☆「石垣の博物館」金沢城跡 サスティナブルな石垣修復
元日の能登半島地震の震源地・珠洲市と金沢市は直線距離にして120㌔ほど。揺れは能登で最大震度7、金沢は同5強だった。金沢での被災で目立つのは、石垣が崩落するなどした金沢城跡だろう。市街地の中心部に位置するので、なおさら目立つ。その金沢城跡の石垣の復旧作業が始まっている。
兼六園の向かいにある国史跡の金沢城跡。県の調査では、地震で石垣の被害は28ヵ所に上り、うち江戸から昭和期にかけて造成された5ヵ所で崩落が起き、23ヵ所で壁面が膨らむなど変形した。崩れが起きた一つが、兼六園とつながる石川門の前の土橋石垣。高さ3㍍、長さ6㍍に渡って石垣が崩れた。損傷した箇所には足場などが組まれ、復旧作業の準備が進んでいた=写真・上、8月21日撮影=。
落石した195個のうち、すでに165個を回収し、300㍍ほど離れた「いもり堀」園地に運ばれていた。地元メディアの報道によると、形状などから165個のうち、158個は元の配置場所を特定できたという。その場所を示す数字なのだろうか、回収した石にはナンバーが記されていた=写真・中、同=。
別の所では、興味深い作業が行われていた。石川門とちょうど真反対にあたる、「数寄屋屋敷西堀縁」という場所。ここの石垣でははしごに上って5人の作業員が石と石の間に生えている草やツルなど抜いていた=写真・下、同=。看板には「石垣測量中」とある。読むと、「石垣復旧調査の測量をしています。3D計測及び写真撮影を行うため、石垣の掃除をしております。御協力をお願い致
します。」とある。期間は「令和6年6月28日から令和7年3月7日まで」、発注者は「石川県金沢城調査研究所」となっている。
以下は憶測だが、レーザーなどを使った精密な3D画像を撮影することで、今後石垣が崩落した場合でも石がどの配置場所にあったものなのかを特定するための作業なのだろう。期間が来年3月となっているので、金沢城跡の石垣をすべて3D計測するようだ。城郭は石の素材やカタチや大きさ、積み方、そして年代など実に多様性に富んでいて、「石垣の博物館」とも称される。文化財の保全、それは復旧を持続可能なカタチで行うことなのだろう。
事業主体の石川県では、崩れた石垣の復旧に3年から5年、石垣のはらみなどの修正に少なくとも15年程度かかるとしている。
⇒21日(水)夜・金沢の天気 はれ
昭和20年代生まれのシニア世代にとって、コメは生産過剰というイメージがある。パンや麺など食文化の多様化などから、毎年10万㌧のペースでコメの消費が減っていると言われてきた。このため、農水省はコメの生産農家に補助金をつけて転作を促すなどしてきたはずだ。それなのになぜ、いまごろ「コメが品切れなのか」と納得いかなかった。
開設されたのは七尾市中心部にある「一本杉通り」。老舗の和ろうそくの店や和菓子の店など寄棟造りの町家が軒を並べていたが、いくつかの店舗が全半壊するなど被害が出ている。その一角にある駐車場の空き地に、七尾市役所が国の助成制度を活用してプレハブの仮設店舗を設けた。入居したのは、喫茶店、飲食店、結納品や文具を販売する店、美容室の4つの事業者。市の広報によると、入居は2026年8月まで2年間で、家賃は無償だが、光熱費などは自費負担。2年間に店舗を再建することが条件となっている。
なかなか個性的な店がある。喫茶店「中央茶廊」に入った。店には、奇跡的に被害を免れたという焙煎機があった。店のママさんは「おかげさまで、これまでとは変わらないコーヒーの味を楽しんでいただけます」と話していた。この店は、2023年春にアニメが始まり、夏に映画が公開された漫画『君は放課後インソムニア』の「聖地」の一つとして知られる。店の再開を知った常連客が次々と訪れていた。店で売られていたコーヒーを購入すると袋の中に「被災地応援イベントレポート」が入っていた。アニメの作家と協働でいろいろとイベントを仕掛けているようだ。(※写真・上は七尾市一本杉通りに開設された仮設商店街。写真・下はこだわりの喫茶店「中央茶廊」の店舗)
「能登復興祈願キリコ大祭」と銘打った今回のイベントは能登と金沢の神社が中心となって企画した。地元メディア各社の報道によると、毎年8月下旬に夏季大祭を開催する輪島市の重蔵(じゅうぞう)神社は元日の能登半島地震で社務所が全壊、拝殿の一部が損傷した。このため、同神社では大祭の自粛を検討していたところ、ご神体を一時避難で預かってもらっていた金沢市の石浦神社から提案があった。金沢で2次避難している輪島市民を励まし、能登復興の機運を盛り上げるためにも、金沢でキリコ祭りを出張開催してはどうかとの提案だった。
るが、「9月20日」と「同27日」の案が浮上しているという。気になるのはその後の流れだ。
冒頭で述べたように、回転ドアのように内閣がころころと変わる政治状況がときにある。小泉内閣以降の2005年から短命政権が続き「7年間で7人の首相が誕生する」状況だった。総理の名前を覚える間もないほど交代劇が続き、日本のガバナンスや国際評価の足を政治が引っ張っていた。その政治状況に終止符を打ったが安倍内閣で、7年8ヵ月続いた。その後の菅内閣は1年余りだった。岸田内閣は3年足らずだが、政権運営という意味では「そこそこ頑張った内閣」ではないだろうか。問題は、岸田総理の後継者に本命がいないことだ。また短命政権の政治が到来するのか。
かけは午後5時に終わった。そして、能登半島地震の被災状況も徐々にではあるが、変化している。
漢字名は「高砂百合」。名前の通り、日本による台湾の統治時代の1924年ごろに園芸用として待ち込まれたようだ(Wikipedia「タカサゴユリ」)。いまだったら、「外来種」として持ち込みに批判が出たかもしれない。国立研究開発法人「国立環境研究所」の公式サイトには、「侵入生物データベース」にリストアップされている。「日当たりの良い法面や道路わき、空き地などに侵入する」と。持ち込まれた当時は外来種という概念もなく、花の少ない季節に咲くユリの花ということで日本で受け入れられたのだろう。
し、大会2連覇を逃した阿部詩選手のあの号泣する姿だ。試合会場に響き渡るようなあの泣き声は耳に残る。
造られた共同墓は今もあり、共同納骨堂とともに一村一墓は地域の絆(きずな)として今も続いている。
気象庁公式サイトで南海トラフ地震の各地で想定される最大震度をチェックすると、石川県内は、加賀市などで5強、金沢市など5弱、輪島など能登が4となっている。金沢の5弱はまさに元日の能登半島地震だ。当時は金沢市海側の平地の西念地区などが5強、山手の寺町台などが5弱だった。その地震で、金沢の山手の住宅街でがけ崩れがあり、民家4軒が道路ごと崩れ落ちた。また、民家の庭にある石灯篭などが数多く倒れた。
富樫断層だ。断層は全長26㌔におよび、今後30年以内の地震発生確率が2%から8%とされる。
で踊っていく競技。初めて知った。ブレイキンはアメリカのニューヨークが発祥の地でもあるものの、2028年の