2025年 8月 の投稿一覧

☆国会議員の秘書給与詐欺事件 読売の誤報の背景には何が

☆国会議員の秘書給与詐欺事件 読売の誤報の背景には何が

新聞社の役割とは何だろう。今さらこのような問いを発すると識者から叱られそうだが、明確に答えた人を知らない。ただ一人、もう14年前だが、アメリカの週刊誌「ニューズウィーク」の元編集者スティーブン・ワルドマン氏がインタビューに分かりやすく答えていたことを覚えている。以下、2011年10月29日付・朝日新聞の記事からの引用。

「ニュースの鉱石を地中から掘り出す作業をしているのは今日でももっぱら新聞です。テレビは、新聞の掘った原石を目立つように加工して周知させるのは巧みだが、自前ではあまり掘らない。ネットは新聞やテレビが報じたニュースを高速ですくって世界へ広めるチカラは抜群だが、坑内にもぐることはしない。新聞記者がコツコツと採掘する作業を止めたら、ニュースは埋もれたままで終わってしまう」

新聞記者のニュース発掘の作業はたとえば、「夜討ち朝駆け」という言葉で言い表される。捜査ネタを発掘するために警察や検察関係者の自宅を夜、あるいは朝に訪れて取材する。関係者も庁舎内では言いにくいことも、自宅というプライベイトな場であればつい言葉の弾みで語ってしまうこともある。新聞記者は夜討ち朝駆けを繰り返しながら、捜査関係者との阿吽(あうん)の呼吸をつかんでいく。

読売新聞社は今月28日付の一面で、前日27日付の一面で日本維新の会の池下卓衆院議員が採用していた公設秘書2人について、東京地検の強制捜査が行われると報じたことに対し、記事は誤報で訂正しておわびしますと謝罪記事を掲載した=写真=。そして28日付の一面では維新の石井章参院議員が国から公設秘書の給与をだまし取っていた疑いがあるとして東京地検は国会議員会館の事務所や茨木県取手市の自宅を詐欺容疑で捜索したと報じている。読売新聞は27日付の記事で本来、石井章参院議員とすべきところを、池下卓衆院議員と取り違えて報道してしまった、というわけだ。間違えていなければスクープになっていた。

なぜこのような取り違えが起きたのか。以下、自身の憶測だ。読売の記者は26日の捜査関係者への夜討ち朝駆けで27日の強制捜査のネタを仕入れた。そのとき、イシイをイケシタと聞き違えたのだろうか。記者は原稿の締め切り時間に追われ無我夢中で書いたので、名前を確認する時間もなかったに違いない。一連の記事、おわび記事を読んでそんなことを思った。

⇒30日(土)夜・金沢の天気  はれ

★ノンアルコールがアルコール文化を変える日が来るのか

★ノンアルコールがアルコール文化を変える日が来るのか

年齢も古希を超えたのでアルコールを少々控えようと思い、飲んだ翌日は飲まないことにした。もう1年になる。飲むのが習慣となっていた自身にとってこれは結構、人生の試練となった。「誰かと約束したわけではない。自分に甘える日があってもいい」と連日飲んだこともある。「いやいや自分を甘やかしていけない。自分の身は自分で守る」と翌日は飲まないを厳格に自分に言い聞かせたこともある。そんなことを繰り返しているうちに、妙にアルコールを飲む回数そのものが減ってきた。自制しているわけではない。自然とそうなってきた。

そうなったきっかがノンアルコールビールだった。コンビニにビールを買いに行くと、「ノンアルコール ALC 0.00%」というレッテルが目に入った。銘柄は「Asahi」とある。買って自宅で飲んでみるとビールの風味は変わらず、普通のアサヒビールだった。ただ、しっとりと体に落ちてくるアルコール感がない。なんとも不思議なビールだと思ったのが、去年9月のことだった。

そのころワインやビール、日本酒を飲んだ翌日はアルコールは一切飲まないと肝に銘じていたころだ。とは言え、冒頭で述べたように自己制御ができずに連日飲んだりと試練が続く日々だった。10月ごろに、ふとノンアルコールビールのことを思い出し、どうしても翌日飲みたければ代替にノンアルコールを飲めば気持ちが収まると思い、始めた。続けているうちに、飲まないことでイライラとしていたストレスがなくなっていた。そして不思議なことに、アルコールを飲む日にノンアルコールを飲んでいることが多くなってきた。でも飲んだ気分になっている。もちろん、酔ってはいない。

ふと思ったことだが、ノンアルコールビールはビールの飲料感があり、なんとなく気持ちが落ち着く。そして普通の炭酸飲料でもあるわけで、職場や仕事中に飲んでもいい。もちろん、飲んだ後で車を運転してもいい。これは「ノンアルコール文化」ではないだろうか。

ネットによると、アサヒビールはビール好きの働く人たちが「仕事」と「ビールを楽しむ時間」をうまく両立させ、どちらも充実させる生活を意味する「ワークビールバランス」を提唱しているようだ。確かに、職場の上司が「仕事に疲れたら冷たいビールでも飲んで一服して、また頑張ろう」と部下を励ます日が来ているのかもしれない。そして、この夏は猛暑日が続き、とてつもなく暑かった。この「ワークビールバランス」が広まったのではないだろうか。

⇒29日(金)午後・金沢の天気  はれ

☆石川産ブランド梨「加賀しずく」 1個600㌘に秘められた物語

☆石川産ブランド梨「加賀しずく」 1個600㌘に秘められた物語

前日の激しい雨とは打って変わってきょうの金沢は朝から晴れ渡っている。午前中、買い物に出かけた。お目当ては「加賀しずく」。秋の訪れを感じさせる石川県産の梨のこと。近所のJA販売店「ほがらか村」に行くと、果物売り場に並んでいた。「お一人様2個まで」と貼り紙が出ていた。次々と客が訪れていて、開店から40分ほどで品切れの状態となった。自身もぎりぎりで2個買うことができた。

値段は1個700円。店員によると、もう少し大きめになると1個900円だという。毎年この時季に買い求めているが、「ジューシーで酸味がなく上品な甘さ」とでも表現しようか、さすが名産品だと納得する。ちなみに、横の棚の「幸水」(金沢産)は4個入りの袋で1400円だった。それにしても、梨は400㌘程度のものが多い中、加賀しずくは600㌘程度とずっしり感があるのも特徴だ。

この石川のブランド梨にはちょっとしたドラマがある。県農林総合研究センターの開発チームがオリジナルブランドを世に出すまでに16年の歳月をかけた。1998年、日本の梨を代表する「幸水」と石川県の希少梨である「鞍月(くらつき)」の良いところを受け継いだ高級品種の栽培に挑んだ。ちなみに鞍月は、豊水と幸水、20世紀などの畑から出来た突然変異種とされ、金沢の一部の農家で栽培されるブランド梨だ。開発チームは、1個600㌘の大きな果実を1本の木に実らせるために、果実の数を一般的な梨の60%程度に抑え、養分を集中させることで新種の開発にこぎつけた。

2013年、栽培に成功した6種の中からもっとも食味のよかった1種に絞り込んだ。ところが、甘さはあるものの、一般的な和梨の特徴とされるシャリ感が少なく、 どちらかというと洋梨に近い食感だった。そのため当初、青果市場の関係者や生産者には評価されなかった。そこで、開発チームは消費者1050人に協力してもらい、新種と既存のブランド梨2種の3種を品種が分からないかたちで食してもらい、どれがおいしいか(好きか)を調査をした。すると圧倒的に新種に票が集まった。この結果をベースにして消費者に支持される新ブランドを目指し、2014年に農林水産省に品種登録を申請。2016年に名称を「加賀しずく」と決定し、2017年に市場デビューを果たした。

今月26日から出荷が始まり、初競りでは最も高級な「プレミアム」の1箱(6個入り)に過去最高の20万円の値がついたと地元メディアでニュースになっていた。変遷をたどりながら、ブランドを確立した加賀しずくの物語だ。金沢市や白山市、加賀市の農家94軒が8.4㌶の畑で栽培している。これから出荷本番を迎える。

⇒28日(木)夜・金沢の天気  はれ

★金沢に雷鳴とどろく 1時間に61㍉の激しい雨、避難指示も

★金沢に雷鳴とどろく 1時間に61㍉の激しい雨、避難指示も

雷鳴とともに激しい雨が降って来た。午前10時ごろだった。ヤバイと思い、すぐにパソコンの電源ケーブルを抜いた。雷が直接落ちなくても、近くで落ちた場合でも「雷サージ」と呼ばれる現象が広範囲に起きる。いわゆる電気の津波のこと。この雷サージがパソコンの電源ケーブルから機器内に侵入した場合、データなどが一瞬にして破壊される。「雷が鳴ったら電源抜き」は自身の反射的な行動パターンになっている。何しろ金沢はカミナリ銀座だ。雷日数の平年値(1991-2020年)で、年間の雷日数が全国でもっとも多いは金沢の45.1日なので、心がけている。

ウエザーニュースによると、金沢市では午前中の1時間で61.5㍉の非常に激しい雨が観測されたようだ。10時53分に金沢市を対象に大雨警報が発表され、局地的に非常に激しい雨となっている。きょうは小中学校の児童・生徒たちの登校日だった。自宅前は通学路なので、雷雨の中を帰宅する子どもたちの声が聞こえる。稲光がするたびに、「コワイッ」「アブナイッ」と叫び声が上っていた。確かに、雷雨の中で傘を差して歩いているので、傘に雷が落ちてくるかもしれないと思っただけでこれほど怖いことはないかもしれない。(※写真は、金沢市内の上空を覆った雨雲=27日午前10時半ごろ、自宅2階から撮影)

予報によると、夕方にかけて、落雷や竜巻などの激しい突風、急な強い雨となる所があり、金沢地方気象台では安全確保に努めるよう呼びかけている。大雨警報にともない、金沢市は正午に市内9地区、2万7520世帯・6万3730人に避難指示を出した。この地域周辺を流れる金腐川の一部では午前11時50分ごろ氾濫危険水位を超えている。

それにしても雷は鳴り止まない。午後0時35分ごろ、落雷の強烈な音がした。金沢の山手だ。いまのところ火の手など上がってはいない。ようやく雷雨が落ち着いてきて、パソコンに電源ケーブルを入れたのは午後1時ごろだった。また、金沢市が出していた河川の氾濫の危険性による避難指示は午後2時に解除された。

⇒27日(水)午後・金沢の天気  あめ

☆能登・祭りの輪~万博盛り上げるお熊甲、燈籠山、あばれ祭~

☆能登・祭りの輪~万博盛り上げるお熊甲、燈籠山、あばれ祭~

きょうも金沢は35度の猛暑日。熱中症警戒アラートも10日間連続で出ている。そんな暑さを吹き飛ばす、熱い催しが能登の祭りかもしれない。あす27日、大阪・関西万博のEXPOアリーナ「Matsuri」で「石川の日祭りイベント」が開催される。テーマは、「いしかわの祭り~未来へつなぐ伝統と能登復興の響き~」、能登と加賀を代表する祭りが一堂に会する。以下、大阪・関西万博イベント出展「石川の日」Webサイトより。

祭りイベントには石川県内の20の祭り団体、1000人余りが出演する。中でも注目は七尾市中島の「お熊甲(くまかぶと)祭り」だろう。毎年9月20日に行われることから、地元では「二十日祭り」とも呼ばれている。天狗面を着けた猿田彦が軽妙な舞をしながら先導し、男衆が高さ20㍍余りの深紅の枠旗を掲げ、「イヤサカサー」の掛け声と鉦‧太鼓を打ち鳴らし町内を練り歩く。見どころは「島田くずし」と呼ばれる旗を地面すれすれまで傾ける妙技だ=写真・上、「和倉温泉お祭り会館」公式サイトより=。約400年の歴史を持ち、国の重要無形民俗文化財に指定されている。あすは200人に及ぶ派遣団が万博会場で妙技を披露する。

きらびやかな山車は珠洲市飯田町の「燈籠山(とろやま)」だろう。高さが16㍍あり、「えびす様」の人形を載せている。夜になると、煌々と明かりを灯して、8基の曳山とともに街中を練る=写真・中、珠洲市公式サイト「GO TO SUZU  飯田燈籠山祭り」より=。毎年7月20日と21日に行われる江戸時代が起源とされる祭礼で、去年は能登半島地震で開催できなかったものの、ことしは2年ぶりに巡行した。木遣り歌『きゃーらげ』を大声で歌いながら、山車と曳山が万博会場を練る。

そして能登町宇出津の「あばれ祭」も万博であばれる。能登でキリコと呼ぶ「切子灯籠(きりことうろう)」を老若男女が担ぎ、「イヤサカヤッサイ」の掛け声で港町を練る=写真・下=。絶好調になると、神輿を川に投げ込んだり、火の中に放り込むなど、担ぎ手が思う存分に暴れる。それを神が喜ぶという伝説がある祭りだ。毎年7月4日と5日に開催され、夏場の能登のキリコ祭りの先陣を切る祭りでもある。

深紅の枠旗をたなびかせ、えびす様の山車と曳山が練り、イヤサカヤッサイとキリコがあばれる。祭りの担ぎ手は全国からの震災支援への感謝の気持ちを込めて担ぐだろう。 能登の祭りは万博会場を盛り上げるに違いない。

⇒26日(火)夜・金沢の天気  はれ

★読売調査で内閣支持率が急上昇、ところで「防災庁」はどうなった

★読売調査で内閣支持率が急上昇、ところで「防災庁」はどうなった

内閣支持率が急上昇している。きょう付の読売新聞の世論調査(22-24日・電話調査・有効回答991人)によると、石破内閣について「支持する」との回答は39%で前回調査(7月21、22日)の22%を大幅に上回った=写真・上=。「支持しない」は50%で前回調査より17ポイント減ったものの、過半数を占めている。また、参院選の結果を受けて、総理は辞任すべきだと思うか、との問いには、「思う」が42%、「思わない」が50%だった。

朝日新聞(今月18日付)の世論調査(今月16、17日・電話調査・有効回答1211人)も同様の傾向を示していて、内閣支持率は36%で前回調査(7月26、27日)の29%を上回り、不支持は50%で前回調査より6ポイント減った。そして、参院選の結果を受けて辞めるべきだと思うか、との問いには、「辞めるべきだ」が36%、「その必要はない」が54%だった。朝日の調査について記した今月20日付のブログでも述べたが、衆参両選挙で自民が大敗を喫したそもそもの原因は裏金問題であり、自民党内の「石破降ろし」の動きは責任の転嫁ではないのか、というのが有権者の目線ではないだろうか。内閣支持率の上昇は石破氏へのある意味で同情票のように感じる。

ところで、有権者の一人として、「アレはどうなりましたか」と石破総理に尋ねたいことがある。防災庁の創設のことだ。自身が初めて耳にしたのは、石破総理が就任早々の去年10月5日に、元日の能登半島地震、そして9月の「記録的な大雨」の被災現場を輪島市を訪れ視察した。そのとき、インタビューに答え、「日本国中どこで何が起きても、同じ支援が受けられるよう内閣として尽力していく。そのための防災庁を創設する」と述べた(2024年10月5日付・NHKニュース)。その後、政府は12月20日に全閣僚が参加する「防災立国推進閣僚会議」の初会合を総理官邸で開催し、2026年度中の創設を目指すことを確認している。

ことし7月4日、参院選で党公認候補の応援のため能登空港を訪れた石破総理の演説=写真・下=を直に聴いた。石破氏は「世界有数の災害大国ならば世界一の防災大国にしなければならない」と述べ、事前防災と災害対応の司令塔となる「防災庁」の必要性について強調した。ただ、どこに本部を置くかなどの具体案はなかった。そして、参院選以降、防災庁構想は進展しているのだろうか。

新しい省庁の新設で思い起こすのが、東日本大震災や福島第1原発事故の発生翌年の2012年2月に発足した「復興庁」だ。設立時は「スーパー官庁」と位置付けられ、複数省庁にまたがる課題を「ワンストップ対応」で調整し、予算を含めた復興政策を一元的に統括することが主な役割だったが、13年を経てその役割は最終ステージの段階に入っている。石破氏が構想するのは復興庁の「後継庁」なのだろうか。総理肝いりの防災庁だ。国民に早くビジョンを示してほしい。

⇒25日(月)午後・金沢の天気  はれ

☆能登・祭りの輪~輪島を練る豪華キリコ、復興へ掛け声響く~

☆能登・祭りの輪~輪島を練る豪華キリコ、復興へ掛け声響く~

前回ブログの続き。能登半島地震の被災地を巡る日帰りバスツアー「能登半島地震を風化させないために(減災企画)」で輪島市の中心部を巡ると、輪島大祭が行われていた。市内の重蔵神社、奥津比咩神社、住吉神社、輪島前神社の4社で23日から25日まで連続して営まれる夏祭りが総称して「輪島大祭」と呼ばれている。

初日の23日は重蔵神社、奥津比咩神社の祭り。重蔵神社は中心部の河井町にあり、17本のキリコが出る。バスで訪れたのは午後4時過ぎだったが、市内を朱色のキリコが練り歩いていた=写真・上=。能登のキリコは白木が多いが、輪島のキリコは朱塗りされたものや、黒漆のものが多い。さらに、輪島塗蒔絵や金箔で飾りつけられたものが豪華さを引き立たせる=写真・下=。かついて聞いた話だが、地区がそれぞれ豪華さやきらびやかさを競ってキリコを造るため、1本2000万円くらいはするそうだ。

この日は輪島は35度ほどの暑だったが、威勢いい掛け声が街中に響き、猛暑を吹き飛ばす熱気だった。そして、面白い光景がその祭りの一服の様子。ビルの木陰で老若男女が笑いながら楽しく会話が弾んでいた=写真・下=。能登半島地震で金沢などに避難している人やほかの都市で就職した人たちが祭りの日に帰って来て、年に一度の祭りを楽しむ。お酒が入った勢いがあるのかもしれない。この後、また張り切ってキリコを担いで市内を練る。能登では、「1年365日は祭りの日のためにある」、「盆や正月に帰らんでいい、祭りのために帰って来い」とよく言われる。まさに、その祭りを楽しむ光景だった。

見学は30分ほどだったが、街中を歩くと公費解体で空き地が点在する。ワッショイ、ソリャッーと響く祭りの掛け声は輪島の人たちが復興へと心を一つにしているように聞こえた。

⇒24日(日)午前・金沢の天気   はれ

★地震にめげない五重塔 海底隆起で新たに漁港 句碑が後ろ向く

★地震にめげない五重塔 海底隆起で新たに漁港 句碑が後ろ向く

きょう金沢市内のバス会社が企画した能登半島地震の被災地を巡るツアーに参加した。テーマは「能登半島地震を風化させないために(減災企画)」。企画した会社の営業所長は阪神・淡路大震災を経験したことをきっかけにこれまでも東日本大震災の被災地で学ぶツアーなど企画している。今回も、参加者が被災の状況や復興の取り組みを直接見聞きすることで、今後の災害と向き合う減災の取り組みに役立ててほしいと企画した。ツアーで巡ったポイントの中からいくつか。

北陸随一の五重塔=写真・上=が羽咋市の妙成寺にある。二王門(国重文)をくぐると、高さ34㍍の優美な姿を現す。執事の大句哲史氏の説明によると、日蓮聖人の孫弟子の日像上人が1294年に開山した北陸最初の法華道場という。その古刹を熱心に保護したのが加賀藩祖・前田利家の側室で、2代藩主の利常の母の寿福院だった。妙成寺を菩提寺と定め、五重塔など整備した。能登半島地震では羽咋市は震度5強の揺れ。築400年余りの五重塔は無傷だった。妙成寺は海辺に近いことから、内部の木組みは風に強く、破壊力を吸収する構造となっているという。大句氏は、「重要文化財ですが、これを機にぜひ国宝に」と述べていた。

能登の海岸は日本海側を外浦(そとうら)、そして七尾湾側の方を内浦(うちうら)と呼んでいる。去年元日の地震では外浦は海岸の隆起、内浦では地盤沈下が起きた。外浦の輪島市門前町の鹿磯(かいそ)漁港では、地震で海底が4㍍も隆起した。被災地を案内してくれた谷内家次守氏によると、隆起した場所を活用して新たな港を造っているとのこと=写真・中=。実際に鹿磯漁港に行ってみると、なるほどと思った。隆起した部分に道をつけ、漁獲した魚を水揚げする場所が新たに設けられていた。谷内氏は「現地を見てもらい、復興に向けた地域の思いが伝わったらうれしい」と。

同じく同市門前町の曹洞宗の大本山・総持寺祖院は2007年3月25日の能登半島地震で大きな打撃を受け、14年の歳月をかけ完全復興を宣言。輪島市民にとって「復興のシンボル」でもあった。副監院の高島弘成氏によると、去年元日の地震では33㍍の廊下「禅悦廊」が崩れるなど国の登録有形文化財17棟全てが被災した。そして、案内してもらったのが、坐禅堂前の俳人・沢木欣一の句碑。地震の右回転の揺れによって180度回転し、句碑は後ろ向きになった=写真・下=。高島氏は「しばらく誰も気づかなかった。それにしてもこれが自然のチカラなんです」と。ちなみに句は、「雉子鳴いて 坐禅始まる 大寺かな」

静寂な寺で座禅修行の始まりを告げるかのようにキジの鳴き声が聞こえる。視覚的なイメージと聴覚的なイメージが絶妙に組み合わさり、場の情景が伝わってくる。

⇒23日(土)夜・金沢の天気 はれ

☆能登・祭りの輪~八朔祭に秘められた男神と女神の逢瀬の物語~

☆能登・祭りの輪~八朔祭に秘められた男神と女神の逢瀬の物語~

能登の夏祭りをテーマに各地を訪れているが、祭りの中心となる地域の神社は去年元日の能登半島地震で多く損壊した。社殿のほか鳥居が倒れるケースが目立つ。それをことしの夏祭りまでに再建しようと地域が力を合わせ、また他の震災地の人々の支援を受けて完成にこぎつけた事例(今月17日・18日付のブログ)もある。

きのう21日に訪れた志賀町富来領家町の住吉神社の鳥居も、今月23、24日の夏祭りを前に1年7ヵ月ぶりに再建された=写真・上=。社殿はまだ修復中だったが、高さ5㍍ほどの鳥居は木製で造られ、近づくとヒノキの香りがした。それまでの鳥居は石造りだった。境内で祭りの準備を行っていた地域の人に話を聴くと、「神輿で新しい鳥居の下をくぐるのを何よりも楽しみにしているんです」と目を細めていた。

あすからの祭りは、「冨木八朔(とぎはっさく)祭り」と呼ばれ、能登でも知られた祭りだ。むしろ能登では「くじり祭り」として知られる。「くじり」は男女の性行為のことだ。なぜそう呼ばれるのか。境内にある祭りの説明看板にはこう記されている。

「その昔、岩舟に乗り増穂浦(※富来地区の海岸)に漂着した男神が住吉神社の女神に助けられ、夫婦になりました。ところが、荒波の音を嫌った男神は里山の冨木八幡神社に遷座してしまいました。その後、男神は年に一度(旧暦の八月朔日)に女神との逢瀬のため住吉神社に渡御したことが冨木八朔祭礼の始まりと言われ、約800年の伝統を誇ります」

男神と女神が逢瀬を交わすことが祭りのルーツとされ、それが「くじり祭り」として伝えられてきた。2日間にわたる祭礼の1日目は「お旅祭り」と称され、町内各地から大小30本のキリコが冨木八幡神社に集結する。男神を乗せた神輿とともに夜道を練り歩きなながら2㌔離れた住吉神社に届ける。2日目は本祭りで10基の神輿が増穂浦に勢ぞろいし、白砂青松の海岸を渡御する「浜廻り」が行われる。その後、街中を練り歩き男神を八幡神社まで送り届ける。

ストーリー性といい、キリコと神輿の巡行といい、じつにダイナミックな祭りだ。ちなみに、男神が嫌った「荒波」はおそらく冬場の荒海だろう。富来地区には、松本清張の推理小説『ゼロの焦点』の舞台となった名所の能登金剛があり、清張の歌碑がある。『雲たれて ひとり たけれる 荒波を かなしと思へり 能登の初旅』。清張が能登で初めて見た荒海の情景。人は出世欲、金銭欲、さまざまな欲望をうねらせて突き進むが、最後には自らの矛盾や人間関係、社会制度に突き当たって一瞬にして砕け散る。ズドンと音をたてて砕ける荒海から、サスペンスのイメージを膨らませたのかもしれない。

⇒22日(金)午後・金沢の天気  はれ

★内閣支持率が上昇、「石破降ろし」に対する有権者の同情か

★内閣支持率が上昇、「石破降ろし」に対する有権者の同情か

有権者の政治に対するこの思いをなんと表現すればよいのだろうか。石破総理が率いる自公政権は去年10月27日の衆院選、そして先月20日の参院選で大敗したものの、世論調査の内閣支持率が上がっている。今月18日付の朝日新聞の世論調査(16、17日に電話調査・有効回答1211人)の結果を読んで、少々驚いた。見出しは「首相辞任『必要ない』54%に増 内閣支持率上昇36%」とあった=写真=。

自身も先月24日付のブログ「★『信なくば立たず』 続投に執着する石破総理が失う求心力」で、「参院選で過半数を失ったにもかかわらず、比較第1党として『国政に停滞を招かない』と続投を表明。さらにアメリカとの関税交渉を理由に再び続投を表明した。なぜここまで執着する必要があるのかと有権者の一人として考え込んでしまう」と石破氏の政権執着を批判的に述べた。参院選からきょうで1ヵ月経ったが、政治は何も変わっていない。ただ、支持率が上昇しているのだ。

先の朝日新聞の世論調査は見出しにあるように、今回の内閣支持率は36%と前回調査(7月26、27日)の29%から上昇している。そして「参院選の結果を受けて、石破首相は首相を辞めるべきだと思いますか」の問いには、「辞めるべき」が36%で、前回41%から低下、「その必要はない」が54%で、前回47%から上昇し、過半数を占めた。政党支持率は自民20%と前回と同数値、公明は3%、前回4%だった。ちなみに、自民党支持層での「辞めるべき」は20%、前回は22%、「その必要はない」が76%、前回70%だった。

政党支持率は上がっていないのに内閣支持率が上がっていることをどう読めばよいのか。一つの見方として、参院選の敗北直後から高まってきた、いわゆる自民党内の「石破降ろし」にむしろ有権者は石破氏に同情を寄せているのかもしれない。そもそも衆院選、そして参院選の敗北の根底には「裏金問題」が尾を引いていた。この裏金問題に絡んで議員に対して、石破総理は即決感のある対応で方針を公表した。党の処分が継続中なら政治倫理審査会で説明した場合を除き非公認とし、不記載議員は公認する場合も比例代表への重複立候補を認めない、など。

衆参両選挙で大敗を喫したそもそもの原因は裏金問題であり、自民党内の石破降ろしは責任の転嫁ではないのか、という有権者の目線が石破氏には同情として注がれているのかもしれない。

⇒20日(水)夜・金沢の天気  はれ