☆「T・K生」と「安江良介」のこと
メディア各社が韓国の軍人出身政権時代に岩波書店の月刊誌『世界』で民衆への弾圧を告発する「韓国からの通信」の記事を書いた「T・K生」こと、池明観(チ・ミョングァン)氏が1日、97歳で死去したと報じている。学生時代に『世界』の編集長だった安江良介氏に「T・K生は誰ですか」と無謀なインタビューをしたことを思い起こした。
東京の大学の部活では弁論部に所属していた。国政や国際的な時事ネタをテーマに10分ほどにまとめて弁舌する。論理と調査と統計に裏打ちされた弁論の手法をたたき込まれた。当時、自身のテーマの一つが韓国の政治情勢だった。きっかけは弁論部に入る1年前の1973年の8月8日に起きた金大中拉致事件。千代田区のホテルにいた韓国の民主活動家、金大中氏が拉致されて5日後にソウルの自宅で軟禁状態に置かれていたことが発覚した。「韓国からの通信」は、当時の韓国の民主化を求める知識人の動きや民衆の声をリアルに伝えていた。
大学2年か3年のころだった。弁論部出身の先輩の新聞記者からのアドバイスで、安江良介氏にインタビューを電話で申し込んだ。安江氏は金沢市の出身で、金沢大学卒業後に岩波書店に入社という経歴だったので、自身も金沢から東京にやってきたと伝えると、大学の講演会の講師に招かれているのでその時に面談しようと快く応じてくれた。日時は記憶にないが、講演の終了後に講師控室に行き、冒頭の質問をした。立ち話でのインタビューだったが、安江氏は「匿名だから記事が書ける。それ以上は話せない」との趣旨の返事だった。
「韓国からの通信」は1973年5月号から88年3月号までの15年間掲載された。安江氏はその間の編集長だった。「韓国からの通信」の連載が始まって間もなく金大中事件が起き、当時の韓国政権に対する日本の批判世論が高まっていた。安江氏は別の顔をもっていた。1967年から70年まで当時の美濃部東京都知事の特別秘書も務めていた。68年に東京都は朝鮮学校を各種学校として全国で初めて認可するが、それを知事に進言したのは安江氏だった。
池氏がT・K生だったことを明かしたのは2003年だった。1970年から韓国の女子大学で教授を務め、民主化運動を進めるが、72年に日本に来てその後20年間亡命生活を送ることになる。朝日新聞Web版(1日付)によると、「韓国からの通信」のもとになった手記や資料は、日本のキリスト教関係者らの協力で韓国から秘密裏に持ち出されたもので、これをもとに池氏が執筆したとされる。
安江氏と池氏との極秘の連携プレーで世に出されたドキュメントだった。一気に読める流れるような文体で、自身はT・K生は韓国人ではなく、日本人ではないかと思ったほどだった。池氏は1993年に帰国し、金大中政権の対日政策のブレーンとして、韓日文化交流会議委員長を務め、日本文化の開放に貢献した。安江氏は90年に岩波書店4代目社長に就任。いわゆる進歩的知識人に対して影響力を持ち続けたが、98年1月に62歳で逝去した。
ある意味で当時のT・K生の「韓国からの通信」、そして安江氏へのインタビューがきっかけでメディアに興味がわき、自身は大学卒業後に新聞記者の世界に飛び込んだ。人生の転機を与えてくれた二人だった。
⇒2日(日)夜・金沢の天気 くもり
経済の動きを占ってみる。日経平均株価の年末の終値(12月30日)は2万8791円で前年と比べて1347円値上がりし、年末の終値としては32年ぶりの高値だった。しかし、経済を取り巻く高揚感はあっただろうか。日常生活では、1㌦=115円の円安ドル高で近所のガソリンスタンドの価格が一時1㍑169円になった。円安ドル高はことしも続きそうだ。
世界の年間の二酸化炭素排出量の約4割が火力発電など石炭を燃やすことで発生しているため、今回の成果文書で石炭対策が初めて明記された。が、その表現をめぐって土壇場で攻防があった。文書案では当初、石炭の使用を「phase out(段階的に廃止)」という表現になっていた。しかし、合意採択を協議する最後の全体会議でインド代表がこれに反対した。飢餓の削減に取り組まなくてはならない発展途上国にとって、石炭使用や化石燃料を段階的に廃止する約束はできないと主張。インドの主張を中国も支持し、石炭産出国のオーストラリアも賛同した。議論の挙句に「phase down(段階的な削減)」という表現になった。
することを明らかにした(12月29日付・NHKニュースWeb版)。ことし6月、中国政府への批判を続けてきた香港の新聞「蘋果日報(アップル・デイリー)」の紙面の主筆や中国問題を担当する論説委員も逮捕され、発行停止に追い込まれている。
にしても、NHKの番組プロデューサーもあのヤフコメやSNSでの「マツケンサンバ待望論」が気になっていたのだろうか。
その中で、デジタル庁の設立についても示唆していた。「インターネットを前提に、さまざまな仕組みを再検討し、社会全体のDX化を推進する必要があることから、早急に『デジタル推進法』等新たな法整備をすべきであること、そしてDX庁のような新たな役割を担う部署を設立することも提言として盛り込んだ」。2020年9月16日に菅内閣が発足し、政策の目玉の一つとして「デジタル庁」新設を打ち出し、ことし9月1日にデジタル庁がスタート。10月4日の第1次岸田内閣で牧島氏が大臣に就いた。2017年から自民党デジタル社会推進特別委員会の事務局長を担当していたので、ようやく本望がなかったということだろう。
マスク配布の遅れが不評で安倍内閣の支持率が急速に落ち始める。共同通信社の全国緊急電話世論調査(5月29-31日実施)で内閣支持率は39.4%に落ち、読売新聞社の世論調査(8月7-9日実施)でも内閣支持率は37%とダウン、不支持率が上昇し54%となった。支持率下落はマスクの遅れだけでなく、7年8ヵ月続いた長期政権の賞味期限切れということもあったろう。9月16日に安倍内閣は総辞職する。
きょうは朝から断続的に雪が降り、午前中の積雪は自宅周囲で20㌢ほどになった。今季初めての雪すかしをした。まず玄関前の道路に積もった雪を、次に駐車場を除雪して、最後に玄関の入り口をすかす。40分ほどかかった。
暗黙のルールに従わなかったからと言って、罰則や制裁があるわけではない。雪は溶けて消えるものだ。しかし、町内の細い市道でどこかの家が積雪を放置すれば、交通の往来に支障をきたし雪害となる。ご近所の人たちはその家の危機管理能力を見抜いてしまう。もちろん、道路の雪害は住民の責任ではなく、行政にある。一方で道路を使うのは住民なので、公共の意識で出来る範囲で除雪を行う。そんなルールだ。
庭先の雪を見てみる。五葉松の枝に積雪があり、いまにも枝が折れそうだが、雪吊りの縄でそれを支えてくれている=写真・上=。北陸の雪はパウダースノーではなく、湿気を含んだベタ雪なので重い。2004年冬は金沢市内で50㌢を超す大雪となったが、雪つりのおかげで我が家の五葉松の枝は折れなかった。
記者団から中国の人権問題を問われ、松野官房長官は「わが国としては国際社会における普遍的価値である、自由、基本的人権の尊重、法の支配が、中国でも保障されることが重要だと考えており、わが国の立場については、さまざまなレベルで中国側に直接働きかけている。オリンピック・パラリンピックは世界に勇気を与える平和・スポーツの祭典だ。北京冬季大会への日本政府の対応はこれらの点も総合的に勘案してみずから判断を行った」と述べていた。北京オリンピックを外交的にボイコットするまっとうな理由だろう。
付・NHKニュースWeb版)。宮内庁の説明に、メディアに対する恩着せがましさというものを感じた。それだったら、宮内庁は記者会見の中止を眞子さんに進言すべきではなかったのか。 