。

   能登ではサザエの貝殻の尖った部分を「ツノ」と呼んでいる。ただ、サザエにはツノのあるものと、ないものもある。さらに、そのツノは同じ長さではない。長いものと短いものがある。海流が速いところで採れるサザエのツノは長いと能登では言い伝えられているが定かではない。遺伝的な長さもあるのではないかと考えてしまう。ただ、ツノが長いほうが見栄えがいいので、ホテルでのサザエもつい、長いツノのものを選んで皿に入れた。

   サザエを芸術に仕込んだアーティストを思い出した。2017年の奥能登国際芸術祭で出品した、村尾かずこ氏作『サザエハウス』=写真・下=。珠洲市の海沿いの一軒の小さな小屋の壁面を膨大な数のサザエの貝殻で覆ったものだ。以下、このブログの2017年10月16日付「さいはてのアート<上>」の再録。

   「サザエハウス」の壁面をよく見ると、サザエだけでなく、アワビや巻貝の殻もある。また、同じサザエでも貝殻のカタチが違う。殻に突起がいくつもあるもの、まったくないもの、それぞれにカタチの個性がある。サザエそのものがその生息地(海底の岩場の形状など)に適応して形づくられた、完成度の高いアートなんだと改めて思えるから不思議だ。靴を脱いでハウスの中に入ると今度はサザエの貝殻に入ったような白色の曲がりくねった世界が広がる。

   入り口にいたボランティアガイドに、サザエの殻はどこから集めたのかと尋ねた。すると「全部で2万5千個、全部市内からですよ」と少し自慢気に。聞けば、アーチストの村尾氏との地元の人たちの打ち合わせで、今年(2017)6月から一般家庭や飲食店に呼びかけて集め始めた。貝殻の貼りつけ作業は7月からスタートし、作品のカタチが徐々に見え始めると、集まる数も増えた。当初から作品づくりを見守ってきたというボランティアガイドは「サザエの中身は食べるもの、殻は捨てるものですよ。その殻が芸術になるなんて思いもしなかった。殻を提供しただけなのに地元は参加した気分になって、(芸術祭で)盛り上がってますよ」とうれしそうに話した。

   「サザエハウス」の外観は全体に白っぽい。カメラを向けていると、赤いスカートの女性が通り過ぎたのでシャッターを押した。赤と白のコントラストが鮮やかに映った。半島の先端、さいはてのアートがまぶしい。

⇒1日(日)夜・金沢の天気   はれ   

✰「能登かき」シーズン到来も激減 海の異変とは

✰「能登かき」シーズン到来も激減 海の異変とは

   あすから10月。いつもこの時季、いよいよ「能登かき」のシーズン到来と心をわくわくさせるのだが、ちょっとした海の異変が起きているようだ。

   能登半島の七尾西湾と穴水湾は「能登かき」で知られる養殖カキの産地でもある。里山の栄養分が川を伝って流れ、湾に注ぎこむ。その栄養分が植物プランクトンや海藻を育み、海域の食物連鎖へと広がり、カキもよく育つとされる。とくに、里山の腐葉土に蓄えられた栄養分「フルボ酸鉄」が豊富にある(2010年5月・金沢大学「里山里海環境調査」)。能登かきのファンにとって、秋は気になる季節なのだが、きょう30日付の地元紙・北陸中日新聞の一面の見出し「能登かき『大不作』 クロダイ食害 猛暑影響か」に少々驚いた。

   以下、記事を引用する。まもなく出荷が本格化する能登かきの生産量は例年より3、4割の減少が見込まれていて、生産者は過去最悪の不漁になると懸念している、という。詳しく読み込む。養殖のカキは稚貝を付着させたホタテガイの貝殻を針金に固定して海中にロープでつるし、1、2年かけて育てる。針金1本に10枚ほどのホタテの貝殻を付けると、1枚に15個ほどのカキが育つはずが、今季は0~4個が目立つという。このため、生産者は収量の激減を受けて、出荷を遅らせている。

   この不漁のいくつかの原因の一つが、クロダイによる「食害」。2年ほど前から湾内でクロダイが増え始め、カキの稚貝をクロダイが食べることが問題となっていた。もう一つの原因として、猛暑がある。石川県水産総合センターの9月時点の調査で、湾全体の深度10㍍の水温は過去5年の平均と比較して2.6度高い。海水温が高い影響で死滅するカキも多い、という。地元の養殖業者の声として、「高水温の影響なのかクロダイが増えすぎている。このまま続いては将来的に(カキ養殖)産業が廃れてしまう」と紹介している。

   一方で、能登でのクロダイ放流を記事で紹介している。穴水湾にある地元の「釣りイカダ組合」では、釣り客に人気のクロダイの稚魚を30年ほど前から毎年1万匹を放流している。釣り客を船に乗せて沖合の釣りイカダに運ぶ、いわゆる「遊漁船業」だ。記事では、「放流をやめると資源がなくなって、客もいなくなる。共生する方法を考えたい」との業者の声を紹介している。

   以下、つらつらと私見を。水槽にいるクロダイを何度か見たことがある。強そうな顎と歯が特徴で、カキの稚貝などは容易に噛み砕き食べると想像がつく。かつて、クロダイの塩焼きは金沢の居酒屋では人気商品だった。ところが、2014年のテニスの全米オープンで準優勝した錦織圭選手が記者会見で、「ノドグロが食べたい」と答えたことがきっかけで、焼き魚と言えばノドグロが「出世魚」となり、クロダイは影が薄くなった。このままいくと、カキ棚を荒らす悪い魚、顔つきもいかつく、居酒屋で人気のない魚となってしまう。

   今後、養殖業者はカキ棚を防護網で囲う新たな対策が必要となるのだろう。一方で、クロダイを漁獲して、カキといっしょに飲食店へ販売してはどうだろうか。店では「B級グルメ」に加工する。カキの稚貝を食べるクロダイのカルパッチョなどはけっこう受けるかもしれない。

⇒30日(土)午後・金沢の天気 くもり

★中秋の名月の夜に「注文の多い料理店」の話

★中秋の名月の夜に「注文の多い料理店」の話

   中秋の名月。金沢の夜空は晴れて、満月を見ることができた。天候が変りやすい北陸では名月をめったに拝めない。かつて北陸を訪れた芭蕉の句がある。「名月や北国日和定なき」(『奥の細道』)。今夜は中秋の名月を期待していたけれど、あいにく雨で拝むことができなかった、と。しかし、今夜はすっきりと見ることができた=撮影:午後8時19分=。満月は、まさに名月だ。次に中秋の名月が満月と一致するのは7年後の2030年9月12日のようだ。

   話は変わる。宮沢賢治の童話『注文の多い料理店』のような話だ。NHKニュースWeb版(9月26日付)によると、中国国営メディアは、習近平国家主席が27日、共産党指導部の会合を開き、「多国間の協力を推し進め、外資を引きつける力を強めていく」と述べた、と報じている。中国が2001年にWTOに加盟して以来、140余りの国と地域にとって主要な貿易パートナーとなり、世界の経済成長に貢献してきたとして成果を強調。日本などが参加するTPP=環太平洋パートナーシップ協定への加入に意欲を示した。

   国家主席から「外資のみなさんどうぞおいでください」と誘われ中国に入ると、その後は中国でスパイとして誰もが捕まる危険性がある。中国は2014年に反スパイ法を施行し、ことし7月の改正「反スパイ法」では、これまでの「国家の秘密や情報」に加えて「国家の安全と利益に関わる文書やデータ、資料や物品」を盗み取ったり提供したりする行為が取り締まりの対象になり、スパイ行為の定義が拡大された。2014年以降で、邦人17人が拘束され、うち9人が実刑判決を受けている。直近では、野村ホールディングスの香港法人幹部が、滞在していた中国本土からの出国を禁止されている(9月25日付・日経新聞Web版)。

   童話『注文の多い料理店』では、山猫のオーナーが、客に「どうか帽子と外套と靴をおとり下さい」と言い始め、最後に「どうかからだ中に、壺の中の塩をたくさんよくもみ込んでください」と客に注文し、客を料理するという、怖ろしい物語だ。まさに中国で起きている話ではないのか。

⇒29日(金)夜・金沢の天気  はれ

☆能登さいはての国際芸術祭を巡る~3 青と白のアート

☆能登さいはての国際芸術祭を巡る~3 青と白のアート

   国際芸術祭を案内してくれたボランティアガイドの語りで、印象に残る言葉があった。「震災に耐えた奇跡の作品があるんですよ」。ことし5月5日に能登半島の尖端を震源とするマグニチュード6.5の地震が発生し、珠洲市は震度6強の揺れに見舞われ、市内だけでも住宅被害が690棟余りに及んだ。その強烈な揺れにもビクともしなかった作品がある。

   金沢在住のアーティスト、山本基氏の作品『記憶への回廊』(2021年制作)=写真・上=だ。旧・保育所の施設を用いて、真っ青に塗装された壁、廊下、天井にドローイング(線画)が描かれ、活気と静謐(せいひつ)が交錯するような空間が演出されている。保育園らしさが残る奥の遊戯場には塩を素材にした立体アートが据えられている。天空への階段のようなイメージだ。途中で壊れたように見える部分は作者が意図的に初めから崩したもので、今回の地震によるものではない。

   作品には10㌧もの塩が使われている。山本基氏が「塩」にこだわる背景には、若くしてこの世を去った妻と妹との思い出を忘れないために長年「塩」を用いて、展示空間そのものを作品とするインスタレーションを制作しているのだという。「塩も、かつては私たちの命を支えてくれていたのかも知れない。そんな思いを抱くようになった頃から、塩には『生命の記憶』が内包されているのではないかと感じるようになりました」(サイト「山本 基 – Motoi Yamamoto -」より)。

   それしても、塩に水を吹きかけレンガのように固めて階段状に積み上げたものが、なぜ震度6強の揺れに耐えたのか。ぜひ、作者に尋ねてみたいものだ。

   青と白のインスタレーション(空間構成)をまったく別の会場でも鑑賞した。リアス式海岸の特徴的な、海に突き出た鰐崎(わんざき)海岸。ここに石彫作家、奥村浩之氏の作品『風と波』(2023年制作)がある=写真・中=。25㌧の石灰岩を加工した作品。よく見ると、造形部分と自然石の部分が混在している。最初は塩の塊(かたまり)かと勘違いしたほど白く、そして青空と紺碧の海に見事に映える。そして、夕日に染まればまったく別の作品に見えるかもしれない。

   作品の周囲を見渡すと「巨鯨魚介慰霊碑」がある=写真・下=。「鯨一頭捕れれば七浦潤し」とのことわざがあるように、浜に漂着したクジラは漁村に幸をもたらした。説明板には、明治から昭和にかけて、シロナガスクジラなどが岩場に漂着し、それに感謝する碑と記されている。海の生き物に感謝する能登の人たちの心根のやさしさだろうか。

   奥村浩之氏はこの慰霊碑を横目で見ながら作品を創作したことは想像に難くない。山本基氏の「青と白」の生命の記憶につながるストーリーではないかと連想した。

⇒28日(木)午前・金沢の天気   あめ時々くもり

★能登さいはての国際芸術祭を巡る~2 丘の上のアート

★能登さいはての国際芸術祭を巡る~2 丘の上のアート

   急な坂道を車で上り、丘の上に立つと眼下に日本海の絶景が広がる。芸術祭のために造られた「潮騒レストラン」に入る=写真・上=。水平線で区切られた空と海のコントラストを眺めながら、食事や喫茶ができる。地元の海で採れるアオサノリとサザエを具にしたパスタは海の香りを漂わせる。

   このレストランですごさを感じるのは一見して鉄骨を感じさせる構造だが、よく見るとすべて木製だ。公式ガイドブックによると、ヒノキの木を圧縮して強度を上げた木材を、鉄骨などで用いられる「トラス構造」で設計した、日本初の建造物となっている。日本海の強風に耐えるため本来は鉄骨構造が必要なのかもしれないが、それでは芸術祭にふさわしくない。そこで、鉄骨のような形状をした木製という稀にみる構造体になった。これもアートだ。

   海岸線に沿うように長さ40㍍、幅5㍍の細長いレストランを建築設計したのは建築家、坂茂(ばん・しげる)氏。被災地や紛争地で支援活動を続ける建築家としても知られる。ことし5月5日に震度6強に見舞われた珠洲市で、被災した人々に避難所用の「間仕切り」を公民館に設置した。現地で見学させてもらったが、ダンボール製の簡単な間仕切りだが、透けないカーテン布が張られ、プライバシーがしっかりと確保されていた。

   このレストランの横に旧・小学校の体育館を改修した「スズ・シアター・ミュージアム」=写真・下=がある。同市の文化の保存活用のため2021年に開業した民俗博物館。家庭で使用されてきた生活用具を集約し、展示・紹介するとともに、アーティストらによる物語が展開される体験型の施設だ。この地に根付く農林漁業の生業と生活文化、民具、民謡、祭囃子が映像や光、音とともに空間に響き渡る。

⇒26日(火)午後・金沢の天気   くもり時々あめ

☆能登さいはての国際芸術祭を巡る~1 シンボルアート

☆能登さいはての国際芸術祭を巡る~1 シンボルアート

   能登半島の尖端にある珠洲(すず)市で「奥能登国際芸術祭2023」(9月23日-11月12日)が始まった。2017年に初めて開かれた国際芸術祭は3年に一度のトリエンナーレで開催されている。2020年はコロナ禍で1年間延期となり、翌年に「奥能登国際芸術祭2020+」として開催。3回目のことしは5月5日にマグニチュード6.5、震度6強の地震に見舞われて開催が危ぶまれたものの、会期を当初より3週間遅らせて開催にこぎつけた。14の国・地域のアーティストたちによる61作品が市内各所で展示されている。

   きのう24日に日帰りで会場を何ヵ所か訪れた。奥能登国際芸術祭の公式ガイドブックの表紙=写真・上=を飾っているのが、ドイツ・ベルリン在住のアーティスト、塩田千春氏の作品『時を運ぶ船』。「奥能登国際芸術祭2017」に制作されたが、芸術祭と言えばこの作品を思い浮かべるほど、シンボルのような存在感のある作品だ。塩砂を運ぶ舟から噴き出すように赤いアクリルの毛糸が網状に張り巡らされた空間。赤い毛糸は毛細血管のようにも見え、まるで母体の子宮の中の胎盤のようでもある。

   以下、ボランティアガイドの説明。作者の名前は「塩田」。珠洲の海岸には伝統的な揚げ浜式塩田があり、自分のルーツにつながるとインスピレーションを感じて、塩田が広がるこの地で創作活動に入ったそうだ。『時を運ぶ船』という作品名は塩田氏が珠洲のこの地域に伝わる歴史秘話を聴いて名付けたのだという。戦時中、地元のある浜士(製塩者)が軍から塩づくりを命じられ、出征を免れた。戦争で多くの友が命を落とし、その浜士は「命ある限り塩田を守る」と決意する。戦後、珠洲では浜士はたった一人となったが伝統の製塩技法を守り抜き、その後の塩田復興に大きく貢献した。技と時を背負い生き抜いた浜士の人生ドラマに塩田氏の創作意欲が着火したのだという。それにしてもこの膨大な数のアクリルの毛糸には圧倒される。

   海岸沿いで目立つのは、鳥居をモチーフとしたファイグ・アフメッド氏(アゼルバイジャン)の作品『自身への扉』=写真・下=。ガイドブックによると、作品は日の出と日の入りの間に立ち、人生における2つの側面を表現しているのだという。光を反射するスパンコールの鳥居をくぐると風の音が聞こえ、そして波が打ち寄せる。まるで、人生の「門」をくぐるという儀式のようだ。見学した時間は夕方午後5時を回っていたので、人生の黄昏時の門をくぐったことになるのだろうか。

⇒25日(月)午前・金沢の天気   はれ時々くもり   

★「貯蓄から投資へ」 日本人のマインドはなびくか

★「貯蓄から投資へ」 日本人のマインドはなびくか

    「貯蓄から投資へ」。いよいよ岸田総理の本気度が試される。岸田総理は21日(日本時間22日)、訪問先のアメリカのニューヨークで、ニューヨーク連銀総裁が会長を務める「ニューヨーク経済クラブ」で金融関係者200人を前に英語で講演を行った。この中で、アメリカの資産運用会社の日本進出を促す考えを表明し、英語のみで行政対応が完結する「資産運用特区」の構想を打ち出した。また、海外投資家のニーズを制度改革に反映させるため、日米を基軸に「資産運用フォーラム」を立ち上げ、世界の投資家を日本に招聘する「ジャパン・ウイークス」を展開すると述べた(首相官邸公式サイト「ニューヨーク経済クラブ主催による岸田総理大臣講演」より、写真も)。

   来年1月からは少額投資非課税制度(NISA)を拡充・恒久化する「新NISA」がスタートするので、海外勢の参入との両輪で、国民の資産形成を後押しする狙いなのだろう。

   日銀調査統計局「家計の金融資産構成」(2023年8月25日付)によると、日本の家計の金融資産は2043兆円で、このうち現預金は54%を占め、株式等は11%、投資信託は4%だ。一方、アメリカの家計における金融資産では現預金は13%しかなく、株式は39%、投資信託は19%を占めている。岸田総理はことし6月の骨太方針で「資産運用立国」構想を打ち出し、アメリカ並みの投資に向けて大号令をかけている。

   ただ、これまで貯蓄を美徳としてきた日本人のマインドがそう簡単に投資へと変化するだろうか。さらに日経新聞Web版(5月2日付)によると、総務省の全国家計構造調査や家計調査をもとに、家計の預貯金について2021年時点での世帯主年齢別の保有額を推計すると、60歳以上で600兆円を上回り、預貯金全体に占める割合も64%に達している。高齢者は慎重で、運用よりも貯蓄商品に回すのではないだろうか。

   日本人には「赤信号 みんなで渡れば怖くない」という集団心理もある。はたして、「貯蓄から投資へ」と人々の心はなびくのか。

⇒23日(土)夜・金沢の天気   はれ

☆北陸新幹線の敦賀延伸 どうする「乗り換え」ストレス

☆北陸新幹線の敦賀延伸 どうする「乗り換え」ストレス

   時間をうまく短縮することを「タイパ」、タイム・パフォーマンスとよく言われる。移動手段での最高のタイパは新幹線だろう。北陸新幹線の金沢・敦賀間が来年3月16日に開業する。ところが、金沢に住む一人として、関西と中京が少々遠くなった気もする。それは「乗り換え」という煩わしさ、ストレスだ。

   北陸新幹線の金沢・敦賀間の開業によるJR西日本の運行計画概要(8月30日付ニュースリリース)=図=によると、金沢と大阪方面を結ぶ特急「サンダーバード」、そして、名古屋方面を結ぶ特急「しらさぎ」は敦賀止まりとなる。金沢から北陸新幹線に乗って大阪に行く際は敦賀でサンダーバードに乗り換え、名古屋に行く際も敦賀でしらさぎに乗り換えになる。時間は短縮されるだろうが、これまで直行だった列車が、乗り換えとなると不便さを感じるのではないだろうか。もちろん、当初から予定されていたことであり、いまさら言うのも適切ではないかもしれない。

   この乗り換えによって、戸惑っているのは関西や中京の客が多い北陸の温泉街ではないだろうか。「関西の奥座敷」とも呼ばれる加賀温泉郷(山中、山代、片山津)へはサンダーバードやしらさぎで関西や中京と直行列車で結ばれているが、来年からは乗り換えの手間が客に煩わしさを感じさせるのではないだろうか。(※イラストは、敦賀市役所公式サイト「新幹線敦賀駅前広場のイメージ図を作成しました!」より)

   懸念を深めているのは能登半島の代表的な温泉地である七尾市の和倉温泉かもしれない。現在、1日1往復だけだが、サンダーバードが大阪駅から乗り入れている。来年3月からは、関西の客は敦賀で新幹線「つるぎ」に、金沢で特急「能登かがり火」にと2度の乗り換えとなる。JRでは能登かがり火について、1往復増やして5往復で対応するとしているものの、2度乗り換えで客側に時間や不便さを感じさせるのではないだろうか。一方で、温泉への旅の感覚では乗り換えはそれほど苦にはならないかもしれない。

   この乗り換え問題にJRはどう対処するのか。地元メディアによると、金沢駅では新幹線ホームに向かって横に移動する必要があるが、敦賀駅では3階にある新幹線駅の真下、1階に在来線特急が到着する。上下の移動だけでホームを移動できるため、乗り換え時間は5分ほど。この仕組みの実現のため、敦賀駅舎は整備新幹線では最も高い37㍍となった(2023年3月16日付・北陸中日新聞)。まさに12階建てのビルに匹敵する。
 
   京都・大阪方面への北陸新幹線の延伸計画は、2046年度に新大阪開業が予定されている。それまで、敦賀乗り換えは、出張するサラリーマンにストレスを与え続けることになるに違いない。折に触れて、このテーマを検証してみたい。
 
⇒21日(木)夜・金沢の天気    くもり

★白い花のヒガンバナ 「彼岸の入り」あれこれ

★白い花のヒガンバナ 「彼岸の入り」あれこれ

   きょうは「彼岸の入り」。これまでよく、「暑さ寒さも彼岸まで」と季節の会話を交わすことはあったが、ことしは使えそうもない。きょう金沢の予想最高気温は30度、最低気温は25度と真夏日だ。あすも32度だ。

   きのう近くのお寺の境内を歩くとヒガンバナが咲いていた。ヒガンバナというと、赤い花というイメージがあるが、この寺のヒガンバナは白い花で知られる=写真=。40年ほど前に白い花が咲いていたのを檀家が株分けして数を増やしていったという伝えがある。そのせいか、花だけでなく境内も整備されて、ちょっとした「お寺の公園」というイメージだ。

   話は少し逸れる。近くに「野田山墓地」という山そのものが墓苑という広大な墓地がある。加賀藩の藩祖・前田利家の墓などあり、金沢で由緒ある墓地といえる。たまに通るだけなのだが、10年ほど前に比べて「無縁墓」が増えている。放置されて雑草が生い茂っている。一部は墓石が傾いて、倒壊しそうなものもある。

   この光景を見て、能登の「一村一墓」のことを思い出す。能登半島の尖端・珠洲市三崎町の大屋地区での伝え話だ。江戸時代に人口が急減した「天保の飢饉」。能登も例外ではなく、食い扶持(ぶち)を探して、若者が大量に離村し人口が著しく減少した。村のまとめ役が「この集落はもはやこれまで」と一村一墓、つまり集落の墓をすべて集め一つにした。そして、ムラの最後の一人が墓参りをすることで「村じまい」とした。しかし、集落は残った。江戸時代に造られた共同墓と共同納骨堂は今もあり、一村一墓は地域の絆(きずな)として今も続いている。現在の「共同墓」の先駆けだったかもしれない。

   以前、東京に住む友人から共同墓の権利を購入したとのメールをもらった。費用が安く、供養してもらえるようだ。ただ、遺骨は永久供養ではなく33回忌で、他の遺骨と一緒に合祀されるとのこと。「家族に迷惑がかからない分、すっきりしていい」と本人は納得していた。

   葬式や墓造りには当然ながら多額の費用がかかる。墓を造ると墓守りもしなければならない。死後になぜこれほど経費をかけるのか、むしろ残された家族のために使うべきだという発想が現役世代には広がっているのではないだろうか。
   彼岸の入りにあれこれ思ったことをしたためた。意図した文脈があるわけではない。

⇒20日(水)午前・金沢の天気   くもり時々あめ