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☆物騒な海と陸 ロシア艦隊、弾道ミサイル飛ぶ日本海、ブナ凶作でクマ大量出没

☆物騒な海と陸 ロシア艦隊、弾道ミサイル飛ぶ日本海、ブナ凶作でクマ大量出没

  日本海が物騒になってきた。北朝鮮が弾道ミサイルを日本海に数発放ち、ロシア海軍は日本海と太平洋で戦略演習を始めた。ロシア海軍の演習は過去30年で最大規模で、400隻以上の戦艦や潜水艦のほか、9万人の兵員、125機の航空機が参加しているとメディア各社が伝えている。

  防衛省公式サイトによると、北朝鮮は12日午前7時10分から14分にかけて、北朝鮮の西岸付近から、複数発の弾道ミサイルを北東方向に向けて発射した。落下した場所は朝鮮半島東の日本海で、日本のEEZ(排他的経済水域)の外だった。発射された弾道ミサイルのうち少なくとも2発は、最高高度100㌔程度で、飛翔距離は350㌔を超えたものと推定される。付近を航行する航空機や船舶への被害情報は確認されていない(12日午前8時56分時点)。北朝鮮による弾道ミサイルの発射は6月26日以来で、その技術を用いた「人工衛星」の発射も含めてことし8回目となる。(※写真・上は、13日付・朝鮮中央通信Web版より。金正恩総書記は新型の移動式発射台から600㍉放射砲=多連装ロケット砲=の試射を視察した、と報じている)

  日本海はスルメイカの漁場で、能登半島の能登町小木漁港から出港した中型イカ釣り漁船などが操業している。弾道ミサイル発射の情報に船主や乗組員の家族、漁業関係者はピリピリしたことだろう。  

  ロシア海軍に大規模演習は「オケアン(大洋)2024」と名付けられ、オンラインで演習に参加したプーチン大統領は「この30年で、これほど大規模な海上演習が実施されたのは初めてだ」と称賛。ウクライナ侵攻の実戦経験を踏まえ、高精度兵器などの準備態勢も確認するという。「アメリカは軍拡競争を挑発し、欧州やアジア太平洋地域で危機的状況を作り出している」と一方的に主張し、「ロシアの主権と国益を守る」と強調した。極東ウラジオストクに近い日本海では、中国軍の艦船4隻が参加し、合同演習を行っている(12日付・読売新聞Web版)。

       物騒なことは身近にもある。石川県生活環境部自然環境課のまとめによると、ことし1月から9月9日までの「ツキノワグマ目撃痕跡情報」は241件に上っている。これは過去20年で最多のペース。市町別では加賀市が70件、金沢市と小松市が43件で並んでいる。このペースでいけば、ブナの大凶作でクマが大量出没した2020年(目撃情報869件)と並ぶ可能性がある。この年は人身被害が15人にも上った。ことしもブナの凶作が予想されることから、県はきのう(12日)関係市町と連絡会議を開き、捕獲オリの増設などの対策を呼びかけた(メディア各社の報道)。「クマ警戒」いよいよ本番の秋となる。

⇒13日(金)夜・金沢の天気    はれ

★能登と関わる建築家・坂茂氏に「世界文化賞」 被災家屋の能登瓦の再活用に動く

★能登と関わる建築家・坂茂氏に「世界文化賞」 被災家屋の能登瓦の再活用に動く

  能登半島地震の被災地での仮設住宅や去年秋の奥能登国際芸術祭2023の「潮騒レストラン」の設計など能登と深く関わってきた建築家の坂茂(ばん・しげる)氏が、世界の優れた芸術家に贈られる「世界文化賞」に選ばれたと報じられていた(10日付・NHKニュースWeb版)。「高松宮殿下記念世界文化賞」は日本美術協会が絵画や音楽、建築など5つの分野で世界的に活躍する優れた芸術家に毎年贈っている。

  建築部門で選ばれた坂氏は、紙でできた素材を使ったシェルターや仮設住宅を世界各地で造り、難民の救済や被災支援に取り組んでいることが高く評価された。記者会見で坂氏は「世界中で手軽に手に入るもので建築物をつうくり、社会の役に立ちたいと思った。地震で人が死ぬのではなく、建築物が崩れて人が亡くなる。だから、われわれには責任があると認識しながら、世界のために活動を続けたい」と受賞の喜びを述べた(10日付・NHKニュースWeb版)。

  坂氏の被災地支援を初めて見たのは、去年5月5日に震度6強の地震に見舞われた珠洲市での公民館だった。避難所用の「間仕切り」に工夫が凝らされていた=写真・上=。間仕切りはプラスティックではなく、ダンボール製の簡単な仕組み。ベッドなどがある個室にはカーテン布が張られているが、プライバシー保護のために透けない。環境と人権に配慮した避難所だった。間仕切りは市に寄付されたものだった。次に坂氏の作品を見たのは同市で開催された「奥能登国際芸術祭2023」(9月23日‐11月12日)だった。日本海を一望する「潮騒レストラン」は、ヒノキの木を圧縮して強度を上げ、鉄筋並みの耐震性と木目を活かして造られ、建物自体が芸術作品として話題を集めた。

  そして3度目が、能登半島地震の被災地支援で設計された木造2階建ての仮設住宅だった=写真・中=。石川県産のスギを使い、木のぬくもりが活かされた内装となっている。珠洲市の見附島近くあり、外装の色合いも周囲の松の木と妙にマッチしていて、まるで別荘地のような雰囲気を醸し出していた。木の板に棒状の木材を差し込んでつなげる「DLT材」を積み上げ、箱形のユニットとなっている。

  次なるプロジェクトも始動している。震災で倒壊した家屋=写真・下=から「能登瓦」を収集して、新築や改築、修繕の希望者に提供するほか、今後整備される災害公営住宅などにも再活用する。坂氏は現在は生産されていない「能登瓦」を耐寒性に優れた黒瓦であり、能登の景観を構成する要素だと高く評価している。家屋が倒壊したとは言え、割れてもいない能登瓦を廃棄物とすることに違和感があるのだろう。建築家の目線で「もったいない」と感じるのかもしれない。

⇒12日(木)午前・金沢の天気   くもり時々はれ

☆能登の復興を加速 「のと里山海道」ようやく全線で対面通行が可能に

☆能登の復興を加速 「のと里山海道」ようやく全線で対面通行が可能に

  自動車専用道路「のと里山海道」がようやく全線での対面通行が可能になった。きのう(10日)能登大橋付近での片側交互通行(260㍍)が解除され、能登半島地震の発災から254日目にして、能登と金沢の間がノンストップで通行できるようになった。7月17にのと里山海道は全線で通行できるようになったが、能登大橋付近だけが片側交互通行だった。交通インフラは被災地の復興を加速させるに違いないとの想いを込めて、全線の対面通行となったのと里山海道を往復した。

  能越自動車道を含めたのと里山海道は片道88㌔となる。全線で対面通行が可能になったものの、道路のアップダウン勾配や、左右の急カーブが続く。そして、一部区間の制限速度は時速40㌔に引き下げられたままだ。これまで盛り土の一部が崩れて1車線しか通行できなかった能登大橋付近は対面通行が可能となり、スムーズに車が流れていた=写真・上=。

  走行して思ったことは、率直な話、この道路を使用するのは12月末が限度かもしれない。能登は積雪も多い。去年2023年12月21日から22日かけて能登では60㌢もの積雪があった。同じ積雪があった場合、アップダウン勾配や左右急カーブの道路では、除雪車の走行すら難しいのではないだろうか。さらに、土嚢(どのう)が道路際に積まれていて、除雪ができないだろう=写真・下=。こうした箇所が数多くある。もちろん道路の修復は終わったわけではなく、これからさらに改良が重ねられていくのだろう。積雪の時季まであと3ヵ月だ。土嚢はいつ撤去されるのか。

  のと里山海道の横田IC付近を走行するドライバーの中には、道路の崩落現場で転落した乗用車を見た人も多いだろう。その転落した乗用車はいまも残されたままになっている。復旧・復興と言っても完全ではない。不都合を残しながらも徐々に進んでいる。

⇒11日(水)午前・金沢の天気    

★がけ地をよじ登るパワーショベル 見る人をハラハラさせる不思議な光景

★がけ地をよじ登るパワーショベル 見る人をハラハラさせる不思議な光景

  前回ブログの続き。先日(7日)輪島市で稲刈りが終わった白米千枚田と子どもたちの田んぼアートを見て、金沢に戻る途中の輪島市内の県道を走っていた。途中、元日の能登半島地震で山崩れが起きている場所が何ヵ所かある。その一つのがけ地の中腹で重機のようなものが動いているのが見えた=写真・上=。停車してよく見ると、パワーショベルが動いている。がけ地はかなりの急斜面地だ。時間は午後4時30分ごろだった。晴れてはいたものの、今月初めは台風10号の影響で能登でも雨もかなり降った。滑って落ち来ないか、パワーショベルの重みで土砂崩れが起きないだろうかと、眺めている方がハラハラ、ドキドキするような光景だった。

  そもそも、なんの目的でパワーショベルががけ地に上っているのか。車体をよく見ると、「ロッククライミングマシーン工法」(RCM工法)と書かれてあった=写真・下=。自宅に戻り、ネットで「ロッククライミングマシーン工法」を検索してみると、「高所機械施工協会」という団体の公式サイトで説明があった。以下。「急峻で複雑な地形が多く、地震など、常に災害の危険と隣り合わせであるわが国において、高所法面(のりめん)の工事は必要不可欠である。しかし、従来の主に人力に頼る工法では、1日の施工量も限られ、地盤の崩壊や落石といった危険があった。そんな高所法面の工事を、ロッククライミングマシーン(RCM)を使用して行うのが、RCMによる法面掘削工法」とある。

  さらにサイトを読み込むと、法面の上部に設けたアンカー(主に立木を使用)と、RCMを十分な強度を持つ2本のワイヤーで接続し、安全を確保してから工事を行う、とある。車体も高所の傾斜に対応し、作業体を常に水平に保つリフティング装置を搭載するなど、さまざまな工夫が施されている。

  それにしても何の目的でこの作業を行っているのか。以下はあくまでも素人の推測だ。地震で崩れた下には河川が通っており、さらに対岸には民家もある。ということは、今後がけ崩れが起きると「土砂ダム」ができたり、民家に被害が及ぶことも想定され、法面をなだらかにすることでその危険性を緩和する作業なのだろう、か。

  落下防止に最善を尽くしているのだろうが、それにしても斜面から滑り落ちるのではないか、何か間違いが起きれば大きな事故が発生するのではないか。見れば見るほどハラハラする不思議な光景ではある。

⇒10日(火)午前・金沢の天気    はれ

☆稲刈りシーズン 千枚田に新たな歴史の1ページ 田んぼアートに小学生の想い

☆稲刈りシーズン 千枚田に新たな歴史の1ページ 田んぼアートに小学生の想い

  能登の田んぼも稲刈りが最盛期だ。きのう(7日)輪島の白米千枚田を訪れると、ことし耕された120枚の田んぼでほぼ稲刈りが終わっていた=写真・上、7日撮影=。本来ならば1004枚の田んぼは地元の千枚田愛耕会や棚田のオーナー制度の会員、ボランティアによって耕作されるが、元日の能登半島地震でひび割れなどが起きて、ことしはなんとか120枚を耕すことできた。

  震災後、自身が千枚田にたどり着くことができたのは3月4日だった。リアス式海岸沿いにある千枚田、その海岸沿いを走る国道249号が海底の隆起や土砂崩れでズタズラになった。いまでも一部は通行止となっている。千枚田は土砂崩れなどはなかったが、田んぼのいたるところで亀裂が走っていた=写真・中、3月4日撮影=。大きなもので幅10数㌢、深さ50㌢ほどの地割れが数㍍続いていた。田んぼは水はりをするので、この地割れでことしの水耕は無理だと素人ながら考えてしまった。一方で、千枚田を運営管理する公益財団法人「白米千枚田景勝保存協議会」では稲作を続けようと、クラウドファンディングで寄付を募っていた。「修復には大量の土砂や杭が必要であり、また、人力での修復となりますので、人を動かすお金も必要です」と。

  行政を交えた景勝保存協議会とすれば、千枚田は2001年に文化庁の「国指定文化財名勝」に指定され、2011年に国連世界食糧農業機関(FAO)から認定された世界農業遺産「能登の里山里海」のシンボル的な存在だ。是が非でも耕作を続けたいとの意思があったのだろう。それが奏功して、愛耕会や棚田のオーナーの協力を得て、なんとか120枚の耕作にこぎつけた。稲刈りを終えた田んぼを見て、千枚田に新たな歴史の1ページが刻まれたような思いがした。

  輪島市に住む知人から、「輪島市の町野に面白い田んぼがある」とメールをもらっていたので、千枚田を後にして見に行った。田んぼに「生きる」という文字や、ハートを抱きしめた人の姿が描かれていた=写真・下、7日撮影=。通りかかった地元の人に尋ねると、小学生が描いた「田んぼアート」という。ハートの赤は古代米の赤米、文字や絵の線の緑は同じく古代米の緑米で、黄色い部分はコシヒカリとの説明をいただいた。子どもちを指導したのは地元のベテランの農家の方とのことだった。

  能登半島地震では家屋の下敷きになるなど227人(※県が9月3日に229人から修正)が直接被害で亡くなっている。田んぼアートに描かれた「生きる」というメッセージは、子どもたちが「みなさん、亡くなった人たちの分も頑張って生きましょう」との想いを込めたのだろうか。

⇒8日(日)夜・金沢の天気    はれ 

★復興の第一歩は食から 「福幸丼」がメニューの珠洲市の共同食堂に行く

★復興の第一歩は食から 「福幸丼」がメニューの珠洲市の共同食堂に行く

  きょう「すずなり食堂」に行ってきた。能登半島の尖端、珠洲市で開設された仮設店舗の食堂だ=写真・上=。能登半島地震で被災し休業を余儀なくされた市内の飲食店が協業するカタチで共同で食堂を始めた。地震前は、「グリル瀬戸」「レストラン浜中」「庄屋の館」「典座(てんぞ)」と特徴と歴史がある4店だったが、それぞれ被災したため合同会社「すずキッチン」を設立して、きのう(6日)から「すずなり食堂」の運営を始めた。

  地元メディアの報道によると、仮設店舗は270平方㍍の平屋で、中小企業基盤整備機構の補助金を活用して珠洲市が建設。原則無償で入居でき、光熱費や内装費などは事業者が負担する。合同会社の代表は、典座を営んでいた坂本信子氏。これまで典座で何度も能登の料理をたしなんだことがあり、気安くすずなり食堂を開店した経緯について話を聞いた。「地域の復興の第一歩は食からと思い、共同で食堂を立ち上げました。自分たちの暮らしを取り戻し、珠洲の観光や生活が元に戻るようにしたいですね」と話した。

  平屋のプレハブの建物には、共同の食堂と弁当専用の工房があり、食堂に入った。食券の自動販売機があり、「福幸(ふっこう)丼」を注文した=写真・下=。「福幸」は「復興」を意味している。2750円。値段としては高いが、地元で獲れたエビやブリなど新鮮な魚介類をふんだんに乗せた海鮮丼だ。市内の食堂はほとんどが休業状態ということもあり、店はとても繁盛していた。合同店の厨房に立つ板前さんたちも生き生きとした感じで動き回っていた。

  メニュー表を見ると、「福幸丼」のほかに、「タコカツ丼」(1430円)、サバ塩焼き定食(1100円)、カツカレー(1380円)、かき揚げうどん(860円)などメニューは10種。それぞれの店が得意とするメニューが並ぶ。中でも、注文が多かったのはタコカツ丼だった。これは、上記の4店のうちの「庄屋の館」が得意とするメニューで、タコをカツにして独特のソースをかける特徴ある逸品だ。そんな話題性もあったせいか店は大繁盛で、自身は20人待ちの状態だった。

  店の雰囲気は明るかった。上記の坂本さんが「復興の第一歩は食から」と言ったように、店の中では笑い声も聞こえ、家族連れのほかに若い人たちや業者らしき人たち、おばさんたちのグループなどさまざまが顔ぶれがあった。復興への希望を感じる雰囲気があった。今度はタカコツを食べに来よう。

⇒7日(土)夜・金沢の天気   はれ

☆地震損壊の共同墓地や墓石を行政が支援 この際「一村一墓」の発想を

☆地震損壊の共同墓地や墓石を行政が支援 この際「一村一墓」の発想を

  旧盆には間に合わなかったが、秋の彼岸までにはなんとかならないかと思っている人たちは多いのではないか。元日の能登半島地震で倒壊した墓石のことだ。いまもブルーシートで包まれた墓石を各地でみかける。この光景を見かねたのか、被害が大きかった奥能登の穴水町では、倒壊した墓石の修復費用の半額を補助する制度を創設することにし、2024年度の補正予算案に8000万円を計上した(4日付・新聞メディア各社の報道)。

  補助金額は1世帯当たり最大で10万円で、宗教や宗派は問わない。ただ、修復に当たる石材業者の数が限られ、年度内に作業が終わらないことも考えられ、町では来年度も継続することを検討しているという。墓石の地震被害では、2018年の北海道地震で被災した自治体が見舞金を支給したケースはあったものの、墓石の復旧費用を自治体が住民に助成する制度は全国的にも珍しいようだ。

        一方、石川県は県予算で被災した集落が管理する共同墓地の復旧を支援するとし、9月補正予算に8800万円を計上した。補助はたとえば、共同墓地で共有の通路に倒れた墓石の移動や壊れたフェンス、共同墓地の敷地内の水道の普及費用など。ただ、集落の共同墓地のみが対象で、宗教法人や市町などの公共団体などが運営する墓地、個人管理の墓石などは対象にならない。  

  8月13日付のこのブログでも述べたが、能登には「一村一墓」という言葉がある。半島の尖端・珠洲市三崎町の大屋地区での言い伝えだ。江戸時代の「天保の飢饉」で人口が急減した。能登も例外ではなく、食い扶持(ぶち)を探して、大勢の若者が離村し人口が著しく減少した。大屋村のまとめ役が「この集落はもはやこれまで」と一村一墓、つまり集落の墓をすべて集め一つにした。そして、ムラの最後の一人が墓参りをすることで「村じまい」とした。その後、村は残った。江戸時代に造られた共同墓は今もあり、共同納骨堂とともに一村一墓は地域の絆(きずな)として今も続いている。(※写真は、珠洲市三崎町大屋地区の共同納骨堂。20年ほど前に建て替えられ、地域を出た人でも死後この納骨堂に入ることが多いという)

  いまは珍しくないが、共同墓の原点のような話ではある。この際、「令和の一村一墓」という構成を描いてはどうだろうか。「墓じまい」という言葉を最近よく聞くようになった。子孫が東京や大阪などで暮らし、墓だけが能登にある。菩提寺に依頼して「墓じまい」を行う。その墓じまいを知らずに親戚や縁者の人たちが新盆や旧盆、彼岸の墓参りにきて戸惑うことがある。この際、能登の集落で共同墓と共同納骨堂を広めてはどうか。そうした一村一墓に行政は補助金を出せないものだろうか。地域コミュニティの維持に必要と思うのだが。

⇒5日(木)午後・金沢の天気    はれ 

★輪島・千枚田で稲刈り 被災から耕作にこぎつけた120枚の物語

★輪島・千枚田で稲刈り 被災から耕作にこぎつけた120枚の物語

  台風が去り、能登半島ではようやく稲刈りのシーズンが到来した。先月24日に輪島市の白米千枚田を訪れると、ボランティアで耕作を行っている「千枚田愛耕会」のメンバーがいて、31日から稲刈りを行う打ち合わせをしていた。元日の能登半島地震で千枚田に多数のひび割れが入ったことから田んぼの修復作業を重ね、5月に120枚の田植えにこぎつけた。展望台のから千枚田を見渡すと、120枚の田は黄色く色づき、海風が通るとかすかながらサラサラと音を立て稲穂がそよいでいた=写真、8月24日撮影=。

  その千枚田で稲刈りが始まったのはきのう(3日)だった。台風10号の影響で31日の稲刈りを延期、今月1日に台風から熱帯低気圧になったものの、能登地方では2日にかけて雨が降っため、稲刈りが遅れていた。地元メディアによると、作業を行ったのは棚田のオーナー制度で田んぼを借りて耕している会員や愛耕会のメンバーら20人。稲刈り機は田んぼに入らないので、鎌で一株ずつ刈り取り、ワラで結んではざ掛けした。稲は「能登ひかり」という早生品種。

  「能登ひかり」にはちょっとしたストーリーがある。一昔前まで能登の気候に合う品種ということで生産されていたが、モチモチ感のあるコシヒカリに押されて生産する農家は少なくなっていた。それを見直したのが、京都や大阪といった関西の寿司屋だった。「ベタベタとした粘りがない分、握りやすく、食べたときにも口中でパラッとバラけるので、寿司によいのだという」(講談社新書『日本一おいしい米の秘密』)。さらに、このバラける食感がスープ料理にも合うということで、金沢市内のレストランなでども使われるようになった。

  4㌶の斜面に小さな棚田が連なる白米千枚田は2001年に文化庁の「国指定文化財名勝」に指定され、2011年に国連世界食糧農業機関(FAO)から認定された世界農業遺産「能登の里山里海」のシンボル的な存在だ。こうした評価の重荷を背負いながら愛耕会メンバーが中心となって、「1000分の120枚」の耕作にこぎつけた。メンバーの大半も被災し、いまも金沢市に2次避難している人もいると聞く。そして来年も耕作枚数を増やそうと、いまも田んぼの修復作業を重ねている。苦労がしのばれる。稲刈りは8日まで続く。

⇒4日(水)夜・金沢の天気     はれ

☆能登地震の復興さなか UFO伝説の街・羽咋市で激突、市長選へ

☆能登地震の復興さなか UFO伝説の街・羽咋市で激突、市長選へ

  能登半島の人口が急減している。石川県総務部統計情報室はきのう(2日)、8月1日時点での県内の人口推計を発表。それによると、元日の能登半島地震で被害が大きかった半島北部の6市町(七尾市、輪島市、珠洲市、志賀町、穴水町、能登町)の人口は1月1日時点から5266人減少し、11万4384人となった。減少数は前年同期比で2.5倍にも上る。出生者数が死者数を下回る「自然減」とともに、転出者が転入者を上回る「社会減」が加速している。(※数字は、3日付の地元新聞メディアの記事を引用)

  社会減が加速している背景には、「みなし仮設住宅」(賃貸型応急住宅)という制度があるからかもしれない。自治体が仮設住宅の代わりに、民間のアパートや一戸建て住宅を借り上げて、全半壊などで住宅に住めなくなった被災者に提供する。家賃は国と県が負担する。入居期間は2年以内。元日の震災で、県内では4300戸のみなし仮設住宅を用意された。金沢市は能登地方にアクセスしやすいということもあり、みなし仮設住宅の希望が多いとされる。金沢のみなし仮設住宅に入居し、職探しや子どもたちの転校手続きをする際に住民票を移すことになる。一時的な現象かもしれないが、能登からの転出者が増え、人口流出につながっている。一時的と言うのも、みなし仮設の人たちが能登で住宅を再建して2年以内に故郷に戻れば転入増になるのだが。

  話は変わる。能登で首長選が始まる。地元メディアによると、羽咋市長選に現職が再選を目指し立候補することを表明。同市長選にはすでに女性市議が出馬を表明しており、選挙戦は確実となった。選挙の争点は何だろうか。能登半島地震で同市では589棟が全半壊、一部損壊は3137棟の被害が出た。460棟で公費解体の申請があり、完了したのは69棟(8月19日時点)だ。現職は「未来につながる復興は私に課せられた責務」と訴え、女性市議は災害公営住宅の建設場所の選択制や住民提案型のまちづくりなど被災者に寄り添った市政運営を訴えている。まさに復興のさなか、今月29日告示、10月6日投開票となる。(※写真は、羽咋市役所の外観=8月17日撮影)

  知る人ぞ知る話だが、羽咋はUFO伝説で知られる。同市に伝わる昔話の中に「そうちぼん伝説」がある。そうちぼんとは仏具の一つで、楽器のシンバルのような形をしている。伝説はそうちぼんが同市の北部にある眉丈山(びじょうざん)の中腹を夜に怪火を発して飛んでいたという話だ。この眉丈山の辺りには、「ナベが空から降ってきて人をさらう」神隠し伝説もある。さらに、同市の正覚院という寺の『気多古縁起』という巻物にも、神力自在に飛ぶ物体が描かれているそうだ。UFOという歴史文化遺産を有する世界でも珍しい地域でもある。

⇒3日(火)夜・金沢の天気    はれ

★能登地震とジオパーク 連帯に向けた共同声明「大地の営みに学ぼう」

★能登地震とジオパーク 連帯に向けた共同声明「大地の営みに学ぼう」

  各地に「記録的雨量」をもたらした台風10号が北陸に向かってくる途中で熱帯低気圧になり、金沢ではきょう(2日)未明に強い雨が降っていた。日本気象協会では、「元台風10号」という言葉を用いて、いまも関東や近畿地方で大雨に警戒するよう呼び掛けている。が、民放各社はあれほど「台風10号」「台風10号」と繰り返し叫んでいたのに、低気圧になったとたんに静かになった。気象情報とすれば「格落ち」なのだろうか。

  話は変わる。自然公園「ジオパーク」の保全に取り組む関係自治体が開催していた日本ジオパーク全国大会(青森県むつ市)の最終日のきのう、能登半島地震の記憶継承を支援するとの共同声明を発表した。声明を出したのは糸魚川(新潟)、佐渡(新潟)、苗場山麓(新潟・長野)、立山黒部(富山)、白山手取川(石川)、恐竜渓谷ふくい勝山(福井)の6地域のジオパーク協議会。

  この共同声明を読むと、まさに地殻変動を重ねて出来たジオパークについて地形や地質の保存・活用に関する知見を有する自治体の「使命」というものを感じる。「地震で得た多くの教訓を風化させず、防災意識の向上に生かす」と強調。地震の発生要因や被害の実態を国内外へ発信することで連帯感をにじませている。また、能登地震で4㍍隆起した海岸が続いており、石川県ではジオパークに登録申請するために調整を行っている。被災地の復興と合わせてジオパーク登録へと動き出すチャンスではないだろうか。(※写真は、海底が隆起した輪島市門前町の漁港=3月4日撮影)

          「令和6年能登半島地震の記憶継承に関する共同声明」

「令和6年1月1日に発生した能登半島地震は、能登地方において地震および津波により甚大な被害をもたらしました。また、その影響は北陸地方一帯の周辺地域にも広く及び、各地で被害も発生しました。被災委された地域の皆様にお見舞い申し上げますとともに、お亡くなりになった方々に、心よりご冥福をお祈りいたします。甚大な被害が発生した地域では、復興への道のりはまだ遠く、未来に向けた歩みが一歩ずつ前に進むことを願ってやみません。

さて、今日までジオパーク活動を進めてきた私たちにとって、今回の地震は地球の動きと人々の暮らしの関わりについて改めて強く意識した瞬間でもありました。ユネスコ世界ジオパークである、糸魚川地域、白山手取川地域、日本ジオパークである佐渡地域、苗場山麓地域、立山黒部地域、ふくい勝山地域は、能登半島地震で得た多くの教訓を風化させることなく、さらなる防災意識の向上や災害に関する知識の定着に生かすことを使命であると感じています。そして、国内外のジオパークネットワークを活かし、防災・減災活動の普及啓発につなげていきます。

また、ジオパーク地域のみならず能登地域に関しても、大地の営みと人々の暮らしの普遍的な関係性とその価値について、大地の営みに直面した被災地域の人々が学ぶことへの支援を行っていきます」

⇒2日(火)夜・金沢の天気    あめ