★能登の二重被災と総選挙~防災服姿でたすき掛けはせず~
能登地方を含む石川3区で立候補している、立憲民主の前職の近藤和也氏の選挙活動を金沢市と隣接する内灘町で見てきた。その立ち姿はまったく選挙らしくない。防災服姿で、たすき掛けもしていないのだ=写真=。地元メディアで何度も報じられているが、近藤氏は七尾市での出陣式で「与党も野党も関係なく、助け合わなければならない時期。選挙なんてやっている場合か。それが能登の総意だと思う」と憤りの声を上げた。選挙実施への反発を込め、選挙期間中は防災服姿で、たすき掛けをしないことを宣言したのだ。その主張はいまも一貫している。
元日の地震後、これまで選挙区内で整備された6000戸余りにもなる仮設住宅を足しげく回り、被災者の声を国会論戦などで反映させてきた。地震と豪雨の二重被災の奥能登(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)へは選挙期間中にそれぞれの自治体を2回ずつ回るという。「まだ能登は大変なんだと全国に訴えていきたい」と述べていた。選挙戦はあすから後半戦に入る。メディア各社は世論調査による選挙情勢を伝えている。石川3区の情勢はある意味で全国が注目する選挙でもある。自民前職の西田昭二氏、そして近藤氏、共産新人の南章治氏の3氏が立候補しているが、注目されているのが西田氏と近藤氏の競り合いだ。3選を目指す西田氏の前回(2021年10月31日投開票)の得票数は8万692票、4選を目指す近藤氏の前回は7万6747票だった。その差は3945票。近藤氏は2回連続で比例代表で復活当選していて、選挙区での議席獲得を目指す。
選挙序盤の情勢を日経新聞(18日付)は「近藤先行、西田が猛追」との見出しで「近藤が立民支持層の9割、無党派層の5割をおさえて先行する。西田は自民支持層の7割をまとめ激しく追う」と記している。共同通信の情勢調査では、「近藤氏やや先行、西田氏追う」の見出しで、「西田、近藤両氏の3度目の対決となる3区では、近藤氏が立民支持層の9割以上を固め、共産支持層の3割近くにも浸透している。無党派層は6割が近藤氏を支持している。西田氏は公明の7割超、自民の6割近くを押さえた」とある(17日付・北國新聞)。
「選挙なんてやっている場合か、これは能登の総意だ」と解散を批判してきた近藤氏に風は吹くのか。復興に向け国とのパイプ役を訴える西田氏が後半戦を突破するのか。
⇒20日(日)夜・金沢の天気 はれ
では、石川3区ではどのような選挙の光景が繰り広げられているのか。きのう(18日)午後、自民前職の西田昭二氏は輪島市町野町の仮設住宅で遊説を行っていた=写真=。町野地区では元日の地震で、さらに9月の記録的な大雨で山から土砂が流れ多くの家屋が全半壊する二重被災に見舞われた。倒壊した家屋がいまも野ざらしになっている場所も少なくない。
って被災者から辛辣な言葉を投げられたこともある。むしろ、そうした声を真摯に受け止め、国に伝えるパイプ役がこそが自らの役割と言い聞かせ、公費解体の加速化や液状化対策などの課題を関係省庁に訴え調整してきた。
している。両調査とも立憲民主に勢いがあると分析している(17日付・新聞メディア各社)。
輪島市は前回選で159ヵ所に候補者ポスターの掲示板を設置したが、土地の所有者と連絡が取れないケースが相次ぎ、今回は60ヵ所に。投票所の被災も相次いだため、複数の投票所を統合したり、別の施設を探したりして18ヵ所を確保したようだ(15日付・読売新聞Web版)。遠隔地に避難した有権者も多くいるので、選挙人名簿の作成にも追われているのではないだろうか。(※写真・上は、石川1区の選挙ポスター掲示板=金沢市総合体育館前)
べると、西王母は『西遊記』にも登場する、不老不死の桃の木を持つ仙女の名前から名付けられているようだ。なんとも格調の高い花だ。
た=写真・下、今月1日撮影=。平氏と源氏が一戦を交えた壇ノ浦の戦い(1185年)で平家が敗れ、平時忠が能登に流刑となった。その時忠の子孫がこの地を開墾したと伝えられている。2軒の時国家(国の重要文化財)のうち上時国家は元日の地震で倒壊した。
農地が冠水し、このうち400㌶で土砂や流木が堆積するといった被害が出ていると説明した。400㌶のうち「大規模被害」とされる100㌶は、河川などの流れによる浸食などで農地が原形をとどめない状態で、復旧には4年から5年以上かかる見通し。また、「中規模被害」の150㌶は、大量の土砂が堆積し復旧には1年から3年程度かかる見込みという(9日付・NHKニュースWeb版)。
先日(今月8日)輪島の白米千枚田の大雨被害の様子を見に行った。棚田の中腹あたりが大きく崩れている様子だった=写真=。ほかにも、水路が壊れたりしている部分などもあった。千枚田は立ち入り禁止となっていたのでつぶさに見ることはできなかったが、かなりの被害が出ているのではないかと推測した。
元で伝えられる大きな土砂崩れがあった。1684年のこと。いわゆる深層崩壊だ。その崩れた跡を200年かけて棚田を再生という歴史がある。大ぬけの歴史が繰り返さなければよいのだが。
とを決めた=写真・上=。このほか「核」に関連する平和賞は、「核兵器なき世界」を掲げたアメリカのオバマ元大統領が2009年に、非政府組織「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)が2017年に受賞している。ノーベル賞委員会はまさに平和賞の授与を通じて、核廃絶・核軍縮の運動を後押し、国際世論を喚起してきたのだろう。
の活動は、私たちが言葉で言い表せないことを表し、考えられないこと考え、核兵器によってもたらされる理解し難い痛みと苦しみを理解する助けとなっている」「アルフレッド・ノーベルの意図することの核心は、献身的な人々が変化をもたらすことができるという信念だ。ことしの平和賞を被団協に授与することで、肉体的な苦しみや辛い記憶を平和への希望や取り組みに生かす選択をしたすべての被爆者に敬意を表したい」
話は変わる。能登半島を縦断する自動車専用道路「のと里山海道」を走行すると、震災直後と変わらぬ風景がいくつか見えてくる。その一つが山並の山頂にある停止した状態の風力発電の風車だ=写真・上、9月10日撮影=。金沢から走行すると横田ICの手前に見える風景はまるで、「山頂の一本足のカカシ」ではないかと。メンテナンスを施して順次稼働させればよいのではと考えるが、風車は山地にあり、たどり着くまでの山の道路に亀裂ができたり、土砂崩れなどで寸断されているのだろう。風力発電が立地する場所は珠洲市が30基、輪島市が11基、志賀町が22基、七尾市が10基で、いずれも震度6弱以上の揺れがあった地域だ。そのうち再稼働しているのは、志賀町にある日本海発電(本社・富山
市)の9基を含めて10数基ではないだろうか。記録的な豪雨でさらに山道が崩れメンテが難しくなっているところがあるのかもしれない。
が、強烈なのは「バカヤロー解散」だろう。1953年(昭和28)3月の衆院予算委員会で、当時の吉田総理が社会党の議員との質疑応答中に「バカヤロー」と発言したことがきっかけで解散にいたった。日本の政治史に残る名称となった。(※写真・上は、衆院解散を報道する各紙)
不記載があった議員と選挙区支部長の計12人は公認せず。不記載があったほかの34人については公認したものの、比例選の重複立候補は認めず。ただ、非公認の議員については、「選挙のみそぎ」を受けて当選すれば、追加公認をする(9日・党首討論)。