2025年 8月 の投稿一覧

☆庭に咲くユリの花 同じユリでも外来種は駆除すべきか

☆庭に咲くユリの花 同じユリでも外来種は駆除すべきか

庭のタカサゴユリの花が開き始めた=写真・上=。例年ならば処暑(8月23日)のころが開花の時季だが、ことしは5日ほど早いようだ。旧盆が過ぎた今のこの頃は花の少ない時季でもあり、金沢では茶花として重宝されている。

10年ほど前の話だが、このタカサゴユリをめぐって意見を交わしたことがある。金沢大学で教員をしていたときのことだ。金沢ではタカサゴユリを茶花として床の間に飾ることを話すと、植物の研究者が「えっ、あんな外来種を床の間に飾るなんてバカげている」と嘲笑したのだ。自身もそのときまではあまり自覚はなかったが、タカサゴユリは漢字名で「高砂百合」。日本による台湾の統治時代の1924年ごろに園芸用として待ち込まれたようだ(Wikipedia「タカサゴユリ」)。当時としては外来種という意識もなく、ユリとして日本人になじんだのだろう。そして、茶室の床の間にも飾られるようになった=写真・下=。

ところが、先の植物の研究者のように、立場が異なればタカサゴユリは外敵、目の敵だ。国立研究開発法人「国立環境研究所」の公式サイトには、「侵入生物データベース」にリストアップされている。侵入生物、まるでエイリアンのようなイメージだ。「学名」はLilium formosanum。注目したのは、「備考」だ。「全国的に分布を広げている種であり、自然植生に対して悪影響が及ばないよう、適宜管理を行う必要がある」と記載されている。ただ、以前読んだ「備考」では、「近年各地で繁茂しているが花がきれいなためなかなか駆除されない。少なくとも外来種であることを周知する必要がある」と書かれていて、苦々しさが伝わってくるような文面だった。いずれにしても要注意の植物と指摘している。

植えた覚えはないので、おそらく種子が風に乗って庭に落ちて、繁殖したのだろう。確かに繁殖力は強い。根ごと抜いてもいつの間にか生えてくる。前述のデータベースの「影響」の欄には、「植物病害ウイルスの宿主であることが報告されており、これらのウイルスを在来植物種に媒介するリスクが想定される」とあり、在来種を枯らす恐れもあるようだ。

花を見ていれば、心が和む。それを在来種に影響を与える外来種だと区別して駆除すべきなのか。ある意味悩ましいタカサゴユリではある。

⇒19日(火)午後・金沢の天気  はれ

★能登・祭りの輪~岩手から神戸から、震災の縁がつながる曽々木大祭~

★能登・祭りの輪~岩手から神戸から、震災の縁がつながる曽々木大祭~

能登の祭りを見学に訪れると、前回ブログで述べた神輿の修復だけでなく、祭りに関わる地域を超えた支援がさまざまにあることが分かった。輪島市町野町曽々木の春日神社では16日に曽々木大祭が営まれた。きのう17日に境内に行って見ると鳥居が真新しくなっていた=写真・上=。近所の民宿のおばさんに尋ねると、去年元日の能登半島地震で鳥居が崩れた。「それを新しくしてくれたおかげで気持ちよく祭りができたんやわ」「岩手の人のおかげなんやわ」と話してくれた。

そこでネットでも見てみると、インスタグラムやX(旧ツイッター)でその鳥居の再建の様子がいくつか書き込まれている。東日本大震災の被災地でもある岩手県大槌町の石材業者が去年元日の能登半島地震の被災地の炊き出しなどのボランティアに1月下旬に能登に入った。東日本大震災の津波で社屋や車などを流されているだけに、被災者の一人として能登で何かできることはないかと考えていた。そのとき、曽々木で春日神社の鳥居が崩れているのを目の当たりにして修復を思い立った。ただ、そのときは能登半島は一般の車両走行も難しく、ことしに入って本格的に作業を始めた。

再建を指揮したのは、岩手県大槌町の「つつみ石材店」の芳賀光氏。ことし5月にほかの支援者も集まり、作業を進めて再建にこぎつけた。経費は「破格の値段」だったようだ。7月19日には芳賀氏や地元の人々が参加して「新鳥居くぐり初め」の神事が営まれた。関係者はそのときの様子をインスタグラムでこう述べている。「この特別な瞬間は曽々木地区の絆を深め、多くの温かい思いが集まりました。この感謝を忘れず、これからも曽々木地区の再建に向け共に頑張ります」。そして、今月16日の曽々木大祭では新しい鳥居の下を初めて神輿がくぐった。

祭りにはもう一つ被災地の縁があった。祭りにはキリコが4本が出たが。それを担ぎ上げたのは地元の若衆と関西からの学生ボランティアら120人だった。去年に続いて祭りに駆けつけたのは、NPO法人「阪神淡路大震災1・17希望の灯り」(通称「HANDS」)=写真・下=。去年、震災の影響で担ぎ手が減少し、祭りの存続が危ぶまれていたことを知ったHANDSが支援を申し出て、開催にこぎ着けた経緯がある。地域を超えた同じ被災者からの支援の輪が能登の伝統文化を守り支えている。

⇒18日(月)午後・金沢の天気  はれ

☆能登・祭りの輪~復活した黒島天領祭に秘められた物語~

☆能登・祭りの輪~復活した黒島天領祭に秘められた物語~

輪島市門前町黒島の祭礼「黒島天領祭」(8月17、18日)は能登の祭りの中でも独自色がある。そもそも天領祭のいわれは何か。かつて北前船船主が集住した黒島地区は貞享元年(1684)に江戸幕府の天領(直轄地)となり、立葵(たちあおい)の紋が贈られたことを祝って始まった祭礼とされる。祭りはキリコを担ぐ能登のほかの祭りとは異なり、都(みやこ)風な趣がある。去年元日の能登半島地震でメインの神輿が損壊し、2年ぶりの巡行となった。

2基の曳山は輪島塗に金箔銀箔を貼りつけた豪華さ、「百貫」(375㌔㌘)もある神輿だ=写真・上=。小学生による奴(やっこ)振り道中のほか。地元の人たちは麻の黒い半纏(はんてん)を粋に羽織っている。

祭りの舞台となる黒島の街並みは重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)に選定されていて、しかも道幅は狭いところで4㍍ほど。ここを曳山が巡行するので道路沿いの家の屋根部分に接触しないよう舵取りが必要となる。そこで求められているのは、きびきびとしたシステマチックな動きだ。

巡行する街路は山と海それぞれに平行に走っている。地元のベテランの舵取り担当が「山一つ」と声を上げると、担ぎ手は一斉に山側に舵棒を1回押す。すると、曳山の車輪は海側に10度ほど舵を切ることができる=写真・下は2017年8月の黒島天領祭=。「海二つ」と声が上がると、海側に2回押して山側に20度ほど舵を切る。この作業を繰り返しながら、曳山は曲線道路を器用に巡行するのだ。

2年目で天領祭が復活したのも、壊れた神輿を修復できたことにあるようだ。メディア各社が伝えている。震災後、黒島の出身者らでつくる姫路市のボランティア団体「黒島支援隊」が壊れた神輿のことを知り、姫路の「灘のけんか祭り」(兵庫県指定重要無形民俗文化財)の神輿を手がけてきた宮大工の男性に修理を持ち掛けた。男性は厚労省の「現代の名工」に選ばれている福田喜次氏73歳。依頼を快諾し、無償で修理を引き受けた福田氏は壊れた部材をすべて姫路へ運び、祭りの写真や動画を参考にしながら、小さいもので数センチ片になった部材を少しずつ組み上げた。8ヵ月ほどかけて完成させた(朝日新聞、神戸新聞web版)。

地域を超えた支援の輪が能登の伝統の祭りを復活させたのだ。秘話のようなストーリーだ。祭りはあす18日も引き続き行われる。

⇒17日(日)夜・金沢の天気  はれ

★能登・祭りの輪~2年ぶり復活、海で乱舞する大漁祭り~

★能登・祭りの輪~2年ぶり復活、海で乱舞する大漁祭り~

旧盆のこの時季、能登の各地では祭りが開催されている。奥能登の穴水町では海の安全と大漁を願う「沖波大漁祭り」が14日と15日の両日、能登半島地震から2年ぶりに復活した。祭りは5本のキリコが町中を練り歩き、15日には海中へキリコを担ぎ込んだ。

担ぐキリコは高さ5㍍ほど。鉦(かね)と太鼓が打ち鳴らされ、「ヤッサイ、ヤッサイ」と威勢のよい掛け声で法被姿の担ぎ手が首まで海水につかりながら大漁を祈願し巡行した。両日は35度近くの暑さで、例年だと午後2時からキリコを動かすが、ことしは暑さ対策として午後4時からに変更しての巡行となった。祭りの復活は能登半島地震で被災した能登の復興のシンボル、そんな光景でもある。(※写真・上は、穴水町の沖波大漁祭り=日本遺産「灯り舞う半島 能登〜熱狂のキリコ祭り〜」 活性化協議会の公式サイトより)

七尾市中島町で14日に営まれた「釶打(なたうち)おすずみ祭り」(新宮納涼祭)では5本のキリコのそうろくに300年以上も燃え続けている「火様(ひさま)」が点火され、祭りを盛り上げた。能登ではかつて、囲炉裏の灰の中から種火を出し、薪や炭で火を起こした。そうした先祖代々からの火のつなぎのことを「火様」と言い、就寝前には灰を被せて囲炉裏に向って合掌する。半世紀前までは能登の農家などで見られた光景だったが、灯油やガス、電気などの熱源の普及で、囲炉裏そのものが見られなくなった。同町では能登でただ一軒、その火様の伝統を守っている民家があり、今回、伝統の祭りと火様がつながった。(※写真・下は、七尾市の釶打おすずみ祭り=同)

もう一つ祭りの話。能登の夏まつりでは、それぞれの家が親戚や知人を招いてご馳走でもてなすヨバレの風習がある。その家の自慢の料理が出る。そのなかでも印象に残っているのが、魚を塩と米飯で乳酸発酵させた「なれずし」。琵琶湖産のニゴロブナを使った「ふなずし」は有名だが、能登でもなれずしは祭りの伝統食だ。

能登町のある民家を訪ねると、アジ、ブリ、アユのなれずしを出してくれた。なれずし独特の匂いがあり、なじめない人も多いという。ただ、食通にはたまらない味と匂いのようだ。アユは5年もので、家の主人はが「ヒネものです」と説明してくれた。ヒネものとは2年以上漬け込んだもの。地酒ととても合う。

能登の祭りには伝統のキリコだけでなく、祭りの伝統料理がある。この伝統を守っていこうという地元の人たちの意気込みこそ、震災からの復興を絆(きづな)で結ぶエネルギーではないだろうか。

⇒16日(土)夜・金沢の天気   はれ

☆終戦から80年、戦没者310万人の死を悼む

☆終戦から80年、戦没者310万人の死を悼む

きょう15日は先の大戦の終戦から80年となる。政府主催の全国戦没者追悼式が行われ、戦死した軍人と関係者、空襲や広島・長崎の原爆投下、沖縄戦で亡くなった310万人を悼み、正午の時報に合わせて黙祷が捧げられた=写真・上はNHK中継番組より=。  

100回以上の空襲で10万人余りの民間人が犠牲となった東京大空襲をはじめ、終戦までに200以上の都市が空襲を受けたとされる。北陸では福井市や富山市などで空襲があったものの、金沢ではなかった。かつて、終戦のこの頃になると、ではなぜ金沢は空襲を免れたのかと友人たちと激論を交わしたこともある。このブログの2015年7月31日付「『金沢空襲』計画」で新たな情報を含めまとめたことがある。以下、再録。

金沢に住んでいる者の根拠のない共通の理解として、金沢は京都と同じく文化財的な街並みや寺院が多く、空襲の対象にはならなかったという認識を共有している。その証拠の一つとして、金沢市郊外の湯涌温泉にかつてあった「白雲楼ホテル」は戦後、GHQ(連合軍総司令部)のリゾートホテルとして接収され、マッカーサー元帥らアメリカ軍将兵が訪れていた、といわれる。

1945年7月にアメリカ軍による「金沢空襲」が計画されていた、というスクープ記事が出たのは2015年7月26日付の北陸中日新聞だった=写真・下=。以下、記事を引用。アメリカ軍が金沢市を攻撃目標とする空襲計画を立てていたことが分かったのは、アメリカ軍資料を収集する徳山高専元教授の工藤洋三氏(当時65)=山口県周南市=が分析した。金沢空襲の計画書は1945年7月20日付で作成され、同年8月1日夜に甚大な被害が出た富山大空襲の計画書が作られたのと同じ日だったという。

金沢空襲の計画書によると、攻撃目標は北緯36.34度、東経136.40度。現在の座標とは数100㍍の差異があるものの、旧日本軍の司令部があった金沢城付近を狙ったとみられる。高度4500㍍ほどから爆弾を投下し、70分以内で攻撃を完了する計画だった。その金沢への爆撃ルート。攻撃隊はまずグアム島の基地から出撃。硫黄島や現在の静岡県御前崎市上空を通過し、富山県黒部市付近で進路を北西に変える。石川県能登半島の穴水町あたりを周回し、金沢に向かって南下。空襲後は再び、御前崎市や硫黄島の上空を通って帰還するルート想定だった、という。

実際に8月1日、B29の爆撃編隊は金沢の上空に来たものの、通り過ぎて、富山市に1万2000発余りの焼夷弾を投下した。11万人が焼け出され、2700人余りの死者が出た。なぜ、金沢空襲の計画は実行されなかったのか。

富山市には発電所を基盤とした重工業の工場が立地していた。当時の金沢は陸軍第九師団が置かれていたものの、産業といえば繊維が主だった。しかも、九師団の兵は台湾などに赴いていた。記事をもとに考察すれば、空襲の計画はされたものの、金沢は軍事的な価値では優先度が低かったのではないか。そして、このころからアメリカ軍は「無差別攻撃」が主流となり、富山の場合でも重工業の工場が標的になっただけではなく、全市が対象となった。その後、無差別攻撃は一気にエスカレートし、8月6日に広島、9日に長崎に原子爆弾が投下された。

終戦がもう少し後にずれ込んでいたら、金沢も無差別攻撃に晒されていたのかもしれない。

⇒15日(金)午後・金沢の天気  くもり時々はれ

★地震と大雨で能登の「盛り土」道路であちこち土砂崩れ

★地震と大雨で能登の「盛り土」道路であちこち土砂崩れ

能登半島はリアス式海岸なので海岸線の道路だけでなく、途中から山間地を走ることになる。また、金沢と能登を結ぶ自動車専用道路「のと里山海道」も平地を走る海岸沿いから山間地を行く。この山間地では山から山をつなぐ道路は、いわゆる「盛り土」で造成された道路だ。その盛り土の道路が去年元日の能登半島地震、そして9月と先日の「記録的な大雨」であちらこちらで大きく崩れている。

去年元日の地震で「のと里山海道」では道路の盛り土部分が20ヵ所余りで崩れるなどしたため、いまも被災した区間では制限速度は時速40㌔に引き下げられたままとなっている。また、里山海道で震災の悲惨さが見えるのが、横田IC近くの盛り土の道路の崩落現場だ。乗用車が転落したままの状態となっている=写真、ことし4月25日撮影=。現場は走行していて、運転席から見えるので、当時の様子が伝わってくる。

そして、今回の大雨でも盛り土の道路が崩れ事故が起きた。報道によると、七尾市中島町小牧の国道249号で、12日午前5時ごろ、道路の盛り土の部分がおよそ30㍍にわたって陥没し、そこにトレーラーや乗用車3台が相次いで転落した。乗っていた3人が重軽傷を負った。崩落した場所は、70年ほど前に盛り土をして造られた道路で、去年の能登地震で被害などは確認されていなかった。車3台は現在も転落したままで、通行再開の見通しは立っていない(12日付・MROニュースweb版)。きょう石川県の馳知事が現場を視察に訪れたと昼のニュースで流れていた。

能登での盛り土の事故は道路だけではない。大惨事がかつてあった。1985年7月11日午後、穴水町の山中で金沢発の急行「能登路5号」(4両編成)が脱線し、前方3両が7.5㍍下の水田に転落。乗客の7人が死亡した。事故の12日前から大雨が続いていた影響で、線路の盛り土が崩れ、線路が宙づり状態になっていたところを列車が走り、大惨事となった。能登線は2005年に廃止となり、現場から線路は消えたが慰霊碑が立っている。

能登半島の大動脈であるのと里山海道では、震災で大きく崩落した個所は盛り土での造成ではなく、新たに鉄橋を架ける工事が進められている。地震や大雨でも持ち堪える安全な道路があってこそ復旧・復興につながる。

⇒13日(水)午後・金沢の天気  くもり

☆食品添加物などの排除に動くトランプ政権 これが世界の手本となるか

☆食品添加物などの排除に動くトランプ政権 これが世界の手本となるか

関税交渉やロシアのプーチン大統領との首脳会談など、アメリカのトランプ大統領の一挙手一投足が注目されているが、中には割と地味で共感できる政治交渉もあるようだ。トランプ政権がポシリーの一つに掲げているのが、「MAHA(Make America Healthy Again)」。アメリカを再び健康に、とのスローガンでトランプ政権はことし2月にMAHA委員会を立ち上げ、食品添加物や清涼飲料水に含まれる人工甘味料の規制に動いている。

ABCニュース日本語Web版(7月17日付)によると、トランプ大統領は先月16日付のSNSで、アメリカ飲料大手のコカ・コーラが国内で販売する飲料にサトウキビ由来の「本物の」砂糖を使用することに合意したと発表した。コカ・コーラは現在、アメリカ国内で流通する飲料にコーン・シロップ(トウモロコシの澱粉を酵素や酸で分解し糖に変えた糖液)を使用しているが、健康への影響を懸念する声も上がっていた。トランプ氏は「アメリカ国内の製品に『本物の』ケーン・シュガー(サトウキビ糖)を使用することについて、コカ・コーラと話し合ってきた。彼らはそうすることに同意した」、「コカ・コーラの責任者全員に感謝したい」と投稿している。(※写真は、アメリカの政権中枢であるホワイト・ハウス=Wikipediaより)

このアメリカでの食品添加物などの規制の動きは広がっている。きょうの日経新聞web版(12日付)によると、アメリカの乳製品企業が多く加盟する業界団体、国際乳食品協会(IDFA)は先月、アイスクリーム大手など数十社が、2027年12月末までに国内市場向けのアイスクリーム商品で合成着色料を不使用とする方針に合意したと発表した。また、加工食品大手のクラフトハインツとゼネラル・ミルズも、それぞれ2027年末までに国内で販売する全商品で合成着色料を不使用とする方針を表明した。トランプ政権下でロバート・ケネディ・ジュニア厚生長官が食品業界に対し、使用廃止への圧力を強めているのが背景にあるようだ。日本企業も対応を迫られることになる。

日本でも以前から食品添加物や人工甘味料は腸内の細菌に悪影響を与える、あるいは子どもに本来必要な栄養摂取を妨げになるなどと規制の対象を広げてきた。トランプ政権はMAHAをスローガンに一気に排除に乗り出している。これが、世界各国の手本となるのかどうか。

⇒12日(火)午後・金沢の天気  あめ

★不祥事の処分と公表は早めに 悪評が拡散するSNSの時代

★不祥事の処分と公表は早めに 悪評が拡散するSNSの時代

スポーツ紙をはじめメディア各社が大々的に報じている。夏の甲子園で10日、1回戦を勝ち上がり2回戦を控えていた広島代表の広陵高校が出場辞退を発表した。報道によると、発端はカップラーメンだった。ことし1月、硬式野球部の寮で禁止されているカップラーメンを食べた1年生部員が複数の2年生部員から殴るなどの暴力行為を受けた。学校側から報告を受けた日本高野連は3月、同校に対して厳重注意の処分を出していた。

ところが、同校が夏の甲子園出場を決めた7月下旬以降、この暴力事案に関する様々な情報がSNS上で拡散し、一部報道もされた。今月5日に大会が開幕するとさらにSNSで上でエスカレートし、高野連は厳重注意の事案があったことを公表。同校は1回戦が行われる前日の6日になって暴力行為を初めて公表した。7日の1回戦で旭川志峯高(北北海道)に勝利。この日、高野連は同校の監督やコーチらによる暴力を訴える別の元部員からの情報提供があったことを発表。同校も「第三者委員会を設置して現在調査中」とした。9日には同校が緊急理事会を開き、出場辞退を決め、10日に同校の校長が甲子園の大会本部に出場辞退を申し入れて受理された。(※写真は、広陵高校の出場辞退を報じる11日付メディア各社)

校長が大会本部での記者会見で、「本校にいる生徒が登下校で誹謗中傷を受けたり、追いかけられたり、寮で爆破予告があったり、そういったようなこともSNS上で騒がれています」と出場辞退を決めた理由について述べている(10日付・NHKニュースweb版)。爆破予告については同校に対する直接の予告ではなく、SNS上での情報のようだ。

広陵高が辞退するまでの一連の流れを読んでの感想は、本来ならばことし3月に日本高野連から厳重注意を受けた段階で同校は暴力事案と高野連からの処分を公表すべきではなかったか、と考える。この場合、校長と監督が責任者として記者会見で謝罪し、警察に事案を届け出ればよかったのではないか。高野連の学生野球憲章の規則では厳重注意は原則として非公表となっているようだが、それは説得次第で不可能ではない。自身の記憶にある似たような事案は、2005年の高知の明徳義塾高校の一件。夏の甲子園の出場を決めた後で、野球部員による暴力行為や喫煙などが明らかになり、大会前に出場を辞退した。1992年の夏の甲子園で、星稜高校の松井秀喜選手に対し、ピッチャーが5打席連続で敬遠した、あの高校だ。大会前の事案の公表と辞退表明は英断だと、そのとき納得したのを覚えている。

公表のタイミングを遅らせばそれだけ世論の憶測を呼び悪評へと広がるものだ。SNSはその広がりを加速、さらに炎上させる。なので、不祥事の処分と公表は早めにする。そんな時代だ。

⇒11日(月・祝)午後・金沢の天気   くもり時々あめ

☆能登で激しい雨、4市町で2万6千人に避難指示 災害ごみ山積み

☆能登で激しい雨、4市町で2万6千人に避難指示 災害ごみ山積み

停滞する前線の影響で石川県内は大気の状態が不安定となっていて、とくに能登ではきょうも時折、激しい雨が続いている。このため輪島市は大雨で土砂災害が発生する危険性が高まっているとして午後3時までに9地区の4974世帯9778人に避難指示を出した。珠洲市も午後3時に市内全域にあたる5669世帯1万786人に、穴水町は2地区の2563世帯5347人に、能登町は2地区の78世帯174人に避難指示を出した。

また、石川県と金沢地方気象台は土砂災害の危険性が高まっているとして、輪島市、珠洲市、七尾市、穴水町、能登町、志賀町に土砂災害警戒情報を発表している。降り始めから10日夕方までの雨量は珠洲市で114.5㍉、輪島市三井で112.5㍉、同市門前で97.5㍉となどなっている。あす11日夕方までの24時間に降る雨の量は、いずれも多い所で加賀と能登ともに100㍉と予想されている。さらに12日にかけては能登を中心に警報級の大雨となる可能性があるとしている。(※図は、日本気象協会「tenki.jp」公式サイト「石川県の雨雲レーダー」)

7日に線状降水帯が発生し、金沢市は12時間の雨量が331.5㍉と記録的な大雨となった。なかでも冠水被害に見舞われたのが同市大浦地区だった。メディア各社の報道では、地区の道路は数10㌢の高さまで水に浸かり、住民は近くの小学校に避難していた。避難指示が解除されたのは8日午前6時半だった。きょう現地に行くと、水に漬かった家具の運び出しや泥の撤去作業が行われていた。

大浦地区近くの「こなん水辺公園」が災害ごみの仮置き場になっていて、使えなくなった家電製品などが次々と持ち込まれていた=写真=。受付にいた市の担当者に尋ねると、持ち込むことができるのは、木でできた製品や金属、家電、畳などで、ガスボンベや灯油などは対象外とのことだった。仮置き場は今月24日まで設けられ、午前8時半から午後4時まで無料で受け入れている。

また、こなん水辺公園の近くには金沢競馬場がある。豪雨で馬の厩舎など敷地内が水に浸かり、競走馬の一部は別の場所に避難していて、このためレースはしばらく中止のようだ。記録的な大雨の影響はいろいろなところで出ている。

⇒10日(日)夜・金沢の天気  あめ

★今月15日に米露トップ会談 ウクライナ侵攻は事態打開へ動くか

★今月15日に米露トップ会談 ウクライナ侵攻は事態打開へ動くか

メディアやネットでビッグニュースが飛び交っている。アメリカのトランプ大統領は、ホワイトハウスのサイトで掲載しているSNS「X」の投稿=写真=で、今月15日にアメリカのアラスカ州でロシアのプーチン大統領と首脳会談を行うことを明らかにした。

「“The highly anticipated meeting between myself, as President of the United States of America, and President Vladimir Putin, of Russia, will take place next Friday, August 15, 2025, in the Great State of Alaska. Further details to follow. Thank you for your attention to this matter!” 」(意訳:アメリカ合衆国大統領である私とロシアのウラジーミル・プーチン大統領との待望の会談が、来週の金曜日、2025年8月15日にアラスカ州で開催される。詳細は後日お知らせする。この件に関心を寄せいただき、ありがとう)

詳細は後日ということだが、対面でのアメリカとロシアの首脳会談はロシアによるウクライナ侵攻後、初めてとなる。この会談で事態の打開が図れるのか、停戦に向け動き出すのか。それにしても、このニュースで気になったのは、なぜアラスカ州での開催なのか。以下、憶測だ。アラスカ州はベーリング海を挟んでロシアのカムチャツカ半島と向かい側にある。7月30日に半島沖でマグニチュード8.8の巨大地震が起きた。相当の被害が出ていることは想像に難くない。当然、プーチン氏は現地を視察に訪れるだろう。米露首脳会談はこのタイミングに合わせているのかもしれない。プーチン氏はカムチャツカの現地で視察を行い、その後、アラスカへ飛ぶというシナリオだろうか。

トランプ氏は別件でも「停戦のコーディネーター」として動いている。係争地をめぐり30年にわたって対立していたアゼルバイジャンとアルメニアの両首脳は8日、トランプ氏の仲介のもとで和平に向けた共同声明に署名した(9日付・NHKニュースweb版)。また、イスラエルがイランの核関連施設などに対する空爆を行い、イランもミサイルなどによる攻撃で応酬するなど中東情勢が一気に高まったが、トランプ氏が仲裁に入り、6月24日に両国は停戦合意に至った。

トランプ氏が「和平の仲介者」として自身を演出する背景にはノーベル平和賞の受賞という野心があると解説するメディアの論調もある。それはそれとして、ウクライナとロシアの双方が納得して停戦にごきつけることができるのだろうか。トランプ氏はどのような秘策をもっているのだろうか。

⇒9日(土)午後・金沢の天気  はれ