2025年 2月 の投稿一覧

☆フジテレビ問題をきっかけに、スポンサーの「テレビ離れ」となるのか

☆フジテレビ問題をきっかけに、スポンサーの「テレビ離れ」となるのか

  広告最大手の電通はきのう27日付の公式サイトで「2024年 日本の広告費」をニュースリリースしている。それによると、日本全体の広告費は前年比4.9%増の7兆6730億円で、3年連続で過去最高を更新した。好調な企業業績や消費意欲の高まりを受けて広告出稿が増えたと分析している。以下、電通サイトの記事から引用。

  好調な広告の牽引役となっているのがインターネット広告費で前年より9.6%増の3兆6517億円、広告費全体の47.6%、ほぼ5割を占めている。SNS上の縦型動画に加え、「TVer」「ABEMA」などを含むネットに接続する「コネクテッドTV」などの動画広告がけん引した。電子商取引(EC)サイトの広告も伸びた。ネット広告費の推計を始めた1996年以来増え続けている。

  ネット広告ほどの勢いはないが、新聞・テレビ・雑誌・ラジオの「マスコミ4媒体」もわずかながら増え、0.9%増の2兆3363億円だった。前年を超えたのは3年ぶり。ただ、4媒体の中でも明暗がある。新聞広告費は3417億円で前年比97.3%とマイナスになっている。出稿する広告業種は、流通・小売業で回復したものの、食品は前年に続き減少し、コロナ禍からの回復傾向にあった交通・レジャーも減少した。テレビ広告は1兆7605億円で前年比101.5%、3年ぶりで前年比を超えた。タイム広告(番組提供)はパリ2024オリ・パラなど大型スポーツ大会などで好調に推移したものの、能登半島地震による被災や、不透明な世界情勢などの影響を受けて前年を下回った。スポット広告は、半導体不足の解消などにより自動車・関連品が復調した。

  4媒体の中で伸び率が高かったのはラジオ広告で、前年比102.0%の1162億円となっている。多様な音声コンテンツを届ける音声メディアへの関心が高まり、radikoを含むデジタルオーディオ広告の増加とともに、地上波ラジオ放送における広告にも波及している。業種別では日常シーンに溶け込みやすい食品や交通・レジャーが二桁の伸び。

  以下は自身の目線。CMからさまざまなことが見えてくる。世界市場ではネット広告はすでに6割近い。日本でも2025年は50%を超えるだろう。一方で、新聞の凋落は加速しそうだ。部数と広告の減少の影響で、ローカル紙では夕刊の休刊が相次いでいる。テレビ広告もこれから順調に推移するだろうか。中居問題に連動したフジテレビでは、CMをACジャパンに差し替えたスポンサーが1月末時点で311社に上っているとメディア各社が報じている。これはフジテレビ問題というより、スポンサーの「テレビ離れ」ではないだろうか。この際、テレビ広告からネット広告に乗り換える、そのような雰囲気が漂っていると感じる。あくまでも憶測だ。

⇒28日(金)夜・金沢の天気   くもり

★冬から春へ 2階の窓から見る季節の風景 兼六園の梅開花もそろそろか

★冬から春へ 2階の窓から見る季節の風景 兼六園の梅開花もそろそろか

       長く居座った強烈な寒波から一転、きょうは金沢で気温が12度近くまで上がり、春の訪れを感じさせるような温かさだった。写真・上は、寒気が続いた3連休の最終日の24日午前8時ごろに金沢の自宅の2階から撮った近所の様子。写真・下はきょう正午過ぎのもの。24日の撮影時には積雪が20㌢余りあり、道路も凍結していたが、3日間で屋根や道路の雪はほとんど解けている。  

  写真・左は雪吊りの五葉松。枝ぶりや濃緑色の葉の美しさから庭木の代表格でもある。ただ、金沢の雪は湿っていて重いので、雪吊りを施さないと枝が折れることにもなる。余談だが、雪吊りをめぐっては暖冬か厳冬かによって評価が分かれる。疑問を呈されるのが暖冬だ。関西や関東の友人たちとのメールのやり取りなどで雪吊りの話題になると、「ことしは日本海側は暖冬の予報が出ているのになぜ雪吊りをするのか」といった指摘を受けることがある。確かにそうだ。植木屋にお願いして作業をしてもらうが、職人の数によってそれなりの料金を払うことになる。なので、暖冬の予報があるのなら、雪吊りは必要ないのでは、と自ら思うこともある。

  ただ、そうは言っても暖冬でも数10㌢の雪が降らないとは言い切れない。北陸の冬はそう単純ではないのだ。覚えているのは2007年2月の大雪。1月は金沢は「雪なし暖冬」で観測史上の新記録だった。ところが、2月1日からシンシンと雪が積もり、金沢市内で50㌢にもなった。冬将軍は突然やってくるのだ。北陸のドライバーは暖冬が予想されていても自家用車のタイヤをスタッドレスに交換する。結局、「備えあれば憂いなし」の心構えだ。

   冒頭の話に戻る。金沢地方気象台によると、あす28日の最高気温は金沢と輪島でいずれも13度と、きょうよりもさらに気温が上がる予想となっていて、気温の高い状態は3月2日まで続く見込みという。例年2月から3月にかけての季節の話題は兼六園の梅林の開花だ。気象台の生物季節観測によると、金沢の梅の開花は平年は2月23日となっているが、ことしのデータはまだ記載されていない。寒波の影響で開花が遅れているのだろうか。春の訪れを待ちたい。

⇒27日(木)夜・金沢の天気     くもり

☆大前研一氏が説くAI時代の「新・教育論」 金沢の私学と連携

☆大前研一氏が説くAI時代の「新・教育論」 金沢の私学と連携

  経営戦略のコンサルタントで知られる大前研一氏のメールマガジン『Aoba-BBT BUSINESS REVIEW』 を読ませてもらっていて、何度かこのブログで記事を紹介している。2024年1月19日付で、能登半島地震で水道が断たれた被災地で重宝されている「水再生装置を用いたシャワーセット」を開発したベンチャー企業「WOTA(ウォータ)」(東京)についての記事(同1月12日付)を紹介した。普通のシャワーは100㍑だと2人しか浴びられないが、同社が開発した「WOTA BOX」は100人が浴びられる。このことをテレビで知った大前氏は同社CEOに連絡した。「私が彼に電話をすると、彼はまだ能登におりましたので、私はその施設を一つ寄付するので本当に必要とするところに置いてあげてくれと伝えました」「一刻も早く、彼らの技術で困っている(世界の)多くの人々を助けてくれることを願っています」

  メールマガジンの中では理路整然と酷評するとのイメージがある大前氏だが、被災者の気持ちに寄り添ったこの記事内容に別の一面を見た思いだった。その大前氏が創業した教育関連企業「Aoba-BBT」が金沢市のミッション系スクールとして知られる北陸学院と業務提携を結ぶことになったと、地元メディア各社が報じている。大前氏は1998年に株式会社「ビジネス・ブレークスルー」を設立し、インターネットを介して学ぶオンライン大学やインターナショナルスクール、社会人向けのリスキリング(学び直し)スクールを運営。2023年10月に社名を「Aoba-BBT」として、これまでの社会人向けの実践的マネジメント教育に加え、幼児教育から高等学校課程までの国際教育を加えた。

  北陸学院は1885年に創設された石川県内で歴史ある私立学校で、幼稚園から大学までキリスト教の理念に基づく教育を一貫して行っている=写真・上=。今後、少子化が進む中で生き残り策として、国際的に通用する教育プログラム「国際バカロレア(IB)」を導入するため、グローバル人材の育成に経験豊富なAoba-BBTと業務提携を結ぶことになった。IBを通じて世界を学ぶと同時に、カリキュラムを取得すると海外の大学の入学資格になるメリットもある。

  大前氏はメールマガジン『Aoba-BBT BUSINESS REVIEW』の中で、「新・教育論」と題して述べている=写真・下=。日本の学習指導要領は10年ごとの改変だが、フィンランドなど北欧は3ヵ月ごとに改変している。世界はAI時代になりテンポが速くなっているのに日本の教育はこれでいいのか、と。さらに、偏差値に生徒たちが縛られ、それが自分の人生のように思い込んでしまっていることも多い。21世紀に求められる教育は、AIには再現できない構想力と質問力、そして多様な環境に柔軟に対応するためのリーダーシップだ、と。北陸学院の新たな教育プログラムに大前氏の「新・教育論」のコンセプトが活かされることを期待したい。

⇒26日(水)夜・金沢の天気     くもり

★寒波の3連休 被災地・輪島に行く~続~

★寒波の3連休 被災地・輪島に行く~続~

  3連休の寒波はようやく峠を越えた。きょう午前9時ごろから、曇り空の隙間から、日差しが入り込んできた。日中の最高気温は金沢市で9度、輪島市で8度ときのうに比べて大きく上がると予想されている(25日付・金沢地方気象台)。ただ、不安もある。きのうから頻繁に起きている石川県西方沖を震源とする地震はきょう未明にも震度1以上が2度起きている。

  雪原と化した朝市通り、白い千枚田と紺碧の海、文化財復旧いつ動く

  寒波の最中(23日)に輪島市をめぐった話の続き。去年元日の能登地震で商店や民家など240棟が焼けた朝市通り周辺に行くと雪原が広がっていた=写真・上=。焼け焦げたビルなどの解体作業が進み、かつて朝市でにぎわった風景とは一変した。行政は、地域復興のシンボルプロジェクトとして、「輪島朝市周辺再生」を掲げている。朝市と商店街、住まいの共生を目指した市街地整備を行うとのコンセプトで、市民からの意見を募るパブリックコメントを経て、今月中には正式に決定すると報じられている。ところで気になるのは人気スポットの一つだった「永井豪記念館」のことだ。あの『マジンガーZ』や『キューティーハニー』などの漫画家・永井豪氏は同市出身で、2009年に行政が記念館を創り、永井氏は名誉館長を務めていた。記念館は再建されるのだろうか。

  観光名所として知られる白米千枚田に行った。分厚い雲に荒波が打ち寄せている。日本海の冬の海を感じさせる。大雪で千枚田はすっぽり雪に埋もれていた。秋には黄金の絨毯を敷き詰めたような稲穂で覆いつくされる棚田が白く染まっている。ネイビーブルーの海の色とのコントラストが印象に残る。白米千枚田は4㌶の斜面に1004枚の棚田が広がり、2001年に文化庁の「国指定文化財名勝」に指定され、2011年には国連食糧農業機関(FAO)から認定された世界農業遺産「能登の里山里海」のシンボル的なエリアだった。ところが能登地震で田んぼの多くに亀裂が入り、去年耕作されたのは120枚だった。その後、田んぼの修復はどこまで進んだのだろうか。4月に入ると田起こしが始まる。

  雪に埋もれた文化財。日本史で知られる平氏と源氏が一戦を交えた壇ノ浦の戦い(1185年)。平家が敗れて一族の平時忠が能登に流刑となり、その子孫が輪島市町野地区に根付いて製塩業や海運業など営み、現在も2軒の時国家が継承されている。2軒の住宅(国の重要文化財・2003年指定)のうち上時国家が去年元日の地震で倒壊した。9月の記録的な大雨では裏山が崩れ、敷地全体に被害が及んでいた。現地をめぐると、主屋の屋根にこんもりと雪が積もり、倒壊家屋の様子すらうかがえない。能登の歴史を語る古文書などは国立文化財機構のスタッフが中心となって「文化財レスキュー」活動を行い運び出している。被災地では一般住宅の公費解体は進んでいるが、上時国家を含めた文化財の復旧が本格的に動き出すのはいつなのか。まだ見えてこない。

⇒25日(火)午後・金沢の天気       はれ

☆寒波の3連休 被災地・輪島に行く~下~

☆寒波の3連休 被災地・輪島に行く~下~

  寝ているとグラリときた。地震だ。スマホをチェックすると、午前4時9分に石川県西方沖を震源とするマグニチュード4.9の揺れ。最大震度3は能登半島の羽咋市と志賀町など。自身が住んでいる金沢市は震度1だった。去年11月26日にも同じ県西方沖を震源とするM6.6、最大震度5弱の地震があった。一度目覚めると眠れなくなった。なにしろ、元日の地震では午後4時6分に震度5強の揺れがあり、その4分後の4時10分にM7.6の地震が2回連動して起き、震度7の大きな地震となった。それを思い起こすと「また来るのでは」と身構えて寝れなくなる。午前7時7分にも震度3の揺れがあり、午前中だけで震度1以上の揺れが8回も続いた。不気味だ。

   情報はライフライン、総持寺行きバス車体に「夜の地球」デザイン

  前回ブログの続き。寒波の3連休の初日(22日)に「顕著な大雪に関するに気象情報」が出された輪島市に、きのう往復で現地に行き、イベントを見物してきた。同市町野町で開催された一日限りのFMラジオの生放送。同市町野支所には住民も見学できる公開スタジオが設けられ、元NHKアナウンサーの女性とフリーパーソナリティの男性が司会を務め、地元の住民がゲスト出演していた=写真・上=。30分ほどだったが、自身も見学させてもらった。金沢から移住してきた農業者の若者は、「町野の人は意外と時間にうるさいですよ。寄り合いの集合時間の5分前に着いても、『遅い』としかられるんですよ」などと地元ネタで盛り上がっていた。

  放送時間は午前10時から午後3時までの5時間だったが、主催した団体「町野復興プロジェクト実行委員会」では将来の開局を目指している。被災地のこうした臨時のFM放送は「災害FM」と呼ばれ、災害の軽減に役立つ情報を伝える目的で開局が可能。放送器材は総務省総合通信局から貸与される。被災者にとっては「情報こそライフライン」である。定期放送に期待したい。

  同市水守町にある輪島塗の仮設工房にタペストリーが掲げられていると地元メディア各社の報道(2月14日付)にあったので見てきた。仮設工房の入り口壁面に輪島塗作品や作家・職人の作業の様子をあしらった縦長の幕が飾ってあった=写真・中=。写真の右側は蒔絵師と塗師の夫妻のタペストリーのようだ。仮設住宅そものもはカタチも色も均一なので面白さがない。こうしてタペストリーで自己表現ができるのかと、初めて見て気づかされた。タペストリーは、セイコーエプソン(長野県諏訪市)が同市役所に提供した大型プリンターで作製したもの。行政では「復興デザインセンター」をすでに整備していて、タペストリーを情報発信の一つとして今後活用していくようだ。

  最後に驚いたことを。先月25日付のブログで取り上げた輪島塗の地球儀、作品名「夜の地球 Earth at Night」。それが輪島市内を走っていたバスに車体に描かれていた=写真・下=。追いかけて停車したところで撮影した。時刻表をチェックすると、このバスは「輪島駅」と「門前・総持寺前」のバス停を往復している。総持寺は禅寺で修行僧が世界から集っている。禅の言葉に「宇宙無双日(うちゅうそうじつなし)」がある。宇宙に太陽が二つないように、地球に自分は一人、自信をもって生きなさいと解釈されている。それにしても、総持寺行きのバスにこのデザイン、誰の発想なのだろうか。

⇒24日(月)夜・金沢の天気   くもり

★寒波の3連休 被災地・輪島に行く~上~

★寒波の3連休 被災地・輪島に行く~上~

  能登半島の南部の宝達志水町で21日に6時間で28㌢の雪が降り、同じく北部の輪島市で22日に6時間で26㌢の積雪など、金沢地方気象台は連日、「顕著な大雪に関する気象情報」を発している。強烈な寒波は24日までの3連休は続く見込みで、気象台は大雪による交通障害や、積雪による去年元日の能登地震の被災地での家屋の倒壊などに注意を呼びかけている。

   仮設住宅に雪だるま、被災地に貢献の坂茂氏が日本芸術院会員に

  被災地の積雪の様子を見にきょう日帰りで輪島市に行ってきた。同市宅田町の仮設住宅に立ち寄ると、積雪は30㌢ほどだろうか、かなりの雪の量だ。中には雪だるまもあって雪を楽しんで様子もうかがえた=写真・上=。一つ気になったのは、それぞれの仮設住宅では玄関の前は除雪してあるものの、除雪もなく長靴の跡もない住宅がところどころある。不在なのか、あるいは冬ごもりで外出していないのかと案じた。仮設住宅は高齢者が比較的多いといわれているので、積雪で親族の家に身を寄せて不在なのか、と思ったりもした。

  同市杉平町の被災した漆器店に、国内外の被災地での支援活動などで世界的に知られる建築家、坂茂(ばん・しげる)氏が設計した輪島塗の仮設工房があると聞いて訪れた。大雪で仮設工房の屋根や出入り口にはかなりの雪が積もっていた=写真・中=。去年3月に建設されたもので、工房の柱などは「紙管」と呼ばれる硬い筒状に加工した再生紙でできている。広さ12畳の工房は2棟で、輪島塗の職人の作業場として活用されているようだ。坂氏の設計は、珠洲市の見附島近くにある仮設住宅も知られる。こうした災害地における仮設住宅や緊急避難所の設計に尽力し、人間生活を助ける即効性の高い仕事は特筆すべきものがあるとして、文化庁に設置されている国の栄誉機関「日本芸術院」の新会員に選ばれている(2月21日付・メディア各社の報道)。

  坂氏の仮設工房の近くでは、去年9月の奥能登豪雨の被災者向けに石川県が整備している仮設住宅の建設が進んでいる=写真・下=。2階建て104戸で、着工から4ヵ月ほど経っている。能登地震の仮設住宅6882戸は平屋だが、豪雨災害の仮設住宅は2階建て。輪島など奥能登では平地が少なく用地が限られているため、豪雨の仮設住宅は2階建てとなり、その分、建設期間も長くなっているようだ。

⇒23日(日)夜・金沢の天気     くもり時々ゆき

☆「もてなし」と「美の結晶」 金沢駅とドームに見るゲートウェイのコンセプト

☆「もてなし」と「美の結晶」 金沢駅とドームに見るゲートウェイのコンセプト

  けさの最低気温はマイナス3度、そして予想最高気温は3度となっている。「最強・最長の寒波」第二陣のピークがやってきた。気象庁は石川県に「顕著な大雪に関する気象情報」を発した。能登南部の宝達志水町では6時間で28㌢の降雪が観測され、交通も一部でマヒ状態だ。金沢と能登を結ぶ自動車専用道路「のと里山海道」はきょう午前8時から一部区間(徳田大津-穴水IC、27㌔)で通行止めとなった。この区間は去年元日の能登半島地震で道路側面のがけ崩れや道路の「盛り土」部分の崩落などが起き、全線で対面通行が可能になったのは9月だった。ただ、道路は蛇行や凹凸の状態が続いていて、除雪車が入っての作業は大変だろう。

  前回ブログの続き。JR金沢駅前から降雪の風景を眺めてアートな気分になったと述べた。今度は駅をバックに「もてなしドーム」を眺めてみた=写真・上=。ドームには3019枚の強化ガラスで造られている、とある(パンフレットより)。よく見るとガラスの上に雪が積もっている。雪の重みでドームは大丈夫かと心配になる。何しろ金沢の雪は湿気を含んでいて重い。金沢市役所の公式サイトには、強化ガラスは180㌢の積雪に耐える強度をもっている、とあるが。

  もてなしドームと鼓門はセットになっていて、金沢市が駅東口を整備した。完成したのは2005年3月。市は「金沢のゲートウェイ(正面玄関)」を造ろうと、170億円を投資した。その10年後の2015年3月に北陸新幹線の金沢開業が始まった。それまで市民の間では金沢駅は交通の要所ではあったものの辺鄙(へんぴ)な建物のイメージがあった。それが、金沢市の先行投資に刺激されたのだろうか、新幹線開業を前に普通の新幹線駅では見られないようなアッと驚くような駅にリニューアルされた。コンコースを歩けば美術作品が楽しめるのだ。

  コンコースの中にある1224本の門型柱にそれぞれ工芸プレートがあり、石川県の伝統工芸である輪島塗、山中塗、金沢漆器、九谷焼、珠洲焼、木工芸、加賀象嵌などの作品が柱ごとに収まっている=写真・中、九谷焼作家の三代浅蔵五十吉氏の作品=。また、コンコース1階に陶板がある。陶板は、金沢で江戸時代初期より360年の伝統をもつ大樋焼の陶芸家、十代大樋長左衛門氏の作品『日月の煌き』=写真・下=。作品には、月の満ち欠けや太陽が描かれ、時の流れと金沢の春夏秋冬を感じさせる。こうした陶板や門型柱24本の作品を見て回ると、さながら「エキナカ美術館」の雰囲気だ。

  話はもてなしドームに戻る。広さは1万9400平方㍍(東京ドームの半分足らず)あり、ドームのサイドにバスターミナル、タクシー乗降場などが連なる。雨や雪の多い金沢なので、「駅を降りた人に傘を差し出す、もてなしの心」を表現したドームのようだ。最後に冒頭の大雪の話に戻るが、これ以上雪が降らないことを祈る。ドームの積雪が180㌢を超えないことを。

⇒22日(土)夜・金沢の天気     ゆき

★見慣れた雪景色を「なんでもアート」目線で眺めてみる まったく別の景色

★見慣れた雪景色を「なんでもアート」目線で眺めてみる まったく別の景色

  週末の三連休はさらに雪が積もるようだ。きょうも断続的に降雪が降っていて、自宅周辺では積雪30㌢ほどになっている。庭を眺めると別世界をイメージする。雪を被ったムクゲの木などがまるではしゃいでいるようにも見えるのだ。普段ならばそれぞれに季節の花を咲かせ、悠々としている風景だが、冬の別世界で白い衣を着て木々がじゃれあっているようにも見える=写真・上=。アートっぽい感じがして面白い。

  きのう午後、JR金沢駅周辺に用事があって出かけた。吹雪いていて、あの鼓門(つづみもん)がぼんやりとかすんで見えた=写真・中=。鼓のカタチをした、高さ14㍍ほどの2本の太い柱に支えられた門構えは圧巻である。金沢駅での待ち合わせ場所と言えば鼓門で定着している。ここで記念撮影は見慣れた光景でもある。それが、吹雪のせいか人影はまばらだった。雪を珍しそうに眺め、鼓門をバックに撮影するインバウンド観光の人たちもいるにはいた。それにしても、雪でかすむ鼓門を眺めていると、長谷川等伯の松林図屏風(国宝)のような風景イメージが沸いてくる。

  ふと鼓門の下を見ると、まるで参道のようにまっすぐに除雪がしてあった。さすが、金沢駅のまさに山門のような鼓門なので係員が雪すかしをしたのだろうと思っていたが、パンフレットをチェックすると、「無散水融雪装置」と書かれてあって、水をまく融雪ではなく、道路にあたる地面の下に温かな地下水をくみあげる放熱管が敷いてあり、道路の上の雪が溶ける仕組みとなっている。初めて知った。

  鼓門前の同じ地点から市街地側に身を向けると、これもアートのような冬景色が広がる。駅前の高層ビル(ホテル)と雪吊りの松が競うような光景だ=写真・下=。松の木は五葉松だろうか。ほかの季節ならば気にもならないビルと松の木だが、雪吊りが施された松の木はその形状からまるで天に向かってようにも見える。それが妙に高層ビルを意識しているような存在感を漂わせる。

  上記のような自己流の見つめ方は「なんでもアート」だと思ったいる。足しげく通った奥能登国際芸術祭(珠洲市主催・2017年、2021年、2023年開催)に影響されているのかもしれない。身近なテーマや日常の風景にさらにイメージの加飾を施すことで、アート作品のように見えてくる。やっかいな大雪でも、アートとして眺めるとそれはそれで楽しくもある。

⇒21日(金)夜・金沢の天気    ゆき

☆能登で来年トキ放鳥へ 問題は場所選び、地域それぞれにトキへの想い

☆能登で来年トキ放鳥へ 問題は場所選び、地域それぞれにトキへの想い

  今季2度目の「最強・最長の寒波」はピークはいったん過ぎたようだ。きょうは断続的に雪は降っていたものの、晴れ間ものぞいた。昨夜からきょう夕方の金沢の自宅周辺の積雪は10㌢ほどだろうか。しかし油断大敵で、金沢地方気象台の予報によると、あさって21日から再び強い寒気が流れ込み、3連休にかけて平野部でも大雪になる可能性があるとのこと。春が待ち遠しい。

  残念なこともあった。能登半島の七尾市で温泉旅館を経営する知人がヒートショックで亡くなった。地元メディア各社の報道によると、17日夕方に和倉温泉総湯で入浴中に意識不明の状態で見つかり、急逝した。73歳だった。外の寒気と総湯の湯の温度差から血圧が上昇・降下して、心筋梗塞などが発生したのかもしれない。10数年ほど前、学生たちと「能登スタディツアー」で訪れたのがきっかけで、以降何度かお会いした。前向きな発想をする人で、能登地震で被災した自らの旅館の再建を進めるかたわら、能登の震災復興プロジェクトのリーダーとして旗振り役を担う、存在感のある人だった。冥福を祈る。

  話は変わる。今月15日付のブログで、環境省は国の特別天然記念物トキの能登での放鳥を2026年度上半期をめどに行うことを決めた、と述べた。能登は本州最後の一羽のトキがいたところ。トキの放鳥が来年と決まったことで、テンションを高めているのは石川県庁かも知れない。きょう用事があり県庁に行くと、1階ロビーに「祝 放鳥決定! 令和8年度 能登地域でのトキ放鳥」と大きな懸垂幕が掲げられていた=写真=。懸垂幕の上部にはトキが羽ばたく様子が描かれている。

  環境省では来年6月上旬ごろの放鳥を目指している。これから大きなテーマとなるが細長い能登半島のどこで放鳥するか、だろう。地元メディア各社の報道によると、ことし7月ごろまでに具体的な場所を、県と能登9市町などが選定する。この場所選びが難題だ。

  本州最後の1羽だったオスのトキ、愛称「ノリ(能里)」は1970年1月に能登半島の穴水町で捕獲され、繁殖のため新潟県佐渡のトキ保護センターに送られた。しかし、翌年1971年3月、鳥かごのケージの金網で口ばしを損傷したことが原因で死んでしまう。このような経緯があるので、穴水町では捕獲された場所で放鳥してほしいと主張するだろう。また、半島尖端の珠洲市の粟津地区には10年ほど前から佐渡で放鳥されたトキが飛来している。半島の中ほどにある眉丈山はため池が多くあり、ふもと中能登町や羽咋市には水田が広がる。1961年の記録で5羽のトキが確認されている。志賀町には毎年コウノトリが飛来して営巣が確認されているので、トキにも来てほしいとの想いがあるだろう。能登の人たちには地域それぞれにトキに対する思い入れがある。

  放鳥場所をどう選定していくのか。去年元日の地震で道に切れが入り、餌場とする水田に水を供給するパイプラインが破裂したところも相当ある。県のテンションの高さをリーダーシップとして、トキ放鳥の場所選定に活用してほしいものだ。

⇒19日(水)夜・金沢の天気    ゆき

★帰らぬ拉致被害者 家族は無念の想い 能登での拉致1号事件から48年

★帰らぬ拉致被害者 家族は無念の想い 能登での拉致1号事件から48年

  北朝鮮による拉致被害者の家族である有本明弘さんが亡くなったと報じられている。96歳だった。娘の恵子さんはロンドンで語学留学中だった1983年に北朝鮮に連れ去れたことが、「よど号」ハイジャック事件(1970年3月31日)の実行犯の元妻(日本人)が2002年3月に法廷で証言して明らかになった(Wikipedia「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」)。日本政府が「拉致」という言葉を使って問題としたのは、1988年3月の参院の質問で当時の国家公安委員長だった梶山静六氏が初めてだった。政府は1991年から水面下で北朝鮮に対して拉致問題を提起していたものの、当時は北朝鮮との国交正常化に重きを置いていて、拉致問題の表向きの対応は希薄だった。

  1997年2月に拉致被害者の家族による「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」が結成されると一転した。2002年9月17日、当時の小泉純一郎総理と北朝鮮の金正日国防委員長による首脳会談で、北朝鮮は長年否定してきた日本人の拉致を認めて謝罪。拉致被害者の5人が帰国した。2004年5月26日にも小泉総理が北朝鮮を訪れ首脳会談を行い、先に帰国した5人の家族が帰国することになった。

  政府は北朝鮮に拉致された被害者として17人(5人帰国)を認定しているが、さらに北朝鮮による拉致の可能性を排除できない871人に関して、引き続き捜査や調査を続けている(警察庁「拉致の可能性を排除できない事案に係る方々」)。北朝鮮による拉致事件は終わっていない。(※写真は、政府の拉致問題対策本部公式サイトより)

  「拉致1号事件」は能登半島の尖端近くで起きた。能登町宇出津の遠島山公園の下の入り江は山が海に突き出たような岬で、入り組んだリアス式海岸だ。1977年9月19日、東京都三鷹市の警備員だった久米裕さん52歳と在日朝鮮人の男37歳が宇出津の旅館に到着し、午後9時ごろに2人は宿を出た。怪しんだ旅館の経営者は警察に通報した。旅館から歩いて5分ほどの入り江で、男は外国人登録証の提示を拒否したとして、駆けつけた捜査員に逮捕された。久米さんの姿はなかった。

  しかし、当時は拉致事件としては扱われず、公にされなかった。その後、拉致は立て続けに起きた。同年10月21日に鳥取県では松本京子さんが自宅近くの編み物教室に向かったまま失踪(2号事件)。11月15日、新潟県では下校途中だった13歳の横田めぐみさんが日本海に面した町から姿を消した(3号事件)。

    拉致問題をめぐっては、2002年9月と2004年5月の日朝首脳会談で拉致被害者5人とその家族が帰国したことで、北朝鮮は「拉致問題は解決済み」との主張を変えていない。有本明弘さんは長年にわたって運動を続けてきたものの恵子さんの救出には至らず、無念な想いだったに違いない。政府には覚悟を持って被害者家族の無念の想いを晴らしてほしい。

⇒18日(火)夜・金沢の天気   くもり時々ゆき