#にほんの里100選

☆能登の里山に人が戻り 田んぼに緑が戻るとき

☆能登の里山に人が戻り 田んぼに緑が戻るとき

  奥能登の輪島市町野町の金蔵(かなくら)地区を訪れた(今月3日)。じつに残念な光景が広がっていた。里山に広がる水田が見渡す限りで一枚も耕作されていないのだ。金蔵は2009年に「にほんの里100選」に選定されていて、「金蔵米蔵金」という独自のブランド米も有している。その田んぼ一面に雑草が伸び放題となっていた。元日の地震は能登の農村、そして農村文化までも破壊したのかとの思いがよぎった。

  同地区は現実問題に直面している。地域メディア各社の報道によると、地区の区長が3月4日に輪島市役所を訪れ、同地区内に仮設住宅を設置するよう申し入れた。金蔵では地震前に53世帯95人が暮らしていたが、現在はそのうちの70人が金沢市などへ避難し、現在は25人に減少している。避難した多くの世帯は地元に仮設住宅ができれば金蔵に戻る意向を示していると区長は説明した。

  金蔵へは毎年、大学の授業の一環として「能登を学ぶスタディ・ツアー」を企画し、学生たちを連れていっている。去年8月23日にも、現地で「地域おこし達人」として活躍する石崎英純氏から講義を受けた。そこで、田んぼが耕されていない金蔵の現状について、石崎氏に電話を入れた。このような内容だった。

   3月4日時点では25人だったが、同月中旬に水道が通るようになり、現在(5月6日時点)では60人ほどになっている。田んぼについては、地域内で36町歩(約35㌶)ほどあるが、これから田植えができるのは2町歩ほどしかない。田んぼを潤す主要なため池「保生池」を水源としているが、その用水路などが地震でかなり損傷しているからだ。行政には、用水路の補修をお願いしているが、なかなか手が回らないようだ。合せて、地域内に仮設住宅の建設を依頼しているが、まだ返事がない、とのこと。

  石崎氏の口調は穏やかだったが、行政については憤りを感じるテンションだった。地震で3割近くの家屋が損傷し、市街地へ向かう道路が寸断されたものの、今は輪島市街地へのつながる国道249号も復旧した。「若い人たちも戻ってきている。金蔵の将来を見据えた復旧・復興を話し合っていきたい」。石崎氏のこのひと言に地域復興の途に就いた、との印象を受けた。金蔵に緑の田んぼが一日も早く蘇ることを祈りたい。

⇒6日(月)夜・金沢の天気    くもり

★能登半島地震 仮設住宅の設置で救われるのか「消滅集落」

★能登半島地震 仮設住宅の設置で救われるのか「消滅集落」

  奥能登の輪島市町野町の金蔵(かなくら)地区は田園と集落がまるで絵に描いたように広がる里山で知られる=写真=。2008年9月に第16回アジア太平洋環境会議(エコアジア、名古屋市)に出席した生物多様性条約事務局長のアフメド・ジョグラ氏がこの地に立ち寄り、棚田で稲刈りをする人々の姿を見て、「日本の里山の精神がここに生きている」と述べた。金蔵の里山にクロサンショウウオなど貴重な生物が生息しており、自然と共生し生きる人々の姿に感動したのだった。2009年には「にほんの里100選」に選定されている。

  自身が大学教員だったころ、何度か学生や留学生たちを連れて能登をスタディ・ツアーで訪れ、金蔵に立ち寄った。人気だったのが、昼食に地域の人たちが用意してくれた「ジビエカレー」だった。ジビエはイノシシ肉で、地域の実情について話していただいた世話役の人は「金蔵の人口が減るごとに反比例してイノシシが増えている」と苦笑いしていたのを覚えている。2014年のツアーのときに聞いた話では、人口は130人だった。2009年の「にほんの里100選」に選ばれたときは160人と聞いていた。

  そして、再び金蔵の人口のことが話題になった。地域メディア各社の報道によると、金蔵地区の区長が今月4日に輪島市役所を訪れ、同地区内に仮設住宅を設置する申し入れた。要望書などによると、金蔵では地震前に53世帯95人が暮らしていたが、現在はそのうちの70人が金沢市などへ避難し、現在は25人に減少している。避難した多くの世帯は地元に仮設住宅ができれば金蔵に戻る意向を示していると区長は説明した。

  同地区では地震で3割近くの家屋が損傷し、市街地へ向かう道路が寸断されている。このため支援物資は届かず、受け取りに車を1時間走らせることになる。こうした不便な生活が長引く中、人々は集落から離れている。

  もしここで市役所が仮設住宅設置の要望を受け入れなければ、「集落消滅」は現実に起きるのではないか。アフメド・ジョグラ氏がこの地の里山の風景を絶賛してから16年目になる。

⇒6日(水)夜・金沢の天気   くもり