2025年 5月 の投稿一覧

★愛子さま金沢到着に歓迎の列/SNSを断った知人のこと

★愛子さま金沢到着に歓迎の列/SNSを断った知人のこと

きょう正午ごろ、JR金沢駅東口の前の通りを車で行くと、通りに人が行列ができていた。移動ではなく、出迎えという様子で警察官が列を仕切っていた。思い出した。皇室の愛子さまがきょうから能登半島地震の被災地を訪ねるため、間もなく金沢駅に到着されるのだ、と。それにしても愛子さまを一目見ようと長い行列だ。100㍍余りだろうか。列の長さは愛子さま人気のバロメーターなのかもしれない。

話は変わる。東京在住の知人からメールがあり、15年ほど続けてきたX(旧Twitter)のアカウントを削除したと書かれてあったので、「どうして」と返信すると、長文のメールが届いた。以下、本人の了解を得て要約したものを紹介。

「ツイッターでは新たな人間関係もできて、いろいろな反応や情報をもらったりして、最初は居心地が良く楽しかった。いつの間にか生活の一部ようになって、そのうちなんだか依存性のようになってきて、人から情報摂取を続けることがおっくうにも感じるようになった」「そこで、70歳になったのを機にやめたんだよ。人とのネットワークを失うことの抵抗感もあったけど、いまこそ断つべきと決断したよ・・・苦笑」

「最近SNSにまつわる事件が多いことも気になっているんだ。知り合いが海外で運営されているオンラインカジノに誘われていると言ってきたので、金を賭けてスロットやバカラに参加すれば、日本では賭博罪なるからやめとけと注意したんだ」、「毎日のように新聞やテレビで取り上げられているけど、SNSでもうけ話に誘われる投資詐欺も目立っている。恋愛感情につけ込んだロマンス詐欺も多くある。SNSがまるで『悪の温床』のようになっているよ」

知人からの文面で、人とSNSの15年間の変遷を垣間見た思いだった。情報の断捨離を経て、これから身軽で快適な生活を送られることを願う。自分自身はXなどSNSのアカウントは持ってない。これまで何度かSNSに誘われたものの、このブログ「自在コラム」だけでも十分に時間が取られるので断ってきた。ブログは人とのネットワークがコンセプトではないので、ある意味で楽だ。ブログとの付き合いは20年経つが、あとしばらく続ける。

⇒18日(日)午後・金沢の天気  くもり

☆コウノトリとトキの共生、能登で描くあるべき自然の姿

☆コウノトリとトキの共生、能登で描くあるべき自然の姿

能登でコウノトリとトキは共生できるのか・・・。きょう金沢市にある石川県立図書館で開催された生物多様性を考える集いで話題になったテーマの一つだった。能登半島では志賀町の山中のほか、金沢市に隣接する津幡町の平野でもコウノトリのヒナが誕生。また、奥能登の珠洲市と穴水町でも営巣が新たに確認されている。「コウノトリが住み着くと幸福が訪れる」「コウノトリが赤ん坊を運んでくる」との伝承がヨーロッパにあるように、コウノトリが能登ににぎわいもたらすのではないかと話が弾んだ。

そして、環境省は来年2026年6月にも能登で放鳥を行うことをすでに決めている。具体的な放鳥の場所についてはことし7月ごろまでに決定し、1度に15から20羽ほどを複数年にわたって放鳥する計画のようだ。トキもコウノトリも国の特別天然記念物であり、全国的に注目される「国鳥の聖地」になるかもしれない。(※写真・上は、能登の電柱で営巣するコウノトリ=今月3日撮影)

トキもコウノトリもエサとしているのが、カエルやドジョウ、メダカなどだ。そこで出た話が、エサをめぐって鳥同士が争いをしないだろうか、という点。これについて鳥類の研究者の話。かつて、佐渡を訪れたとき、トキのエサ場にコウノトリ1羽が舞い降りた様子を観察したことがある。トキは数羽いたが、コウノトリがエサをついばんでも威嚇することもなく、「知らんぷりという様子だった」。しばらくして、コウノトリは飛び立っていった。

コウノトリの研究者の話。コウノトリ同士がエサをめぐって威嚇する様子をこれまで見たことがあるが、コウノトリがほかの鳥にちょっかいをかけたりすることは見たことがない、と。カラスがコウノトリを威嚇することもある、との話だった。(※写真・下は、輪島市三井町洲衛の空を舞うトキ=1957年、岩田秀男氏撮影)

2人の研究者の話として、「コウノトリやトキに限らず、動物を野生復帰、そして定着させる際には、自然状態で十分なエサを捕ることができる環境が大切。エサをめぐって鳥同士がたとえ争っても、人が関わらないことが大切では」とのことだった。

⇒16日(金)夜・金沢の天気  くもり

★「清く貧しく美しく」哲人政治家ホセ・ムヒカ氏逝く

★「清く貧しく美しく」哲人政治家ホセ・ムヒカ氏逝く

金沢の自宅庭にシャクヤクが花を咲かせている=写真・上=。「立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿はユリの花」という言葉があるように、上品な女性の姿をイメージさせる。花言葉は「恥じらい」。とても優雅な花なのに、「恥じらい」とは、なぜと

思ってしまう。その由来は、シャクヤクは夜になると花を閉じる習性があり、その姿から「恥じらう様子」がイメージされたようだ。それにしても花は精気を放ち、心を和ませてくれる。

話は変わる。 「世界一貧しい大統領」として知られたウルグアイの元大統領、ホセ・ムヒカ氏が今月13日、亡くなったと報じられている。享年89歳、2010年から15年まで大統領を務めた。4年半ほど前になるが、朝日新書『ホセ・ムヒカ 日本人に伝えたい本当のメッセージ』(2016)を読んでその人となりに感動し、このブログで書いたことがある。以下、再録する。

ムヒカ氏の言葉は日本人に心によく刺さる。「私が思う『貧しい人』とは、限りない欲を持ち、いくらあっても満足しない人のことだ。でも私は少しのモノで満足して生きている。質素なだけで、貧しくはない」。まさに人生訓だ。もう一つ。「生きていくには働かないといけない。でも働くだけの人生でもいけない。ちゃんと生きることが大切なんだ。たくさん買い物をした引き換えに、人生の残り時間がなくなってしまっては元も子もないだろう」

ムヒカ氏がよく使う言葉は「Nobody is more than nobody」(英訳、同書)。誰も誰かより偉いということはない、という意味だろう。近い響きが、福沢諭吉の「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずといへり」(『学問のすゝめ』)ではないだろうか。こうしたムヒカ氏の言葉はどこからくるのだろか。ウルグアイの軍政下で13年にも及んだ刑務所生活での悟りのなのだろうか。ちなみに福沢の「天は人の上に・・」はアメリカの独立宣言の一節「・・ that on all men are created equal on、・・」 を意訳したものといわれている。(※写真・下は、朝日新書『ホセ・ムヒカ 日本人に伝えたい本当のメッセージ』の帯から)

ムヒカ氏は世界に向けても言い放った。2012年6月、ブラジルのリオデジャネイロで開催された「国連持続可能な開発会議」(Rio+20)での演説。「西洋の豊かな社会と同じような消費と浪費を、世界の70億、80億の人ができると思いますか」「発展することが幸福を損なうものであってはなりません。発展とは、人間の幸せの味方でなくてはならないのです」と。

この著書を読んで思い浮かべたのは「清貧」という言葉だった。大統領在任中は公邸ではなく、質素な農場の自宅で暮らし、収入の大半を貧しい人たちに寄付した。あえて「清く貧しく美しく」という生き方を実践した人物だった。冒頭のシャクヤクのような、人生の花を咲かせた。冥福を祈りたい。

⇒15日(木)夜・金沢の天気  はれ

☆トレーラーハウスで時代を走る 輪島塗アート&工房

☆トレーラーハウスで時代を走る 輪島塗アート&工房

輪島と言えば輪島塗だ。徹底した分業で専門職人の手から手へと渡るプロセスがあり、木地づくりから塗り、加飾までじつに124の工程があるといわれている。こうした綿密な作業工程から完成度の高い漆器が生まれる。「NOTO、NOT ALONE研究所」の次に、知り合いの「田谷漆器店」を訪ねた。

漆器工房は地震で倒壊したため、トレーラーハウスでギャラリー=写真・上=と工房が造られていた。訪ねたのは日曜日ということもあり、ギャラリーは休館で本人がいる様子もなかった。外から窓越しに中をのぞくと、整然と作品が並んでいる=写真・下=。下のカップはひょっとしてあのカップではと思い浮かんだ。

あのカップとは、去年4月、当時の岸田総理がアメリカを訪問し、バイデン大統領にお土産として手渡したのが輪島塗のコーヒーカップだった。プレゼントしたカップにはバイデン夫妻の名前入りで、青と黒のグラデーションが施されていた。岸田氏は、被災した能登で創られている日本ではとても有名な「lacquerware(漆芸品)」だと紹介した。あのコーヒーカップはこの漆器工房でつくられたものだった。

震災、そして余震も続いたが、輪島塗は124の工程を綿密に重ね、いまもトレーラーハウスでつくられている。でも、ふと思った。なぜ仮設店舗ではないのだろうか、あえてトレーラーハウスを使用する理由は何か、と。以下憶測だ。トレーラーハウスが使用されたのは去年の9月以降だ。あの48時間で498㍉という「記録的な大雨」に見舞われたことを教訓に床を高くしたのか、と考えた。さらに、仮設店舗より外観にデザイン性があり、別荘のような趣(おもむき)だ。

まずは漆器工房のオーナー本人に尋ねてみよう。あれこれ思いをめぐらしながら現地を後にした。

⇒14日(水)午前・金沢の天気  はれ

★トレーラーハウスで時代を走る 「NOTO,NOT ALONE」

★トレーラーハウスで時代を走る 「NOTO,NOT ALONE」

おととい(11日)輪島市の白米千枚田の田植えの様子を見学した帰りに市街地をめぐった。200棟余りが全焼した朝市通り周辺は損壊したビルなどが撤去され、原っぱのようになっていた。行政では今後、この地区の復興をシンボルプロジェクトと位置付け、建築家の隈研吾氏を「復興まちづくり特別アドバイザー」に迎えて再開発計画を進めている。

街中で目立ち始めているがトレーラーハウスを活用したショップかもしれない。中心部の小路に入ると、「NOTO、NOT ALONE研究所」と記されたトレーラーハウスがあった=写真=。社会福祉法人が運営するショップで、コーヒーやクラフトビール、オリジナルTシャツなどを販売している。ショップの女性に「NOTO, NOT ALONE」の意味を尋ねると、「能登はひとりじゃないですよ、お互い繋がりましょうという意味です」とのこと。そして、意味はさらに深かった。

店のパンフによると、社会福祉法人では近隣にスポーツジムや障害者が共同生活を送るグループホームをいくつか設けている。高齢者が健康なうちに地方に移住し、終身過ごすことが可能な生活共同体のことをCCRC(Continuing Care Retirement Community)、と言うそうだ。CCRCは1970年代にアメリカで始まり、全米で2000ヵ所のCCRCがあるともいわれる。都会での孤独死を自らの最期にしたくないと意欲あるシニア世代が次なるステージを求めている。そうした人々を受け入れる仕組みづくりを輪島で目指しているようだ。

「NOTO, NOT ALONE研究所」は震災以降で立ち上げたショップだが、まさにCCRCのコンセプトを込めたネーミングのように思えた。

⇒13日(火)午後・金沢の天気   はれ

☆「トキが来る田んぼに」 千枚田レジリエンスの田植え250枚 

☆「トキが来る田んぼに」 千枚田レジリエンスの田植え250枚 

去年元日の能登半島地震、そして9月の「記録的な大雨」の被害を受けた輪島市の白米千枚田で田植えが行われている。きょう現地を見に行った。地元の人たちと棚田のオーナー、そして支援ボランティアの50人ほどが裸足で田んぼに入り、苗を植えていた=写真=。

白米千枚田は4㌶の斜面に1004枚の棚田が広がり、2001年に文化庁の「国指定文化財名勝」に指定され、2011年に国連食糧農業機関(FAO)から認定された世界農業遺産「能登の里山里海」のシンボル的な存在だ。それが、去年の地震で8割の田んぼにひび割れなどの被害が出た。地元や棚田のオーナー、ボランティアの人たちが懸命に修復作業を行い、去年は120枚で田植えを行った。ところが、120枚の稲刈りを終えた9月21日に48時間で498㍉という「記録的な大雨」に見舞われ、棚田に土砂が流れ込むなどの被害が出た。これも3者で土砂の除去作業などが行い、ことしは250枚で田植えを行うとのこと(白米千枚田景勝保存協議会)。

現地で見学していると、地元の人が転枠(ころがしわく)を田んぼで回し、その後に棚田のオーナーやボランティアが苗を植えていた。近くの駐車場で停めてあった車のナンバーを見ると、「金沢」を始め「世田谷」などがあり、全国から集まっているようだ。一人から話を聞くと、「トキが来てくれるといいなと思っています」と。来年6月に環境省が能登でトキを放鳥することを意識して、千枚田にトキのエサとなるドジョウやメダカなどが繁殖するように、ことしは無農薬で有機肥料を使って田植えを行っているという。

2重災害にめげず、さらにトキが訪れる田んぼを目指して田植えをしている。千枚田を耕す人びとのモチベーションの高さには敬服する。6月に草を取り、9月に稲刈りを行う。

⇒11日(日)夜・金沢の天気  くもり

★能登の湾に浮かぶソーラーパネル 「とり貝」をICT養殖

★能登の湾に浮かぶソーラーパネル 「とり貝」をICT養殖

能登の海を眺めているといろいろなことに気づく。内浦(うちうら)と称されている半島の東側の湾沿いでは、たくさんの「浮き」が並んでいる。浮きの下には、カキの種苗を付着させたホタテの貝殻をロープに通したものを吊り下げている。こうしたカキの養殖が盛んで、「能登かき」は人気ブランドになっている。

能登の里山の栄養分が川を伝って流れ、七尾湾に注ぎこむ。その栄養分が植物プランクトンや海藻を育み、海域の食物連鎖へと広がり、カキがよく育つとされる。とくに、里山の腐葉土に蓄えられた栄養分「フルボ酸鉄」が豊富にあるとされる。

そうした大量の浮きに交じって、湾の中にソーラーパネルが浮いている=写真・上=。何だろうと思って眺めていると、近くに漁師らしき人が通りかかったので尋ねた。「あれ何ですかね」と。すると、「トリガイだよ」と。「最近はあんなの使って養殖しとるんや」と。ソーラーパネルの筏(いかだ)の横には養殖用らしき筏も並んでいる。自宅に戻ってネットで調べた。分かったのは「スマート養殖」と呼ばれる、ICTを活用した養殖方法のようだ。

トリガイはホタテやアサリと同じ二枚貝の仲間で、寿司ネタとして利用される高級品種だ=写真・下、JFいしかわ公式サイト「能登とり貝」より=。ただ、養殖が難しい貝で、能登での生産量も数千個ほどとされ、市場にもそれほど多く出回ってはいなかった。それが、このところ「能登とり貝」として人気となっている。先日(今月8日)金沢市の卸売市場でことしの初競りが行われ、最も大きなものは1個6万円で落札されたと地元メディア各社が報じていた。

その「能登とり貝」を成長させているのが、どうやらICT養殖のようだ。筏にセンサーを設置して海の水温や塩分、酸素濃度、そして餌となるプランクトンの量などをチェックする。そして、稚貝の入ったかごを吊るした養殖筏を適切な海域に移動して育てる。これまで漁師の経験と勘で筏を設置する海域を決めていたが、海水温などの環境変化が著しいことから、センサーで監視するようになったようだ。その電源としてのソーラーパネルの筏が養殖筏の近くにある、という訳だ。

ことしは6万個の水揚げが見込まれ、生産量の6割が東京に、4割が金沢に出荷される(9日付・日経新聞)。「能登かき」に次いで、「能登とり貝」も人気ブランド化する日が近い。

⇒10日(土)朝・金沢の天気 くもり

☆金沢で震度7、死者2200人、避難者19万人・・被害想定見直し

☆金沢で震度7、死者2200人、避難者19万人・・被害想定見直し

これは衝撃的な数値だ。石川県危機対策課は地震の被害想定を27年ぶりに見直し、きのう(7日)開催された県防災会議の震災対策部会で報告した。政府の地震調査委員会が去年8月に示した「長期評価」などに基づき、9つの断層帯で将来、大地震が発生することを想定したものだ。

それによると、人や建物への被害が最も大きいとされるのは金沢市と白山市、津幡町の直下を走る「森本・富樫断層帯」(全長26㌔)で、最大震度7の揺れが金沢市で想定されるとしている。冬の朝5時に地震が発生した場合、2212人が亡くなると見込まれている。自治体別では金沢市が1788人で8割以上を占め、白山市が182人、津幡町が68人と続く。要因別では、雪の重みなどによる建物の倒壊での死者が2029人と最も多く、次いで火災が94人、ブロック塀の倒壊や自販機などの転倒などによる死者が81人などと推定されている。けが人は9344人に上ると試算される。地震発生から1週間後の避難者は19万1898人と想定されている。(※写真は、地震と津波で倒壊した珠洲市の民家=2024年4月29日撮影)

また、森本・富樫断層帯での建物の被害は、冬の午後6時に地震が発生した場合、もっとも多くなると推定される。この時間は、火気の使用で火災の危険が高まることや、積雪の重みで倒壊する家屋が増えることも考慮され、4万6947棟が全壊・全焼、5万5359棟が半壊と予測される。金沢市では36%の建物が全半壊することになる。

今回の被害想定の見直しは、1998年3月の被害想定が現状とかけ離れていることも背景にあったのかもしれない。前回の想定では能登半島北方沖断層(50㌔)を震源とするマグニチュード7.0の地震が起きた場合、死者は7人、建物の全壊は120棟になると想定していた。実際に起きた去年元日のマグニチュード7.6の能登半島地震では、ことし4月末時点で直接死は228人、住家の全壊は6151棟に達していて、想定の不十分さが指摘されていた。今回見直された被害想定では、正月やゴールデンウィークなど5つの状況を設定するなど、精密に被害を予測している。

今回の被害想定の見直しを受けて、金沢市などは避難所の確保や災害医療の見直しなど迫られるだろう。

⇒8日(木)夜・金沢の天気    くもり

★トキとコウノトリが運ぶもの 能登復興のささやかな願い

★トキとコウノトリが運ぶもの 能登復興のささやかな願い

国の特別天然記念物のコウノトリの日本の北端の営巣地といわれる能登半島の志賀町富来に先日(今月3日)行ってきた。前回見に行ったのは4月18日だったので2週間ぶりだった。電柱の巣に親鳥1羽のほかにヒナの姿が2羽見えた=写真=。前回のときはヒナがいるようには見えなかったので、その後に孵(ふ)化したのだろうか。地元の人も見に来ていたので話を聞くと、ヒナは全部で4羽いるとのことだった。コウノトリには一度営巣した場所で毎年子育てをする習性があり、この巣でのヒナの誕生は4年連続となる。

このところ石川県内でコウノトリの営巣が増えている。地元メディアの報道によると、志賀町のほかに金沢市に隣接する津幡町でも3年連続でヒナが誕生。また、奥能登の珠洲市と穴水町でもこの4月に営巣が新たに確認されている。「コウノトリが住み着くと幸福が訪れる」「コウノトリが赤ん坊を運んでくる」との伝承がヨーロッパにある。能登から巣立ったコウノトリが伴侶をともなって再び戻って定着すれば、繁殖地としての能登もにぎやかになるのではと夢を膨らませてしまう。

もう一つ膨らませる夢が、能登がコウノトリとトキの繁殖地になってほしいとの期待だ。トキも国の特別天然記念物であり、環境省は2026年6月にも能登で放鳥を行うことをすでに決めている。具体的な放鳥の場所についてはことし7月ごろまでに決定し、1度に15から20羽ほどを複数年にわたって放鳥するようだ。

これは自身が子どものころ、親戚の能登の爺さんから聴いた話だ。トキとコウノトリは兄弟のような鳥で仲がいい。コウノトリが兄貴分で、トキが弟分のような関係だと教えてくれたことを覚えている。以下は鳥の専門家でもない素人の思い付き。兄貴分はすでに能登で営巣しているので、弟分もこれを習うのではないか。なので、コウノトリの営巣地の付近でトキを放鳥してはどうか。志賀町の営巣地の周辺地には、カエルやドジョウ、メダカ、たくさんの虫たちがいて、同町ではトキ放鳥の受け入れ候補地として、県に申請している。

トキとコウノトリが舞う能登、そんな夢のような光景を見る日がやって来るのを楽しみにしている。

⇒7日(水)夜・金沢の天気    はれ

☆能登地震1年4ヵ月 復興の現状は~祭りの絆は復興のチカラ~

☆能登地震1年4ヵ月 復興の現状は~祭りの絆は復興のチカラ~

日本で一番大きい祭りの山車は能登・七尾市の青柏祭の「でか山」。高さは12㍍あり、重さは20㌧にも及ぶ。ビルにして4階建ての高さになる。このでか山3台が今月3日から5日にかけて市内の大通りで引き回された。

青柏祭は平安時代から伝わる能登半島の代表的な春の祭りとされ、「でか山」が練り歩く「曳山行事」は2016年にユネスコ無形文化遺産に登録されている。去年は元日の能登半島地震で市内の道路にゆがみや破損が生じたことから、安全確保ができないとの理由で中止となり、ことしは2年ぶりの巡行となった。

3日と5日に祭りを見学した。3日午前中に行くと、午後からの巡行に向けて、でか山の組み立てが最終段階に入っていた。その様子を眺めているいると、でか山を動かすのは大変だけど、その準備も大がかりだということがよく理解できた。何しろ、クレーン車をつかって組み立てや飾り付けをしていた。そして、作業をする数十人がキビキビと動き回っていた。でか山をこれから動かすぞ、というパワーを現地で感じた。この様子を見て、祭りのために地域の人たちがチカラを合せる、これはまさに震災復興のパワーになるのではないかと思った。

5日午後に行くと、JR七尾駅前の通りで引き回しがあった=写真=。車輪は直径が2㍍もあり、曲がり角では「でか山」の車輪を浮かせて方向転換をする「つじ回し」が行われる。狭い路地を巧みに曲がると引き手と観客がともに歓声を上げていた。この迫力と盛り上がりは復興のチカラではないだろうか。楽しく祭りを続けたい、だから震災に負けないという能登のパワフルなメッセージのように感じた。

⇒6日(火・振)朝・金沢の天気 くもり