#おもてなし

☆パラリンピックで学ぶ「おもてなし」の心

☆パラリンピックで学ぶ「おもてなし」の心

   きのう夜のパラリンピック開会式をNHKテレビで視聴した=写真・上=。各国選手の入場行進を見ていると、先天的な障がいだけではなく、事故での障がいなどさまざまなケースがあることに気づかされた。エジプトの卓球に出場する男子選手は、10歳の時に列車事故で両腕を失い、ラケットを口にくわえ足でボールをつかんでトスを上げてプレーすると紹介されていた。どのようなプレーなのか見てみたい。

   前回のオリンピック開会式(7月23日)との違いは主役がいて統一感があったことだ。とくに、車イスに乗って「片翼の小さな飛行機」の物語を演じた和合由依さんは実に表情豊かだった。中学2年の13歳。先天性の病気で、手足が自由に使えない。演技経験はなかったが、一般公募でオーディションに合格したと紹介されていた。その主役を盛り立てる演技も心に響いた。

   派手なデコレーショントラックで現れたロックバンドの布袋寅泰氏が幾何学模様のギターで、全盲のギタリストや手足に麻痺があるギタリストらとともに演奏し、ダンサーたちが音と光の中で迫力あるパフォーマンスを演じていた。じつに感動的な演出で、新国立競技場のスタジオと視聴者との間の一体感が醸し出されたのではないだろうか。

   パラリンピック開会式を見ていて、ふと、奥能登の農耕儀礼「あえのこと」を思い出した。2009年にユネスコ無形文化遺産にも登録されている。毎年12月5日に営まれる。コメの収穫に感謝して、農家の家々が「田の神さま」を招いてご馳走でもてなす、パフォーマンス(独り芝居)を演じる=写真・下=。もてなしの仕方は家々で異なるが、共通することが一つある。それは、田の神さまは目が不自由という設定になっている。働き過ぎで眼精疲労がたたって失明した、あるいは稲穂でうっかり目を突いてしまったなどの伝承がある。   

   ホスト役の家の主人は田の神さまの障害に配慮して演じる。近くの田んぼに田の神さまを迎えに行き、座敷まで案内する際が、階段の上り下りでは介添えをする。また、供えた料理を一つ一つ口頭で丁寧に説明する。もてなしを演じる主人たちは、自らが目を不自由だと想定しどう接してもらえば満足が得られるかと逆の立場で考え、独り芝居の工夫をしている。

   これまで「あえのこと」儀礼を何度か見学させてもらったが、この儀礼は健常者のちょっとした気遣いと行動で、障害者と共生する場を創ることができることを教えてくれる。「もてなし(ホスピタリティー)」の原点がここにあるのではないかと考える。

   「能登はやさしや土までも」と江戸時代の文献にも出てくる言葉がある。地理感覚、気候に対する備え、独特の風土であるがゆえの感覚の違いなど遠来者はある意味でさまざまハンディを背負って能登にやってくる。それに対し、能登人は丁寧に対応してくれるという含蓄のある言葉でもある。「あえのこと」儀礼がこの能登の風土を醸したのではないかと想像している。

   13日間のパラリンピックをテレビで視聴する機会も増える。障がい者とどう向き合うかを考えるチャンスにしたい。そして、日本人にとってそれが当たり前の日常になれば、日本のホスピタリティーやユニバーサルサービスが世界で評価されるかもしれない。

⇒25日(水)午前・金沢の天気   くもり

★コロナ禍でも「あえのこと」は絶やさず

★コロナ禍でも「あえのこと」は絶やさず

   新型コロナウイルイスの感染拡大で能登半島でもイベントがほとんどが中止となった。何百年という歴史があるキリコ祭りも中止となった。ただ、家々で毎年12月5日に営まれる農耕儀礼「あえのこと」だけはささやかに行われた。「あえのこと」は田の神をご馳走でもてなす家々の祭りを意味する。2009年9月、ユネスコ無形文化遺産に単独で登録されている。   

   田の神はそれぞれの農家の田んぼに宿る神であり、農家によって田の神さまにまつわる言い伝えが異なる。共通しているのが、目が不自由なことだ。働き過ぎで眼精疲労がたたって失明した、あるいは稲穂でうっかり目を突いてしまったなど諸説ある。目が不自由であるがゆえに、それぞれの農家の人たちはその障害に配慮して接する。座敷に案内する際に階段の上り下りの介添えをし、供えた料理を一つ一つ口頭で丁寧に説明する。もてなしを演じる家の主たちは、自らが目を不自由だと想定しどうすれば田の神に満足していただけるのかと心得ている。

   「あえのこと」を見学すると「ユニバーサルサービス(Universal Service)」という言葉を連想する。社会的に弱者とされる障害者や高齢者に対して、健常者のちょっとした気遣いと行動で、障害者と共生する公共空間が創られる。「能登はやさしや土までも」と江戸時代の文献にも出てくる言葉がある。初めて能登を訪れた旅の人(遠来者)の印象としてよく紹介される言葉だ。地理感覚、気候に対する備え、独特の風土であるがゆえの感覚の違いなど遠来者はさまざまハンディを背負って能登にやってくる。それに対し、能登人は丁寧に対応してくれる。もう一つ連想する言葉がSDGsだ。「誰一人取り残さない」という精神風土、あるいは文化風土をこの「能登はやさしや土までも」から感じ取る。

   去年、金沢大学で「あえのこと」見学ツアーを実施した。ブラジルからの女子留学生は「とても美しいと感じる光景の儀式でした。ホスピタリテーの日本文化を知る機会を与えていただき感謝しています」と喜んでいた。留学生たちは日本の「お・も・て・な・し」を体感したようだった。(※写真は、2019年12月5日の輪島市千枚田、川口家の「あえのこと」)

⇒5日(土)夜・金沢の天気    くもり