2024年 10月 の投稿一覧

★能登震災から280日余り 変わる風景・変わらぬ風景~倒壊ビル解体へ、3D住宅~

★能登震災から280日余り 変わる風景・変わらぬ風景~倒壊ビル解体へ、3D住宅~

  能登半島地震から280日余り、季節は移ろい「寒露」の頃だ。金沢の最高気温が20度を下回り、街路樹が色づき始めている。そして被災地の様子も変わり始めている。きのう(8日)輪島市を珠洲市を巡った。

  徐々にではあるものの、地震で全半壊した家屋などの公費解体も進んでいる。焼失家屋が約300棟にも及んだ輪島市河井町の朝市通りは焼け焦げたビルなどはほぼ解体され、更地に戻りつつある。今月5日に輪島市の現場を視察した石破総理に対し、同市の坂口市長は新たな建物を建てるため、土地区画整理を行うなどと説明していた(5日付・地元メディア各社の報道)。地域の再開発が動き出すのだろう。

  横倒しとなった7階建ての「五島屋」ビルは震災のシンボルのような光景となっている。その倒壊ビルの解体作業が7日に始まった(5日付・地元メディア各社の報道)。現地に行くと、倒れた基礎部分でパワーショベルが動いていた=写真・上=。報道によると、行政による公費解体で、2棟ある五島屋ビルのうち倒壊を免れた3階建てのビルの解体から着手し、市道にはみ出している7階建てビルは来月から取り掛かるようようだ。国交省は倒壊原因について基礎部分の調査を現在行っていて、行政は国交省と連携を取りながら、市道にはみ出した7階部分から本格的な解体作業を進めるようだ。

  このブログの8月9日付で紹介した珠洲市の「3Dプリンター住宅」が完成したとニュースになっていたので見に行った。同市上戸町にことし7月にオープンしたホテルの別室。ホテルの支配人が兵庫県西宮市のスタートアップ企業である建築会社に発注して造った建物。2人世帯向け平屋タイプで、ダイニングや寝室、バスルームなどがある。石川県では初めての「3D住宅」という。中には入れなかったが、日本海が一望できる。そもそもが何が3Dなのかと言うと、3Dプリンターが設計データを読み込み、ロボットがコンクリートを塗り重ねて、壁や屋根を成形する仕組みのようだ。

  8月上旬にホテルで食事をとった時にホテル関係者から、「耐震性や耐水性、防火性に優れていて、家のカタチもこれまでの能登にはなかったもの。地震で壊れた住宅の再建を気軽な別荘風にと考えれば住みやすい家になりますよ」と聞いた。一戸建てより安価に、仮設住宅より居心地よくと考えれば、「なるほど」と思えた。これまで能登になかった家の風景が能登半島の尖端、珠洲市にある。

⇒9日(水)夕・金沢の天気    はれ

☆自民裏金問題で石破総理の決断 20日後の総選挙は果たして「吉」と出るのか

☆自民裏金問題で石破総理の決断 20日後の総選挙は果たして「吉」と出るのか

  能登半島の地震と豪雨の被災地(5日)を視察して激甚災害の指定を表明した石破総理は6日、矢継ぎ早に自民党本部で派閥の政治資金パーティーを巡る不記載があった議員の衆院選(今月15日公示・27日投開票)の対応方針を公表した。党の処分が継続中なら政治倫理審査会で説明した場合を除き非公認とし、不記載議員は公認する場合も比例代表への重複立候補を認めない(7日付・メディア各社の報道)。石破氏らしい即決感のある対応だ。

  今回の方針では、地元石川1区の小森卓郎代議士と2区の佐々木紀代議士の比例代表への重複立候補は認められないことになる。ちなみに、旧安部派の2人の不記載額は小森氏が70万円、佐々木氏が184万円。小森氏は財務官僚出身で石川出身ではないが、かつて県の総務部長を担った経験から2021年10月の総選挙で初当選を果たした。佐々木氏は大御所の森喜朗元総理と同じ根上町生まれ。森氏の地盤を引き継いで当選連続4回。同じく不記載額が1482万円で党の役職停止となった宮本周司参院議員の後任として4月から自民県連会長の座にある。

  石破総理とすれば、政治資金パーティーを巡る裏金問題に片を付けない限り、有権者の支持は得られないとの判断だったのだろう。何しろ、衆院選の投開票まであと20日と時間がない。「党内野党」とも言われた石破氏でしかできない厳正な対応だったのかもしれない。

  今回の石破総理の選挙対応の背景には、この問題を散らかしたままでは自民党が相当追い込まれるとの危機感があるのだろう。それが読める数字がメディア各社の世論調査だ。たとえば、内閣発足を受けて実施された日経新聞の緊急世論調査(今月1、2日)の内閣支持率は51%、不支持率は37%だった。これを前の岸田内閣の発足時(2021年10月)の支持率59%、不支持率29%と比べると、かなり下回っている。さらに前の菅内閣の発足時(2020年9月)の支持率は74%だった。日経調査では、2002年以降の内閣と発足時の支持率と比較して石破内閣が最も低い数字だ。また、読売新聞の緊急世論調査(今月1、2日)でも支持率51%、不支持率32%となっている。本来ならばご祝儀相場で高いはずの内閣発足時の数字がようやく過半数越えでは、低迷状態とも言えるだろう。

  もちろん、党内では「マスコミに迎合しすぎる」や「低額なのに、不記載で悪者扱いにもほどがある」といった怨嗟の声もあるだろう。今月27日の総選挙で民意はどう判断を下すのか。

⇒7日(月)夜・金沢の天気    あめ

★日曜アラカルト~大の里が凱旋巡業、総理の「置き土産」は激甚指定と自衛隊風呂~

★日曜アラカルト~大の里が凱旋巡業、総理の「置き土産」は激甚指定と自衛隊風呂~

  自宅近くに金沢市総合体育館がある。午前9時すぎにコンビニでの買い物帰りに近くを通ると、体育館を囲むように長蛇の列ができていた=写真・上=。列の光景はこれまで何度か見たことがあるが、これほど長い列は初めてかもしれない。ピンと来た。そうかきょうは大相撲地方巡業の金沢場所か、と。地元出身のあの大の里が出場する。この秋場所で幕内2度目の優勝を果たし、大関昇進を決めた大の里だ。まさに、故郷凱旋の巡業だ。地元の相撲ファンとすれば晴れ姿を見逃すわけにはいかないという心境なのだろう。それにしても長い列だ。

  石破総理がきのう能登の震災と豪雨の被災地を視察に訪れ、豪雨被害について「激甚災害」に指定する意向を表明した(6日付・メディア各社の報道)。元日の震災についてはすでに激甚災害を受けており、それに続く指定となる。これによって国からの支援が多岐にわたる。公共施設では学校や病院などの復旧が優先され、道路や橋、上下水道といったインフラも優先される。農業や漁業など一次産業への支援があり、被害を受けた農地や漁港の復旧、農業機械や漁船の修理・再購入の支援が行われる。個々の被災者に対しては、住宅の再建費用や一時的な住居の提供、災害融資の利子補給や、生活再建支援金の支給など多岐にわたる支援が行われる。石破総理の能登視察の「置き土産」だろう。

  9月21日の記録的な大雨で河川の氾濫や土砂崩れが起きたため、住家や仮設住宅を離れ二週間経った今でも490人余りが避難所での生活を送っている。このような中、「自衛隊風呂」が珠洲市で再開した。6日付の地元メディアによると、大量の流木や土砂が流れ込み地区全体で断水が続いている同市大谷地区の公民館駐車場で陸上自衛隊が入浴場をきのう開設した。地震による同市での自衛隊による入浴支援は、銭湯などの入浴施設などが復旧したため、8月31日で終了となっていた。しかし、大谷地区は市内中心部とつながる国道の通行止めの状態続いていて、大雨では一時孤立状態となった。男女別風呂で、入浴時間は午後4時から同8時まで。地域の人たちは2週間ぶりの湯船に心が和んだのではないだろうか。これも石破総理の「置き土産」なのかとふと思った。(※写真・下は、自衛隊による入浴支援施設=珠洲市で、2月22日撮影)

⇒6日(日)午後・金沢の天気   くもり  

☆就任早々に能登の被災地視察 石破総理の足で稼ぐ政権の存在感

☆就任早々に能登の被災地視察 石破総理の足で稼ぐ政権の存在感

★「防災庁」設立を石破総理が所信表明 あす能登視察で切なる叫びを聴いてほしい

★「防災庁」設立を石破総理が所信表明 あす能登視察で切なる叫びを聴いてほしい

  きょうも石川県内は全域で雨模様だ。能登では先月の記録的な大雨や元日の能登半島地震の影響で地盤が緩んでいるところがあり、半島尖端の珠洲市ではいち早く昨夜、雨が強まり土砂災害のおそれがあるとして、市内の大谷、若山、清水、仁江の4地区の534世帯996人に避難指示を出し、早めの避難を呼びかけている。

  余談かもしれないが、珠洲市は先手を打ち、行動が実に速い。元日の震災後に仮設住宅の建設を進める石川県に対し、世界的な建築家で知られる坂茂(ばん・しげる)氏に珠洲市での仮設住宅の建築設計を依頼してほしいと要望したのは同市の泉谷満寿裕市長だった。その要望が実り6棟90戸が完成した。県産のスギを使い、木のぬくもりが活かされた内装となっている。同市の観光名所である見附島の近くあり、外装の色合いも周囲の松の木と妙にマッチしていて、まるで別荘地のような雰囲気だ。

  そして、去年5月5日に最大震度6強の揺れに珠洲市は見舞われた。この地震で死者1人、負傷者数48人、住宅の全半壊131棟の被害が出たが、その年の秋に開催した「奥能登国際芸術祭2023」(9月23日-11月12日)を無事やり遂げた。当時、市議会では、震災復興を優先して開催経費(3億円)をこれに充てるべきとの意見や、行政のマンパワーを復旧・復興に集中すべきとの意見が相次いだ。泉谷市長は「地域が悲嘆にくれる中、目標や希望がないと前を向いて歩けない。芸術祭を復興に向けての光にしたい」と答弁し、予定より3週間遅れで開催にこぎつけ、14の国・地域のアーティストたちによる61作品が市内を彩り、大勢の鑑賞者が訪れた。

  ちなみに、自身が初めて泉谷市長と関わりを持たせていただいたのは2006年6月の市長選で初当選されてまもなくのころだった。当時、金沢大学の地域連携担当スタッフだった自身は、生物多様性をテーマとした環境保全プロジェクト「里山里海自然学校」(三井物産環境基金)を泉谷市長に提案させていただいたのがきっかけだった。市内の小学校の空き校舎を無償で貸与していただいた。その後、金沢大学から5名の教員スタッフが常駐し、環境境保全型の農林水産業を実践的に学ぶ人材育成プログラムを実施、現在も「能登里山里海SDGsマイスタープログラム」として継続している。これまで述べた国際芸術祭や世界的な建築家、大学との関わりなどから、能登の尖端にありながら、時代の先端を走る珠洲というイメージを持つ県民は多い。ましてや震度6強の地震に2度も見舞われながら。

  石破総理はきょう衆院本会議で所信表明演説を行い、この中で「防災庁」の設立に向けて、専任閣僚を置くよう準備を進めると述べた。また、発災後速やかにトイレ、キッチンカー、ベッド、風呂を配備する官民連携体制を構築する。防災庁の具体化に向けて、ぜひ本庁をとは言わないが、拠点を能登に置いて珠洲市などの取り組みと連携してほしいと願っている。石破総理はあす5日に能登を視察する予定だ。ぜひ、被災者の切なる叫びを聴いてほしい。(※写真は、きょう4日の衆院本会議での石破総理の所信表明演説の様子=総理官邸公式サイトより)

⇒4日(金)午後・金沢の天気   あめ時々くもり

☆災難続く能登の農家 大雨冠水で横倒しの稲をどうする

☆災難続く能登の農家 大雨冠水で横倒しの稲をどうする

  異常気象が世界各地で災害をもたらしている。アメリカに上陸したハリケーンは南部のノースカロライナ州やジョージア州などで大規模な洪水や土砂崩れをもたらし、亡くなった人は6つの州合わせて160人を超え、行方不明者も多数出ているという(2日付・NHKニュースWeb版)。ネパールは雨期の大雨によって首都カトマンズの南部や近隣の都市が洪水や土砂崩れに見舞われ、市街地が水没するなど192人が死亡。ネパールでは数ヵ月前にも記録的な大雨や鉄砲水に見舞われている(1日付・CNNニュースWeb版)。去年は世界各地で熱波と干ばつが深刻化した。気象災害をもたらす地球温暖化を抑えることはできるのか。

  9月21日を中心に48時間で498㍉の雨が降った輪島市をきょう(3日)もめぐった。がけ崩れや河川の氾濫が顕著だった同市町野町の農村部に行くと、町野川の周囲の田んぼでは流れ込んだ河川水で横倒しになった刈り入れ前の稲が一面に広がっていた=写真・上=。

  稲刈りのシーズンでほぼ作業は終わっているが、横倒しになった稲の田んぼはどこも手付かずの状態だ。泥水をかぶり倒れた米はおそらく3等米以下、規格外なのだろう。農家にとっては大打撃だ。元日の能登半島地震で田んぼにき裂が入ったり水路が壊れたりで、奥能登(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)では作付け面積は例年の6割ほどと言われていた。せっかく作付けした田んぼだが、豪雨で冠水して商品にならないという事態に追い込まれた。それにしても、農家はこの田んぼをほったらかしにしておくのだろうか。

  田んぼ近くにあるいくつかの農家では裏山が崩れていた=写真・下=。中には、農機具などを保管しておく納屋が土砂で半壊状態になっているところもあった。農家の苦難を見た思いだった。地震で亀裂が入った田んぼを耕そうと、土砂崩れがあった納屋から耕運機と田植え機をなんとか取り出し耕した。稲刈りシーズンに入り、稲刈り機を取り出したものの、9月の大雨で河川が氾濫して田んぼが冠水。商品価値が下落してしまった稲穂を眺めながら農家の人たちは複雑な思いに駆られているのではないだろうか。勝手な憶測で筆を運んだ。

⇒3日(木)夜・金沢の天気    くもり時々あめ

★豪雨で不明だった輪島の少女 なぜか福井沖で遺体で見つかる

★豪雨で不明だった輪島の少女 なぜか福井沖で遺体で見つかる

  このニュースを見て不思議に思った。先月21日の能登の豪雨で輪島市の塚田川が氾濫し、4棟の住宅が押し流され、14歳の少女が安否が不明となっていた。30日に福井県沖で遺体が漂流しているのが見つかり、ズボンのタグに記された名前から、不明となっていた少女の可能性があるとして福井海上保安署はDNA鑑定などを行っている。不思議に思ったのは、能登半島で遺体が流れ、なぜ福井県沖で見つかったのか、日本海の海流とはまったく逆の流れなのだ。

  日本海の海流は、大陸側に沿って南下するリマン海流が、朝鮮半島の沖で対馬海流と合流し、山陰や北陸など日本の沿岸に流れ、能登半島の沖を経由して東に流れていく=図表=。元日の能登半島地震の津波で、能登地方や富山県の漁港から流失したとみられる小型漁船など25隻が新潟県の柏崎市や上越市に漂着していることが確認されている(1月16日付・新潟日報Web版)。ところが、少女の遺体は半島から西側の福井県沖で見つかった。

  なぜ逆流現象が起きたのか。自身は海流の専門家でもなく、以下まったく素人の憶測だ。20日から22日午後10時までの48時間で輪島市で498㍉と強烈な雨量だった。能登半島の河川から日本海に流れ出た大量の濁流が海流とぶつかるようにして、西側に流れたのか。あるいは、海に浮かんだ遺体が風に流されて西に向かったのだろうか。(※写真は、少女の住宅が流された輪島市の塚田川の周辺)

  豪雨によって亡くなった人は少女を含めて15人となる。また、能登地震の石川県内での死者は408人(直接死227人、関連死181人)だ。自然災害によって尊い命がこれほど奪われるとは。地元メディアによると、きのう就任した石破総理は今月5日に能登を視察するようだ。現地では哀悼の祈りをささげてほしい。

⇒2日(水)夜・金沢の天気     あめ

☆能登の観光名所ダブル被害 地震と豪雨で映画『忘却の花びら』ロケ地が大打撃

☆能登の観光名所ダブル被害 地震と豪雨で映画『忘却の花びら』ロケ地が大打撃

  先日(先月29日)能登半島の北側に位置する奥能登の輪島市町野町をめぐった。9月21、22日の豪雨の現場だ。行く途中で能登町を流れる町野川の橋脚で、自衛隊や消防隊員が瓦礫を取り除きながら捜索活動を行っていた=写真・上=。その様子を見守っていた土地の人に尋ねると、この周辺で31歳の女性が行方不明になっているので捜索を行っているのだという。輪島市の女性で、21日朝に職場に向かった後、消息が途絶えていて、本人の車が近くの道路で見つかっている。豪雨による死者は13人で、この女性含め3人が安否不明となっている。

  その後、町野地区に入った。この日は晴天で、少し風が吹いていたせいかぼんやりとかすんでいた。乾燥した泥が薄黄の粉塵になって舞い上がっているのだ。マスクをして車の外に出た。同地区の中心部にある「五里分(ごりわけ)橋」には大量の流木が橋脚に絡んでいた。豪雨当時はこの橋がダム化して流れを堰き止め、周囲の濁流があふれたのだろう。橋の近くのスーパーの店は閉まっていて、中には入れなかったが倒れた陳列棚や冷蔵庫など従業員が片付けていた。床には泥が覆っていた。ただ、店は休まず営業しているようで、隣接する倉庫のようなところでは水や食品などを扱っていた。

  また、近くで新築の家が建設中だったが、濁流にさらされたのだろう、高さ1㍍くらいまで水に浸かった跡が見えた。そして、水害から1週間経っていたものの、震災で倒壊した家々の中には泥水が生々しく残っていた。

  輪島市町野町の曽々木海岸に入った。ここには夕日がすっぽり入り幻想的な光景を描き出す「窓岩」で知られる観光名所でもある。ところが、窓岩は元日の地震で崩れ落ちた=写真・中=。さらに、豪雨で山からの土砂で埋め尽くされた状態になっていた。民宿や旅館が押し流されたり、山から落ちてきた岩に押しつぶされたりしている=写真・下=。

  この曽々木海岸は能登の観光ブームの発祥の地だった。昭和32年(1957)、曽々木海岸をロケ地とした東宝映画『忘却の花びら』(主演:小泉博・司葉子)が公開され、「忘却とは忘れ去ることなり、忘れ得ずして、忘却を誓う心の哀しさよ」の名文句が大ブームを呼んだ。横長のリュックを背負った若者が列をなしてぞろぞろと歩く姿を「カニ族」と称する言葉もこのころ流行した。さらに、昭和39年(1964)9月に国鉄能登線が半島先端まで全線開通、同43年(1968)に能登半島国定公園が指定された。

  能登の観光の一時代を背負ってきた曽々木地区の人たちにとっては、地震と豪雨が打撃となった。この二重災害を忘れてほしくない。忘却されてなるものか、地域の人たちの想いに違いない。

⇒1日(火)夜・金沢の天気    はれ