2025年 8月 の投稿一覧

☆豪雨で浮上したアンダーパス冠水のリスク  エンジン停止や水没

☆豪雨で浮上したアンダーパス冠水のリスク  エンジン停止や水没

きのう金沢は線状降水帯の影響で激しい雨が降った。7日正午までの12時間の雨量は331.5㍉と観測史上最大で、8月の平年の1ヵ月分の1.8倍の雨がわずか半日で降った。今月5日までは連日、強烈な暑さが続いていた。4日には小松市で40.3度の酷暑となるなど日照り続きで水不足が心配されていた。金沢の7月の降水量はわずか37.5㍉で、平年値の16%だった。去年9月に奥能登で降った48時間で498㍉の「記録的な大雨」を含めると、酷暑と豪雨という気候変動のリスクを抱え込んだようだ。

きのう金沢での豪雨の様子をテレビで視聴していて、聞きなれない言葉が飛び交っていた。「アンダーパス」。立体交差の道路や鉄道などの下をくぐるように掘り下げて作られた道路のこと。ニュースで取り上げられていたのは、大雨で冠水したアンダーパスに乗用車が進入して水につかり、エンジンが停止状態になったケースが相次いだこと。隣県の富山県高岡市ではアンダーパスで、車が水没しているのが見つかり、消防隊が乗っていた80代の女性を救助したとニュースも流れていた。

きょうその一つ、金沢市に接する野々市市扇が丘のアンダーパス=写真=の現場を見てきた。ニュースによると、きのう午前9時40分ごろに冠水し、乗用車2台が立ち往生した。運転者はそれぞれ自力で脱出した。車が進入したときの水位は30㌢から40㌢ほどだったが、当時、交通規制などは敷かれていなかった。現地ではすでに車は引き上げられ、アンダーパスの冠水も解消していた。

以下、現地で思ったこと。道路に設置されている標識や冠水情報板を確認することがもちろん重要なのだが、うっかりと冠水したアンダーパスに入り込んでしまった場合どうすべきなのか。まず、くぐり抜けようと思わないこと。ネットで検索すると、ボンネットの近くまで水が来てしまっている状態では、確実にエンジンの中まで水が入っているので、絶対にエンジンはかけない。エンジンをかけた瞬間に火花が散って、そこから火災につながる危険性もあるようだ。まず、ドアを開けて脱出する、ドアが開かない場合は窓を割ってでも車外に脱出することだ。この窓ガラスを割るという作業は人手ではできない。そこで、脱出用ハンマーを常備しておくことも大切との解説もある。

それよりも何より、集中豪雨の際はアンダーパスに近づかないことを肝に銘じたい。あるいは運転そのものを控えるしかない。

⇒8日(金)夜・金沢の天気   はれ

★石川・加賀に線状降水帯 半日で331㍉、金沢で避難指示

★石川・加賀に線状降水帯 半日で331㍉、金沢で避難指示

未明に激しい雨音で目が覚めた。スマホで日本気象協会「tenki.jp」公式サイト「石川県の雨雲レーダー」をチェックすると、雨雲で能登から加賀まですぽっりと雨雲に覆われていた=図=。そして、明け方、また激しい雨となり確認すると、気象庁は午前5時前に、石川県加賀地方で線状降水帯が発生し、非常に激しい雨が同じ場所で降り続いているとして「顕著な大雨に関する情報」を発表していた。

これを受けて金沢市は午前6時15分、市内の8つの校下の住民に対して避難指示を出した。小学校や公民館など25ヵ所に避難場所を設置した(午前10時47分時点)。きのう6日は能登地区で輪島市と珠洲市が両市併せて7651世帯、1万5727人に避難指示を出していて、県内は2日続けてとなる。

金沢地方気象台によると、金沢市では正午までの12時間の雨の量が統計を取り始めてから最も多い331.5㍉を観測した。これは平年の8月、1ヵ月分の1.5倍以上の雨が半日で降ったことになる。午前中、所用があり市内に車で出かけた。市内中心部を流れる犀川と浅野川の河川水がかなり上昇していた。降りしきる雨で浅野川沿いに建ち並ぶマンション群はかすんで見え、まるで「天空の城」のような=写真・午前9時ごろ、天神橋から撮影=。

大雨による影響はさまざまに出ている。メディア各社の報道によると、北陸新幹線は大雨のため、午前7時過ぎから金沢駅と長野駅の間の上下線で運転を見合わせている。また、金沢市内の河川の一部で氾濫が起きている。道路の冠水や土砂崩れなどの被害も出ている。

以下は自身の憶測だが、去年元日の能登半島地震で金沢は震度5強の揺れだった。このため、金沢城の石垣の一部が崩れ、市内の住宅街でも土砂崩れがあった。地震で地盤が緩んでいる場所がほかにもあるのではないだろうか。今回の大雨はその緩みに土砂崩れをもたらすことになりはしないか。その事例が能登だ。震災後の9月に「記録的な大雨」に見舞われた輪島市や珠洲市で山間地や台地でのがけ崩れなどが目立った。そんなことを懸念している。

⇒7日(木)午後・金沢の天気 あめ時々くもり

☆能登半島に叩きつける雨、そして高潮、雷と4つの警報・注意報

☆能登半島に叩きつける雨、そして高潮、雷と4つの警報・注意報

朝から能登半島を中心に強烈な雨が降っている。気象庁によると、停滞する前線に向かって暖かく湿った空気が流れ込み、半島の尖端部分の輪島市では午前7時11分までの1時間に47㍉の激しい雨が観測された。このため同市では、雨が強まり土砂災害のおそれがあるとして午前7時すぎに6414世帯、1万3335人に避難指示を出した。隣接する珠洲市も午前8時すぎに1237世帯、2392人に避難指示を出した。避難指示は5段階の警戒レベルのうち警戒レベル4の情報で、両市では早めの避難を呼びかけている(※図は、日本気象協会「tenki.jp」公式サイト「石川県の雨雲レーダー」より) 。両市は去年9月21、22日の48時間で498㍉という「記録的な大雨」に見舞われている。

日本気象協会「tenki.jp」公式サイトの予報によると、能登地区には「大雨警報(土砂災害)」、「洪水警報」、「雷注意報」、「高潮注意報」の4つもの警報・注意報が出されている。大雨・洪水警報にさらされ、さらに追い打ちをかけるように高潮の注意報もある。

能登半島はリアス式海岸で、海沿いに国道などが伸びている。今月9日の満月前後は大潮に当たる。月と地球、太陽がほぼ一直線に並び、海水に及ぼす引力が大きくなることで潮位が上る現象だ。低気圧が通過することで潮位がさらに上昇することに注意を呼びかけている。去年元日の能登半島地震の影響で富山湾に面した内浦(うちうら)と呼ばれる海岸沿いは地盤が沈下している。このため沿岸部ではとくに7日に高潮が予想され、警戒が必要となっている。

さらに雷にも注意だ。雷は発達した積乱雲によってもたらされる放電現象だが、日本海に突き出すような地形の石川県は年間を通じて雷が多く、気象庁の雷日数では45.1日(観測地点・金沢)と全国で最多となっている。最近では、「雷サージ」という言葉が県内でよく使われるようになった。雷が直接落ちなくても、近くで落ちた場合に瞬間的に電線を伝って高電圧の津波現象が起きる。電源ケーブルを伝ってパソコンの機器内に侵入した場合、部品やデータが一瞬にして破壊される。

自然災害が一度にやって来て、4つの警報・注意報をもたらす。「天災は忘れたころにやってくる」は物理学者・寺田寅彦の有名な言葉だが、現代は「天災は一度にやってくる」、なのか。

⇒6日(水)午後・金沢の天気  くもり

★田んぼになびく黄や白の旗 コメを生産調整から増産へ方針転換

★田んぼになびく黄や白の旗 コメを生産調整から増産へ方針転換

連日、強烈な暑さが続く。きのう小松市で40.3度と全国一番の酷暑となり、金沢でも自宅近くの街路の温度計は37度だった。きょうの予報は金沢で35度、曇り時々雨となっているが、街路の温度計は午前中ですでに36度になっている。そして、暑さとともに今後の水不足が心配される。金沢の7月の降水量は37.5㍉だった。同月の平年値は233.4㍉なので16%と何とも心細い。

田んぼは水不足に陥っていなか、きょう午前、石川県内の穀倉地帯でもある手取川周辺に広がる田んぼの様子を見に行った。田んぼの水は手取川から引水していて、渇水の状態ではなかった。ただ、手取川もダムの貯水率が34.6%(5日午前11時時点)となっていて稲刈りの時期まで持つかどうか。持たなければ、田んぼと同時に県内の人口の7割の水道をまかなっているだけに懸念が高まる。

そんなことを思いながら田んぼを眺めていて、ふと気が付いた。田んぼの畔に黄色い旗や白い旗がところどころに立っている=写真・上=。金沢の田んぼでは見たことがない。黄色い旗は水不足に陥っているとのしるしかとも考えたが、現地を見るとそうではない。そこで、近くのJA支所に電話で尋ねた。田んぼの害虫防除の時季なので、小型ヘリやドローンを使って農薬を空中散布する。黄色い旗の田んぼはJAが担当、白い旗は農家が独自で行う、との意味のようだ。「スマート農業」の旗印か。

田んぼに関して、ビッグニュースが流れた=写真・下=。石破総理はきょう5日午後、官邸で開いたコメに関する関係閣僚会議で「コメの舵を切る」と表明した。主食用米の価格を維持するために長年続けてきた「生産調整」の政策を見直す。猛暑による生育不振のリスクを意識し、水を張らないでつくる栽培方法などへの新たな支援制度も創設する。農家が意欲的にコメの増産に取り組めるよう、国内消費だけでなく海外市場へ積極的に輸出できる環境作りに「全力を傾ける」との政府方針を示した。コメの十分な供給力を国内に確保し、不作の際も柔軟に対応が可能な体制を目指す(5日付・日経新聞など各社)。

コメ増産への転換は、価格高騰を引き起こした「令和のコメ騒動」で消費者に大きな負担が生じたことや、減反政策による生産調整の限界が見えてきたことが背景にある。これを突破するためには、意欲ある生産者を政府が支援に回るとの、一大転換に動いたということだろう。スマート農業をはじめ、新たなコメ作りの未来に期待したい。

⇒5日(火)午後・金沢の天気  くもり時々はれ

☆3年前の「8月4日」 線状降水帯の豪雨で「美しき川」が暴れ川に

☆3年前の「8月4日」 線状降水帯の豪雨で「美しき川」が暴れ川に

きょう「8月4日」は線状降水帯の怖さを初めて思い知った日でもある。3年前のことだ。以下、2022年8月4日付のブログを再録する。この日の石川県内は、1時間に100㍉の猛烈な雨に見舞われ、気象庁は記録的短時間大雨情報を発表した。金沢地方気象台は、日本海にある前線に向かってあたたかく湿った空気が流れ込み、県内では大気の状態が非常に不安定と注意を呼びかけていた。

とくに金沢市や加賀地方が集中豪雨に見舞われ、小松市の平野部や白山市白峰では、午前10時半までの1時間で100㍉が降り、白山市河内では午後3時までの24時間に降った雨は385㍉となった。このため気象庁は、金沢市と小松市、白山市、能美市など6つの市に土砂災害の危険性が高まっているとして土砂災害警戒情報を発表した。

国土交通省金沢河川国道事務所は、小松市を流れる梯(かけはし)川について、堤防より水位が上がり氾濫が発生したとして、午後2時30分に氾濫発生情報を出した。また、白山市を流れる手取川についても、警戒レベルが最も高いレベル5の「緊急安全確保」を同市の9572世帯を対象に出した。そして、警戒レベル4の避難指示を小松市全域の4万4767世帯、金沢市の8万5759世帯などに出した。

この日の夕方、金沢市内の中心部を流れる犀川に架かる下菊橋の近くを通ると、濁流が波打ち、暴れ川のようになっていた=写真=。金沢出身の詩人で小説家の室生犀星が「美しき川は流れたり」と讃えた犀川だ。撮影時、市内では雨は止んでいたが、山間部はぶ厚い雨雲に覆われていた。

この日、石川県の馳知事は国立公園に指定されて60年を迎えた白山をPRするため、前日の3日から白山を登山していた。4日朝、馳氏は職員ともに山小屋を出て下山し、3時間後の正午すぎに登山道の入り口に到着した。しかし、豪雨のために一本道の県道・白山公園線が通行止めになった影響で移動できず、登山道の入り口で足止め状態になった。

金沢地方気象台は翌5日午後6時までに降る雨量は金沢・加賀地方で200㍉、能登地方で150㍉と予想され、引き続き土砂災害や川の増水に警戒するよう呼びかけていた。

金沢・加賀地方を襲った線状降水帯。さらに2年後の2024年9月には能登に「記録的な大雨」をもたらした。元日の震災からの復旧・復興の途上にあった輪島市などが9月21日、22日の48時間で498㍉の豪雨に見舞われた。震災と併せて2重災害となった。

以上のブログを書き終えてテレビを視ると、きょう小松市では午後1時半すぎに全国で最も暑い40.3度を観測したとニュースが流れていた。気温40度以上を「酷暑日」と言うそうだ。初めて知った。酷暑日が普通にニュースで流れる、そんな日常がやって来たのだろうか。

⇒4日(月)午後・金沢の天気  はれ

★「石川の水がめ」手取川ダムの貯水率さらに低下 ハイテク産業への影響は・・

★「石川の水がめ」手取川ダムの貯水率さらに低下 ハイテク産業への影響は・・

金沢市ではきょう(3日)も35度の猛暑との予報が出ていて、気象庁と環境省は石川県内に16日連続となる熱中症警戒アラートを発表した。ここまでくると気になるのが水不足だ。県内の人口の7割の水道をまかなっている「石川の水がめ」とも称される手取川ダムの貯水率は、以前ブログ(7月26日付)で述べた時点では48.5%だった。きょう午前ではさらに減って37.8%となっている(「石川県防災ポータル」より)。

先月25日に手取川ダムを訪れた際にダム上流の白山市白峰に行くと、河川は半ば干上がった状態のようにも見え=写真・上=、県民の一人として実に心細く感じた。なにしろ7月は雨が降らなかった。気象庁は、新潟を含む北陸地方の7月の降水量は平年の8%で、統計を開始した1946年以降の7月で最も少なかったとの速報値を発表している(今月1日)。まさに記録的な少雨だった。

では、今後の予報はどうか。8月前半は北陸地方などで曇りや雨の日が多くなり、平年並みかそれ以上の降水が予想されるものの、これまでの少雨を解消するほどの降水量にはならない可能性があるとの見方もある。

以下はあくまでも憶測だが、先端産業の関係者もこの少雨を案じているのではないだろうか。手取川の流域には、加賀東芝エレクトロニクスや金沢村田製作所、JDIといった半導体などを製造する大小含め50の先端企業が集積している=写真・下、いしかわサイエンスパークへの案内看板=。白山のふもとには地上に流れる手取川だけではなく、膨大な地下水がある。ハイテク企業の生産工場ではその地下水をくみ上げて、半導体の基板となるシリコンウエハーやプリント基板、液晶関連部品の洗浄に使っている。こうした洗浄水は不純物や酸性度、アルカリ度などが高くない、純水、真水に近いことが求められていて、白山の伏流水はまさに真水に近いのだ。

そして、洗った洗浄液は汚染に配慮しながら薄めて手取川に流すという作業を行っている。豊富な地下水と大きな川があるという立地が先端産業を支えている。今後、少雨が続けば飲み水や農業だけでなくハイテク産業に影響を及ぼすのではないか。

⇒3日(日)午後・金沢の天気   はれ時々くもり

☆能登半島地震から1年7ヵ月 文化財レスキューで新たな発掘と発見

☆能登半島地震から1年7ヵ月 文化財レスキューで新たな発掘と発見

前回ブログの続き。金沢市の石川県立歴史博物館で開かれている特別展『未来へつなぐ~能登半島地震とレスキュー文化財』ではこれまで知られた文化財だけでなく、被災した民家や蔵などでのレスキューで新たに発見された名画などもある。

林景村筆『猿猴図額(えんこうずがく)』=写真・上=。能登半島の中ほどにある中能登町能登部の被災家屋で見つかった。説明書きによると、被災家屋は個人宅で、解体前に所有者が同館に所有する美術品などの取り扱いについて同館に相談に訪れた。去年3月22日に現地調査し、7月23日にレスキューを行った。猿猴図額はその中の一つ。松の木に登る手長猿が描かれた額だ。作者は林景村とあるが不明の人物だった。そこで、同館が戦前の美術名鑑を調べると、能登で活躍した画家の貴重な作品であることが分かった。

景村は明治40年(1907)生まれ。さらに現地での聞き取り調査から、元の所有者が申年生まれであり、それにちなんだ作品でもあることが分かった、と説明書きにある。この作品を見て、時代は違うが同じ能登出身の安土桃山時代の絵師、長谷川等伯(1539-1610)の『松林図屏風』(国宝)を思い出した。靄(もや)の中に浮かび上がる浜辺のクロマツ林。能登の絵師にとって松の風景は絵のモチーフなのだろうか。

能登半島の尖端、珠洲市で中世を代表する焼き物、珠洲焼がある。室町時代から地域の生業(なりわい)として焼かれ、貿易品でもあった。船で運ぶ際に船が難破し、海底に何百年と眠っていた壺や甕(かめ)が漁船の底引き網に引っ掛かり、時を超えて揚がってくることがあり、「海揚がりの珠洲焼」として骨董の収集家の間では重宝されている。一方、山林から出土する壺もある。多くは骨壺だ。今回展示されているのは『珠洲叩壺・珠洲刻文叩壺』(鎌倉時代末期~南北朝時代、14世紀のもの)。所有者の珠洲の実家にあったが、被災したため、去年3月4日に同館に持ち込まれた。

そのほか、能登ならでの道具がある。『岩ノリ採りの道具』(昭和20年代に製作)。岩ノリの採取や加工に用いられた竹細工の数々だ。志賀町笹波や前浜地区では戦前まで全戸が副業として竹細工を営んでいた。戦後は捕鯨船の船員となり竹細工の副業から離れ、現在では1人のみがその技術を伝えている。「亡き父が作った竹細工がある。資料になるなら」と所有者から同館に声掛けがあり、去年10月10日に救出した。

発災から1年7ヵ月、震災の公費解体に伴いこうした希少な技術の作品や文化財が消滅する恐れがあると同館ではいまも文化財のレスキューを続けている。

⇒2日(土)午後・金沢の天気  くもり

★能登半島地震から1年7ヵ月 「未来につなぐレスキュー文化財」展

★能登半島地震から1年7ヵ月 「未来につなぐレスキュー文化財」展

去年元日の能登半島地震で被災した住居や蔵、寺社などから救い出された文化財などを展示した特別展が金沢市の石川県立歴史博物館で開かれている。展覧会のタイトルは『未来へつなぐ~能登半島地震とレスキュー文化財』=写真・上=。同館では国の文化財防災センターと連携して学芸員がレスキュー隊を編成し、震災があった翌2月から被災地に入り活動を行っている。ここで言う文化財は地域の歴史を伝える有形文化財や有形民俗文化財を指すものの、指定の有無は問うてはいない。特別展では救出された文化財の中から107点を展示している。

展覧会場で目を引いたのは仏像だった。震源地と近い珠洲市長橋町の古刹・曹源寺は寺の本堂の屋根が建物を押しつぶすカタチで倒壊した。その中から引き出された阿弥陀三尊像の一つ、阿弥陀如来挫像は体の部分と足腰の部分、手首の部分が分離した状態となっていて、震災のすさまじさを物語っている=写真・中=。平安時代の12世紀につくられ、石川県の指定文化財でもある。

会場ではそのレスキューの様子を撮影した写真も展示されている=写真・下=。写真説明によると、救出されたのは震災から半年が経った7月1日だった。救出の際は、倒壊した本堂の屋根下に鉄骨などを入れ、これ以上本堂が崩れないように出入り口を確保して、仏像を引っ張り出す作業が慎重に進められた。

このほか、輪島塗の歴史を伝える貴重な資料も見つかっている。生産から販売を手掛ける塗師屋は江戸時代からそれぞれに取引する担当地域が決まっていて、今回見つかったのは三重県を取引先とした塗師屋の文書など。見本を送付するための木箱や見本画などが屋根裏の部屋に置かれていた。顧客とどのようにやり取りをしていたかを具体的に示す史料として貴重なもの。11月22日に救出された。

展覧会場には、小学生が手書きした新聞なども展示されている。輪島市の避難所に身を寄せていた小学生たちが貼り紙で生活のルールや食事の案内、生ごみの出し方などを表記したものなど。このほかにも避難生活者が書いた日記や手紙なども。避難所での日常生活を伝える貴重な文化財との位置づけで収集されている。レスキュー文化財の特別展は今月31日まで。

⇒1日(金)午後・金沢の天気  はれ時々くもり