#みんなのブログ

★名残惜しむ「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~下~

★名残惜しむ「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~下~

   「奥能登国際芸術祭2020+」はきのう5日で63日間の会期を終了した。芸術祭実行委員会のまとめによると、来場者は4万8973人(速報値)だった。新型コロナウイルスのパンデミックで開催が1年延期され、さらに石川県にはまん延防止等重点措置が出され、開会の9月4日から30日までは原則として屋外の作品のみの公開だった。さらに、9月16日には震度5弱の地震に見舞われた。幸い人や作品へ影響はなかったものの多難な幕開けだった。後半の10月以降は屋内外の作品が公開され、24日までの会期が11月5日まで延長となった。

    アートもSDGsも「ごちゃまぜ」 風通しのよさが地域を創る

   芸術祭のほかに珠洲市は、SDGsの取り組みにも熱心だ。内閣府が認定する「SDGs未来都市」に名乗りを上げ、2018年6月に採択された。同市の提案「能登の尖端“未来都市”への挑戦」はSDGsが社会課題の解決目標として掲げる「誰一人取り残さない」という考え方をベースとしている。少子高齢化が進み、地域の課題が顕著になる中、同市ではこの考え方こそが丁寧な地域づくり、そして地方創生に必要であると賛同して、内閣府に応募した。

   採択された後、同市は「能登SDGsラボ」を開設した。市民や企業の参加を得て、経済・社会・環境の3つの側面の課題を解決しながら、統合的な取り組みで相乗効果と好循環を生み出す工夫を重ねるというもの。簡単に言えば、経済・社会・環境をミックス(=ごちゃまぜ)しながら手厚い地域づくりをしていく。そのために、金沢大学、国連大学サスティナビリティ高等研究所いしかわ・かなざわ・オペレーティングユニット(OUIK)、石川県立大学、石川県産業創出支援機構(ISICO)、地元の経済界や環境団体(NPOなど)、地域づくり団体などがラボに参画している。

   こうしたごちゃまぜの風通しのよさは行政や地域の経済人、それに地域の人々と触れることで感じることができる。ことし6月に東証一部上場の「アステナHD」が本社機能の一部を同市に移転したものその雰囲気を経営者が察知したことがきっかだった。そして、社会動態も好転している。今年度の上半期(4-9月)は転入が131人、転出が120人と転入がプラスに転じた。多くが若い移住者だ。

   芸術祭実行委員長である珠洲市長の泉谷満寿裕氏は「芸術祭は『さいはて』の珠洲から人の時代を流れを変える運動であり、芸術祭とともに新たな動きを産み出していきたい」ときのうの閉会式で述べていた。能登半島の尖端のこうした動きこそアートだと感じている。(※写真は『私たちの乗りもの(アース・スタンピング・マシーン)』フェルナンド・フォグリ氏=ウルグアイ)

⇒6日(土)夜・金沢の天気     はれ

☆名残惜しむ「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~上~

☆名残惜しむ「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~上~

   能登半島の尖端、珠洲市で開催されている奥能登国際芸術祭(9月4日-11月5日)の最終日に鑑賞してきた。名残惜しさと芸術の秋が相まって楽しむことができた。

   代々の生活がにじむアート

   芸術祭で8組のアーティストが作品を創作しているのがスズ・シアター・ミュージアム「光の方舟」。日本海を見下ろす高台の旧小学校の体育館を活用している。その入口にこれも作品かと思うほどに人目をひくのが樹木だ。強風に吹かれて曲がっているのだ=写真・上=。能登の厳しい自然環境を感じさせる。

   このミュージアムのコンセプトは「大蔵ざらえプロジェクト」。珠洲は古来より農業や漁業、商いが盛んだったが、道具や用具=写真・中=などは時代とともに使われる機会が減り、多くが家の蔵や納屋に眠ったまま忘れ去れていた。市民の協力を得て蔵ざらえしたこれらの道具や用具を用いて、アーティストと専門家が関わり、民族博物館と劇場が一体化したシアター・ミュージアムが創られた。芸術祭終了後も常設施設として残される。   

   市内の旧家もアートの展示会場になっている。古民家の家財道具を寄せ集め、天井から生える木のように見せる作品「いえの木」=写真・下=。金沢美術工芸大学アートプロジェクトチーム「スズプロ」が制作した。作品をよく見ると、旧式の扇風機やテレビに混じって「小作米領収帳」が見えた。その土地で何代にも渡り生きてきた人々の生活がにじみでている。

   美大の学生たちは一年を通して珠洲の祭りや伝統行事に参加しながら地域交流を深め、地道なフィールドワークを行っている。日本海を見渡すこの地で、奥能登でしか表現し得ないアートとは何か、実に壮大なテーマではある。

⇒5日(金)夜・金沢の天気     くもり

★ガソリン、散髪、修学旅行に見る「近場の経済」

★ガソリン、散髪、修学旅行に見る「近場の経済」

   このブログで何度か取り上げている近所のガソリンスタンドの価格。きょう行くと1㍑当たり169円となっていた=写真=。1月初旬で133円前後だったので、36円の値上がり、率にして27%だ。金沢市内の一部のスタンドではすでに1㍑171円のところもある。値上げの背景はOPECやロシアなどの産油国が景気の先行きが不透明なことなどから今月も増産を見送ったほか、新型コロナウイルスのワクチン接種が進んだことで世界的に経済活動が再開し、原油の需要が膨らんでいると報道されている。また、ドルと円の為替相場が円安にぶれていて、このところ114円前後が続いている。

   ガソリンの価格高騰は「増税」と同じだ。可処分所得が減る。農業や漁業など一次産業にもコスト高をもたらしている。さらに、産地からの輸送コストがそのまま食料品や資材の価格高騰に反映している。

   夕方、散髪に行ってきた。理髪店のマスターがこぼしていた。「コロナのせいで、常連さんたちの散髪の回数が減りましてね」と。これまで、2ヵ月ごとの散髪の常連客のほとんどが3ゕ月ごとの傾向が続いているようだ。確かに、人と会う機会を減らせば、身だしなみも気にしなくなる。そして、散髪の回数も減る。金沢市内では新型コロナウイルスの感染が治まりつつあるとはいえ、理髪店通いは元に戻るかどうか。

   景気の悪い話ばかりではない。午後に兼六園近くの通りを車で走ると制服を着た修学旅行生らしき若者たちが列をなしていた。さらに、人気スポットの金沢21世紀美術館も前の芝生にまで修学旅行生であふれていた。金沢は武家屋敷や忍者寺などの観光スポットが集中しているので一日で歩いて回れる便利な場所なので、修学旅行先に選ばれているのかもしれない。それにしても多い。

   きのう県内の高校の校長から聞いた話だ。この高校では2年生が9月に修学旅行を予定していたが、コロナ禍で延期とし12月に四国方面に行くことにしたという。父母から要請もあり、東京や大阪、沖縄など非常事態宣言が出されていた地域は避けたようだ。ということは、修学旅行の金沢ラッシュは、本来ならば人気の東京や大阪、沖縄などが回避されたことによる「特需」なのかもしれない。

⇒3日(水)夜・金沢の天気     

☆日本は「カーボンニュートラル先進国」になれるのか

☆日本は「カーボンニュートラル先進国」になれるのか

   選挙に勝って勢いがついたのだろうか。イギリスで開かれているCOP26の首脳会合で岸田総理が演説し、2030年度の温室効果ガスの排出量を2013年度から46%削減するなどとした日本の目標を説明した。そのうえで、先進国が途上国に年間1000億㌦を支援するとした目標に届いていない現状を踏まえ、これまで日本政府が表明した5年間で官民合わせて600億㌦規模の支援に加え、今後5年間で最大100億㌦の追加支援を行う用意があると表明。「気候変動という人類共通の課題に日本は総力を挙げて取り組んでいく決意だ」と強調した(2日付・NHKニュースWeb版)。

   去年10月26日、当時の菅総理は臨時国会の所信表明演説で「2050年までに温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする、すなわち2050年カーボンニュートラル、脱炭素社会の実現を目指すことを、ここに宣言いたします」と声高に述べた。さらに、成長戦略の柱に経済と環境の好循環を掲げて、グリーン社会の実現に最大限注力するとし、「もはや、温暖化への対応は経済成長の制約ではない」と強調した。そして、石炭火力発電に対する政策を抜本的に転換し、次世代型太陽電池、カーボンリサイクルをはじめとした、脱炭素社会に向けてのイノベーションを起こすため、実用化を見据えた研究開発を加速させると述べていた。

   二人の総理が力強く脱炭素を宣言したことで、日本は「カーボンニュートラル先進国」の評価が国際的に高まるかもしれない。ただ、矛盾も見えている。経産省がまとめた第6次エネルギー基本計画が先月22日に閣議決定された。第5次エネルギー基本計画(2018年7月)と比較する。第5次では2030年度の電源構成を火力56%(LNG27%、石炭26%、石油3%)、原子力22-20%、再生可能エネルギー(水力、太陽光、風力など)を22-24%としていた。それが、第6次では火力42%(LNG20%、石炭19%、石油2%、水素・アンモニア1%)、原子力20-22%、再生可能エネルギーが36-38%となっている。

    この数字を見て、再生可能エネルギーの割合が高すぎると感じる。2030年までに建設可能な再生可能エネルギーとなると、水力と風力よりも太陽光が手っ取りばやいだろう。しかし、これまではFIT(固定価格買取制度)で建設が順調に伸びてきたが、これまでのペースさらに伸びるだろうか。また、原子力の割合も高いのではないか。「20-22%」というのは、第5次エネルギー基本計画をベースにした試算でこれを実現するには、原発27基が必要だとされている。現実に再稼働している原発は10基だ。カーボンニュートラルのための原発再稼働は地域住民の理解を得られるとは思えない。

   カーボンニュートラルに反対するつもりはまったくない。ただ、日本の取り組みに実現可能性はあるのかどうか、社会的な混乱を招かないのか。

⇒2日(火)夜・金沢の天気      くもり時々あめ

★選挙の「出口調査」や「開披台調査」が終わる日

★選挙の「出口調査」や「開披台調査」が終わる日

   きのう午後10時すぎに衆院選挙石川1区の開票場の金沢市営中央市民体育館(同市長町3丁目)に行ってきた=写真・上=。独自の「開披台調査」をするためだ。「かいひだいちょうさ」、聞き慣れないこの調査は新聞・テレビが行う開票調査の一つ。投開票日のその日には、投票所で出口調査を、開票所では開披台調査を実施する。開披台とは開票場で投票箱から票を出して、候補者ごとに仕分けをする台のこと。出口調査で大差がついていれば、NHKなどテレビ各社は午後8時からの選挙特番で「当選確実」を打てるのだが、10ポイント以内の小差ならば開披台調査で当落を見極めることになる。

   石川1区は新人4人が立候補し、自民の小森卓郎氏、立憲民主の荒井淳志氏、日本維新の会の小林誠氏が競っている。 小森氏の出身は神奈川県。1993年に旧大蔵省に入り、出馬の直前まで財務官僚を務めていた。2011年から3年間は石川県の総務部長などの経験もあり、51歳の若さだ。前職の馳浩氏が不出馬を宣言していたので、自民党は今年9月に公募で選出した。ただ、県の総務部長を務めた経験があるとはいえ、有権者にとってはいわゆる「落下傘候補」だ。荒井氏は元新聞記者で27歳、小林氏は44歳で金沢市の市議を4期連続で当選している。

   地元メディア各社は選挙終盤の情勢調査で「小森氏一歩リード」の報道をしていた。そこで、この目で確かめようと、開票場の現場を訪れた。メディア各社の調査員が10数人いた。アルバイトの学生調査員を記者が指揮している。学生たちは開票作業を行う職員の手元を双眼鏡でのぞき込み、誰に投票されているか確認する=写真・下=。「コモリ、コモリ、アライ、コバヤシ、コモリ、アライ・・・」などと声を出すと、その声がワイヤレスで集計場にいる受け手の担当に伝わり、その場で集計する仕組みだ。調査員は双眼鏡でのぞく場所を次々と変えていく。開票は投票会場から持ち込まれた投票箱を開けて作業をするので、双眼鏡でのぞく場所を変えることで地域的な偏りをなくす。

   自身は双眼鏡を持参せず、その調査員の横に行き、その声をさりげなく聞く。さらに別の調査員の声を聞く。これを4、5回繰り返すと。誰が実際に票を獲得しているのか判断できる。この「独自調査」の結果では、「コモリ」がおおむね4割だった。

   テレビ局を辞して2005年4月から大学で勤務。ことし3月で退職したが、この間、国政選挙になるとメディアの知り合いから出口調査や開披台調査の学生アルバイトの動員を依頼された。退職したこともあって、今回は断った。自身の興味で今回は開票場に足を運んだが、心では「このようなアナログな投票はもう止めて、デジタルに切り替えるべき」との思いを持っている。デジタル投票にすれば、午後8時の投票終了をもって一気に開票結果が出る。デジタル庁が新設されて、その可能性が出てきた。出口調査や開披台調査が終わる日が来る。

⇒1日(月)朝・金沢の天気      あめ

☆トキと共生する佐渡のGIAHSストーリー(下)

☆トキと共生する佐渡のGIAHSストーリー(下)

   最終日のきょうはエクスカーションに参加した。テーマは「佐渡GIAHSを形成したジオパークと佐渡金銀山、そして農村の営み」。佐渡の金山跡に入った。2012年7月にも訪れている。ガイドの女性が丁寧に説明してくれた。金銀山を中心に相川地区などは一大工業地となった。島の農民はコメに限らず換金作物や消費財の生産で安定した生活ができた。豊かになった農民は武士のたしなみだった能など習い、芸能が盛んになった。

        トキが飛び交う農村の日常風景

   金山の恩恵を受けたのは人間だけではなかった。農家は農地拡大のため山の奥深くに棚田を開発した。その人気(ひとけ)の少ない田んぼは生きものが安心して生息するサンクチュアリ(自然保護地域)にもなった。臆病といわれるトキにとってこの島は絶好の住みかとなった。そのトキがいまでは佐渡の人々に農業の知恵と希望、そして夢を与えている。その大きなきっかけが、2008年に市独自で創った「朱鷺と暮らす郷認証米」制度だった。そのコメづくりをベースにした農村開発は、2011年6月、国連の食糧農業機関(FAO)が世界農業遺産に「トキと共生する佐渡の里山(SADO’s Satoyama in harmony with the Japanese crested ibis)」に認定された。

   GIAHS認定をステップにして、翌2012年7月に「第2回生物の多様性を育む農業国際会議」(佐渡市など主催)が開催された。この会議には日本のほか中国、韓国の3ヵ国を中心にトキの専門家や農業者ら400人が参加した。国際会議が開かれるきっかけとなったのが、2010年10月に生物多様性第10回締約国会議(COP10)だった。湿地における生物多様性に配慮するラムサール条約の「水田決議」をCOP10でも推進することが決まった。この決議で佐渡の認証米制度が世界各国から注目されることになる。

   ではどこが注目されたのか。認証米制度では「生きものを育む農法(減農薬)」の実施と、「生きもの調査」を義務づけていることだ。一方でトキにはGPSを付けて飛来のデータを観測している。これにより生きものを育む農法が、生物へ与える効果やトキが好む餌場の把握が科学的にできる。つまり、トキの生息環境を把握する科学的データの評価手法として導入されている。この取り組みは、農業の視点だけで見ると、作業量やコストの負担を増加させる。農業国際会議では、農地=食糧生産拠点という発想をしがちな中国や韓国の代表団も、水田がそれほど多面的な価値を持つという捉え方に、新鮮な驚きを覚えたと感想を語っていたことを覚えている。

   認証米制度によるコメづくりは佐渡の全稲作面積の2割(1200ha)に達している。トキの野生復帰活動を契機に始まった生物多様性の保全を重視した独自の農業システムは、日本の新たな農業の姿となり、また、世界の環境再生モデルとなりえる。そして、年間500人といわれる若者を中心とした移住者の受け皿にもなっている。

   エクスカーションの午後の日程では中山間地を訪れた。中山間地から平野を見渡すと、トキの群れが飛び交っている。そして、田んぼで羽を休め=写真=、また飛び立つ。その田んぼの近くでは子どもたちが遊んでいて、軽トラックも農道を走っている。日常の農村の風景の中にトキがすっかり溶け込んでいる。

⇒31日(日)夜・金沢の天気     くもり時々あめ  

★トキと共生する佐渡のGIAHSストーリー(中)

★トキと共生する佐渡のGIAHSストーリー(中)

   初日(29日)に記念講演があり、環境省環境事務次官の中井徳太郎氏が「トキ野生復帰の意義とGIAHS(世界農業遺産)」と題して、佐渡のトキの野生復帰に向けた環境省の取り組みなどについて話した。2008年9月に10羽のトキが放鳥され27年ぶりにトキが佐渡の空に舞った。その後も放鳥は続き、ことし9月現在で野生のトキの生息数は484羽になった。

       佐渡と能登をつなぐトキの「縁」と「愛着」

          一方で、地元の農家は農薬や化学肥料の削減により、魚や昆虫などの動物のほか水辺の植物を育み、トキが暮らしやすい生息環境をつくることにいそしんできた。それを「生きものを育む農法」や「朱鷺と暮らす郷づくり」認証制度というカタチで農法を統一化することでトキの生息環境とコメのブランド化を進めてきた。2011年6月、国連の食糧農業機関(FAO)が世界農業遺産に「トキと共生する佐渡の里山(SADO’s Satoyama in harmony with the Japanese crested ibis)」を認定した。中井氏が強調したのは「トキとの共生を目指す里地づくりの強みを生かした地域循環共生圏」という言葉だった。

      二日目(30日)の基調講演で、公益財団法人「地球環境戦略研究機関」の理事長、武内和彦氏が「日本の持続可能な農業とは~佐渡GIAHSの農村文化から考える~」と題して、「世界農業遺産は過去の遺産ではなく、生き続ける遺産」と説明した。「朱鷺と暮らす郷づくり」認証農家は現在407戸に。佐渡の積極的なトキの米づくりを目指す新規就農者は2019年度実績で67人に。学校ではトキとコメ作りをテーマに環境教育や食育教育が行われている。佐渡は多様な価値観を持った人たちが集う「コモンズ」共同体へと進化している。農業だけでなく観光や自然環境、コミュニティーの人々が連携することで横つながり、そして世代を超えるという新たなステージに入っている。武内氏が強調したのは「佐渡GIAHSにおける新たな農村文化の展開」という言葉だった。

   今回のGIAHS認定10周年記念フォーラムで発表された事例報告など聞いて、佐渡の人たちの「トキへの愛着」というものを感じた。そして、トキをめぐっては能登と佐渡の「縁」もある。1970年1月、本州最後の1羽だったオスのトキが能登半島で捕獲された。能登では「能里(のり)」の愛称があった。能里は佐渡のトキ保護センターに送られた。佐渡にはメスのトキ「キン」がいて、人工繁殖が期待された。しかし、能里は翌1971年に死んだ。キンも2003年10月に死んで、日本のトキは絶滅した。本来ならば、ここで人々のトキへの想いは消えるだろう。ところが、佐渡の人々、そして環境省はあきらめなかった。1999年から同じ遺伝子の中国産のトキの人工繁殖を始め、冒頭のように2008年9月に放鳥が始まった。(※写真・上は石川県歴史博物館で展示されている「能里」のはく製)

   きょうパネルディスカッション=写真・下=では「これからの日本農業への提言」をテーマに話し合った。能登GIAHSから参加した珠洲市長の泉谷満寿裕氏から意外な発言があった。「トキを能登で放鳥してほしい」と。この発言には背景がある。環境省は今後のトキの放鳥について、2025年までのロードマップをことし6月に作成し、トキの受け入れに意欲的な地域(自治体)を中心に、トキの生息に適した環境の保全や再生、住民理解などの社会環境の整備に取り組む(6月22日付・読売新聞Web版)。トキは感染症の影響を受けやすい。さらに、佐渡で野生生息が484羽に増えており、今後エサ場の確保などを考慮すると、佐渡以外での複数の生息地を準備することが不可欠との判断されたのだろう。泉谷氏の発言は地元佐渡で受け入れの名乗りを上げたことになる。

   これまで、佐渡のトキが海を超えて能登に飛来して話題になったことが何度かある。2014年2月にはメスのトキが珠洲市に飛来して、半ば定着したことから、地元の住民に親しまれ、「美すず」の愛称もつけれられた。15年4月にオスのトキも飛来してきて、美すずと巣をつくれば、本州では絶滅後、初めてのつがいとなる可能性があると能登の人々は想像を膨らませた。が、美すずもオスもいつの間にか佐渡に戻った。泉谷氏の発言は能登の人々のトキへの愛着を代弁していたようにも聞こえた。

⇒30日(土)夜・佐渡の天気     くもり

☆トキと共生する佐渡のGIAHSストーリー(上)

☆トキと共生する佐渡のGIAHSストーリー(上)

   新潟県佐渡市で開催されている「GIAHS(世界農業遺産)認定10周年記念フォーラム ㏌ 佐渡」に参加している。世界農業遺産は自然環境と調和した農林漁業や伝統文化が色濃く残されていている地域(サイト)を国連の食糧農業機関(FAO)が認定する。フィリピンのイフガオ棚田やチュニジアのオアシス農業など22ヵ国の62サイト、そのうち日本では11サイトが認定されている。日本での世界農業遺産サイトのうち、「能登の里山里海(Noto’s Satoyama and Satoumi)」と「トキと共生する佐渡の里山(SADO’s Satoyama in harmony with the Japanese crested ibis)」は2011年6月に日本で初めてGIAHS認定を受けた。

     生物多様性と農業を循環させる「生き物ブランド米」の先駆け

   能登と佐渡のGIAHSは中国・北京で開催されたFAO主催のGIAHS国際フォーラムでの審査会(2011年6月11日)で認定された。当時、自身も金沢大学でこの申請作業に関わっていて北京での審査の様子を見守った。七尾市長の武元文平氏と佐渡市長の高野宏一郎氏はそれぞれ能登と佐渡の農業を中心とした歴史や文化、将来展望を英語で紹介した。認定された夜の懇親会で、武元氏は「七尾まだら」を、高野氏は「佐渡おけさ」を歌い、ステージを盛り上げた。中国ハニ族の人たちもステージに上がり歌うなど、国際民謡大会のように盛り上がった。(※写真・上は「佐渡おけさ」をステージで披露する高野市長、右横で踊るのが渡辺竜五・市農林水産課長=2020年4月より市長)
 
   そして、高野氏は受賞の喜びをこう語った。「世界農業遺産の認定はゴールではなく、新たなスタートです。この認定を誇りに思うとともに、佐渡島民は受け継いできたこの農業の価値を認識し、より一層の持続可能な農業生産活動と里山、自然、文化の保全そしてトキをシンボルとした生物多様性保全に取り組みを進めなければなりません」

   当時、佐渡市は国際保護鳥トキの放鳥で減農薬の稲作農法を行う「朱鷺と暮らす郷づくり」認証制度をベースにコメのブランド化を進めていた。いわゆる「生き物ブランド米」の先駆けでもあった。世界農業遺産の認定を契機に高く評価された。その後、佐渡市は生物多様性と循環型農業の構想を未来に向けてどのように描ているのか知りたく、今回のフォーラムに参加した。

   午後2時から始まったフォーラムは、佐渡を拠点に活動している太鼓芸能集団「鼓童」の演奏で始まった=写真・下=。52の国と地域で6500回を超える公演を行っているという。腰を落として全身の力を使って太鼓を打ち込む姿は胸を打つ。佐渡の人々の心意気を象徴するような迫力ある響きだ。

⇒29日(金)夜・佐渡の天気     はれ

★秋を感じる植物のにおい

★秋を感じる植物のにおい

   自宅の庭にキンモクセイが咲き、秋の深まりを感じさせる=写真・上=。そして、あの独特の存在感のある匂いを放っている。以前、植物に詳しい研究者から聞いた話だが、キンモクセイの花の匂いに寄って来る訪花昆虫はハエやハチの仲間が多く、一方で一部の昆虫を忌避させる成分も含まれていて、モンシロチョウなどは寄って来ないという。この話を聞いて、「確かに便所花だから」と妙に納得したものだ。

   昭和の時代までは、くみ取り式トイレが多かった。そこで、キンモクセイは季節限定ではあるものの、におい消しの役目を果たしていたのだろう。自宅のキンモクセイはかつてトイレの側に位置していた。その後、自宅を改築して水洗式トイレにして、別の場所に移した。50年も前のことだ。この時点で、キンモクセイの役目は終わった。とは言え、伐採はせずにそのまま残した。そして、冒頭の述べたように、秋の深まりを告げる植物として、その後も存在感を放っている。 

   秋の植物の匂いと言えば、これも存在感を放っている。「においマツタケ、味シメジ」と言い伝えられるマツタケだ=写真・下=。スーパーに並ぶ国内産は数本で1万円台と相変わらず高額だ。人工栽培ができないので、希少価値がある。アカマツ林が多くマツタケの産地として知られる奥能登でも露店で1㌔1万円はする。

   季節的に国内産より早めに出回るのがスウェーデンやフィンランド産で、スーパーで手に取ると、国内産とDNAが近いこともあって、においもする。価格は1㌔数千円とそこそこの値段だ。最近はアメリカのオレゴン州産もよく目にするようになった。欧米産のマツタケを見て思うことがある。欧米では、すしなど日本食ブームでそれに合う日本酒の売れ行きも好調だ。にもかかわずらず、輸出はすれど、欧米人はマツタケを食さない。それはなぜか。

   かつて、知り合いの料理人からかつて聞いた話だ。いわく、「欧米の人がマツタケを食さない理由は、マツタケの香りが靴底のこもった臭気を連想させるからだそうですよ」と。確かに、そう言われればそのようなにおいかも知れない。日本人は「においマツタケ、味シメジ」と昔から脳にすり込まれているので重宝する。ここが食文化の分かれ目なのだろう。

   料理人から聞いた話は10数年も前のこと。マツタケのにおいに欧米人が慣れて、「これこそ世界最高の食文化だ」とすき焼きにマツタケを入れて食する時代がやって来るかもしれない。日本では、若い世代が「あんな靴の中の臭いがするバカ高いマツタケなんて食べたくない」と言い出す日がくるかもしれない。においの時代感覚は微妙にずれてくるものだ。

⇒27日(水)夜・金沢の天気    くもり

☆シナリオありきの「記者会見もどき」

☆シナリオありきの「記者会見もどき」

         秋篠宮家の眞子さんは、きょう26日に婚姻届を提出し、午後2時から「小室眞子さん」として圭氏ともに記者会見に臨んだ。テレビ各社が会見の模様を特番体制でテレビ中継していた。会見場には宮内庁の記者クラブに常駐する記者のほか、雑誌や海外メディアの記者らも出席していた。違和感を感じたのは、冒頭で二人が結婚の気持ちを述べた後、質疑応答の時間はなどはなく会見は10分余りで終わったことだった。

  メディア各社の報道によると、記者会見の形式がきのう急きょ変更となった。当初は会見で二人が記者側が事前に提出した質問と関連質問も受ける予定だったが、質疑応答には口頭で答えないことに変更となった。事前の質問については、文書回答となった。これでは、記者会見の意味がない。NHKニュースWeb版(26日付)によると、宮内庁の説明では、文書回答とする理由について、事前質問の中に、誤った情報が事実であるかのような印象を与えかねないものが含まれていることに眞子さんが強い衝撃を受け、強い不安を感じたため、医師とも相談して文書回答にすることを決めたようだ。また、眞子さんは一時、会見を取りやめることも考えたが、ギリギリまで悩み、直接話したいという強い気持ちから、会見に臨んだという。

   率直な感想を言えば、これを「記者会見」とは言わない。「記者会見もどき」だろう。記者会見は記者がその場で質問をして、会見者がどう応えるのか、それは筋書きのないドラマである。記者からの5つの質問はすべて文書回答というのは作られたシナリオありきの会見だ。もし、記者からの質問にその場で返答していれば、実に価値のある会見だったに違い。   

   会見で小室圭氏は金銭問題について言及し、「私の母と元婚約者の方との金銭トラブルという事柄については詳しい経緯は本年4月に公表した通りです」と述べ、「元婚約者の方には公表した文書で書いたように、これまでも折に触れて私と私の母からお礼を申し上げており、感謝しております」と語った。この発言にも違和感がのこった。

   ことし4月8日、小室圭氏は母と元婚約者男性の金銭トラブルについて記したA4用紙28枚の文書を発表した。いわゆる小室文書では「録音」についての記述が何か所も出てくる。たとえば、2012年9月の母と婚約者男性の婚約破棄に関わる記載では、13㌻と19㌻の「脚注」に「元婚約者の方の『返してもらうつもりはなかった』というご発言を録音したデータが存在します」「このやりとりについては私自身同席していて聞いています。又、録音しているので、元婚約者の方が『返してもらうつもりはなかった』とおっしゃったことは確認できています」などと記している。小室文章を読んで、なんと誠意のない書き方かとむしろ疑問に感じた。

   こうした「隠し録り」や「隠し撮り」の人物は録音データをかざしながら、「ウソつくな、証拠がある」と相手を追いつめるタイプだ。おそらく、眞子さんとのこれまでのスマホなどでの会話などは音声データとして膨大な量が蓄積されているに違いない。将来、眞子さんをコントロールするために使われるのではないだろうか。「あとのき、確かに君はこう言った。録音がある、だからヤレよ」という風に。(※写真は、NHK総合の記者会見の中継番組より)

⇒26日(火)夕方・金沢の天気      はれ