2024年 12月 の投稿一覧

★能登の被災現場で両陛下が気遣いされた過酷な復旧現場と関連死のこと

★能登の被災現場で両陛下が気遣いされた過酷な復旧現場と関連死のこと

  きょう金沢は冷え込んだ。最高気温が4度、最低が1度なので真冬並みの寒さだった。午後に出向いた能登は最低が0度だった。冷え込みで懸念するのは仮設住宅や避難所で暮らしている人たちのことだ。被災地では疲労に寒さが加わり低体温症などで体調を崩す人が出ているのではないだろうか。

  前回ブログで天皇・皇后両陛下が元日の能登半島地震、そして9月の記録的な大雨の被災者を見舞われるため、今月17日に輪島市を訪れたと述べた。その様子を新聞メディア各社(18、19日付)が詳細に報じている=写真=。

  両陛下は9月の豪雨について、輪島市と珠洲市、能登町の3人の首長から説明を受けた。被災者がこれまで見たこともないような大粒の雨だったこと、震災と豪雨の二重被災に心が折れそうになっている人も多いこと、そうした中でも生活の立て直しに懸命に取り組んでいる人たちもいるとの内容だった。首長の説明に対し、両陛下は「建物を解体する作業員や屋根瓦の職人、あるいはボランティアの確保は難しくないでしょうか」と案じ、災害関連死が多いことについては「災害関連死された方はどのような状況でお亡くなりになったんでしょうか」と尋ねるなど、個々の状況について心配されていたという。

  両陛下が3月に輪島市を訪問した際は、移動はヘリコプターだったが、今回はマイクロバスによる移動だった。そのことで両陛下は、バスからより近い距離で災害現場を目の当たりにされた。このため、屋根に上り危険を伴う復旧作業に当たる人々を案じられていた。 また、両陛下は被災した人々と話す中、涙を流す人が多かったことから、二重被災を受けて心が深く傷つけられていると感じられたようだ(19日付・メディア各社の報道)。

  両陛下が気遣っておられた災害関連死の新たな情報が入ってきた。地元テレビメディアの報道(19日付)によると、きょう災害関連死を判断する行政の審査会が開かれ、新たに15人を認定すると決めた。関連死の認定は新潟と富山両県の6人を合せ276人となり、直接死228人を合せ犠牲者は504人となる。

⇒19日(木)夜・金沢の天気    あめ

☆両陛下が3度目の能登見舞いに 輪島で豪雨犠牲者の冥福祈る

☆両陛下が3度目の能登見舞いに 輪島で豪雨犠牲者の冥福祈る

  天皇・皇后両陛下はきのう(17日)16人が亡くなった9月の能登の記録的な大雨による被災者を見舞うため、輪島市を日帰りで訪問された(18日付・メディア各社の報道)。午前中に特別機で能登空港に到着。マイクロバスで輪島市役所を訪れ、坂口市長から豪雨の被害や被災者の現状について説明を受けた。この後、塚田川が氾濫し、住宅4棟が流され、14歳の少女ら4人が犠牲となった同市久手川町を訪れ、濁流で流され木々や押しつぶされた自動車など被災の傷跡が残る現場で10秒ほど頭を下げ、冥福を祈られた。

  両陛下は豪雨で30世帯51人が避難生活を送る輪島中学校を訪れ、イスに座る被災者と対面し、中腰になって「お体に気を付けて」と声をかけられた。また、両陛下は県警や消防署、自衛隊関係者とも対面し被災者の救助と支援の労をねぎらった。豪雨被害は輪島市と隣接する珠洲市と能登町でもあり、泉谷珠洲市長と大森能登町長がそれぞれの被災状況を説明した。

  両陛下の能登訪問は元日の能登半島地震の見舞いに訪れた3月22日、4月12日に続いて3度目となる。輪島市は地震と豪雨の二重被害が集中した地域。元日の地震では震度7、その復旧・復興の途上の9月21日に輪島市は48時間で498㍉の記録的な豪雨に見舞われた。両陛下は3月に輪島を訪れた際に、店舗や住宅など200棟が焼けて焦土と化した朝市通りで犠牲者の冥福を祈られた。そして今回の豪雨被害による輪島訪問で現地の二重被害の状況を実感されたのではないだろうか。

  石川県危機対策課がまとめた12月17日時点での地震による死者は469人で、そのうち、家屋の下敷きになるなどして亡くなった直接死は228人、災害による負傷の悪化や避難生活での身体的負担による疾病で亡くなった関連死は241人となった。避難者は仮設住宅などに移り、53人となっている。また、豪雨による犠牲者は16人、避難者は400人余り。災害直後からその数は大きく減っていない。輪島では仮設住宅のうち584戸が豪雨で床上浸水などの被害を受け避難所に入っていたが、復旧作業が進み、住民が戻り始めている。

⇒18日(水)午後・金沢の天気   あめ

★能登の「ニューヨーク」全線通行へ 地域の復旧・復興の加速を期待

★能登の「ニューヨーク」全線通行へ 地域の復旧・復興の加速を期待

  能登半島をめぐる幹線道路の国道249号は元日の能登半島地震、そして9月の記録的な大雨により一部区間で不通が続いているが、今月27日午後1時から全線で通行が可能になる。国土交通省能登復興事務所公式サイトの発表(今月13日付)によると、全線で通行が可能になるのは輪島市門前町浦上から半島尖端の部分の珠洲市若山町の53㌔で、一部区間は1車線となり、当面は地元住民や緊急車両に限って利用できる。国の名勝の輪島の白米千枚田の近くを通る249号は1車線から2車線となり、一般車両も通行可能となる。

  能登の地元では国道249号のことを数字をもじって「ニューヨーク」と呼ぶ人もいる。それほど地域に密着し、生活に欠かせない道路なのだ。そして観光ルートでもある。千枚田を縦貫し、名所の窓岩がある曽々木海岸を通り、珠洲市の揚げ浜式塩田へとつながっていた。それが、元日の地震でニューヨークがズタズタに寸断されていた。年末も近くになりようやく全線で通行が可能になるので、地元の人たちにとってはほっと一息つくような話ではないだろうか。

  先日(今月5日)その寸断されていた地域の輪島市町野町大川浜の249号の状況を見に行った。町野町に住む人にとって国道249号は輪島市中心部と往来する幹線で車で30分ほどの時間だった。ところが、地震による土砂崩れで249号が埋まり、山道を遠回りすることになり、所要時間が1時間ほどかかっていた。冬場の山道は雪が多いところを通ることになるので、本格的な降雪期を前になんとか間に合った。(※写真は、今月5日に通行が可能になった輪島市町野町大川浜の249号。1車線で、通行は地元住民や緊急車両に限られる)

  このほかにも、9月の豪雨でトンネルの出入り口が土砂で埋まった249号の迂回路として県道と市道を活用。また、千枚田近くの道路も土砂崩れで埋まったが、地震で隆起した海岸に迂回路を設置することで通行の再開にこぎつけた。249号の全線開通で地域の復旧・復興の加速を期待したい。

⇒16日(月)夜・金沢の天気    あめ

☆「第九」コンサートを聴きながら 能登半島地震のこの一年をめぐる思い

☆「第九」コンサートを聴きながら 能登半島地震のこの一年をめぐる思い

  ベートーベン「第九交響曲」の演奏をきょう聴いて、年の瀬を実感した。石川県音楽文化協会の主催で金沢歌劇座で開催され、石川フィルハーモニー交響楽団の演奏、合唱は県合唱協会合唱団、名古屋なかがわ第九合唱団、氷見第九合唱団のメンバー、指揮者は碇山(いかりやま)隆一郎氏。昭和38年(1963)から続く恒例の年末コンサートで、ことしで62回となる。

  リーフレットに第九をめぐるエピソードが記されている。第九はベートーベンが残した最後の交響曲だが、初演はウイーンで演奏された1824年5月だったので、200周年ということになる。初演のとき、ベートーベンは聴力を完全に失っていて、指揮者の横で各楽章のテンポを指示するだけの役割だった。終演後の聴衆の拍手にまったく気づかず、背を向けていた。見かねたかアルト歌手がベートーベンの手を取って、聴衆の方に向かわせて初めて熱狂的な反応に気が付いたという話だ。そんなリーフレットの説明も目を通していると、演奏が始まった。(※写真は、第九交響曲コンサートのチラシ)

  第一楽章は、弦楽器のトレモロとホルンで始まり、朝靄(あさもや)がかかったような入りだが、やがてホルンに促されるように全楽器が叩きつけるような強奏になる。演奏を聴きながら、元日の能登半島地震を想い起した。穏やかな正月を迎えることができたと思っていたところ、午後4時10分、スマホがピューンピューンと鳴り、緊急地震速報。グラグラと金沢の自宅が揺れ出した。押し入れの引き戸などがガンガンと音を立てて閉じたり開いたりを繰り返している。震源地は能登地方で「震度7」の速報が走った。

  第二楽章は、まるで「ティンパニー協奏曲」だ。ティンパニーを駆使した構成で、弦楽器の各パートによりフーガ風のメロディが次第に盛り上がっていく。震災から復興に向けて動き出した。6月下旬から公費解体が始まり、ガレキは港から船で、金沢と能登を結ぶ自動車専用道路「のと里山海道」はガレキを運ぶ連結トレーラーが目立つようになった。

  第三楽章は、木管楽器による短い序奏に続いてバイオリンが安らぎに満ちた音を奏でる。やがてクラリネットがそれを受け継ぎ。息の長いメロディアと歌声が響く。個人的にこのメロディに雨音を感じた。9月の大雨は最初は柔らかな雨音だった。それが長く続き、ときには強烈に降り、輪島市では48時間で498㍉とい記録的な大雨となり、被害をもたらした。

  第四楽章は、「歓喜の歌」として知られる独唱と合唱を取り入れた楽章だ。管楽器と打楽器による不安げな導入部に続き、チェロとコントラバスによる会話のような演奏が入り、この後、低音弦楽器から順に高音弦楽器へ、そして全楽器による合奏へと高揚していく。聴いているうちに気分が高揚してくるのが分かる。合唱が高らかに歌い上げた後にオーケストラのみで力強く曲を閉じる。同時に、過ぎゆく年を振り返り、来るべき新しい年を喜びとともに迎えたい。そんな気分になる。(※楽章の記事の一部はリーフレットより引用)

⇒15日(日)夜・金沢の天気   あめ

★「今年の漢字」の「金」の意味 金沢でのオーバーツーリズムの現場

★「今年の漢字」の「金」の意味 金沢でのオーバーツーリズムの現場

  「今年の漢字」に「金」が選ばれた。公益財団法人「日本漢字能力検定協会」がその年の世相を表現する漢字一字を投票で募り発表するイベントで、毎年、京都の清水寺で発表されている=写真=。日本漢字能力検定の公式サイトをチェックすると、今回選ばれた「金」には2つの意味があって、輝かしいという意味のキン)」と、影がつきまとうかね)」の2つの側面があるという。キンはパリオリンピック・パラリンピックでの日本人選手の金メダルの活躍やアメリカ大リーグで大谷翔平選手がMVPを獲得した意味が込められいる。「かね」は政治の裏金問題を象徴し、衆院総選挙での与党過半数割れと連動した表現のようだ。

  サイトでは「今年の漢字」トップ20が掲載されている。1位は1万2148票で「金」だが、2位は9772票で「災」、そして4位に7487票で「震」が入っている。この「災」と「震」は元日の能登半島地震、そして9月に能登を襲った記録的な大雨による災害を象徴しているのだろうと解釈した。能登半島地震では金沢も震度5強の揺れがあり、金沢城や兼六園の石垣が崩れ、全国ニュースにもなった。ひょっとして1位の「金」には金沢という思いも込められた票が入っているのではとも憶測した。

  話は飛ぶ。地元メディアの報道によると、兼六園周辺にイノシシが出没していると大騒ぎになっている。体長1㍍のオスとみられ、今月12日撮影の防犯カメラに走り去る姿が映っている。人的な被害はいまのところないようだ。10年前の2014年9月のことだが、兼六園と隣接する金沢城公園でクマが出没し捕獲されている。兼六園と金沢城公園は小立野(こだつの)と呼ばれる丘陵地の尖端部にあり、山から緑地を伝ってエサを探しに来ているのかもしれない。

  さらに話は飛ぶ。ことしに入って兼六園を訪れたインバウンド観光客は11月末時点で50万2502人となり、コロナ禍前の2019年に記録した47万5020人を上回り、過去最多となった(地元メディアの報道)。一方でインバウンド観光客による、オーバーツーリズムの問題も目に付く。これは実際に見た現場の光景だ。今月初めにJR金沢駅近くあるホテルから外国人団体客がぞろぞろと出てきた。先頭の数人がホテルの前の横断歩道を渡ると交通信号が赤から青になり、横断歩道は赤となった。にもかかわらず、会話しながらゆっくりと横断歩道を渡っている。信号無視に業を煮やした車からはクラクションが鳴らされたが、それでも団体の最後部が渡り切るまでこの状態が続いた。欧米風の顔立ちで、団体は50人ほどだっただろうか。

  交通ルールに関しては理解しているが、「みんなで渡れば怖くない」的な一時的な団体行動だったのか、あるいは、彼の国では信号無視がまかり通るのか、と考えさせられた光景だった。交通事故が起きないことを祈る。

⇒14日(土)午前・金沢の天気    あめ

☆両陛下ことし3度目の能登訪問へ 漁業の先細りどう防げばよいのか

☆両陛下ことし3度目の能登訪問へ 漁業の先細りどう防げばよいのか

  ニュース速報によると、天皇・皇后両陛下は今月17日に輪島市を訪問されることが、きょうの閣議で報告された。9月21日に能登地方を襲った記録的な大雨で輪島市などは甚大な被害を受けている。両陛下は被災状況を視察し、被災者や災害復旧に携わった人と面会される。能登訪問は3月22日、4月12日に続いて3度目となる。

              ◇

  ズワイガニ漁が解禁(11月6日)となってから、このブログでカニのことを何度か取り上げているが、周囲から話を聞くと意外なことを耳にする。「殻から身を出すのがめんどうだ」「カニカマの方が酒のつまみ合う」「以前はよく食べたけど、最近は手が伸びない」など。カニだけではない。寒ブリについても「ブリは年がら年中ある。寒ブリだから食べたいとも思わない」といった声だ。「日頃は魚を食べないのか」と質問を振ると、「たまに回転ずしに行って食べるくらい」とのこと。日頃の家庭料理は野菜と肉が中心で魚はめったに出ないようだ。

  上記の話が気になったので、ネットで調べてみる。以下、水産庁公式サイト「水産物消費の状況」から引用。魚介類の1人1年当たりの消費量は減少し続けている。農水省の「食料需給表」によれば、食用魚介類の1人1年当たりの消費量は、平成13(2001)年度の40.2㌕をピークに減少傾向にあり、令和2(2020)年度には23.4㌕となっている。一方で肉類の1人1年当たりの消費量は増加傾向にあり、平成23(2011)年度に初めて食用魚介類の消費量が肉類の消費量を下回りその傾向はいまも続いている。(※写真は、輪島漁港での魚介類の水揚げ=11月15日撮影)

  ではなぜ、魚介類の消費が減少しているのか。農水省「食料・農業及び水産業に関する意識・意向調査」(2019年12月~2020年1月調査・消費者モニター対象)によると、肉類と比べ魚介類をよく購入すると答えた人の理由は「健康に配慮したから」が最も多く、次いで「魚介類の方が肉類より美味しいから」となっている。他方、肉類と比べ魚介類をあまり購入しない人の理由は「肉類を家族が求めるから」が最も多く、次いで「魚介類は価格が高いから」、「魚介類は調理が面倒だから」の順となっている(水産庁公式サイト「水産物消費の状況」)。

  さらに気になるデータがある。2022年時点で約12万人いた漁師が2050年代には7万人まで減少すると予測されている(水産庁公式サイト「水産をめぐる事情について」令和6年10月)。就労者数が減る背景には、漁業は他業種に比べ労働環境が厳しいということがあるようだ。このため、若年層の漁業離れが進み、高齢化が進んでいる。

  上記のデータから日本の漁業は急速に縮小していることがくっきり浮かんできた。消費者の魚介類離れ、若手の漁業離れは単に産業としての漁業に留まらず、たとえば能登では地域経済に深刻な影響をおよぼすのではないかと将来を案じる。何しろ石川県内にある69の漁港のうち66漁港は能登半島に集中しているのだ。

  石川県は能登半島地震の復興プランとして、「13の創造的復興リーディングプロジェクト」を進めている。地域の経済や社会の視点から包括的な対策を講じることを目的としている。この際、漁業者の生活が安定し、次世代に引き継ぐ持続可能な漁業モデルを能登で構築してはどうだろうか。政府から震災復興の支援の手が差し伸べられている今がチャンスなのかもしれない。余りにもざっくりとした話になってしまった。

⇒13日(金)夜・金沢の天気    あめ

★「どぶろく宣言」の中能登町 全国大会誘致とユネスコ無形文化遺産で盛り上がる

★「どぶろく宣言」の中能登町 全国大会誘致とユネスコ無形文化遺産で盛り上がる

  今月8日付のブログでも取り上げた「どぶろく」のこと。きょうは能登半島の中ほどにある中能登町の観光協会が主催した「どぶろく宣言」のセレモニーに参加した。同町は2014年に国の「どぶろく特区」に登録されていて、毎年12月12日を「どぶろく宣言」の日と定めてイベントを行っている。主催者としてあいさつに立った、同町観光協会の船木清崇会長は「ユネスコ無形文化遺産に日本の伝統的な酒造りが登録され、日本酒の原酒でもあるどぶろくを国内に広め、そして世界に売り込むチャンスではないか」と述べた。

  また、来賓あいさつで同町の宮下為幸町長は「どぶろく特区に登録されている市や町が集まって開催する『どぶろく全国大会』を来年度に誘致することがになり、日程は2026年1月16日に決まった」と明らかにした。この大会では全国から80銘柄のどぶろくが集まり飲み比べができることから、どぶろくファンが全国から集まるそうだ。じつは全国大会は2025年1月の開催が決まっていた。ところが、ことし元日に震度7の能登半島地震が発生したことから、いったん中止となった。そこで、改めて2026年1月での開催が決まったといういきさつがある。

  どぶろくは蒸した酒米に麹と水を混ぜ、熟成させた酒。ろ過はしないため白く濁り、昔から「濁り酒」とも呼ばれている。そのどぶろくが全国的にちょっとしたブームになっている。その背景となっているが美容効果だ。どぶろくの旨味成分である「アルファ-EG」というタンパク質が皮膚のコラーゲン量を増やすという作用があり、ふくよかなつやつやした美肌になるという(金沢工業大学バイオ・化学部応用バイオ学科の尾関健二教授の研究)。今回のどぶろく宣言の会場にも女性が訪れ、熱心に話を聴いていた。

  そもそもなぜ中能登町が熱心にどぶろくを発信しているのか。もともと、全国の神社では稲作の収穫を神に感謝する新嘗祭などの神事でお神酒として造られてきた、伝統の酒でもある。現在も全国30社余りで連綿と造り続けていて、そのうちの3社が同町にある。どぶろくは酒マニアのおじさんの酒というイメージもあった。しかし、時代は変わり、ユネスコ無形文化遺産での伝統的な酒造りの登録や美容効果が広まることで、別の価値観がどぶろくに付加されている。ここまでくると能登の新たな地域資源として応援したいという気持ちにもなる。どぶろく全国大会の盛会を祈りたい。

⇒12日(木)夜・金沢の天気   くもり

☆能登の二重被災地で労災多発 冬場の悪天候JPCZを迎え「二次災害」への懸念

☆能登の二重被災地で労災多発 冬場の悪天候JPCZを迎え「二次災害」への懸念

  冬の季節になると、「JPCZ」という言葉を天気予報でよく聞く。シベリアから寒気団が日本海に向かって流れてくる際に朝鮮半島北部の白頭山によっていったん二分されるが、その風下で再び合流し、雪雲が発達しやすい収束帯(ライン)となって北陸地方などになだれ込んで大雪をもたらす。それをJPCZ(Japan sea Polar air mass Convergence Zone)、日本海寒帯気団収束帯と言う。JPCZを印象付けたのは2017年12月に降った大雪で、金沢市内で積雪が30㌢に達した。

  日本気象協会「tenki.jp」による最近の解説で「JPCZ」が出ている。今月9日の発表によると、11日に日本海にJPCZのラインが発生する見込みで、JPCZの先は北陸付近にかかり、12日にかけて山陰まで南下。大雪となるおそれがある。さらに、13日夜から14日にかけてもJPCZが発生し、さらに発達した雪雲が流れ込む見込み、とある。いよいよ冬将軍がやってくるのか、と思うと同時に元日の能登半島地震の復旧工事の現場は大丈夫かと不安も連なる。

  降雪時は現場が見えにくくなり、事故が起きやすい。また、積雪のため現場の作業員が思いがけずに滑って転んでけがをするということもある。とくに屋根に上がっての作業となると危険度が増す。それでなくても、公費解体など復旧工事の現場では労災事故が多発している。地元メディア各社の報道によると、奥能登2市2町(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)を所管する穴水労働基準監督署は今月6日、「重篤労働災害多発警報」を発令、石川労働局も関係団体に安全対策の徹底を求める緊急要請を出したと発表した。(※写真は、輪島市中心部での公費解体現場=11月15日撮影)

  それによると、復旧工事での労災件数は10月末時点で39件に上り、9月から3ヵ月連続で死亡者が出る事態になっている。9月の奥能登豪雨で輪島市の国道249号中屋トンネル付近で、50代の作業員が土砂崩れに巻き込まれて亡くなった。11月には、珠洲市内の被災した木造家屋の解体現場で、油圧ショベルの先端のフォーク部分が作業をしていた岩手県の70代の作業員の頭部に接触し、頭蓋骨骨折で死亡している。

  石川県が今月6日に発表した被災家屋の公費解体の進捗状況(11月末時点)によると、累計の解体棟数は1万1020棟となり、解体見込み棟数の34%となっている。県では解体作業にあたる「解体班」を増やすなどして、来年度末の2026年3月には終了する予定だ。ただ、北陸の冬は長い。現場では悪天候が予想されることから、「二次災害」への懸念が広がっているのではないだろうか。

⇒11日(水)午後・金沢の天気    あめ

★能登の二重被災で踏ん張る食品スーパー 地域の生活守り復興拠点を目指す

★能登の二重被災で踏ん張る食品スーパー 地域の生活守り復興拠点を目指す

  元日の震災と9月の記録的な大雨に見舞われた輪島市町野町をめぐった(今月5日)。地区で唯一のスーパーマーケット「もとやスーパー」が先月営業を再開したと報道されていたので、その様子を見に行った。元日の地震で被害を受けても休まずに営業を続けてきたスーパーだったが、9月21日の豪雨で近くを流れる鈴屋川が氾濫して街一帯が飲み込まれた。同29日に現地を見に行くと、店内の柱や壁には浸水の跡が残り、商品を陳列する大型の冷蔵棚などは横倒しになっていた。

  そのもとやスーパーに今月5日に行くと「復活オープン」の看板を掲げ営業を再開していた=写真・上=。中に入ると、卵や野菜、総菜や冷凍食品などが並んでいた=写真・中=。ただ、以前見た時より売り場面積が小さい。レジの店員に聞くと、「売り場を必要最小限にして、店内をキャンプ場にするようです」との返事だった。

  その店内キャンプ場を見せてもらった。もとやスーパーの店舗の3分の2に相当する500平方㍍を充てたスペースという=写真・下=。被災地の復旧に訪れた業者や支援ボランティア向けに用意したようだ。1人用テントや布団を備える。30人から40人が利用できるが、料金は取らないのだという。町野地域には復旧業者やボランティアが宿泊できる場所がなく、これまで他地域の宿泊地と町野との移動に時間がかかっていた。さらに、冬場になると積雪も想定されることから、屋内キャンプ場がベストと47歳の店主が企画したようだ。店主はクラウド・ファンディングでこう述べている。「被災し壊滅的な状況となった輪島市町野住民の多くの方々は家も車も失い、インフラも復旧していない現在、不自由な生活を余儀なくされています。その中で、私たち『もとやスーパー』は住民の方々の生活基盤であり心の拠り所であり続けると同時に、復興拠点にならなくてはならない、そう思っています」

  このスーパーにはちょっとした思い出がある。大学教員時代に学生たちと「能登スタディツアー」を企画し、ある年、近くの景勝地である曽々木海岸の窓岩の夕日を眺め、その帰りにもとやスーパーに立ち寄り食料を買い込んでいた。すると、わざわざ当時の店主が出てきてくれて、軽妙な能登弁で地域の歴史を語ってくれた。学生たちからは「語りが分かりやすく面白い」と評判だった。

  被災地の食品スーパーとして元日の地震後も営業を続け、住民を支えてきた。9月の豪雨で一時休業したが11月に営業を再開。来春には交流拠点としての整備も予定する。しかし、大雪で地区が再び孤立すればすべてストップする恐れがある。復旧を絶え間なく進めるためも、泊まれる環境を整える。被災地の必死の叫びのように聞こえる。

⇒10日(火)午後・金沢の天気    くもり時々はれ

☆「防災」「減災」「備え」こそ大切 能登の被災地を訪れた両陛下の実感と想い

☆「防災」「減災」「備え」こそ大切 能登の被災地を訪れた両陛下の実感と想い

  元日の能登半島地震の被災地を天皇、皇后両陛下は2度見舞いに訪れている。3月22日は輪島市と珠洲市に、4月12日は穴水町と能登町を。このとき両陛下は避難所を訪れ、被害に苦しみ悲しむ人たちの声に耳を傾け、思いをじかに受け止めておられる様子をテレビ報道で拝見した。被災者にとって癒やしと慰め、そして励ましになったのではないだろうか。

  皇后さまがきょう(9日)、61歳の誕生日を迎えられた。そのお気持ちを文書で感想を公表している。宮内庁公式サイトに「皇后陛下お誕生日に際してのご感想」として掲載されている。その冒頭で「道路の寸断によるアクセスの困難さや長く続く断水など、被災された方々が、冬の厳しい寒さの中でどれほど多くの困難と御苦労を抱えながら避難生活を送られていたか、想像するに余りあるものでした」と、2度の訪問での感想が述べられている。その能登について、「私自身、学生時代に友人との旅行で能登半島を訪れたことがあり、楽しく、大切な思い出の詰まった能登の地で、多くの人々がこのような大きな試練に直面していることに、心が締め付けられる思いが致しました」とつづられている。(※ 写真は、3月22日に天皇、皇后両陛下が多くの犠牲者が出た輪島・朝市通りを訪れ黙礼をされた=宮内庁公式サイト「被災地お見舞い」より)

  震災後に奥能登を襲った9月の記録的な大雨について述べられている。「状況の少し落ち着いた3月から4月にかけて、お見舞いのために能登の被災地を訪れ、被災された方々が安心して生活できる日が一日でも早く訪れるよう、復興が一歩一歩進んでいくことを心から願いましたが、その復旧・復興への歩みを進める中、9月下旬に、今度は大雨による被害が発生したことにも心が痛みます」。被災者が追い打ちをかけられた状況に、皇后さまは「心が痛みます」と心境を明かされた。

  今後の自然災害に向けて提案もされている。「来年の1月には、能登半島地震から1年、そして、阪神淡路大震災から30年の節目を迎えます。当時の被害の大きさを改めて思い起こし、犠牲となられた方々を追悼するとともに、被災された方々への支援や、今後の防災・減災について考え、備えていくことが大切なのではないかと思います」。今後の災害に向けた「防災」「減災」「備え」のキーワードは被災地を実際に訪れた両陛下の実感と想いではないだろうか。

⇒9日(月)夜・金沢の天気    くもり時々あめ