☆能登の千枚田、田植えを前に広がる水鏡 ことしは200枚余り
季節は移ろい、そろそろ田植えのシーズンだ。輪島の名所「白米(しらよね)千枚田」の様子が気になり、きのう(22日)現地を訪れた。気になると言うのもの、去年元日の能登半島地震で田んぼに無数の亀裂が入り、地元の農家やボランティアの人たちが懸命に修復作業を行い、120枚で耕作が行われた。ところが、稲刈りを終えた9月には48時間で498㍉という「記録的な大雨」に見舞われ、棚田に土砂が流れ込むなどの被害が出た。ことし3月には生産者やボランティアによる土砂の除去作業などが行われている。
現地に到着したのは夕方、午後5時過ぎだった。白米千枚田は4㌶の斜面に1004枚の棚田が広がり、2001年に文化庁の「国指定文化財名勝」に指定され、2011年に国連食糧農業機関(FAO)から認定された

世界農業遺産「能登の里山里海」のシンボル的なエリアでもある。現地を見渡すと、すでに一部の棚田に水が引かれ、田植えの準備が始まっていた=写真=。くもり空だったが、水鏡のように空を映す棚田の光景はこの時期だけに見られる絶景でもある。
では、ことしは何枚が耕されるのかと、水が引かれた田んぼの枚数を数えようとしたが、4㌶にもおよぶ広さと凹凸がある地形なので簡単には数えられない。そこで、公益財団法人「白米千枚田景勝保存協議会」の事務局がある輪島市観光課に問い合わせた。すると、「ことしは200枚余りを耕したい」との返事。田植えは5月10日と11日の土日を予定しているとのことだった。二重の被災に見舞われながらも、コメ作りを続ける地元の農家やそれを支援するボランティアの人たちには敬服する。
千枚田を見渡す高台には、国文学者で歌人の土屋文明(1890-1990)の歌碑がある。『一椀にも足らぬばかりの田を並べ継ぎて来にける国を思ふも』。解説板によると、土屋文明が昭和15年(1940)、万葉の歌人・大伴家持が能登を旅した足跡調査にこの地を訪れたときに詠んだ歌とある。一枚の田から一椀の米も収穫できそうにない極めて小さな数々の棚田を今日まで営々と耕し続けてきた能登人の心を思う、との歌意のようだ。
この千枚田を眺めて能登の風土と粘り強い人柄を感じ取るのは、85年前に訪れた歌人も、いま観光で訪れる人々も時を超えて同じ思いかもしれない。
⇒23日(水)午後・金沢の天気 くもり時々あめ