2025年 3月 の投稿一覧

☆奥能登の「記録的な大雨」から半年 輪島の「流木ダム」橋その後

☆奥能登の「記録的な大雨」から半年 輪島の「流木ダム」橋その後

48時間で498㍉という去年9月の奥能登の記録的な大雨からきょう21日で半年となった。この豪雨災害で16人が亡くなり、流されるなど住宅被害は1790棟に上っている。豪雨災害の被災者の中には去年元日の能登半島地震にも見舞われた、いわゆる二重被災した人も多い。きょう輪島市をめぐり、被災地の現状や仮設住宅の様子を見てきた。

川の氾濫で14歳の女子中学生が流され亡くなった輪島市久手川町の塚田川周辺。被災現場を見たのは翌日の22日午後だった。山間地からの流木が河川の下流で橋脚などに当たり、積みあがって「ダム」のような状態になっていた=写真・上=。これが原因で橋の周囲の家々に水害をもたらした。元日の地震で山の地盤が緩み、豪雨で大量の流木が流され、その流木がさらに人家に水害を拡大させた。そんな被災の連鎖が見える現場だった。

いまの現地の様子は、橋の周辺の流木などは片付けられているものの=写真・中=、まだ一部で流木が積み上がっている現場もあった。一帯は地震で断水し、仮設の水道管が整備されたが、豪雨で水道管が流され再び断水となった。また、電気が一部で通っていないことから、仮設住宅に身を寄せている住民も多いようだ。

石川県が整備していた地震被害の仮設住宅6882戸は入居を終えている。豪雨の仮設住宅として286戸を整備し、そのうちの52戸はすでに入居。きょうは災害が大きかった輪島市杉平町で整備されていた仮設住宅104戸が完成=写真・下=、入居を待ちわびた人たちが家具などを運び入れていた。残り130戸も来月4日までに完成する予定で、輪島市では来月13日までに指定避難所4ヵ所をすべて閉鎖することにしている。

地震と豪雨の二重災害となった被災地では、全半壊した住宅がいまも多く残っている。解体業者とともに被災家屋の後始末をする人たちの姿も見かけた。

⇒21日(金)夜・金沢の天気    はれ

★能登の日常や伝統行事を染める「赤・朱・紅」色の文化

★能登の日常や伝統行事を染める「赤・朱・紅」色の文化

  このブログを読んでくれている知人からメールが届いた。「能登って赤尽くしですね」と。きのう19日付でアップした「☆春の訪れを深紅の花で彩る 金沢で『のとキリシマツツジ』観賞会」、今月16日付「☆JR金沢駅ドームに能登キリコ 新幹線金沢開業10年と能登復興のシンボルに」、今月9日付「★観光列車『花嫁のれん』運行再開 当面は団体ツアー専用も能登の観光復興に弾み」の画像の被写体が赤色で印象深いとのメールの内容だった。そう指摘されて、自身も初めて気が付いた。

  振り返って、3画像をもう一度見てみる。能登半島を走る観光列車「花嫁のれん」の車体は確かに赤く塗られている。「花嫁のれん」はかつての加賀藩独特の婚礼行事がいまも半島中ほどに位置する七尾市に伝わっている。花嫁が持参したのれんを嫁ぎ先の家の仏間の入り口に掛けてくぐる。花嫁のれんをくぐることで、嫁ぎ先の家族一員となる証(あかし)とされる。その花嫁のれんのデザインは赤や白、青などの模様が使われているが、印象的には赤のイメージが強い。そこで、列車を車体を赤で染めたのだろう。これは憶測だ。

  能登の伝統行事である祭りのキリコが北陸新幹線の開業10年を迎え、JR金沢駅前の「もてなしドーム」で設置され話題を呼んだ(※現在は撤去されている)。高さ6㍍ほどのキリコで、半島の尖端に位置する珠洲市上戸町から持ち込まれたもの。上戸のキリコは毎年8月の第一土曜日の地域の祭りに担ぎ出され、鉦や太鼓の響きとともに街中を練り歩く。今回のお披露目は、新幹線開業10年のイベントが行われた今月15日に合わせて、金沢市の呼びかけで珠洲市から出張してきた。幾何学的なドームの天上の模様と、キリコの立ち姿が妙にマッチしていて、じつに絵になっていた。

  そして、のとキリシマツツジの紅色。金沢市の中心街にある「しいのき迎賓館」で展示会が開催された。能登町のツツジ愛好家らで結成する「花の力」プロジェクト実行委員会が観賞展を金沢で始めてことしで7年目となる。去年元日の能登半島地震後の3月にも観賞展を開催し、燃え盛るような満開の深紅の花が被災地から金沢に2次避難してきた人たちを励ました。今回も樹齢35年から100年の6鉢が展示され、故郷の花の観賞に能登出身の人たちが多く訪れていた。

  確かに能登では赤系のものがいろいろ楽しめる。英語では「レッド」で表現される赤は、日本語では「赤」「朱」「紅」などと色の深みによってあてる文字が異なる。能登の人たちはその微妙な色の違いを楽しんでいるのかもしれない。   

⇒20日(木)夜・金沢の天気  くもり

☆春の訪れを深紅の花で彩る 金沢で「のとキリシマツツジ」観賞会

☆春の訪れを深紅の花で彩る 金沢で「のとキリシマツツジ」観賞会

きょう19日午後1時25分ごろ、能登半島西方沖で震源の深さは10㌔、マグニチュード4.7の地震があった。震度4が志賀町、震度3が羽咋市、かほく市、宝達志水町、中能登町だった。能登地方では、2024年11月26日に同じく西方沖を震源とする地震で震度5弱を観測している。志賀町の沖合には複数の海底活断層が並行して走っている。

話は変わる。深紅の花をつける、奥能登の花「のとキリシマツツジ」の観賞会が金沢市のしいのき迎賓館で開催されている。花は満開で目にまぶしい6鉢が並べられている=写真=。能登町の「花の力」プロジェクト実行員会のメンバーの話によると、1ヵ月ほど前から石川県立大学(野々市市)の温室に持ち込み、研究者の協力で開花時期を調整し、満開の状態できのう18日に展示した。

展示されているのは手塩にかけて育てられた「能登あかり」と深紅の「蓑霧島」「本霧島」という3品種。花の色やカタチはそれぞれ異なる。写真・左側の「能登あかり」は推定樹齢100年になる。

奥能登の庭先では4月中ごろから5月中旬にかけて見頃を迎えるが、「花の力」プロジェクト実行員会のメンバーほか地域の有志はこの時季に庭先を開放する「オープンガーデン」を実施し、家々で自慢ののとキリシマツツジの古木や大木が観賞できる。能登半島地震で家々は少なからず被災したものの、庭ののとキリシマツツジはいつものように美しい花を咲かせ、人々の心を和ませてくれる。

⇒19日(水)夜・金沢の天気   くもり

★コメ価格は上がり 内閣支持率は下がる 世相を反映するこの数値

★コメ価格は上がり 内閣支持率は下がる 世相を反映するこの数値

コメの価格は上がり、内閣支持率は下がる。石破総理が前回の衆議院選挙で初当選した自民党の議員15人に対し、会食の土産に10万円相当の商品券を配っていたという問題。有権者の石破内閣に対する意識が直近の世論調査で伝わってくる=写真・上=。読売新聞の調査(今月14-16日)は支持率は31%となり、前回調査(2月14-16日)より8ポイント下落。不支持率は58%で前回より15ポイントも上昇した。数字で見る限り、不支持率が支持率の倍近くある。毎日新聞の調査(今月15、16日)でも支持率は23%と、前回(2月15、16日)より7ポイント落ちている。不支持率は前回より10ポイント上がって64%だった。不支持率が支持率より3倍近くになっている。

この世論調査の数値の背景には商品券問題もあるが、いわゆる「内閣の賞味期限」そもののが切れてしまっていることもあるだろう。読売の調査で「政権運営で指導力」を問う項目では、76%が指導力を発揮していないと回答している。そもそも、前回の衆院選(2024年10月)で大敗し過半数を割り込み、石破内閣は少数与党内閣として野党に譲歩しながらの政権運営を迫られている。内閣独自の政策を打ち出す「賞味」がなくなったのだろう。自民党内から 「参院選は戦えない。早く総裁選をやって、新たなリーダーを選び直せ」との声が上がっているようだが、自民党そのものの賞味期限が切れているのではないだろうか。

話は変わる。近くのスーパーに立ち寄ると、コメの価格が高騰している。能登米の価格が5㌔袋で4080円(税込み4407円)となっていた=写真・下=。このコメだけではなく、ほかの種類のコメも2月に訪れたときより、5㌔袋が200円ほど高くなっている。去年8月25日付のブログでも述べているが、そのとき同じスーパーで購入した新米は5㌔で2290円だったので、それから7ヵ月で1700円余り高くなっている。

そのコメの棚には「個数制限のお願い」という紙が貼られていた。「お米10㌔はお一人様1袋 お米5㌔はお一人様2袋までとさせて頂きます。ご迷惑をお掛けしますが、ご理解とご協力をよろしくお願いします」と書かれている。コメの価格高騰を受けて政府は備蓄米を放出したが、その効果がまだ見えてこない。

⇒18日(火)夜・金沢の天気    あめ

☆JR金沢駅ドームに能登キリコ 新幹線金沢開業10年と能登復興のシンボルに

☆JR金沢駅ドームに能登キリコ 新幹線金沢開業10年と能登復興のシンボルに

  北陸新幹線の金沢開業は今月14日で10年となった。当時を思い起こすと、その日のマスメディアは新幹線一色だった。朝からテレビはどのチャンネルも中継番組、JR金沢駅周辺の道路では交差点に交通警察官が張り付き、空にはヘリコプターが飛び交うという、一種異様な感じさえした。JR金沢駅周辺は地価が上がり、今もマンションやビルの建設に加え、ホテルの開業が相次いでいる。

  開業10年を迎えた金沢駅前もてなしドームに行くとこれまでにない光景が目を引いた。能登の祭りのキリコだ=写真=。高さ6㍍ほどのキリコで、説明書きには「珠洲市上戸町のキリコ」と紹介されている。上戸のキリコは毎年8月の第一土曜日の地域の祭りに担ぎ出され、鉦や太鼓の響きとともに街中を練り歩く。今回のお披露目は、金沢開業10年のイベントが行われる15日に合わせて、金沢市の呼びかけで珠洲市から出張してきたようだ。それにしてもドームとキリコは風景として悪くない。そして、石川県民はキリコを見ると能登をイメージするので、能登半島地震を忘れてほしくないというメッセージが込められているのかとも思った。

  そのメッセージが込められたキリコ祭りが金沢の中心街で繰り広げられたことがある。去年8月16日にキリコ5基が、ソーレ、エイヤの掛け声とともに担ぎ出され街中を練り歩いた。能登と金沢の神社2社が中心となって企画した、「能登復興祈願キリコ大祭」と銘打った祭礼イベントだった。輪島の神社が能登半島地震で社務所と拝殿の全半壊したため、夏場の大祭の自粛を検討していたところ、ご神体を一時避難で預かっていた金沢の神社からの提案でキリコ祭りが金沢で開催された。担ぎ手には市民や学生、そして輪島市から駆けつけた有志らも参加し、300人が5基のキリコを担いだ。金沢で2次避難している能登の人たちを励まし、能登復興の機運を盛り上げた。

  金沢駅もてなしドームと能登・珠洲のキリコ。北陸新幹線の金沢開業10年を祝うとともに、震災復興をアピールするシンボルとしてこれからもドームで掲げてほしいと願う。

⇒16日(日)夕・金沢の天気    あめ

★「土産代わり」10万円の商品券 太っ腹な石破総理に有権者の目線はどう注ぐ

★「土産代わり」10万円の商品券 太っ腹な石破総理に有権者の目線はどう注ぐ

政治に対する有権者の不満や不信がくすぶっている。国政選挙以外でその不満や不信が数字になって表れるのが世論調査だ。直近の世論調査だと、時事通信の3月調査(7-10日)では、石破内閣の支持率は前月比0.6ポイント減の27.9%と横ばいだった。不支持率は同4.0ポイント増の44.1%で、去年10月の内閣発足以来、同社の調査では最悪となった。もちろん世論調査はメディア1社だけではなく他社との比較も必要だ。ちなみにNHKの3月の世論調査(7-9日)では、支持率は前月より8ポイント下がって36%、不支持率は10ポイント上がって45%だった。2社の調査で共通して言えるのは不支持率が支持率を上回っていることだ。

先月7日のトランプ大統領との日米首脳会談で、石破総理が日本による対米投資額を1兆㌦に引き上げると約束するなど、ある意味でトランプ氏と渡り合ったことで一定の評価はあった。しかし、その評価は支持率の上昇にはつながっていない。むしろ、経済的な貢献を率先して差し出すのはアメリカへの従属性ではないのかと、有権者には見えたのではないだろうか。

さらに、有権者の政治に対する不満や不信のくすぶりが一気に燃え盛ることになりそうなのが、石破総理による商品券配布の問題だ。メディア各社の報道(15日付)によると、石破氏は今月3日、総理公邸で行った自民党の当選1回の衆議院議員15人との懇談(会食)に先立ち、関係者を通じて、出席議員の事務所に1人10万円相当の商品券を届けたことが参院予算委員会(14日)などで指摘された=写真=。石破氏は14日、商品券の配布は「会食のお土産代わり」「私のポケットマネーで用意して渡したのであって、政治活動に関する寄付に該当せず、政治資金規正法に抵触しない」「私の選挙区の人もおらず、公職選挙法にも抵触しない」と釈明した。

政治資金規正法21条の2は、個人から政治家に対する金銭の寄付とその受領を禁止じている。石破氏は「お土産代わり」と述べているが、5千円から1万円だとあり得るかもしれないが、10万円となるとお土産の概念からかなり外れる。そもそも、商品券を金券ショップや買取業者に持って行けば換金できる。商品券の名目でお金を配っているようなものだ。

冒頭の話に戻る。この商品券問題が長引けば有権者の不満や不信が募り、内閣支持率はさらに低下する。内閣支持率の20%台は政権の「危険水域」、20%以下は「デッドゾーン」とよく言われる。ちなみに、前任の岸田内閣が退陣を表明した2024年8月の世論調査(読売新聞)は支持率が24%、不支持率が63%だった。

⇒15日(土)夜・金沢の天気   くもり時々あめ

☆トランプ「常軌逸している」世論調査57% ついに矛先を乗用車めぐり日本に

☆トランプ「常軌逸している」世論調査57% ついに矛先を乗用車めぐり日本に

「トランプ大統領の経済刷新に向けた行動はあまりにも常軌を逸してる」。ロイター通信Web版(13日付)によると、 ロイター社が世論調査会社と共同で行ったアメリカでの調査(3月11、12日・回答1422人)で、トランプ大統領の関税政策が貿易戦争を引き起こしていることについて、「being too erratic(あまりにも常軌を逸している)」との回答が57%に及んでいることが分かった=写真=。「そこまで常軌を逸していない」は32%、「分からない」あるいは無回答が11%だった。
 
調査では、共和党支持者も3人に1人がトランプ氏の行動が「あまりにも常軌を逸している」と回答した。同時に、トランプ氏の行動が「長期的には報われる」という意見に賛成するとの回答は、共和党支持者では79%に上った。政権運営の手法には好感が持てないが、政策の本質に賛同する共和党支持者が一定数いることを示唆していると伝えている(同)。
 
そのトランプ氏の貿易戦争の矛先がいよいよ日本に向けられてきた。メディア各社の報道(14日付)によると、トランプ氏は12日、ホワイトハウスで記者団に対し、アメリカにおける大量の輸入車について日本を「最大の輸入元の国の一つ」と名指し、「日本にはアメリカ車がない」「日本はアメリカ車を受け入れない」と不満を示した。アメリカ政府は4月2日をめどに25%程度の自動車関税の詳細を発表する方針で、日本政府は日系メーカーの対米直接投資の実績を訴えて関税の除外を求めているが、日米間の溝があらためて浮き彫りとなった(14日付・北陸中日新聞)。
 
日本は2024年、アメリカに137万台の自動車を輸出し、対米輸出総額は全体の3割を占める6兆円に上った。一方、日本はアメリカからEVの「テスラ」や「ジープ」などを輸入しているが、その台数は日本が輸出する台数の100分の1ほどにとどまるとされる。トランプ氏はここをやり玉に挙げて、現在乗用車に課している2.5%の関税を10倍にすると述べたのだ。日本は1978年以降、輸入車に対する関税を課していない。

乗用車の輸出入についてはトランプ氏の恨みは根深い。日経新聞電子版(2月20日付)によると、大統領1期目で「(日本は)日本市場でアメリカ車を売れないようにしている」として非関税障壁をやり玉にあげていた。輸入時の認証や安全、軽自動車への税優遇、環境を巡る規制が厳しいことなどが念頭にあるとみられる。アメリカ通商代表部(USTR)は2024年の報告書でも「アメリカの安全基準認証が日本の基準と同レベルであると認められていない」と車に関する障壁の指摘を続けている。

同じ輸入車でもドイツ車は日本市場で快走する。日本政府や自動車業界の関係者は「不公正な障壁はなく、日本の道路事情や消費者に合わせた商品づくりの問題」と反論してきた。通商の世界で車の非関税障壁を巡る日米のやり取りは、古くから続く論争でもある(同)。これからさらに、トランプ氏の「being too erratic」発言が続くのか。

⇒14日(金)午後・金沢の天気    はれ

★黄砂の季節到来 病魔もたらす言い伝え、海には恵みも

★黄砂の季節到来 病魔もたらす言い伝え、海には恵みも

この時季、花粉と並んで注意が必要なのは黄砂だ。気象庁の「黄砂解析予測図」によると、きょう13日午後9時ごろには北陸地方がすっぽりと覆われる=図=。黄砂が飛来すると、外の洗濯物や車が汚れたりするほか、呼吸系の疾患の原因にもなり、かなり厄介だ。

黄砂は中国大陸奥地のタクラマカン砂漠やゴビ砂漠で舞い上がった砂ぼこりが偏西風に乗って日本に飛んでくる。黄砂そのものはアレルギー物質になりにくいとされているが、大陸の上空で黄砂に付着した微生物や大気汚染物質がアレルギーの原因となり、鼻炎など引き起こすとされる。また、黄砂の粒子が鼻や口から体の奥の方まで入り、気管支喘息を起こす人もいる。

黄砂の厄介さは今に始まったことではない。北陸は偏西風に乗ってやって来る黄砂のルートにもなっていて、金沢では古(いにしえ)より黄砂を忌み嫌ってきた。加賀藩主の御膳所を代々勤めた金沢の老舗料亭では七草粥をつくる際に、調理場の七つ道具で音を立てて病魔を払う春の行事がある。そのときの料理人の口上が、「ナンナン、七草、なずな、唐土の鳥が日本の土地に渡らぬ先にかち合せてボートボト」。旧暦正月6日の晩から7日の朝にかけて唐の国(中国)から海を渡って、悪い病気の種をまき散らす鳥が日本に飛んで来る、渡って来る前にやっつけて撃ち落とせ、という意味のようだ。以前、この七草粥の行事を見学させてもらったとき、料亭の主人から聞いた話だと、「平安時代から伝わる古い行事とされる」とのことだった。(※写真は、黄砂に覆われた金沢市内の中心部=2023年4月12日撮影)

厄介もの扱いの黄砂だが、日本海に恵みをもたらすともいわれている。大量の黄砂が日本海に注ぐ3月と4月には、「ブルーミング」と呼ばれる、海の表面が白くなるほど植物プランクトンが大発生する。黄砂の成分といえるケイ酸が海水表面で溶出し、植物プランクトンの発生が促される。それを動物プランクトンが食べ、さらに魚が食べるという海の食物連鎖があるとの研究がある。

確かに地球規模から見れば、「小さな生け簀(す)」のような日本海になぜクジラやサメ、ブリ、サバ、フグ、イカ、カニなど魚介類が豊富に獲れるのか、いろいろ要因もあるが、黄砂もその役割を担っているのかもしれない。

⇒13日(木)午前・金沢の天気     はれ

☆金沢の春支度の風物詩 雪吊り「ほどき」の作業始まる

☆金沢の春支度の風物詩 雪吊り「ほどき」の作業始まる

けさは朝から日差しもあり、日中の気温は16度まで上がるとの予報だ。金沢もようやく春らしい陽気に恵まれそうだ。きのうJR金沢駅付近の車で走っていると、冬の間、雪の重みで樹木の枝が折れないよう縄で木を補強する「雪吊り」の取り外し作業が行われていた。雪吊りは冬支度、雪吊り外しは春支度をする金沢の風物詩でもある。

金沢駅東口前の大通りではクロマツの並木で作業が行われていた。その様子をしばらく見学させてもらった。「多変ですね」と声をかけると、作業をする造園業の職人さんは「(縄を)結ぶより解(ほど)く方がずっと楽だよ」と答えてくれた。業界では雪吊り作業を「結ぶ」、雪吊り外しを「解く」と称しているようだ。結ぶ作業は、木の横にモウソウ竹の芯(しん)柱を立て、柱の先頭から縄をたらして枝を吊る。解く作業は、枝に結んだ縄の部分をハサミで切って取り除く=写真=。低い場所の縄の結びは地面から切り落とし、高い枝の縄の結びはハシゴを登り切り落とす。最後に竹の柱を外す。

作業の職人さんと話していると、通りがかったインバウンド観光の人たちが寄ってきて、盛んにカメラのシャッターを押していた。オーストラリアの女性から「まるでアートですね。でもなぜ、このようなことを木に施すのですか」と、同行の通訳を介して尋ねられた職人さんは「冬の間、金沢の雪は湿っていてとても重い。なのでサポートしないと枝が折れる。もう春なので(縄を)外している」と説明した。すると、女性は「Japanese people are kind to trees」と感心した様子だった。

作業が行われていたのは高さ5㍍ほどのクロマツだったが、あの兼六園で随一の枝ぶりを誇る唐崎松には5本の芯柱が立てられ、結ぶ縄の数は800本にも及ぶそうだ。ちなみに、兼六園管理事務所に問い合わせると、あさって14日から兼六園では雪吊りを外す作業が始まり、今月21日の最終日に唐崎松での作業が行われる。

⇒12日(水)午前・金沢天気   くもり時々はれ

★「3・11」あれから14年 目に焼け付くあの光景、心に刻む畠山重篤氏の言葉

★「3・11」あれから14年 目に焼け付くあの光景、心に刻む畠山重篤氏の言葉

  「3・11」の東日本大震災はきょうで発生から14年を迎えた。2011年3月11日午後2時46分、いまもその時のことは鮮明に覚えている。金沢大学の公開講座で社会人を対象に講義をしていた。すると、事務室で震災の様子をテレビを見た主任教授が血相を変えて講義室に駆け込んできた。そして耳打ちしてくれた。「東北が地震と津波で大変なことになっている」と。金沢では揺れを感じなかったが、受講生にはそのまま伝えた。講義室は一瞬ざわめいたが、講義はそのまま続けた。それ以降、被災地をこの目で確認したいとの思いが募った。

   2ヵ月後の5月11日に気仙沼市を訪れた。当時、気仙沼の街には海水の饐(す)えたような、腐海の匂いが立ち込めていた。ガレキは路肩に整理されていたので歩くことはできた。岸壁付近では、津波で陸に打ち上げられた大型巻き網漁船(330㌧)があった=写真=。津波のすさまじさを思い知らされた。気仙沼市を訪れたのは、NPO法人「森は海の恋人」代表の畠山重篤氏に有志から集めたお見舞いを届ける目的もあった。ただ、アポイントは取っていなかった。昼過ぎにご自宅を訪れると、家人から本人はすれ違いで東京に向かったとのことだった。そこで、翌日12日に東京・八重洲で畠山氏と会うことができた。

  畠山氏と知り合いになったきっかけは、前年の2010年8月に金沢大学の社会人人材育成事業「能登里山マイスター養成プログラム」で講義をいただいたことだった。畠山氏らカキ養殖業者が気仙沼湾に注ぐ大川の上流の山で植林活動を1989年から20年余り続け、5万本の広葉樹(40種類)を植えた。同湾の赤潮でカキの身が赤くなったのがきっかけに、畠山氏の提唱で山に大漁旗を掲げ、漁師たちが植林する「森は海の恋人」運動は全国で知られる活動となった。

  畠山氏は地震当時のことを語ってくれた。自宅は湾の中の海抜20㍍ほどの高台にあるが、自宅すぐ近くまで津波は押し寄せた。「津波は海底から水面までが全部動く」と。養殖のカキ棚などは全壊した。高校2年生の時にチリ地震の津波(1960年5月24日)を経験していて、当初は「チリ地震津波くらいのものが来るのかな」と感じていた。チリ地震津波がきっかけで高さ3㍍ほどの防潮堤を造るなど津波対策は施されたが、ところが東日本大震災の津波はチリ地震津波をはるかに超えるものだった。

  同じ年の9月2日に能登で開催したシンポジウムの基調講演を畠山氏にお願いした。テーマは、人は自然災害とどのように向き合っていけばよいのか。その中で、前日泊まったに輪島の海辺のホテルでの話が出た。窓を開けるとオーシャンビューだったが、正直これは危ないと思った。4階以下だったら、山手の民宿に移動しようかと考えたが、幸い8階と聞き安心した。温泉には浸かったが、安眠はできなかった。「あの津波の恐怖がまだ体に染み込んでいる」と語っておられたのが印象的だった。

⇒11日(火)午前・金沢の天気    くもり