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☆能登半島地震 金沢で輪島朝市、30店で「買うてくだ―」

☆能登半島地震 金沢で輪島朝市、30店で「買うてくだ―」

   オレンジ色のテントの中から「買うてくだー」と声掛けする輪島の朝市のおばさんたちはとても商売上手だ。6年前の2018年の旧盆で朝市を訪れた。1個700円のカラスミ(ボラの卵巣の塩漬け)を「2個ください」と言うと、おばあさんが「3個でおまけ」と差し出したので手に取ると、すかさず「100円おまけで2000円」と請求された。2個買ったので1個はおまけだと思い受け取ったのに、「100円まけるから3個買って」という意味だった。朝市という場を少々甘く勘違いしたのかもしれない。かなり高齢に見えたが、言葉の手練手管には舌を巻いて買ってしまった。

  海の幸と山の幸の物々交換がルーツとされ、千年の歴史を有する輪島朝市はことし元日の震災による火災で甚大を被害を受けた。朝市が並ぶ商店街通りを中心に240棟が消失した。このため、商いの場を失った朝市の再開は出来なくなっている。しかし、商魂はたくましい。朝市を金沢でと輪島市朝市組合の組合員による「出張朝市」がきょう金沢市金石1丁目にある金沢市漁協の荷さばき場で開かれた。震災から83日目の「初売り」でもある。現地に行ってみた。

  午前9時に到着。オレンジ色のテントが30ほど並ぶの出張朝市は土曜日ということもあり、家族連れなどでとても混雑していた。「刺し身 みそ漬け」「一夜干し」「干物」などの海産物のほか、輪島塗の碗やアクセサリー、能登の塩などを販売するテントが並んでいた。一夜干しなどは飲食スペースであぶって味わうことができる。

  テントをのぞくと、一夜干しをめぐって売り子の女性と男性の客が交渉をしていた。一夜干しセット6000円(送料込み)をめぐる駆け引きのようだった。客「さっき、あぶって食べた。ノドグロがうまかった。東京の知人に送りたい。ちょっとおまけして5000円にならないか」、売り子「輪島から出張して久しぶりに店を開きました。出張経費がかさんでますので、5800円で」、客「そうか、出張経費がかさんでいるんだね。では、ありがたく5800円で」。この客は2セット購入していた。

  一つ気になったことがある。30の店が並んではいたものの、冒頭で紹介した手練手管の朝市おばさんたちは見当たらなかった。次の世代の若い人たちが多いという印象だった。震災を機に朝市おばさんたちの世代交代が進んでいるのもしれない。ふとそんなことを考えた。

⇒23日(土)夜・金沢の天気   くもり 

★能登半島地震 「寄り添いの美学」 両陛下が被災地を訪問

★能登半島地震 「寄り添いの美学」 両陛下が被災地を訪問

  宮内庁は2月9日に、天皇陛下の誕生日(2月23日)に先立って、お住まいの御所で撮影した両陛下の映像を公開した=写真・上、宮内庁公式サイト=。前の机の上にことしの歌会始で使われた輪島塗の御懐紙箱が置かれ、後方左には輪島塗の飾盆、そして右に珠洲焼の壺が飾られている。両陛下が能登半島地震による輪島や珠洲などの被災地を案じておられるとのお気持ちを察する写真でもある。

  天皇陛下が奥能登を訪れるのは2018年8月以来ではないだろうか。皇太子だった当時、珠洲市で開催されたボーイスカウト日本連盟主催の国際キャンプ大会「日本スカウトジャンボリー」に出席された。その時のあいさつのお言葉で、「能登の地は、長い時間を掛けて自然と調和した人の営みが造り上げた里山里海を有しています」と述べられた。その能登の里山里海が元日の震災に見舞われた。

  メディア各社の報道によると、両陛下はきょう午前10時前に全日空の特別機で羽田空港を出発。午前10時50分に能登空港に到着し、馳石川県知事らの出迎えを受けた。両陛下は黒のタートルネック姿で、午前中は馳知事から被災状況について説明を受けた。現地に負担をかけないようにと、昼食は東京から持参された。

  午後に能登空港からヘリコプターで航空自衛隊の輪島分屯基地へ移動し、輪島市内の被災状況について坂口市長から説明を受けた。午後1時半すぎ、両陛下はマイクロバスで「輪島の朝市」に到着。4万9千平方㍍が焼失し、多くの犠牲者が出た焼け跡に向かって黙礼をされた。天皇陛下にとって朝市は、学習院高等科1年生の頃に訪問されたことのある思い出の場所でもあり、現地でどのようなお気持ちだったのか。このあと、坂口市長の案内で避難所に移動された両陛下は被災者の人たちを見舞われた。

  その後、ヘリで珠洲市に移り、午後4時すぎに野々江総合公園に到着。泉谷市長の案内で避難所で生活をする人たちを見舞われた=写真・下、NHKニュース=。午後5時30分、高さ4.3㍍の津波が押し寄せた飯田港を訪れ、泉谷市長から津波や地震の影響で漁船が転覆するなどし、緊急物資などを積んだ船も迎えることができない状況だったことなど、説明を聴かれた。

  以下、テレビのニュースを視聴した印象だ。両陛下は被災地の2人の市長の説明に熱心に耳を傾けておられる様子だった。避難所を訪れ、膝をついて被災者と対話する丁寧な所作に、被災者に寄り添う気持ちが伝わってくる。そして、被災者ひとり一人に「お体を大切に」とお声をかけられるなど、「寄り添いの美学」のようなものをお二人から感じた。

⇒22日(金)夜・金沢の天気   くもり時々はれ

☆能登半島地震 どうする所有者不明「空き家」の公費解体

☆能登半島地震 どうする所有者不明「空き家」の公費解体

  能登半島の尖端、珠洲市の大谷町地区は震源に近い場所だ。リアス式海岸が続き、くねくねと曲がりながら国道249号を車で進む。途中、がけ崩れで落下した岩石が路上に転がっている。かろうじて避けて通り越すと、今度は倒壊した民家が国道に倒れ込んでいた=写真・上、珠洲市大谷町地内の国道249号で、3月16日撮影=。震災から80日経ってはいるものの、住宅が倒れたままとなっているのはここだけの光景ではない。被害が大きかった輪島市、珠洲市、志賀町、穴水町、能登町の各地で目にする。この光景を見るたびに復旧・復興の道のりは遠いと感じる。  

  では、なぜ倒壊した民家などが手つかずの状態になっているのか。考えうるのは、能登には空き家が多くあることだ。今回の地震では石川県全体で全半壊・一部損壊が7万3500棟に及んでいて(3月15日現在)、このうち全半壊の2万3700棟については自治体が費用を負担して解体ならびに撤去する。政府が能登半島地震を特定非常災害に指定したことから、いわゆる「公費解体」が可能となった。県ではこの作業を来年秋の2025年10月までに終える計画だ。ただ、問題がある。公費解体は所有者の申請、あるいは同意に基づいて行われるが、空き家の場合は所有者と連絡がつかない、あるいは所有者が誰なのか不明というケースが多いのだ。

  「能登の過疎化は空き家問題」とも言われている。総務省が5年に1度実施している「住宅・土地統計調査」(2018年版)によると、金沢市などを含めた石川県全体の空き家率は14.5%ではあるものの、能登は空き家率が高く、輪島市は23.5%、珠洲市は20.6%、能登町は24.3%となっている。ちなみに県内で空き家率がもっとも高いのは、原発が立地する志賀町の28.1%だ。

  倒壊した空き家とは言え、私有財産ではある。それを易々と公費解体できるのか。この問題をクリアする手立てを環境省が『公費解体・撤去マニュアル』=写真・下=として1月にまとめ、全国の都道府県などに配布している。概要は、2023年4月施行の改正民法にのっとり定められた新制度「所有者不明建物管理制度」を活用し、裁判所が選任した管理人(司法書士ほか)に所有者不明の建物の処分を任せるノウハウを説明している。

  ただ、自治体と管理人は財産管理に関する協定を結ぶなど、相当に手間がかかることになりそうだ。制度はあれど、所有者が見つからない空き家は後回し、それが自治体の本音かも知れない。

⇒21日(木)夕・金沢の天気   くもり時々ゆき

★能登半島地震 両陛下が避難所を訪れ被災者見舞いへ

★能登半島地震 両陛下が避難所を訪れ被災者見舞いへ

  きょうの朝刊各紙は「両陛下 22日に奥能登へ」の見出しで天皇・皇后両陛下が能登半島地震の被災者を見舞うため、あさって22日に輪島市と珠洲市を日帰りで訪問される、と報じている=写真=。両陛下は去年10月15日に国民文化祭(いしかわ百万石文化祭2023)の開会式で金沢市などを訪れている。能登入りは即位後初めて。

  報道によると、両陛下は22日午前、羽田発の特別機で能登空港に到着する。輪島市で被害の大きかった地区を見て回り、避難所に足を運んで人々を見舞う。その後、珠洲市に移って津波被害の状況を視察し、被災者とも懇談する。輪島市と珠洲市の間の移動は、自衛隊のヘリコプターを使う。夜に帰京する。天候などによっては訪問が延期となる可能性がある。

  具体的な被災地訪問のルートは述べられてはいないが、上記の記事から察するに、輪島市では240棟が焼損し、焼失面積が4万9000平方㍍に広がった朝市通りや、震度6強の揺れで倒壊した塗師屋(ぬしや、漆器製造販売)の大手「五島屋」の7階建てビルの現場などを視察されるのではないだろうか。それに関連して、両陛下からは国の重要無形文化財に指定されている輪島塗の現状と再興についてお尋ねもあるだろう。珠洲市では揺れと津波に見舞われた宝立町の地域や見附島などを視察されるのではないだろうか。

  両陛下が被災地を訪問されるのは、2019年12月に台風19号などで被害が出た宮城県、福島県を訪れて以来で2回目となる。両陛下の被災地訪問で印象に残るのは、いまの上皇ご夫妻が平成の時代に全国の被災地を訪れ、丁寧に被災者を見舞われた姿を思い出す。避難所を訪れ、膝をついて対話する様子は被災者に寄り添うお気持ちが伝わり、国民の共感を呼んだ。テレビメディアを通じて、国民にはこの姿が天皇皇后の被災地訪問のイメージとして定着している。今回の訪問については、両陛下が発生直後から被災者を案じ、現地を見舞いに訪れたいとの考えを示しておられたようだ。

⇒20日(水)夜・金沢の天気   くもり時々あめ

☆能登半島地震 マイナス金利解除、そして過疎化に拍車

☆能登半島地震 マイナス金利解除、そして過疎化に拍車

  日銀がマイナス金利の解除を決めた。これが被災地にどのような影響を及ぼすのか。地震の激しい揺れや土砂災害、液状化、火災、津波などで住宅に大きな被害が出ている。石川県のまとめ(3月15日現在)で、全壊が8500棟、半壊が1万5200棟、一部破損が4万9700棟あまりとなる。全半壊の解体・撤去は自治体が公費で行うが、新築して再建する際に住宅ローンはどうなるのか。

      武見厚労大臣は2月27日の記者会見で、能登半島地震で被災した世帯が住宅ローンを組んで自宅を再建する場合、石川県事業として最大300万円の金利助成を実施すると発表した。また、北國銀行(金沢市)はきょう19日付のニュースリリースで、「住宅ローンを今月22日以降に新規でお借入される際に、特約固定2年、3年を選択されるお客さまのお借入時および初回金利更新時の割引幅を拡大します」と発表している。さらに、能登半島地震の住宅再建のため、一部の優遇金利をさらに引き下げる考えも示している。確かに、金融機関にとっては、復旧・復興にこれから着手する地域での貸出金利の引き上げはそう簡単な話ではないだろう。

  元旦ということもあって自宅でくつろいでいるときの地震だった。被災地をめぐると、住宅だけでなくガレージも車ごと押しつぶされたような状態になっているケースが目につく。住宅再建のほかに車も新規に購入するなど、対応に迫られるだろう。そして、被災した中小企業や個人事業主にとっては住宅のほかに店舗や工場の再建もあり、負担はさらに重くなることは想像に難くない。(※写真は、七尾市の老舗商店街「一本杉通り」で倒壊した和ろうそくの店舗=2月3日撮影)

  被災地のさらなる難題は過疎化の進行かも知れない。もともと能登は人口減少が急ピッチで進んでいた。65歳以上の高齢化率が50%以上の自治体もある。震災を機に、金沢など都市で暮らす息子や娘たちとの同居、あるいはアパートやマンション住まいが加速するだろう。共同通信Web版(3月3日付)によると、今回の地震で甚大な被害を受けた輪島市や珠洲市など奥能登2市2町の今年1月の転出者数が計397人となり、前年1月の93人の4.27倍に上ることが、石川県がまとめた2月1日時点の人口推計で判明した。4市町の1月の転出者数は被害が大きかった輪島市が180人で、前年1月の29人の6.2倍、そして珠洲市は112人で同20人の5.6倍に上っている。

  これは一時的な現象ではない。2007年3月25日の能登半島地震(震度6強)で家屋被害が大きかった輪島市と穴水町では、10年間で人口減少が輪島市で17%、穴水町で19%も進んだ(2017年・石川県の人口統計)。今回の地震は2007年に比べて広範囲で桁違いに被害が大きい。今後、強烈に過疎化が進むのではないか。

⇒19日(火)夜・金沢の天気   あめ

★能登半島地震 メディアが伝える北陸新幹線と被災報道

★能登半島地震 メディアが伝える北陸新幹線と被災報道

  北陸新幹線が金沢駅から福井県の敦賀駅まで延伸した。地元新聞各紙(17日付)は「新北陸 発進」「春を運ぶ沿線へ復興へ」と一面のフル見出しで取り上げている=写真・上=。地元メディアとすれば北陸新幹線の敦賀開業は久々の明るい話題として大きく伝えたかったのかもしれない。なにしろ元旦からこれまで能登半島地震で災害報道が圧倒的だった。暗いニュースが多い中で明るい話題を。これは読者や視聴者の心理を考えれば自然なことかもしれない。

  きのうの夕方、所用でJR金沢駅に行って来た。日曜日ということもあり。新幹線乗り場などはかなり混雑していた=写真・中=。「これは敦賀延伸の効果かもしれない」と人々の流れを思うと同時に、「能登半島地震は徐々に記憶の片隅に追いやられるかもしない」とも考えた。まったく根拠のない発想なのだが、不安を感じた。

  まもなく17年になる。2007年3月25日、能登半島で震度6強の地震が起きた。時間は午前9時40分過ぎだった。「能登沖を震源するする地震」とNHKニュースは伝え、崩れ落ちた家屋の映像を流していた。輪島市と穴水町を中心に住宅2千4百棟が全半壊した=写真・下=。いま、この2007年の地震のことを思い起こす人は少ないのではないだろうか。

  260年余り前、経済学者アダム・スミスは『道徳感情論』の講義で災害に対する人々の思いは一時的な道徳的感情であり、心の風化は確実にやってくると述べた。そう考えれば、心の風化や記憶の風化は人々の自然な心の営みなのかもしれない。ただ、変らないのは被災地の人々の心情だ。「忘れてほしくない」という言葉に尽きる。被災地の復興は一般に思われているほどには簡単に進まない。この被災地の人々と読者・視聴者の意識のギャップを埋めるために、新聞・テレビメディアには災害発生から定期的に被災地の現状と問題点、そして人々の心情を伝えてほしいと願う。

  「災害は忘れたころにやってくる」(寺田寅彦)の教訓もある。メディアの定期的な災害報道でこの教訓も生かされる。

⇒18日(月)夜・金沢の天気    くもり時々あめ

☆能登半島地震 地震と津波をセットで考える心構え

☆能登半島地震 地震と津波をセットで考える心構え

  能登半島地震は地震、火災、そして津波の複合災害の現場でもある。珠洲市の海岸沿いには津波が押し寄せた。メディア各社の報道は、マグニチュード7.6の地震発生後まもなくして3㍍ほどの高さの波が来たと住民の話を伝えている。きのう(16日)津波に見舞われた被災地をめぐった。

  海岸沿いにある珠洲市飯田町のショッピングセンター「シーサイド」=写真・上=。店舗は閉じられたままだった。食品スーパーや書店など10店舗が入る2階建てのショッピングセンターで、元旦は福袋を買い求める客などが訪れていた。強烈な揺れがあり、従業員たちが「津波が来ます」と叫び、客を誘導して高台にある小学校に避難した。揺れから10分ほどして、70㌢ほどの津波が1階の店舗に流れ込んできた。従業員がいち早く自発的に動いたことから人的被害は出なかった。シーサイドでは年2回、避難訓練を実施していた。

  観光名所である見附島を一望する同市宝立町も津波の被害が大きかった。ホテル「珠洲温泉のとじ荘」は建物の被害のほか、水道などのライフラインが復旧しておらず休業が続いている。ホテル近くの海岸には津波で漁船が陸に打ち上げられていた。そして、見附島も変わり果てた。その勇壮なカタチから通称「軍艦島」と呼ばれていたが、2023年5月5日の震度6強、そして今回と度重なる揺れで「難破船」のような朽ちた姿になった。

  ホテル近くの住宅地では波をかぶり倒壊した2階建ての家屋があった。そして、道路では突き上げているマンホールがいくつもあり、中には1㍍余りの高さのものもあった=写真・中=。アスファルトの道路だが、砂が覆っていた。おそらく津波で運ばれてきた砂、そして液状化現象で地下から噴き出した砂が混在しているようにも思えた。マンホールは道路下の下水管とつながっている。液状化で水分を多く含んだ地盤が激しい揺れで流動化したことでマンホールが突き上がったのかもしれない。下水管の損傷も相当なものだろうと憶測した。

  珠洲市の海岸沿いの道路を車で走ると、「想定津波高」という電柱看板が目に付く。中には「想定津波高 20.0m以上」もある=写真・下=。同市では2018年1月に「津波ハザードマップ」を改訂した際にリスクがある地域への周知の意味を込めて電柱看板で表記した。石川県庁がまとめた『石川県災異誌』(1993年版)によると、1833年12月7日に新潟沖を震源とする大きな津波があり、珠洲などで流出家屋が345戸あり、死者は約100人に上ったとされる。1964年の新潟地震や1983年の日本海中部地震、1993年の北海道南西沖地震などでも珠洲などに津波が押し寄せている。

  半島の尖端という立地では地震と津波をセットで考える日ごろの心構えが必要なのだろう。シーサイド従業員の率先した避難誘導や「想定津波高」の電柱看板からそんなことを学んだ。

⇒17日(日)夜・金沢の天気     くもり

★能登半島地震 「震災復興モデル」熊本からのメッセージ

★能登半島地震 「震災復興モデル」熊本からのメッセージ

        2016年4月14日と16日に震度7の揺れに2度見舞われた熊本地震。災害関連死を含む270人余りが死亡し、19万棟以上の建物が全半壊するなどの被害が出た。震災から半年後の10月8日に熊本市など被災地を訪ねた。かろうじて「一本足の石垣」で支えられた熊本城の「飯田丸五階櫓(やぐら)」を見に行った。ところが、石垣が崩れるなどの恐れから城の大部分は立ち入り禁止区域になっていて、見学することはできなかった。櫓の重さは35㌧で、震災後しばらくはその半分の重量を一本足の石垣が支えていた=写真・上、熊本市役所公式サイトより=。飯田丸五階櫓は石垣部分の積み直しが終わったものの、熊本城の復旧工事は2037年度まで続く。

  この熊本地震に当時から対応した熊本市の大西一史市長がその教訓を伝えようときのう(14日)珠洲市の泉谷満寿裕市長を表敬訪問した(14日付・NHKニュース)。大西市長は「熊本地震から8年となり復興は進んでいる。状況は全く同じではないが、必ず復興はできる」と激励した。また、「子どもたちの生活が戻ると、大人の生活も戻りやすくなり復興が進んでいく。断水が夏場まで続くと衛生環境も悪化すると思うので、それまでに子どもたちの生活を取り戻すことが重要だ」などとアドバイスした。訪問のあと、大西市長は「珠洲市は相当苦しい状況だと感じる。今後も中長期的な支援が必要になってくるので、全国市長会に協力を呼びかけながら支援を続けたい」と述べた(同)。 

  大西市長が「必ず復興はできる」と励ましたように、熊本は復興に向けて突進した。被災地ではいち早く復興計画案を打ち出し、例えば益城町では市街地の北側に新たに「住宅エリア」を、熊本空港南側には新たな「産業集積拠点」などを設けるとビジョンを提示した。そして、同じ被災地の菊陽町は、世界の最先端半導体生産の圧倒的シェアを占める台湾積体電路製造(TSMC)の熊本工場を誘致に成功し、先月24日に稼働が始まった。(※写真・下は、左から泉谷珠洲市長を激励に訪れた大西熊本市長=14日付・NHKニュース)

  言葉で「復興」「復旧」「再生」は簡単だが、それを実施する行政的な手続き、復興政策の策定には時間がかかる。時間と戦いながら丁寧な行政手続きを進め、復興ビジョンを着実に実現化していく。「一本足の石垣」のギリギリから生き残りをかけ、TSMC工場の誘致へと展開する被災地・熊本は「震災復興のモデル」ではないだろうか。

⇒15日(金)夜・金沢の天気    はれ

☆能登半島地震 自民裏金を被災地に寄付するのか

☆能登半島地震 自民裏金を被災地に寄付するのか

  寄付は善意で賄われるものだが、政治の駆け引きに使うなと言いたくなるニュースだ。共同通信Web版(13日付)によると、自民党は派閥の政治資金パーティー裏金事件をめぐり、議員ら85人が受け取った還流資金の相当額を寄付する方向で検討に入った。能登半島地震の被災地支援に充てる案が浮上している。政治資金収支報告書に記載せず裏金化したのは2018年からの5年間で総額約5億7949万円に上る。

  いわゆるキックバック(還流資金)は税務上は「雑所得」であって、個人所得として納税しないのはまさに脱税行為だろう。税金の使い道を決める国会議員が税逃れをしてきたことにこの裏金事件の根深さがある。

  きょう午前10時からの参院政治倫理審査会がNHKで生中継されていた。政治資金収支報告書への不記載が1542万円とされる世耕前参院幹事長が弁明に立ち述べていた。「問題となっている還付金は、事務所に現金で渡され、現金のまま管理・運用され、収支報告書の簿外での管理であったため、私自身のチェックに引っ掛かることがなかった。還付金を受け取っていたことを、長らく把握できなかったことは管理・監督が不十分であったとのそしりは免れない」

  こうした自覚があるのなら、自民党として裏金事件にしっかりけじめをつけるべきではないか。まず、関係した議員に脱税した分を納税させ、その議員に対して処分を下す。それを行ってからの寄付ならばそれほど問題視はされないかもしれない。それをせずに、政治の駆け引きのように被災地支援という名目での寄付をすることで済まそうとすれば、問題の本質を「善意」で覆い隠す、まさに「偽善」のそしりは免れないだろう。

  そして、能登の人たちはどう感じるだろうか。「自民党の裏金で行われた震災復興」というイメージがつくことを嫌がるのではないか。能登の放言で「だらくさい」がある。割に合わない、理不尽な、という意味で使う。「だらくさい金もらってどうする」と能登の人たちは戸惑うに違いない。(※写真・上は国会議事堂、写真・下は自民党の政治資金パーティー裏金事件を伝える14日付の紙面)

⇒14日(木)夜・金沢の天気    はれ時々くもり

★能登半島地震 危機に瀕する観光、一次産業、伝統工芸

★能登半島地震 危機に瀕する観光、一次産業、伝統工芸

  元旦の地震が能登の経済に与える影響は計り知れない。その大きな一つは観光産業だろう。七尾市の和倉温泉は年間宿泊客数が90 万人とされるが、震災で22の旅館(収容人数6600人)すべてが休業に追い込まれている。元湯は復活したものの、断水が続いていて旅館営業の再開には困難な状況が続いている。

  和倉温泉観光協会の推計によると、1月と2月で7万7000人の予約が入っていたが、震災ですべてキャンセルとなり、これだけで20億円の売上損失となった。さらに、旅館や温泉施設などの建物・施設損害などで1000億円以上の被害が出ている。(※写真・上は、液状化現象で盛り上がった和倉温泉街の歩道)

  農林漁業などの第一次産業にも影響が大きい。農水省によると、石川県内の69漁港のうち60港が損壊や地盤隆起の被害を受けた。転覆や沈没、座礁などの被害を受けた漁船は230隻以上。荷さばきなどを行う水産業共同利用施設や漁業用施設は50カ所以上で損壊が確認された。ことしの冬はブリが豊漁で、地震後の1月10日に七尾市で、11日には能登町でブリの定置網漁が再開された。しかし、地震で製氷機が破損し、競り場も壊れ、水道などのインフラ整備が追い付かず、流通が一部滞った。

  200隻の漁船が湾内の海底の隆起で船が出せない状態だった輪島漁港では湾内の底ざらえをする浚渫(しゅんせつ)作業が行われているが、まだ漁の再開のめどはたっていない。本来なら、ノドグロやアマダイ、メバルのシーズンだ。同じ輪島市門前町の鹿磯漁港では海底が最大4㍍隆起して港そのものが使えなくなっている=写真・中=。このほか隆起があった3市町(輪島市、珠洲市、志賀町)の22漁港の漁協組合員は2640人、年間漁獲高は69億円(2022年実績)になる。そして、農業も水田の耕作時期を迎えるが、ひび割れが入った田んぼが目に付く。

  伝統産業の輪島塗も苦境に陥っている。輪島市は大規模な火災に見舞われ、国土交通省の発表(1月15日付)によると、焼失面積約5万800平方㍍、焼失家屋約300棟におよぶ。輪島塗は漆器の代名詞にもなっている。職人技によってその作業工程が積み上げられていく。木地、下地、研ぎ、上塗り、蒔絵といった分業体制で一つの漆器がつくられる。ただ、同じテーブルで作業をするわけではなく、それそれが工房を持っている場合が多い。火災と震災でそのかなりの工房が被災した。さらに、1000人ともいわれる職人の多くが避難所などに身を寄せている。(※写真・下は、輪島朝市通りに軒を並べていた漆器販売店など商店が火災で焼失した)

  輪島塗の作製は再開できるのだろうか。作業をする場と職人技に欠かせない道具(蒔絵の筆など)の確保が難しい。バルブ経済絶頂のころは年間生産額180億円(1991年)もあったが、このところ28億円に落ち込んでいる(令和3年版輪島市統計書)。かつて、「ジャパン(japan)は漆器、チャイナ(china)は陶磁器」と習った。日本を代表する伝統工芸、その輪島塗がいま危機に瀕している。

⇒13日(水)夜・金沢の天気   くもり時々あめ