#いしかわトキの日

☆「トキが舞う能登」を震災復興のシンボルに 環境省が本州で初の放鳥へ

☆「トキが舞う能登」を震災復興のシンボルに 環境省が本州で初の放鳥へ

  きょうの金沢は朝から晴天。予報だと、気温は10度まで上がった。そして、あす16日はさらに12度まで。雪国に住んでいるとうれしくなる数値だ。雪が溶けるから。朝8時ごろ、近所の人が一人、二人と出てきて、「積み雪くずし」が始まった。玄関の前などの除雪で積み上げた雪を今度は崩す作業だ。気温が10度に上がっても、積み上げた雪はそう簡単に溶けない。なので、スコップを入れてカタチを崩すことで、空気の熱が雪の表面に広く伝わり、溶けるのを加速させる。あるいは、太陽光で熱を帯びたコンクリートやアスファルトの表面に崩した雪を散らす。雪を溶かす作業は意外と楽しめる。

  話は変わる。環境省はきのうトキ野生復帰検討会を開催し、国の特別天然記念物のトキの放鳥を2026年度上半期をめどに能登地域で行うことを決めた(14日付・環境省公式サイト「報道発表資料」)。本州でのトキの放鳥は初めてとなる。環境省は本州における「トキと共生する里地づくり取組地域」にを目指す自治体を2022年度に公募し、能登と島根県出雲市の2地域を選定していた。今回のトキ野生復帰検討会で能登が野生復帰をするに足るだけの自然的、社会的環境と地域体制が着実に整備されていると認め、来年度の放鳥が正式に決まった。(※写真は、輪島市三井町洲衛の空を舞うトキ=1957年、岩田秀男氏撮影)

  能登でのトキ放鳥は深いつながりがある。かつて、「本州で最後の一羽」と呼ばれたトキが能登にいた。「能里(のり)」という愛称で呼ばれていた。オス鳥だった。能登には大きな河川がなく、山の中腹にため池をつくり、田んぼの水を蓄えていた。そのため池にはトキが大好物のドジョウやカエルなどなどが豊富にいた。能登半島の中ほどにある眉丈山では、1961年に5羽のトキが確認されている。そのころ、田んぼでついばむエサが農薬にまみれていた。このため、1970年に能里が本州で最後の一羽となる。当時、新潟県佐渡には環境省のトキ保護センターが設置させていて、能里は人工繁殖のために佐渡に送られた。ところが、翌年1971年3月、鳥かごのケージの金網で口ばしを損傷したことが原因で死んでしまう。

  こうしたいきさつから能登ではトキへの思い入れがあり、石川県と能登9市町は環境省の本州でのトキ放鳥に熱心に動いてきた。国連が定める「国際生物多様性の日」である5月22日を「いしかわトキの日」と決め、県民のモチベーションを盛り上げている、県は能登でのトキの放鳥に向けた「ロードマップ」案を独自に作成。トキが生息できる環境整備として700㌶の餌場を確保するため、化学肥料や農薬を使わない水田など「モデル地区」を設けて生き物調査を行い、拡充を図っている。こうした取り組みが環境省で評価され、能登での放鳥の段取りがスムーズに進んだようだ。

  能登半島地震の災害からの復興のために石川県が提示した『創造的復興リーディングプロジェクト』の13の取り組みの中に、「トキが舞う能登の実現」が盛り込まれている。トキが舞う能登を震災復興のシンボルとしたい。その思いが動き出す。

⇒15日(土)夜・金沢の天気     はれ

★本州最後の一羽のトキ「能里」が残した教訓

★本州最後の一羽のトキ「能里」が残した教訓

   本州最後の一羽のトキは愛称「能里(のり)」と呼ばれていた。能登半島で生息していたが、国の指示で1970年1月に捕獲され、繁殖のために佐渡トキ保護センターに移された。しかし、翌71年3月13日にケージの金網でくちばしを折ったことが原因で死んでしまった。もう半世紀も前のことだが、能登の人たちの中には、「昔ここには能里が飛んで来とった」と今でも懐かしそうに話すシニアの人たちもいる。

   こうした能登のトキへの想いが伝わったのだろう、環境省は去年8月、佐渡市で野生復帰の取り組みが進むトキについて、本州で放鳥を行う候補地として能登半島と島根県出雲市を選定し、能登での放鳥は2026年以降と発表した。これを受けて、石川県は先月15日に発表した2023年度の当初予算案で、放鳥のための生息の環境づくり関連費として1億360万円の「トキ予算」を盛り込んだ。また、国連が定める「国際生物多様性の日」である5月22日を「いしかわトキの日」と決め、県民のモチベーションを盛り上げる。(※写真は石川県歴史博物館で展示されている「能里」のはく製)

   トキ放鳥のムードが盛り上がる中で、懸念も増している。このブログでも何度か取り上げた、能登半島で進む風力発電の増設計画についてだ。長さ30㍍クラスのブレイド(羽根)の風車が能登には現在73基あるが、新たに12事業・171基が計画されている。

   自然保護の観点から懸念されるのはバードストライク問題であり、景観上もふさわしくない。そして、地域住民への影響もある。去年7月で開催された「能登地域トキ放鳥推進シンポジウム」(七尾市田鶴浜)で、地元の環境保護団体の代表と立ち話で意見交換をした。代表が住む地域の周囲には10基の風車が回り、「風が強い日の風車の風切り音はとてもうるさく、滝の下にいるような騒音だよ」「これ以上、増設する必要はない」と強調していた。

   石川県は今月5日、能登でのトキの放鳥に向けた「ロードマップ」案を作成。それによると、能登の9つの自治体などと連携し、トキが生息できる環境整備として700㌶の餌場を確保する方針で、化学肥料や農薬を使わない水田など「モデル地区」を設けて生き物調査を行い、拡充していく。

   能登はトキが営巣するのに必要なアカマツ林が豊富だ。そして、リアス式海岸で知られる能登は平地より谷間が多い。警戒心が強いとされるトキは谷間の棚田で左右を警戒しながらドジョウやタニシなどの採餌行動をとる。豊富な餌を担保する溜め池と水田、営巣に必要なアカマツ林、そしてコロニーを形成する谷という条件が能登にはある。佐渡に次ぎ、能登半島が本州のトキの繁殖地となることを期待したい。

⇒12日(日)午後・金沢の天気    はれ

★人とトキが共生する楽園づくり ことしが実行元年

★人とトキが共生する楽園づくり ことしが実行元年

   朝刊を広げて、「5・22は『いしかわトキの日』」という見出しが目に飛び込んできた。きのう15日、石川県は2023年度の当初予算案を発表し、2026年にも能登で放鳥が予定される国の特別天然記念物トキの生息の環境づくりをするため、トキと人との共生に向けた取り組みとして関連費1億360万円を予算化した。そして、国連が定める「国際生物多様性の日」である5月22日を「いしかわトキの日」と決め、県民のモチベーションを盛り上げる。

   環境省は、佐渡市で野生復帰の取り組みが進むトキについて、本州などでも放鳥を行う候補地「トキの野生復帰を目指す里地」として能登半島と島根県出雲市を選定した(2022年8月5日付・環境省公式サイト「報道発表資料」)。これを受け、県と能登地域が営巣地などの生息環境を整える取り組みに入る。いわば、2023年が「放鳥に向けた実行元年」ということになる。

   石川県がトキの放鳥に向けてチカラを入れる理由がある。本州最後の1羽だったオスのトキ、愛称「ノリ(能里)」が1970年に能登半島で捕獲され、繁殖のため新潟県佐渡のトキ保護センターに送られた経緯がある。なので、能登にトキが戻ってきてほしいという願いがあった。このため、県と能登の4市5町、JAなど関係団体は去年5月に「能登地域トキ放鳥受け入れ推進協議会」を結成し、環境省に受け入れを申請していた。

   誤解のないように言うと、かつて同じ能登でもトキを「ノリ」と呼んで見守った人もいれば、「ドォ」と呼んで目の敵(かたき)にした人もいた。トキは田植えのころに田んぼにやってきて、早苗を踏み荒らすとして、害鳥扱いだった。ドォは、「ドォ、ドォ」と追っ払うときの威嚇の声からその名が付いた。そして、全国どこでもそうだったが、昭和30年代の食料増産の掛け声で、農家の人々は収量を競って、化学肥料や農薬、除草剤を田んぼに入れるようになった。このため、田んぼに生き物がいなくなり、トキは絶滅の道をたどった。佐渡に送られたノリは翌1971年に死んだ。解剖された肝臓や筋肉からはDDTなどの有機塩素系農薬や水銀が高濃度で検出された。

    いま、生産性重視の米づくりの発想は逆転した。トキが舞い降りるような田んぼこそが生き物が育まれていて、安心そして安全な田んぼとして、そこから収穫されるお米は「朱鷺の米」(佐渡)に代表されるように高級米である。人は生き物を上手に使って、食料の安心安全の信頼やブランドを醸し出す時代である。能登では2009年に「田の神」をもてなす農耕儀礼「あえのこと」がユネスコ無形文化遺産に登録され、2011年に世界農業遺産「能登の里山里海」が認定されている。トキが舞い降りる能登の田んぼで再び米づくりが始まれば、農家も生きる、トキも生きる、共生のパラダイス(楽園)ができるのではないだろうか。

(※写真は、松の木でのトキの親子の営巣の様子。1957年、岩田秀男氏撮影=輪島市三井町洲衛)

⇒16日(木)夜・金沢の天気   くもり