#のと里山海道

☆変わる光景、変わらぬ光景~2024能登地震・豪雨 その3~

☆変わる光景、変わらぬ光景~2024能登地震・豪雨 その3~

  能登半島地震で分断されていた国道249号の復旧工事で、通行止めの最後の区間がきのう27日午後に開通した。さっそく現地に赴いた。塩田村で知られる珠洲市仁江町と観光ホテルなどがある同市真浦町を結ぶ逢坂トンネルは土砂で埋まり通行不能となっていた。ここに国土交通省がトンネルの海側沿いに全長1.7㌔の迂回路を造成した。

  国道249号が全線通行可に
        絶景の迂回路

  道路の幅は1車線分の5㍍ほどで、車の待避スペースも複数設けられている。緊急車両と地元住民のみに通行が制限されているので、迂回路の入り口付近で撮影した。日本海の冬の荒波が岩場に当たって舞い上がり、地震で崩れた山の岩肌がむき出しになった場所を迂回路が通る=写真・上=。素人目線ながら、「絶景」という言葉が浮かんだ。そして、この光景はジオパーク(Geopark)だと。まさに、震災後の光景だ。大地の造形物は何千年、何万年と歴史を刻みながら少しづつ姿を変えきたのだと実感する。

  今月5日には同じく寸断されていた輪島市町野町大川浜の国道249号が開通。また、同市の白米千枚田近くの249号も土砂崩れで埋まったが、地震で隆起した海岸に2車線の迂回路を造成し、対面通行が可能になった。249号の全線開通で地域の復旧・復興の加速を期待したい。

  一方、道路で変わらぬ光景もある。このブログで何度か取り上げたが、金沢と能登を結ぶ自動車専用道路「のと里山海道」横田IC近くの道路盛り土の崩落現場に乗用車が転落している=写真・下=。現場は運転席から見えるので、きのうも確認するとまだあった。年越しの変わらぬ光景なのか。

⇒28日(土)午後・金沢の天気    あめ時々みぞれ

☆能登の復興を加速 「のと里山海道」ようやく全線で対面通行が可能に

☆能登の復興を加速 「のと里山海道」ようやく全線で対面通行が可能に

  自動車専用道路「のと里山海道」がようやく全線での対面通行が可能になった。きのう(10日)能登大橋付近での片側交互通行(260㍍)が解除され、能登半島地震の発災から254日目にして、能登と金沢の間がノンストップで通行できるようになった。7月17にのと里山海道は全線で通行できるようになったが、能登大橋付近だけが片側交互通行だった。交通インフラは被災地の復興を加速させるに違いないとの想いを込めて、全線の対面通行となったのと里山海道を往復した。

  能越自動車道を含めたのと里山海道は片道88㌔となる。全線で対面通行が可能になったものの、道路のアップダウン勾配や、左右の急カーブが続く。そして、一部区間の制限速度は時速40㌔に引き下げられたままだ。これまで盛り土の一部が崩れて1車線しか通行できなかった能登大橋付近は対面通行が可能となり、スムーズに車が流れていた=写真・上=。

  走行して思ったことは、率直な話、この道路を使用するのは12月末が限度かもしれない。能登は積雪も多い。去年2023年12月21日から22日かけて能登では60㌢もの積雪があった。同じ積雪があった場合、アップダウン勾配や左右急カーブの道路では、除雪車の走行すら難しいのではないだろうか。さらに、土嚢(どのう)が道路際に積まれていて、除雪ができないだろう=写真・下=。こうした箇所が数多くある。もちろん道路の修復は終わったわけではなく、これからさらに改良が重ねられていくのだろう。積雪の時季まであと3ヵ月だ。土嚢はいつ撤去されるのか。

  のと里山海道の横田IC付近を走行するドライバーの中には、道路の崩落現場で転落した乗用車を見た人も多いだろう。その転落した乗用車はいまも残されたままになっている。復旧・復興と言っても完全ではない。不都合を残しながらも徐々に進んでいる。

⇒11日(水)午前・金沢の天気    

★「のと里山海道」復旧道半ば 「まれぞら」流れる日を待つ

★「のと里山海道」復旧道半ば 「まれぞら」流れる日を待つ

  金沢と能登を結ぶ自動車専用道路「のと里山海道」(90㌔)は元日の震災から徐々に復旧してきたものの、現在も一部区間(徳田大津IC-のと里山空港IC、33㌔)は奥能登方面への片側通行となっている。復旧工事を行っている国土交通省は7月末までにおおむね全区間で対面通行ができるようになると見通しを発表している(4月23日付)。「おおむね」の表現は、穴水町の能登大橋付近では路面が一部崩落しており、7月以降も当面の間は工事用信号で行き交う片側交互通行が続くとの見通しのようだ。

  おおむねであっても全区間で対面通行が可能になれば、がれき撤去などの復旧工事車両の移動時間も削減されて、復旧・復興が進むだろう。実際にのと里山海道を走行すると、進捗状況は道半ばではないかと思いをめぐらせてしまう。

  もちろん国の直轄事業だけあって、着実に復旧工事が進んでいると実感するポイントもある。道路は盛り土の部分が崩れているが、復旧工事では何ヵ所かを鉄橋にする作業が進められている=写真・上、6月6日撮影=。一方でまったく手つかずの状態の現場も散見する。道路のアスファルトに大きなひび割れが入り陥没している。崩落した道路を走行した乗用車が転落した現場はいまもそのままの状態だ=写真・中、同=。転落した車の現場は、のと里山海道の「被災のシンボル」のようにも見える。

  道路を走ると、2015年にNHKで放送された、能登半島が舞台の連続テレビ小説「まれ」の主題歌「希空~まれぞら~」のメロディが道路で流れる場所がある=写真・下、同=。ここも道路のひび割れなどで継ぎはぎとなり、部分的にしか聴こえない。本来ならば時速70㌔の速度で1分間ほど楽しめる「おとのみち」なのだが、現在は時速40㌔に制限されているため、どろんとしたテンポだ。

  歌詞を思い出す。「風が強く冷たいほど教えてくれる 出会うべき人のことを どうか希望の地図をそっと開いてみてね あたたかい未来たちが僕らを待っているよ」。被災した能登の人々を勇気づけてくれる歌詞のようにも感じる。この「希空~まれぞら~」の道を復興してほしいと願う。

⇒8日(土)午前・金沢の天気   はれ時々くもり

☆能登半島地震 救急車が行き交う被災現場を行く

☆能登半島地震 救急車が行き交う被災現場を行く

    震災から4日たったきのう5日、能登町の実家を訪れた。生まれ育ったところでもあり、震災でどのようになったのかこの目で確かめたかった。兄夫妻が家業を継いでいる。震度7に見舞われた1日から電話やスマホが繋がらない状態になっていた。4日午前になって初めて、家族から「なんとか車中生活でしのでいる」と連絡があった。そこで、金沢で買い込んたブルーシートや飲料水などを弟のライトバンに積んで、いっしょに出かけた。

   午前7時に出発。金沢から輪島に向かう半島の縦貫道「のと里山海道」(全長83㌔)を走る。これまでだったら時速80㌔での走りは爽快で、金沢から実家までは2時間足らずで着く。ところが、地震で道路にゆがみやひび、亀裂が走っていてスピードは出せない。道路には亀裂にタイヤが挟まれた車やパンクした車がところどころに置き去りにされている。

   「上棚矢田インター」で下道に降りる。これ以上は道路が崩れているので、通行止めとなっている。ここからは国道や県道、市道などを繋いで走る。そもそも、通行量が多く長だの列だ。自衛隊や警察や消防のほか、災害救助や復旧活動、物資輸送のための車両が行き交う。こうした車両を優先するため、一般車は道を譲ることになる。実家に到着したのは午後1時ごろだった。じつに6時間。

   半島の北部に位置する奥能登では、能登町が震度6弱、輪島市と珠洲市、穴水町は6強だった。兄夫妻から聞いた話だと、20世帯の集落うち19世帯が全壊したところもある。さらに、地震で家はなんとか大丈夫だったが、その後に裏山でがけ崩れが起きて押し倒された家屋もある。

   実家は家屋そのものは壊れなかったが、屋根の瓦がめくれていた。部屋の壁も剥がれ落ちている。台所は食器棚が崩れた。本震は午後4時すぎだったので調理用のガスを使っていなかったが、この揺れが午後6時ごろだったら火災が発生していかもしれない、と。

   地震の発生からいまも断水と停電が続いている。また、震度5の揺れは続いている。このため夜は車中泊、日中は散乱した室内などの片付けが続いている。屋根のブルーシート張りは集落の人たちと互助で行っているというので、そのまま置いてきた。実家での滞在は1時間ほどだった。金沢の自宅に戻ったのは午後9時ごろ。じつに7時間。

(※写真は5日に撮影。救急車や救助車が行き交う。輪島市と能登町を結ぶ県道幹線が崩れ、一車線で車が走る。寺院の鐘つき堂が崩れ落ちそうな状態に=能登町)

⇒6日(土)夜・金沢の天気    くもり