★能登震災から280日余り 変わる風景・変わらぬ風景~倒壊ビル解体へ、3D住宅~
能登半島地震から280日余り、季節は移ろい「寒露」の頃だ。金沢の最高気温が20度を下回り、街路樹が色づき始めている。そして被災地の様子も変わり始めている。きのう(8日)輪島市を珠洲市を巡った。
徐々にではあるものの、地震で全半壊した家屋などの公費解体も進んでいる。焼失家屋が約300棟にも及んだ輪島市河井町の朝市通りは焼け焦げたビ
ルなどはほぼ解体され、更地に戻りつつある。今月5日に輪島市の現場を視察した石破総理に対し、同市の坂口市長は新たな建物を建てるため、土地区画整理を行うなどと説明していた(5日付・地元メディア各社の報道)。地域の再開発が動き出すのだろう。
横倒しとなった7階建ての「五島屋」ビルは震災のシンボルのような光景となっている。その倒壊ビルの解体作業が7日に始まった(5日付・地元メディア各社の報道)。現地に行くと、倒れた基礎部分でパワーショベルが動いていた=写真・上=。報道によると、行政による公費解体で、2棟ある五島屋ビルのうち倒壊を免れた3階建てのビルの解体から着手し、市道にはみ出している7階建てビルは来月から取り掛かるようようだ。国交省は倒壊原因について基礎部分の調査を現在行っていて、行政は国交省と連携を取りながら、市道にはみ出した7階部分から本格的な解体作業を進めるようだ。
このブログの8月9日付で紹介した珠洲市の「3Dプリンター住宅」が完成したとニュースになっていたので見に行った。同市上戸町にことし7月にオープンしたホテルの別室。ホテルの支配人が兵庫県西宮市のスタートアップ企業である建築会社に発注して造った建物。2人世帯向け平屋タイプで、ダイニングや寝室、バスルームなどがある。石川県では初めての「3D住宅」という。中には入れなかったが、日本海が一望できる。そもそもが何が3Dなのかと言うと、3Dプリンターが設計データを読み込み、ロボットがコンクリートを塗り重ねて、壁や屋根を成形する仕組みのようだ。
8月上旬にホテルで食事をとった時にホテル関係者から、「耐震性や耐水性、防火性に優れていて、家のカタチもこれまでの能登にはなかったもの。地震で壊れた住宅の再建を気軽な別荘風にと考えれば住みやすい家になりますよ」と聞いた。一戸建てより安価に、仮設住宅より居心地よくと考えれば、「なるほど」と思えた。これまで能登になかった家の風景が能登半島の尖端、珠洲市にある。
⇒9日(水)夕・金沢の天気 はれ
上町生まれ。森氏の地盤を引き継いで当選連続4回。同じく不記載額が1482万円で党の役職停止となった宮本周司参院議員の後任として4月から自民県連会長の座にある。
し、大関昇進を決めた大の里だ。まさに、故郷凱旋の巡業だ。地元の相撲ファンとすれば晴れ姿を見逃すわけにはいかないという心境なのだろう。それにしても長い列だ。
9月21日の記録的な大雨で河川の氾濫や土砂崩れが起きたため、住家や仮設住宅を離れ二週間経った今でも490人余りが避難所での生活を送っている。このような中、「自衛隊風呂」が珠洲市で再開した。6日付の地元メディアによると、大量の流木や土砂が流れ込み地区全体で断水が続いている同市大谷地区の公民館駐車場で陸上自衛隊が入浴場をきのう開設した。地震による同市での自衛隊による入浴支援は、銭湯などの入浴施設などが復旧したため、8月31日で終了となっていた。しかし、大谷地区は市内中心部とつながる国道の通行止めの状態続いていて、大雨では一時孤立状態となった。男女別風呂で、入浴時間は午後4時から同8時まで。地域の人たちは2週間ぶりの湯船に心が和んだのではないだろうか。これも石破総理の「置き土産」なのかとふと思った。(※写真・下は、自衛隊による入浴支援施設=珠洲市で、2月22日撮影)
続いて、豪雨による床上浸水の被害を受けた同市宅田町の仮設住宅を訪れ、住民の声に耳を傾けた。住民は「(水害で)揃えた物も全部だめになったので、この後の生活がちょっと心配というか、心が折れてしまった」と話し、生活再建への支援を石破総理に直接訴えた(5日付・北陸放送ニュース)。また、浸水前まで仮設住宅で暮らしていた漁協関係者から、漁ができていないことを伝えれられ、石破氏は厳しい表情を見せて「よく水産庁に伝えます」と答えた(5日付・北國新聞夕刊)。
そして、去年5月5日に最大震度6強の揺れに珠洲市は見舞われた。この地震で死者1人、負傷者数48人、住宅の全半壊131棟の被害が出たが、その年の秋に開催した「奥能登国際芸術祭2023」(9月23日-11月12日)を無事やり遂げた。当時、市議会では、震災復興を優先して開催経費(3億円)をこれに充てるべきとの意見や、行政のマンパワーを復旧・復興に集中すべきとの意見が相次いだ。泉谷市長は「地域が悲嘆にくれる中、目標や希望がないと前を向いて歩けない。芸術祭を復興に向けての光にしたい」と答弁し、予定より3週間遅れで開催にこぎつけ、14の国・地域のアーティストたちによる61作品が市内を彩り、大勢の鑑賞者が訪れた。
の大雨によって首都カトマンズの南部や近隣の都市が洪水や土砂崩れに見舞われ、市街地が水没するなど192人が死亡。ネパールでは数ヵ月前にも記録的な大雨や鉄砲水に見舞われている(1日付・CNNニュースWeb版)。去年は世界各地で熱波と干ばつが深刻化した。気象災害をもたらす地球温暖化を抑えることはできるのか。
ぼはどこも手付かずの状態だ。泥水をかぶり倒れた米はおそらく3等米以下、規格外なのだろう。農家にとっては大打撃だ。元日の能登半島地震で田んぼにき裂が入ったり水路が壊れたりで、奥能登(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)では作付け面積は例年の6割ほどと言われていた。せっかく作付けした田んぼだが、豪雨で冠水して商品にならないという事態に追い込まれた。それにしても、農家はこの田んぼをほったらかしにしておくのだろうか。
安署はDNA鑑定などを行っている。不思議に思ったのは、能登半島で遺体が流れ、なぜ福井県沖で見つかったのか、日本海の海流とはまったく逆の流れなのだ。
なぜ逆流現象が起きたのか。自身は海流の専門家でもなく、以下まったく素人の憶測だ。20日から22日午後10時までの48時間で輪島市で498㍉と強烈な雨量だった。能登半島の河川から日本海に流れ出た大量の濁流が海流とぶつかるようにして、西側に流れたのか。あるいは、海に浮かんだ遺体が風に流されて西に向かったのだろうか。(※写真は、少女の住宅が流された輪島市の塚田川の周辺)
先日(先月29日)能登半島の北側に位置する奥能登の輪島市町野町をめぐった。9月21、22日の豪雨の現場だ。行く途中で能登町を流れる町野川の橋脚で、自衛隊や消防隊員が瓦礫を取り除きながら捜索活動を行っていた=写真・上=。その様子を見守っていた土地の人に尋ねると、この周辺で31歳の女性が行方不明になっているので捜索を行っ
ているのだという。輪島市の女性で、21日朝に職場に向かった後、消息が途絶えていて、本人の車が近くの道路で見つかっている。豪雨による死者は13人で、この女性含め3人が安否不明となっている。
た。床には泥が覆っていた。ただ、店は休まず営業しているようで、隣接する倉庫のようなところでは水や食品などを扱っていた。
状態になっていた。民宿や旅館が押し流されたり、山から落ちてきた岩に押しつぶされたりしている=写真・下=。