#能登半島地震

★たかが蒲鉾、されど蒲鉾 ウナギかば焼やカニ脚「代替食品」は進化する

★たかが蒲鉾、されど蒲鉾 ウナギかば焼やカニ脚「代替食品」は進化する

  華々しい開幕式のパリオリンピックだったが、騒動もあったようだ。メディア各社の報道によると、水上パレードで入場した韓国の選手団を、現場のアナウンスが英語とフランス語で「朝鮮民主主義人民共和国」と言い間違えて紹介した。韓国政府はIOCに対し遺憾の意を表明。これを受け、IOCのバッハ会長は韓国のユン・ソンニョル大統領に電話し、直接謝罪したようだ。対立が深まる両国だけに重大なミスと判断したのだろう。

  話は変わる。きのう近所のスーパ-に行くと、久しぶりに「うな蒲ちゃん」を見つけた。ウナギのかば焼きもどきの蒲鉾なのだが、「土用の丑の日」の特設コーナーで本物のかば焼きと並んで販売されていた。水産加工会社「スギヨ」の商品だ。スギヨは能登を代表する企業の一つでもある。うな蒲ちゃんを手にして、能登の復興の兆しを感じた。

  能登半島の中ほどにある七尾市に主力工場があり、元日の能登半島地震で工場の稼働はストップしていた。スギヨの代表的な商品と言えば、カニ風味の蒲鉾、通称「カニカマ」なのだが、スーパーの売り場から消えていた。再びカニカマが並んだのは3月下旬ごろだった。本物の香箱ガニの脚を再現した『香り箱』という商品は練り物のコーナーではなく、鮮魚コーナーで陳列されていた。

  そのとき、ふと思ったのが「うな蒲が並んでいない。ということは、工場の稼働はまだ道半ばなのだろうか」と。これまで売り場に何度か立ち寄ったが商品はなかった。そして、きのうようやく見つけた。おそらく、土用の丑の日をめがけて製造ラインの復旧に取り組んだのだろう。主力商品がようやくそろったことで、能登の復興の兆しを感じた次第。

  いわゆる代替食品は進化している。初めてカニカマを食べたのは高校生のときで、いまから50年ほど前だ。当時は「かにあし」という商品名で、細かく身をほぐしたような中身だった。いま販売されているようなカニの脚を模した標品ではなかった。味だけでなく、見た目も限りなく本物に近づいている。

  日本の消費者は本物ではないと知りながら代替食品に手を伸ばす。「マツタケの味、お吸い物」のCMもある。代替食品に違和感を持たない日本人、考えてみればこれも不思議な話ではある。

⇒28日(日)午後・金沢の天気   くもり

★石動山に咲くヤマユリ 災害時のフェイク情報を摘発

★石動山に咲くヤマユリ 災害時のフェイク情報を摘発

  能登半島の中ほどにある石動山(せきどうざん、標高564㍍)がある。かつての山岳信仰の拠点の一つであり、最盛期の中世には院坊が360あり、衆徒3000人が修行を積んでいた伝えられ、国指定の史跡でもある。この時季、「石動山ユリ」が見ごろと聞いて、きのう訪れた。乗用車で山頂近くにある大宮坊の敷地まで行く。見るのは初めてだったが、まさに白い華麗な花だ=写真・上=。よく見るヤマユリよりも大きく、ひとつの花で25㌢ほどだろうか。茎は点在していて、1茎に12の花をつけているものもある。石動山ユリは、修験者たちの厳しい修行を見守っていた花なのだろう。

  話は変わる。能登半島地震をめぐるフェィク情報の発信が問題となっている。地元メディア各社の報道によると、元日の地震が発生した3時間ほど後に、SNSのXで自宅が倒壊し家族が挟まれているので助けて欲しいと、被災者を装ったうその投稿を繰り返し、警察や消防、自衛隊の捜索活動の業務を妨害したとして、今月24日、埼玉県に住む25歳の会社員の男が偽計業務妨害の疑いで逮捕された。

  警察は実際に投稿にあった住所の住宅にかけつけたが、住宅の被害は確認されなかた。その後、投稿を行ったアカウントについて捜査を進めていた。男は、報道で輪島市の被害を知り地図アプリで実際の住所を調べて投稿した供述しているという。能登半島地震でうその投稿をしたとして摘発されたのはこれが初めて。

  逮捕のニュースを知って、熊本地震ときのフェイク情報を思い出した。2016年4月に熊本でマグニチュード7.0の地震が発生したとき、熊本市動植物園のライオンが逃げたと画像をつけて、当時ツイッターでデマを流したとして偽計業務妨害の疑いで神奈川県の男が逮捕された。災害時のデマで逮捕されるのは国内ではこれが初のケースだった。男は2017年3月に「反省している」として起訴猶予処分となった。(※写真・下は、ライオンが逃げたとの偽情報を拡散させた当時のツイッター)

  以下は憶測だが、警察も災害時には、SNSでフェイク情報が出回ることを十分知っていただろう。しかし、「万が一」というケースもあるので、現地へ確認の意味を含めて出動せざるを得ない事情がある。熊本、そして能登での地震での偽情報をめぐる摘発は、警察による見せしめの意味が込められているのかもしれない。

⇒26日(金)午後・金沢の天気    くもり時々はれ

☆真夜中に雷鳴と稲光 能登地震の死者300人超える

☆真夜中に雷鳴と稲光 能登地震の死者300人超える

  真夜中に雷鳴がとどろいた。稲妻が走り、強烈な雨が降って来た。午前2時を過ぎていた。雨が止むと再び稲妻が走り、雷鳴がとどろいていたが、音が当初ほどではなかった。しばらくすると雷鳴はさらに小さくなり、稲光が夜空を走っている。写真は、午前2時53分に金沢の自宅の2階窓から撮った。左が稲光の前の夜の風景、右が稲光が走った瞬間の風景。稲妻はすでに遠ざかって、音は小さく聞こえる程度だが、光は何度も走る。まるで光のショーのような光景だった。しばらく眺めていた。

  話は変わる。能登半島地震での避難生活などで亡くなった人を災害関連死として認定する石川県と5市町(輪島市、志賀町、小松市、白山市、内灘町)による合同の審査会がきのう23日に開かれた。能登地区以外の小松市、白山市、内灘町の関連死の審査は初めて。審査会は今回で4回目で、医師と弁護士による5人の委員が関連死を審査する。

  この日の審査会では、遺族から申請があった22人を審査し、輪島市の12人、志賀町の5人、小松市と内灘町のそれぞれ1人の計19人を関連死と認定するよう答申を出した。内灘町の2人と白山市の1人は継続審査とした。答申を受けたそれぞれの自治体が正式に認定を行うことになる。19人が正式認定を受ければ、関連死は89人となり、地震による直接229人と合せて318人が地震で亡くなったことになる。

  関連死は今後も増える見通しで、認定を求める遺族からの申請は、すでに認定された人も含め200人以上にのぼっている。憶測で言うべき話ではないが、この分だと死者は400人を超えるのではないか。関連死を含む震災の死者数は、2011年の東日本大震災1万9643人(うち関連死3784人)、1995年の阪神・淡路大震災6402人(うち関連死919人)、2016年の熊本地震は276人(うち関連死221人)なので、死者数とすると、阪神・淡路大震災に次ぐことになる。

⇒24日(水)午前・金沢の天気   あめ

★手間暇かかる能登の墓石の復旧 斜面地や細道多く機械が入れない墓地も

★手間暇かかる能登の墓石の復旧 斜面地や細道多く機械が入れない墓地も

  きょうも北陸には「熱中症警戒アラート」が出されている。予想最高気温は能登半島の尖端・珠洲市で35度、金沢も35度、隣県の富山市では37度、福井市は36度とまさに北陸は猛暑日だ。予報は晴れ時々曇りだが、昼過ぎから夜にかけて雷雨になるところもあるようだ。猛暑と雷雨、穏やかでない一日となりそうだ。

  前々回のコラム(7月20日付)で能登の墓石の倒壊のことを述べた。けさのNHKニュースでも取り上げていたので、以下引用する。能登半島地震で多くの墓地で墓石が倒れるなどの被害が出たが、半年以上たった今も手つかずのままとなっているところが多い。こうした状況を改善しようと、日本石材産業協会や全国優良石材店の会などに所属する全国からの職人10人が22日、七尾市内3ヵ所の寺院墓地で支援活動に入った。

  職人たちは墓地の通路に倒れている墓石を移動させたり、いまにも土台から落ちそうになっている墓石をもとの位置に戻したりして安心して墓地の中を歩けるように作業した。参加した大阪の職人は「手が足りていないと聞き参加しました。ひどい状況なので、しっかりと取り組んでいきたい」と話した。

  ボランティア活動の運営に携わる石川県石材組合連合会の番作一之会長は「全国から職人に来ていただき助かっている。墓を直す機械を墓地に入れるためにもまずは通路の安全確保を進めたい」と話した。地元石川の職人を含めて延べ70人があす24日まで七尾市のほか輪島市や穴水町の寺院も訪れ、墓石の仮復旧を進める。

  以上は記事の引用だが、実際に能登の墓地に入ると山地など斜面地だったり、道が細くて機械が入れないところもある。道路に面したフラットな地形の墓地の場合は、小型クレーン車などを使って墓石を吊り上げて元の位置に戻す。が、細道や斜面地の場合は小型クレーン車などが入れないので、現場で柱を三又に組んでチェーンブロックを取り付け、墓石を一つ一つ上げ下げして修復することになる。とても手間暇がかかる。(※写真は、手動のチェーンブロックで吊り上げて倒れた石灯籠を修復する様子=金沢市内、2月17日撮影)

       それにしても、能登の被災地には公費解体や支援ボランティアなどで多くの人たちが入っている。照りつける連日の日差しの中で熱中症にかからなければよいがと願うばかりだ。

⇒23日(火)午後・金沢の天気    はれ時々くもり

☆能登の寺社は地域コミュニティーの中心 再建への道筋はつくのか

☆能登の寺社は地域コミュニティーの中心 再建への道筋はつくのか

  きょう22日は二十四節気の一つ「大暑」にあたる。この時節は、金沢でも花火大会やスイカ割りなどの行事、風に揺れる軒下の風鈴が風物詩でもある。その大暑が近年は「猛暑」となり、「熱中症警戒アラート」がTVメディアなどで鳴り響くようになった。きょうの金沢の予想最高気温は34度、名古屋は38度だ。熱中症警戒アラートが東海北陸全域に出されている(環境省熱中症予防情報サイト)。
 
  もう22年も前の話だが、NHK大河ドラマ『利家とまつ』がヒットして話題を呼んだ。加賀百万石の礎を築いた前田利家と正室まつ、その夫婦愛を軸に家族の視点から、戦国の乱世を描いたドラマだった。まつの遺灰がまつられている輪島市門前町の菩提寺「芳春院」に先日行くと、本堂などが崩れて全壊状態だった=写真は7月6日撮影=。芳春院を訪れるのは元日の発災以降で3回目だったが、半年経ってもまったく手が付けられていない。すぐ近くの曹洞宗の大本山・総持寺祖院は山門(国文化財)などは無事だったものの、33㍍の廊下「禅悦廊」(同)が崩れるなどブルーシートがあちこちに被せてあった。
   
  芳春院や総持寺だけではない。能登では寺院が相当に傷んでいる。能登で一番多い寺院は浄土真宗で、真宗大谷派東本願寺のまとめ(6月19日時点)によると、能登地域にある寺院353ヵ寺のうち、被害があったのは331ヵ寺で、そのうち本堂の倒壊など大規模被害は72ヵ寺、庫裏は69ヵ寺に上る。これに他宗派の寺院や神社も加えると相当な数に及ぶだろう。
 
  能登では、寺院は地域コミュニティーの中心の一つでもある。寺で毎月28日に「お講」が開かれる。浄土真宗の宗祖とされる親鸞上人の月命日にあたり、地域の年寄り衆や子どもたちが集い、お経の後に山菜や海藻の精進料理が供される。人々は会話を交わし、情報交換の場ともなっている。その寺でのコミュニティーが元日の能登半島地震で絶たれた状態になっている。
 
  本来ならば、寺院の本堂や庫裏などに損壊があれば檀家の人たちが中心になって修繕へと動き出す。ところが、地震で檀家の人たちも多くが被災した。輪島市と珠洲市だけでも住家6000棟が全壊、一部損壊を含めれば2万1500棟にもなる。住家の全半壊は公費解体の対象となるが、では寺院や神社はどうか。これは憲法上での政教分離の原則があるため、寺院や神社などの被害に対する国の公的支援は難しい。
 
  今月16日に石川県が開いた「復興基金(総額540億円)」の活用策を巡る意見交換会に七尾市以北の6市町の首長が参加した。復興基金は被災者支援のうち、国の事業でカバーできない部分を補う。意見交換会の中で馳知事に対して要望があったのは、地域コミュニティー施設の再建に向けた取り組みだった。中でも、6人の首長がこぞって要望したのは、能登の祭り文化や地域の絆(きずな)を絶やさないためも寺院や神社などの修繕費に手厚い補助をしてほしいということだった(16日付・地元メディア各社報道)。
 
  県では8月中に基金の活用方針をまとめ、9月以降で基金事業を進めることにしている。はたして、芳春院再建の道筋へとつながるのか、どうか。
 
⇒22日(月)午後・金沢の天気     はれ時々くもり

★能登地震さらなる余波 墓石とジンベエザメのブルーな話

★能登地震さらなる余波 墓石とジンベエザメのブルーな話

  前回ブログでは能登半島地震による損壊家屋の修理についての新たな動きについて述べた。能登を巡っていて、家屋のほかに墓地の損壊も目に付く。写真は今月6日に能登町のある集落を訪ねた折に撮影したものだ。墓石の塔の部分に当たる竿石(さおいし)や墓前の灯篭などが転がって倒れている。骨壺を納める場所(納骨室)がむき出しになっていたのだろうか、ブルーシートが被せてある。20基ほどある墓のほとんどが損壊していた。

  近所の人と話をすると、「石屋に修理を依頼しているが手が回らんようで、墓参りに間に合うかどうかは分からん」とのことだった。能登の墓参りは8月の旧盆が多い。以下は個人的な想いだ。被災した人たちの生活再建が優先で、墓石はその後でも致し方ない。修理の順番待ちで2年かかろうが3年かかろうが、墓参りを絶やさないことが何よりの先祖供養ではないだろうか。

  話は変わる。きょう七尾市能登島にある「のとじま水族館」が半年ぶりにオープンしたと地元メディア各社が伝えている。今回展示されたのは210種7500匹の海の生き物たち。震災前は400種2万2000匹いたが、地震による施設や設備の損壊で90種3400匹が犠牲になった。今回展示されたのは生き残った生き物たちの一部で、これから徐々に展示を増やしていくという。

  犠牲になったなかでスーパースターだったのがジンベエザメの「ハチベエ」と「ハク」だった。4.5㍍を超える大きさだったが、体の大きさの割には威圧感がなかった。動きがゆったりしていて、眺めているだけで癒しを与えてくれた。 ハチベエとハクが死んだ原因は報道によると、水槽が水漏れで水位が半分以下となり、循環ポンプの水没や濾(ろ)過設備が停止。応急措置として水槽に海水を投入して水位を保ったものの、水温が低くなりすぎるなど生育環境が悪化して死に至った。(※写真は、2018年9月に撮影した「のとじま水族館」のジンベエザメ)

  ハチベエとハクは体長が6㍍になると再び海に放される予定だった。以下、素人の勝手な意見だが、そうならば、水槽に水漏れ事故が起こった段階で2匹を海に放出してもよかったのではないだろうか。ハチベエとハクは近くの七尾湾の定置網で捕獲されたジンベエザメなのだ。「地元」に返してやれば生き抜くチャンスはあったのかも知れない。

  季節は夏本番へと移ろう。周りに見える景色も徐々に復旧・復興へと変化してほしい。

⇒20日(土)夜・金沢の天気   くもり

☆能登の損壊家屋の修理を「オール石川」で担う仕組みづくり

☆能登の損壊家屋の修理を「オール石川」で担う仕組みづくり

       前回ブログで、能登半島地震によって8万8000棟の住宅が損壊したものの、建物や電気、水道などの修理工事が業者の人手不足で間に合っていないと述べた。きょう19日付の新聞メディア各社によると、石川県の馳知事は18日の記者会見で、住宅再建や修理の相談受付の窓口を今月26日に開設し、さらに、応急修理を担う工事業者の宿泊費補助なども始めると発表した。

  被害の大きかった能登の6市町(輪島市、珠洲市、七尾市、能登町、穴水町、志賀町)では、地元以外の工事業者に修理を依頼すると交通費や宿泊料などの追加費用が発生することなどから、被災者は地元の業者に依頼して順番待ちの状態となっている。ところが、地元では業者が限られているため日程が見通せないことが問題となっている。そこで、県木造住宅協会と県建設業協会が26日に「住宅再建相談受付窓口」(電話など)を開設し、工事業者を紹介していほしいといった被災者からの希望に応じて工事業者を手配する仕組みを設けた。

  これは、県が6市町以外から来る工事業者の燃料費や宿泊費、人件費などを助成する動きと連動したもので、金沢市の電気工事業者が100㌔近く離れた輪島市の損壊家屋で配線工事を行うといったことも可能になる。地元以外の工事業者の経費補助については、すでに水道工事に対して県が補助する制度を設けていて、今回はその枠を広げることになる。

  県と木造住宅協会と建設業協会が連動したこうした動きは家屋の復旧・復興へのステップでもある。一方で現場では、悪質業者が横行しているということも背景にある。業者を名乗る数人が来て屋根の無料点検と称して屋根に上がり、「このまま放置すると雨漏りする」と言い、高額な契約をさせられたといった事例。さらに、見知らぬ業者が来て「この家は保険で修理できる」と言い、保険請求の手続代行と住宅修理を勧誘されたというケースも相次いでいる。こうした家屋の修理をめぐるトラブルなどを避けるため、窓口を一本化するという狙いもあるようだ。

  能登の損壊家屋の修理を「オール石川」で担う仕組みづくりに期待したい。(※写真は、ブルーシートが貼られた屋根が軒を連ねる能登町の家々=7月5日撮影)

⇒19日(金)夜・金沢の天気   くもり時々はれ

★ことし初「熱中症警戒アラート」 能登の被災地の人はこの暑さどうしのぐ

★ことし初「熱中症警戒アラート」 能登の被災地の人はこの暑さどうしのぐ

  朝から蒸し蒸しとして、石川県内の各地では午前中から30度を上回る厳しい暑さ。気象庁と環境省は石川県にことし初めての「熱中症警戒アラート」を出した。日中の最高気温は金沢、輪島ともに34度で、エアコンを適切に利用したり、こまめに水分や塩分を補給したりするなど熱中症予防に努めてくださいと呼びかけている。能登半島地震の被災地では、公費解体などの作業に追われている被災者や作業員の人たちも多く、熱中症になるのではないかと気になる。(※写真は、金沢の自宅前から撮影。18日午後0時24分ごろ)

  気象庁によると、太平洋高気圧とチベット高気圧が強く張り出して重なる「ダブル高気圧」となっている。このため7月から9月にかけての気温は全国的に平年より高くなる見込みで、観測史上最も暑かった去年の夏に匹敵する猛暑になる可能性もあるようだ。

  ことしの夏もあの暑さに見舞われるのか。去年8月10日に加賀地方の小松市では観測史上最高の40.0度を記録し、この日は全国1位の最高気温だった。そして、去年8月に県内で出された熱中症警戒アラートは24回。5月1日から8月27日の間に石川県で熱中症による救急搬送は934人に上り、前年同時期より281人多かった(消防庁全国まとめ)。

  元日の地震で、今も被災地の一次避難所に762人、県が用意した金沢市などでの二次避難所に892人、ほか67人で合わせて1721人が避難所生活を送っている(7月18日時点・石川県危機対策課まとめ)。半年を経て、相当のストレスと疲労が蓄積されているのではないだろうか。被害を受けた住宅は8万8千棟余りに上り、このうち8000棟が全壊だった。県では申請があったうち仮設住宅6642戸を着工し、6月末で5000戸を完成させている。

  そして、半壊は1万6000戸、一部損壊は6万戸に上る。エアコンなどの家電修理は進んでいるのだろうか。これは珠洲市の事例だが、上下水道が使えない住宅がまだ757世帯に上り、通水割合は84%だ(7月2日時点)。家々と下水道管の本管をつなぐ業者の人手不足が指摘されている。この夏の暑さをどうしのぐのか。

⇒18日(木)午後・金沢の天気    はれ   

☆能登の幹線道路の復旧 積雪の時季までに間に合うのか

☆能登の幹線道路の復旧 積雪の時季までに間に合うのか

  能登と金沢を結ぶ自動車専用道路「のと里山海道」と直結する「能越自動車道」は、能登半島地震で21ヵ所で路面が崩れるなどの被害が出た。そのうち被害が大きかった徳田大津ICから、のと里山空港ICまでの33㌔は奥能登方面への一方通行となっていたが、きょう(17日)正午から、ほぼすべての区間で対面通行が可能となった。さっそく、のと里山海道と能越自動車道を往復してきた。

  「ほぼすべての区間」と述べたのは、ごく一部区間だが、奥能登にある「能登大橋」付近では橋を支える盛り土部分の復旧工事のため片側交互通行となっている。対面通行が可能になるには「9月末」までかかるようだ(国土交通省ニュースリリース)。

  以下、実際に自家用車で往復して思った考えた率直な感想だ。対面通行はほぼ可能になったものの、道路のアップダウン勾配や、左右の急をカーブが続く道のカタチが悪い。ベテランのドライバーでも夜間にこの道路を走行するとなるとためらうのではないか。そして、制限速度は時速40㌔に引き下げられたままだ。これだったら時間は少々かかるが、金沢方面への道路は現在ルートとなっている富山湾側沿いの国道249号を利用した方が安心ではないだろうか。

  走行して思ったことは、この道路を使用するのは12月末が限度だろうと。というのも、能登の冬の訪れは例年だと、12月後半だ。積雪も多い。去年2023年12月21日から22日かけて能登では60㌢もの積雪があった。同じ積雪があった場合、アップダウン勾配や左右急カーブの道路では、除雪車の走行すら難しいのではないだろうか。(※写真は、対面通行が可能になった「のと里山海道」。道路の崩落現場=右=では転落した車が生々しい姿で残っていた)

  もちろん道路の修復は終わったわけではなく、これからさらに改良が重ねられていくのだろう。積雪の時季まであと5ヵ月余り、これからが時間との戦いではないだろうか。

⇒17日(水)夜・金沢の天気   くもり

★能登の道路を災害に強く再生するチャンス

★能登の道路を災害に強く再生するチャンス

  能登半島地震の影響で、金沢と能登をつなぐ主要地方道「のと里山海道」は現在、徳田大津ICから穴水IC区間(27㌔)が金沢から能登への片側一方通行となっている。実際に走行すると、半島の奥に行けば行くほど道路側面のがけ崩れがひどく、いわゆる「盛り土」の崩落個所が多くある。大きな崩れは21ヵ所で見つかっている。

  能登半島は平地より山並みが多い。このため能登の道路は、山を削った土で谷を埋めて造成する、盛り土の道路でもある。ここに地震の揺れや大雨で地崩れが起きる。かつて大きな事故もあった。1985年7月11日午後2時21分、穴水町の山中で、金沢発の急行「能登路5号」(4両編成)が脱線し、前方3両が7.5㍍下の水田に転落。乗客の7人が死亡、29人が重軽傷を負った。事故の12日前から大雨が続いていた影響で、線路の盛り土が崩れ、線路が宙づり状態になっていたところに能登路5号が走ってきたのだった。能登線は2005年に廃止となり、現場から線路は消えたが、慰霊碑が立っている。

  能登の人たちが大規模な盛り土の崩落現場を目にするのは3回目となる。前述の、ことし元日の能登半島地震での「のと里山海道」、1985年7月11日の能登線事故、そして、2007年3月25日の能登半島地震で起きた各地の道路崩落だ。

  NHK・Eテレの科学番組『サイエンスZERO』(7月7日・再放送は同月13日)で「能登半島地震から半年 暮らしの大動脈・道路を守れ」をテーマに能登半島地震で被災した橋梁やトンネル、道路盛り土に関する土木研究所の取り組みが紹介されていた。

  番組では、能登で造成されている新たな道路「輪島道路」では2007年の盛り土の崩落の教訓などを活かして、崩落の原因となる道路地下の水を抜く「排水工」=写真・上=や、崩れを防ぐため金網に石を詰め込んだ「ふとんかご」を道路の下部に設置して耐久性を高めるなど強靭な道路が造られている。このため、新たな道路では元日の地震で盛り土などでの崩れはなかった。また、のと里山海道の橋梁では橋脚の部分を鉄板で耐震補強が施されていたため大きな損壊などはなかった=写真・下=。

  冒頭で述べた盛り土の崩落現場がまだ21ヵ所ある。地震や大雨などで泣かされたきた能登の基幹道路が最新の土木工学や震災工学で再生するチャンスかもしれない。

⇒16日(火)午後・金沢の天気     くもり時々はれ