☆能登半島地震 紛らわしい「携帯トイレ」って何だ
ライフラインは水道と電気が復旧すればなんとかなると思いがちだが、現実はそうではない。前回のブログで、被災地で水道が復旧したとしても厄介な問題が出ていて、それが下水管の破損と述べた。能登半島の尖端にある珠洲市では下水管の94%に被害が出ていて、市は「トイレに水を流さないでほしい」「仮設トイレを使って」と呼びかけている。
岸田総理はきょう1日、政府の能登半島地震の復旧・復興支援本部の会合で、上下水道を「住民生活に極めて重要」と強調し、復旧費用への財政支援を大幅に拡充する方針を示した。これと連動して、政府は被災地の復旧・復興に充てる
ため、予備費などから1167億円を追加すると閣議決定した(1日付・北國新聞夕刊)。上下水道問題、つまり水洗トイレ問題が大変なことになっている。
先日、珠洲市で被災して避難所にいる知人から、「珠洲に来るなら携帯トイレは必携」とのアドバイスをもらった。このとき初めて「携帯トイレ」という言葉を知った。日本人は水洗トイレが当たり前だと思っているが、冒頭で述べたように通水が可能になっても、下水管が機能不全ならば水洗トイレは使えない。
そこで、金沢市内で買い求めることにした。ドラッグストアで店員に「携帯トイレはありますか」と尋ねると、「それはホームセンターにありますよ」とのことだった。そこでホームセンターに行き、「携帯トイレはどのコーナーにありますか」と店員に尋ねると、「念のため、携帯トイレはポータブルトイレのことではないですよね」と問い返してきた。2つの違いがよく分からず、「どう違うんですか」とこちらが混乱した次第。そこで、能登半島地震の被災地に行く予定ですが、トイレの下水管に被害があって水を流せないなどと説明した。
すると店員は「それだったら、おそらくこれですね」と防災用品が並ぶコーナーに案内してくれた。そこにあったのは、「災害非常時・断水時の携帯トイレ」「袋と凝固シートが一体化 防臭・抗菌効果 ラクラク処理」と書かれた袋に入ったものだった。「便袋20枚」とある。説明書きには、洋式トイレ(便器)の便座を便袋で包むようにかぶせて用を足す=写真=。その後、便袋を便器から取り出して中の空気を抜いて口の部分を紐で結ぶ。袋の底には抗菌・消臭の凝固剤のシートが貼り付けてあり、においや尿だまりがしない、とのこと。便袋20枚で価格は2680円(税抜き)、1枚134円だ。
次に、ポータブルトイレのコーナーにも案内してもらった。プラスティック製の折りたたみ式の洋式トイレだった。コンパクトに収納ができ、防災備蓄としては必要不可欠とある。このポータブルトイレと便袋を自家用車に積んでいれば、いつでもどこでも用が足せる。珠洲の知人に電話で確認すると、「公衆トイレは普及していて、下水管が壊れていて水で便を流せないので、便袋だけでよい。携帯トイレは便袋のことだよ」との返事だった。
確かにそうだ。でもそれだったら、最初から「便袋」と言って説明してくれればよかったのにと思った次第。言葉の紛らわしさでもある。知人を責めるつもりは一切ない。
⇒1日(金)金沢の天気 くもり時々あめ
一方で、県内外の旅館やホテルで2次避難している被災者を対象にした意向調査(2月10-24日)で1838世帯(4234人)から回答があり、結果を県が公表した。それによると、自宅が損傷していて戻れないとの回答は1838世帯、67%に上った。このうち仮設住宅への入居を希望するは818世帯で、みなし仮設・公営住宅を求めたのは608世帯だった。仮設住宅とみなし仮設の双方を希望する世帯もあった。修繕すれば自宅に住むことが可能としたは610世帯。その一方で、回答者の半数にあたる955世帯が2次避難の継続を希望している。道路などのインフラ復旧や自宅修繕までに一定の時間を要することから、しばらく現状のままで居たいということなのだろうか。
で、9月中ごろなると、日本海に沈む夕陽が岩穴にすっぽりと収まる絶景が見られる。それが、今回の地震で岩の上部が崩れ、岩穴が消滅した。
り、48分には夕陽が窓岩から照らし出し、49分には窓岩に差し込んできた=写真・中=。学生や留学生たちが「ミラクル、ミラクル」「オーマイ・ガッド」「奇跡よ、奇跡の夕陽よ」と叫びながら窓岩の夕陽を撮影していたのを覚えている。
回の地震で姿を変えた。今後の地域観光のあり様も変わり果てるだろう。
元旦に能登半島で起きた震度7の地震の震源地は半島東側の尖端部とされている=図の✖印、1月1日付・NHK地震速報=。地名で言えば、海沿いの珠洲市大谷町から折戸町にかけての一帯になる。今月22日に現地を訪ねた。車で珠洲市役所から県道52号折戸飯田線を走り、折戸に向う。日中の気温は2度、山沿いの道路は一部凍結していた。途中、がけ崩れ地帯があった。山の巨大な岩石が道路近くまで落下している=写真・上=。車一台が通れる鉄板を並べた仮設道路が敷かれてあった。
能登半島の北側は海と山が接するリアス式海岸で、海沿いの国道249号や県道はがけ崩れで道路があちらこちらで寸断した状態が続いている。このため海辺の集落は孤立化した。そこで、県道52号のような内陸部の幹線道路を最優先で復旧させ、孤立化を解消させている。車一台が通れる鉄板は集落の人たちにとっては「命の道路」なのだ。
光明媚とされるのが木ノ浦海岸。海水の透明度が高く、魚の生育に適した岩場などで海の動植物の種類が豊富なことから、「国定公園特別地域」に指定されている。
階部分がつぶれ、厚さ約1㍍におよぶ茅葺の屋根が地面に覆いかぶさるように倒壊していた=写真=。
その取り組みとして、同市真浦(まうら)地区=写真=で限界集落を現代集落へと再生するプロジェクトへを立ち上げたと説明していた。水や電気や食を自給自足でつくる集落をつくり、自然のなかで楽しむ生活を「ビレッジDX」と位置付けていた。そのキーワードが「シコウ」だった。「思考」を凝らし、「試行」錯誤し、自らの手で「施工」もする、そして「至高」の現代集落を創るとのことだった。同地区の空き家を活用して手造りで改装し、風力発電や有機農業、そしてリモートワークを手掛ける、そんな生活を目指す、と。
生していて、きょう11日午前11時34分に震度3の揺れがあった。「千年に一度」「数千年に一度」と地震の専門家が称する今回の地震が数カ月や数年で収まるのかどうか。
そして提案として、輪島市の高校生たちは地震を体験しており、さらに地域の人たちから「聞き書き」することで、次世代にこの地震の記憶を伝えてはどうかと述べていた。
震災関連予算は「生活の再建」「生業の再建」「災害復旧」の3本柱となっている。生活の再建については、仮設住宅の整備やみなし仮設住宅の確保、物資の支給といった「災害救助法に基づく応急救助」に2492億円を充てる。住宅の損壊(全壊、半壊、部分損壊)が6万戸にも及ぶことから、応急仮設住宅を3月末までに4千戸着工する。全壊の世帯を対象に300万円、半壊の世帯に最大で100万円を支給することにし、31億円を計上している。(※震災で焦土と化した輪島市河井町の朝市通り=2月6日撮影)
は見附島を望む同市宝立町の市有地で、6棟で計90戸が建つ。小さな棒状の木材を差し込んでつなげる「DLT材」を使用する。DLT材を積み上げ、箱形のユニットを形成し、これを組み合わせて6、9、12坪の住戸をつくる。内装は加工せずに木のぬくもりを生かす。
ーテン布が張られているが、プライバシー確保のために透けない。中にあるベッドもダンボール。まさに環境と人権に配慮した間仕切りだった。(※写真・中は、坂茂建築設計公式サイト「令和6年能登半島地震 被災地支援プロジェクト」より)
るには水深2.5㍍から3㍍が必要とされ、今月16日から海底の土砂をさらう浚渫(しゅんせつ)作業が始まっている。当面の工期は3月28日までだが、さらに延長される見通しのようだ。
ンスを構築し、将来の世代のために半島の生物多様性を確保しようとしている)
の知恵と執念を感じる。千枚田は持続可能な水田開発の歴史的遺産、そしてレジリエンスのシンボルだ」と応えていた。