2026年 3月 11日の投稿一覧

★15年前「3・11」 の光景~㊦ 畠山重篤氏が語った津波の恐怖

★15年前「3・11」 の光景~㊦ 畠山重篤氏が語った津波の恐怖

東日本大震災が起きた2ヵ月後の5月11日に気仙沼市に赴いたのは、NPO法人「森は海の恋人」代表の畠山重篤氏に有志から集めたお見舞いを届けるのが目的だった。ただ、アポイントは取っていなかった。昼過ぎにご自宅を訪れると、家人から本人はすれ違いで東京に向かったとのことだった。そこで、翌日12日に東京・八重洲で畠山氏と会うことができた=写真・上=。(以下、これまでのブログの再録)

畠山氏と知り合いとなったきっかけは、震災の前年の2010年8月に金沢大学の社会人人材育成事業「能登里山マイスター養成プログラム」で講義をいただいたことだった。畠山氏らカキ養殖業者が気仙沼湾に注ぐ大川の上流の山で植林活動を1989年から20年余り続け、5万本の広葉樹(40種類)を植えた。同湾の赤潮でカキの身が赤く変色したことがきっかけで、畠山氏の提唱で山に大漁旗を掲げ、漁師たちが植林を始めた。カキの栄養分は里山でつくられるので海の環境を守るためにまず植林をすると始めた活動だった。これが「森は海の恋人」運動として全国で知られるようになった。

東京で会った畠山氏は地震当時のことを語ってくれた。自宅は湾の中の海抜20㍍ほどの高台にあるが、自宅すぐ近くまで津波は押し寄せた=写真・下は、畠山氏の自宅近くの港、2011年5月11日撮影=。「津波は海底から水面までが全部動く」との言葉が印象的だった。養殖のカキ棚などは全壊した。畠山氏は高校2年生の時にチリ地震の津波(1960年5月24日)を経験していて、東日本大震災の発生当時は「チリ地震津波くらいのものが来るのかな」と感じていた。チリ地震津波がきっかけで行政では高さ3㍍ほどの防潮堤を造るなど津波対策を施していた。ところが東日本大震災の津波はその防波堤をはるかに超えてやってきた。

同じ年の9月2日に能登で開催したシンポジウムの基調講演を畠山氏にお願いした。テーマは、人は自然災害とどのように向き合っていけばよいのか。その中で、前日泊まった輪島市の海辺のホテルでのエピソードがあった。窓を開けるとオーシャンビューだったが、正直これは危ないと思った。4階以下だったら、山手の民宿に移動しようかと考えたが、幸い8階と聞き安心したとのことだった。温泉には浸かったが、安眠はできなかった。「あの津波の恐怖がまだ体に染み込んでいる」と語っておられたのが印象的だった。

その後、2015年3月15にも能登で講演をいただいた。テーマは「森里海の復興から地域再生へ」。印象的な話が、森は海の恋人運動がフランスのブランド「ルイ・ヴィトン」から支援を受けているという内容だった。ルイ・ヴィトンの創業者はフランスとスイスの国境にあたるジュラ山脈の出身で、森林の再生にチカラを入れている。さらに60年前、フランス・ブルターニュ地方の牡蠣が病気によって壊滅的被害に遭った際に、宮城県産の種牡蠣がフランスに渡り牡蠣業界を救ったという経緯もある。このとから、東日本大震災を契機にルイ・ヴィトンが恩返しにと、森は海の恋人運動を支援するようになったとの話だった。

9年後の2024年元日に最大震度7の能登半島地震が起き、気仙沼で見た震災、津波、そして火災の3重災害の光景は輪島市でも広がった。ご指導をいただいた畠山氏は去年4月3日に逝去された。享年81歳。その語りは、心と心が自然に響き合うような口調で心に残っている。

⇒11日(水)午前・金沢の天気  はれ