☆能登半島地震 風力発電止まる、再稼働めど立たず
日本海に突き出た能登半島では風が絶え間なく流れる。秋から冬にかけて強く冷たい季節風が続き、春から夏にかけては沖から生暖かい風が吹く。この生暖かい風のことを能登では「あいの風」や「あえの風」と言ったりする。車で走行していて、能登の絶え間ない風を意識するのは風力発電かもしれない。能登には長さ30㍍クラスのブレイド(羽根)の風力発電が73基もあり、見慣れた風景でもある。ところが、元旦の地震以降、風車がストップしている。(※写真・上は能登半島の尖端、珠洲市に立地する風力発電=同市提供)
地元メディア各社の報道によると、震度7の大きな揺れによって、回線が切れて電気が共有できなくなったほか、安全装置が作動して自動停止するなどして能登にある風力発電73基すべてが停止した。中には、ブイレイドそのものが折れるなど損傷したものが2基ある(今月10日付・北陸中日新聞)。
震災から70日余り経ち、運転再開できたのは志賀町にある日本海発電(本社・富山市)が所有する9基のみだ(同)。ではなぜ再稼働が進まないのだろうか。以下は憶測だ。メンテナンスを施して順次稼働させればよいのではと考えるが、風車は山地にあり、たどり着くま
での山の道路に亀裂ができたり、土砂崩れなどで寸断されているのだろう。風力発電が立地する場所は珠洲市が30基、輪島市が11基、志賀町が22基、七尾市が10基で、いずれも震度6弱以上の揺れがあった地域だ。(※写真・下は、半島中ほど志賀町にある日本海発電の風車。1月19日の撮影時では停止していたが、2月に再稼働した)
能登半島では今後さらに風力発電の増設が計画されていて、13事業・181基について環境アセスメントの手続きが進んでいる。風力発電は再生可能エネルギーのシンボルでもあり、珠洲市で現地見学をさせてもらったことがある。風速3㍍でブレイドが回りはじめ、風速13㍍/秒で最高出力1500KWが出る。半島の沿岸部、特に北側と西側は年間の平均風速が6㍍/秒を超え、一部には平均8㍍/秒の強風が吹く場所もあり、風力発電には最適の立地条件にある、と説明を受けた。
今回能登での風力発電の立地に地震というネックがあることが露呈した。果たしてこのまま181基の立地計画が進むのか注目したい。
⇒12日(火)夜・金沢の天気 くもり時々あめ
今回の地震では石川県全体で全半壊・一部損壊が7万9700棟にも及んでいる(3月8日現在・石川県危機管理監室まとめ)。このうち全半壊した家屋については所有者の申請に基づいて、自治体が費用を負担して解体ならびに撤去をする。いわゆる「公費解体」で、県では2万2000棟が対象になると推計している。これを来年の秋、2025年10月までに処理するとの流れだ。ただ、ことは予定通り運ぶだろうか。
規模の態勢で作業にあたることを目指しているという(3月1日付・日経新聞)。244万㌧の災害廃棄物は石川県で出るごみの7年分に相当するとされる。量的にそう簡単ではない。
あす「3・11」東日本大地震から13年となる。宮城県気仙沼市の被災地に足を運んだのは、2ヵ月後の5月11日だった。当時、街には海の饐(す)えたような匂いが立ち込めていた。岸壁付近では津波で陸に打ち上げられた大型巻き網漁船(330㌧)があり、津波のすさまじさを実感した=写真・上=。そして、2015年2月10日、再び気仙沼を訪れた。巻き網漁船はすでに解体されていたが、最初に見た街並みの記憶とそう違わなかった。4年経っても街ではガレキの処理が行われていて、復旧・復興はそう簡単なものではないことをこの時に初めて気づいた。
と焦土と化した光景が目に入って来た。店舗や住宅など200棟が焼けて、焦土と化していた。中心部の河井町の通りには輪島塗の製造販売会社の7階建てのビルが転倒し、横たわっていた=写真・下=。
白山市はいわゆる加賀であり、石川県民にとっては加賀の酒蔵が能登の酒蔵を応援して造った稀な酒だ。加賀の酒蔵は「車多酒造」、能登の酒蔵は珠洲市の「桜田酒造」と能登町の「数馬酒造」。3つの酒蔵の酒は金沢に住んでいてもなじみがあり、車多は『天狗舞』、桜田は『初桜』と『大慶』、数馬は『竹葉』のブランド酒で知られ、それぞれにファンが多い。個人的な趣向だが、冬の季節だと能登の酒はズワイガニのぴっちりと締まった身や味噌(内臓)にしっくりなじで実に相性がいい。
ります。ぜひ、初桜を応援してください。なお、このお酒は桜田氏が味わいの監修を行いました。能登に想いをはせお楽しみください」(一部略)と。同様に竹葉の添書もある。(写真・下は、酒蔵が倒壊した珠洲市の桜田酒造=「令和6年能登半島地震 酒蔵支援プロジェクト」公式サイトより)
今月4日に輪島市の千枚田の被災状況を見に行くため国道249号を車で走っていると、目的地の手前付近で巨大な白いキノコのようなものが見えてきた=写真・上=。周囲には人の気配はなかった。おそらく災害支援ボランティアの宿泊施設で、作業のため出払っているのかもしれない、と勝手に想像した。後でネットで調べると、仮設住宅だった。「インスタントハウス」との名称で、名古屋工業大学の教授が考案した製品。防炎シートを空気で膨らませ、1棟あたり2時間で完成するという。
ットを敷いて寝転がったりできるスペースになっている。中は断熱材が施してあり、寒さはしのげるようだ。住宅の中を見学できなかったが、それにしてもカタチが面白い。
そして、完成したらぜひ見てみたい仮設住宅がある。このブログ(2月18日付)で取り上げた、世界的な建築家で知られる坂茂(ばん・しげる)氏の設計した仮設住宅。珠洲市で着工している木造2階建てで、6棟で計90戸が建つ。小さな棒状の木材を差し込んでつなげる「DLT材」を使用する。DLT材を積み上げ、箱形のユニットを形成し、これを組み合わせて6、9、12坪の住戸をつくる。内装は加工せずに木のぬくもりを生かすという。その設計構造をこの目で見てみたい。(※写真・下は、坂茂建築設計公式サイト「令和6年能登半島地震 被災地支援プロジェクト」より)
自身が大学教員だったころ、何度か学生や留学生たちを連れて能登をスタディ・ツアーで訪れ、金蔵に立ち寄った。人気だったのが、昼食に地域の人たちが用意してくれた「ジビエカレー」だった。ジビエはイノシシ肉で、地域の実情について話していただいた世話役の人は「金蔵の人口が減るごとに反比例してイノシシが増えている」と苦笑いしていたのを覚えている。2014年のツアーのときに聞いた話では、人口は130人だった。2009年の「にほんの里100選」に選ばれたときは160人と聞いていた。
千枚田は正確に言えば1004枚の棚田が広がる。元日の地震で多くの住宅が損壊し、名所の曽々木海岸の窓岩は崩れ、平家ゆかりの時国家住宅などは損壊した。また、輪島の朝市通り周辺の200棟が全焼するなどした。千枚田は土砂崩れなどはなかった=写真・上=。ただ、よく見るとところどころに亀裂が見える。近づいてよく見ると、大きなもので、幅10数㌢、深さ50㌢ほどの地割れが数㍍続いている。
すので、人を動かすお金も必要です。これらの資金を調達するため、みなさまから支援を募り、修復費用等に充てさせていただきます」と。目標1000万円に対し、きょう5日現在で
のようだ。漁船が移動するには水深2.5㍍から3㍍が必要とされる。このため、同整備局が2月16日から浚渫作業を行っている。
輪島市門前町の鹿磯漁港でも海底が隆起して、漁船が干上がった海底に乗り上げたままになっていた=写真・中=。この周辺は4㍍近い隆起が発生した(国土地理院・2月20日公表)。鹿磯漁港は日本海のスルメイカ釣り漁業の拠点の一つとなっていて、5月1日の解禁とともに県内外の漁船でにぎわうが、その様子も様変わりすることになる。また、漁港近く
の海岸では海底が露出、魚介類や海藻などが乾燥して岩場が白く変色した異様な光景が広がっていた=写真・下=。
冬に荒れる能登の海も、3月に入ると徐々に穏やかになる。中旬になるとワカメ漁が始まる。新聞記者時代に輪島市から49㌔沖にある舳倉(へぐら)島=写真・上=でのワカメ漁を取材したことがある。漁師の夫婦が船で輪島漁港から舳倉島に来ていた。妻の海女が4、5㍍の海に潜る。岩礁に生えているワカメを鎌で刈り取る。潜って40、50秒すると刈ったワカメを肩で担いで浮上してくる。海面に顔を出して息を吐くとピュッーと磯笛(いそぶえ)が響く。そのワカメを船上の夫が取り上げると、海女は深呼吸してまた海に潜る。これを何度か繰り返す。舳倉島のワカメは1㍍から1.5㍍の長さのビッグサイズで、塩漬けワカメとして料理で重宝される。
島の岸に上がると夫婦はワカメを石ころが広がる斜面地に天日干しする。夫が船を操り、妻が潜る、こうした協業のことを「夫婦船(めおとぶね)」とこの土地では言うそうだ。先日、輪島漁港を訪れたとき、そんなことを思い出していた。同時に地震が起きた今年はワカメ漁が可能なのかと案じた。(※写真・下は、文化庁「国指定文化財等データベース」サイトより)
金沢大学が能登で人材育成事業を始めたのは、冒頭で述べたように、平成19年(2007)に学校教育法が改正され、大学にはそれまでの「教育」「研究」に加え、「社会貢献」という新たな使命が付加されたという背景がある。2007年当時は、過疎高齢化が進む能登で地域資源の里山や里海の活用を通じて、地域活性化を担う人材を育成するというコンセプトだった。現在まで241人のマイスター修了生を地域人材として輩出し、泉谷市長が祝辞で「能登の復興向けたチカラ」と述べたように、期待も大きい。(※写真は、能登里山マイスター養成プログラムの開講セレモニー=2007年10月6日)