2024年 10月 の投稿一覧

★能登の二重被災と総選挙~防災服姿でたすき掛けはせず~

★能登の二重被災と総選挙~防災服姿でたすき掛けはせず~

  能登地方を含む石川3区で立候補している、立憲民主の前職の近藤和也氏の選挙活動を金沢市と隣接する内灘町で見てきた。その立ち姿はまったく選挙らしくない。防災服姿で、たすき掛けもしていないのだ=写真=。地元メディアで何度も報じられているが、近藤氏は七尾市での出陣式で「与党も野党も関係なく、助け合わなければならない時期。選挙なんてやっている場合か。それが能登の総意だと思う」と憤りの声を上げた。選挙実施への反発を込め、選挙期間中は防災服姿で、たすき掛けをしないことを宣言したのだ。その主張はいまも一貫している。

  元日の地震後、これまで選挙区内で整備された6000戸余りにもなる仮設住宅を足しげく回り、被災者の声を国会論戦などで反映させてきた。地震と豪雨の二重被災の奥能登(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)へは選挙期間中にそれぞれの自治体を2回ずつ回るという。「まだ能登は大変なんだと全国に訴えていきたい」と述べていた。

  選挙戦はあすから後半戦に入る。メディア各社は世論調査による選挙情勢を伝えている。石川3区の情勢はある意味で全国が注目する選挙でもある。自民前職の西田昭二氏、そして近藤氏、共産新人の南章治氏の3氏が立候補しているが、注目されているのが西田氏と近藤氏の競り合いだ。3選を目指す西田氏の前回(2021年10月31日投開票)の得票数は8万692票、4選を目指す近藤氏の前回は7万6747票だった。その差は3945票。近藤氏は2回連続で比例代表で復活当選していて、選挙区での議席獲得を目指す。

  選挙序盤の情勢を日経新聞(18日付)は「近藤先行、西田が猛追」との見出しで「近藤が立民支持層の9割、無党派層の5割をおさえて先行する。西田は自民支持層の7割をまとめ激しく追う」と記している。共同通信の情勢調査では、「近藤氏やや先行、西田氏追う」の見出しで、「西田、近藤両氏の3度目の対決となる3区では、近藤氏が立民支持層の9割以上を固め、共産支持層の3割近くにも浸透している。無党派層は6割が近藤氏を支持している。西田氏は公明の7割超、自民の6割近くを押さえた」とある(17日付・北國新聞)。

  「選挙なんてやっている場合か、これは能登の総意だ」と解散を批判してきた近藤氏に風は吹くのか。復興に向け国とのパイプ役を訴える西田氏が後半戦を突破するのか。

⇒20日(日)夜・金沢の天気    はれ

☆能登の二重被災と総選挙~ウグイス嬢のマイク叫びは控えめ~

☆能登の二重被災と総選挙~ウグイス嬢のマイク叫びは控えめ~

  衆院総選挙の期間中に見るいつもながらの光景は「ウグイス嬢」「桃太郎」「ドブ板」の3つではないだろうか。ウグイス嬢は選挙カーに乗って、「〇〇をよろしくお願いします」とマイクで叫びながら街を流すが、終盤ともなると「最後最後のお願いです。どうぞどうぞよろしくお願いします」と泣きが入った声になる。「桃太郎」はたすきをかけた候補者が、のぼりを持った運動員たちとともに街のメイン通りや商店街を練り歩き、支持を訴える。このシーンは、桃太郎がキジやサル、イヌたちとのぼりを立てて鬼退治に向かう昔話からそう名付けられている。「ドブ板」は候補者が裏路地まで入って地域の有権者にあいさつする光景だ。

  では、石川3区ではどのような選挙の光景が繰り広げられているのか。きのう(18日)午後、自民前職の西田昭二氏は輪島市町野町の仮設住宅で遊説を行っていた=写真=。町野地区では元日の地震で、さらに9月の記録的な大雨で山から土砂が流れ多くの家屋が全半壊する二重被災に見舞われた。倒壊した家屋がいまも野ざらしになっている場所も少なくない。

  ここでマイクを握った防災服姿の西田氏は自らも被災して家族は仮設住宅で暮らしていると話し、「あまりにも被害が大きく、復旧復興には時間がかかる。どれだけ環境が変化しても、能登に住む方にとってここは大切な場所。安心してふるさとで暮らせるよう、住宅の再建や生業(なりわい)の再生に、『出来ることは全てやる』『やらなければならないことは必ずやる』との強い思いをもって全力で取り組む」と述べていた。

  冒頭で述べた「桃太郎」「ドブ板」の光景は仮設住宅ということもあり遠慮したのだろうか、支援者と握手を交わす以外は見ることはなかった。西田氏はその後、別の仮設住宅へと向かった。選挙カーの「ウグイス嬢」はマイクのボリュームを低めに「よろしくお願いします」と叫んではいたものの、「被災されお亡くなりになられましたご遺族の皆様へ心よりお悔やみを申し上げます」とのフレーズも何度か入れていた。被災地に気配りをした選挙活動だった。

  石川3区の3候補はどのような能登の将来ビジョンを訴えているのだろうか。地元の新聞メディアが3氏に、「能登の復旧・復興、将来のグランドデザインをどう描くか」とのアンケートを行っている。これに対し、西田氏は「移住定住の促進とコミュニティーの再生、交通インフラの改善、関係人口の増加など施策を組み合わせ一歩一歩進めることが必要」、立憲民主の前職の近藤和也氏は「能登の農林水産業の活性化を図る。浮体式の洋上風力発電は成長産業の軸にもなり、能登のその候補地となりうる」、共産の新人の南章治氏は「被災地の医療・介護事業、施設の経営を国と自治体が支え、高齢者の人権と尊厳が守られる年金、介護、医療制度の改革を進める」と述べている(19日付・北陸中日新聞)。

  3氏のビジョンはどれも能登の復興には欠かせない。一つにまとめて復興計画に組み込めないものだろうか。

⇒19日(土)夕・金沢の天気    あめ 

★能登の二重被災と総選挙~3候補者それぞれの被災体験~

★能登の二重被災と総選挙~3候補者それぞれの被災体験~

  元日の地震と9月の記録的な大雨に見舞われた選挙区である石川3区で立候補している3人はそれぞれが被災者でもある。これまで地元メディアで3氏が語った被災体験をピックアップしてみる。

  自民の前職の西田昭二氏は元日に地元七尾市内などでの街頭演説を終え、買い物をしていたときに揺れが襲った。市内の自宅は屋根瓦が落ちるなどの中規模半壊となった。しばらく家族とともに親族宅に身を寄せ、今は仮設住宅に入った。被災地をめぐり惨状を目にした。生活再建の支援策をめぐって被災者から辛辣な言葉を投げられたこともある。むしろ、そうした声を真摯に受け止め、国に伝えるパイプ役がこそが自らの役割と言い聞かせ、公費解体の加速化や液状化対策などの課題を関係省庁に訴え調整してきた。

  立憲民主の前職の近藤和也氏は、被災地の能登でなぜ今、選挙をしなければならないのか疑問を持って、選挙に臨んでいる。能登半島の先端にある須須神社で元日の初詣をして、七尾市への帰り道で妻子とともに被災した。場所は穴水町のガソリンスタンド。その日の夜になんとか七尾にたどり着き、町内の避難所に行く。仕切り役が不在で自らトイレや寝床の確報に奔走した。東日本大震災などの被災地で経験したことが役立った。これまで能登の仮設住宅をすべて回り、困りごとなど聞いてきた。給付金など実現できたこともあるが、やらねばならない課題が山積している。

  共産の新人の南章治氏は、金沢市と隣接する内灘町の自宅で被災した。内灘は液状化現象が激しく住宅や道路などで多数の被害が出た。震災の翌日には車を走らせ、羽咋市の党事務所で仲間の安否確認から始めた。この間、支援物資の提供や被災者の要望を聞いて回った。発生から1ヵ月もたたないとき、目を疑ったことがある。奥能登のある1次避難所を訪れたとき、冷たい弁当すらない現状だった。東日本大震災の対応より後退していると思った。被災地の人々は一緒に精神的打撃を受けたのに、建物の被害判定で支援の幅が異なることを歎く被災者の姿も見てきた。

  選挙という枠では票数が基準となるが、3氏のそれぞれの被災経験、そして被災地や避難所での活動には政治の枠を超えた「人道」を感じる。こうした体験や感性を今後、政治に活かしてほしいものだ。

⇒18日(金)午後・金沢の天気      くもり 

☆能登の二重被災と総選挙~仮設住宅の入り口にポスター掲示板~

☆能登の二重被災と総選挙~仮設住宅の入り口にポスター掲示板~

  読売新聞と日経新聞が協力して実施した総選挙序盤における世論調査(1選挙区500人以上、計16万5820人の有効回答、15ー16日実施)によると、自民は全289選挙区のうち議席獲得が「有力」だったのは3割ほどにとどまった。全国11ブロックで争う定数176の比例代表も前回2021年に獲得した72議席を下回る見通しとなった。このため、自民は定数465の衆院の過半数にあたる233議席に届かない可能性がある。自民の単独過半数割れとなれば民主党に政権交代した2009年衆院選以来となる。派閥を巡る政治資金問題など政治不信の強さが浮き彫りになった(16日付・日経新聞Web版)。

  また、共同通信の調査(15万6993人の有効回答、15ー16日実施)によると、小選挙区のうち自民がリードしているのは140程度にとどまり、比例代表も前回を下回るのは避けられない情勢。単独過半数は「予断を許さない」としている。両調査とも立憲民主に勢いがあると分析している(17日付・新聞メディア各社)。

  きのう(16日)石川3区(能登地区などの12市町)の輪島市に行ってきた。漁港では海底が隆起して港から漁船が出れなくなっていて、いまも海底の土砂をさらう浚渫(しゅんせつ)作業が行われている。漁協の荷捌き場も改修工事中だった。近くの漁師町も公費解体が進んでいないように見受けられた。漁港近くの通ると、元日の地震と9月の記録的な大雨に見舞われた奥能登での選挙を象徴するような光景が見えた。仮設住宅街の入り口に選挙の候補者ポスターの掲示板があった=写真=。

  ポスター掲示板を眺めている地元の人が数人いた。その横を通ると、「なんで選挙なんかするんや、ダラくさい」の声が聞こえた。「ダラくさい」は能登の方言でばかばかしいという意味だ。誰のために、何のために選挙をするのかと問うているようにも聞こえた。このひと言が能登の被災地の人たちの率直な気持ちを言い表しているのかもしれない。

  そして、輪島市内では選挙の雰囲気が感じられない。ポスター掲示板そのものがほとんど見当たらないのだ。同市は前回選で159ヵ所にポスターの掲示板を設置したが、土地の所有者と連絡が取れないケースが相次ぎ、今回は60ヵ所にしたようだ(15日付・読売新聞Web版)。市内には2時間半ほど滞在したが、石川3区で3人が立候補しているにもかかわらず、選挙カーを一度も見かけなかった。被災地での選挙遊説を遠慮しているのか。

⇒17日(木)午前・金沢の天気     はれ

★金沢も能登の二重被災地も選挙戦に突入 季節の花も咲き競う

★金沢も能登の二重被災地も選挙戦に突入 季節の花も咲き競う

☆豪雨被害の農地復元に4、5年 世界農業遺産の能登が問われるレジリエンス

☆豪雨被害の農地復元に4、5年 世界農業遺産の能登が問われるレジリエンス

  前回ブログでは千枚田での記録的な大雨の被害にスポットを当てたが、能登地方の水田ではさらに深刻な被害が起きている。がけ崩れや河川の氾濫が顕著だった輪島市町野町の農村部に行くと、町野川の周囲の田んぼには河川水が流れ込み流木など積み重なっていた=写真・上、今月3日撮影=。同じ町野町の時国集落に行くと、集落の裏山から流れてきた土石流がふもとの農地を覆っていた=写真・下、今月1日撮影=。平氏と源氏が一戦を交えた壇ノ浦の戦い(1185年)で平家が敗れ、平時忠が能登に流刑となった。その時忠の子孫がこの地を開墾したと伝えられている。2軒の時国家(国の重要文化財)のうち上時国家は元日の地震で倒壊した。

  能登の農村集落でよく見る風景は、農家には裏山があるということだ。田畑だけでなく山林も所有してきたのだろう。今回巡った町野町の集落では、いくつかの農家でその裏山が崩れていた。中には、住居や農機具などを保管する納屋が土砂で半壊状態になっているところもあった。地震で山の地盤が緩み、豪雨で土砂崩れが起きたのだろう。裏山が崩れ、田畑は冠水。能登の農家の底知れぬ苦難を見る思いだった。

  メディア各社の報道によると、石川県の馳知事は今月9日の記者会見で9月の記録的な大雨で、輪島市や珠洲市など奥能登地区で水田を中心に950㌶の農地が冠水し、このうち400㌶で土砂や流木が堆積するといった被害が出ていると説明した。400㌶のうち「大規模被害」とされる100㌶は、河川などの流れによる浸食などで農地が原形をとどめない状態で、復旧には4年から5年以上かかる見通し。また、「中規模被害」の150㌶は、大量の土砂が堆積し復旧には1年から3年程度かかる見込みという(9日付・NHKニュースWeb版)。

  馳知事は「生産者にやる気を出してもらうためにも可能なところから早めに修復することが必要だ。作付けまでの半年で整備が進められるところを軸に復旧をお願いしたい」と述べた(同)。前回ブログでも述べたが、能登半島の里山や里海は2011年6月に国連世界食糧農業機関(FAO)の「世界農業遺産(GIAHS)」に認定された。この後、GIAHS国際会議(2013年5月)が能登の七尾市で開催されるなど、能登の里山里海が世界から注目されるようになった。大規模被害などを被った農地をどう速やかに復元していくのか、能登のレジエンス(復興)を世界は注目している。馳知事には「復旧をお願いしたい」ではなく、陣頭指揮で自ら掲げる「能登の創造的復興」に取り組んでほしい。

⇒14日(月)午後・金沢の天気    はれ

★豪雨で崩れた輪島の千枚田 国際的にも注視「持続可能な棚田をどう復元する」

★豪雨で崩れた輪島の千枚田 国際的にも注視「持続可能な棚田をどう復元する」

  9月21日に線状降水帯も発生して48時間で498㍉という記録的な大雨に見舞われた奥能登。被害が出たのは家屋や道路、橋梁、森林などのほかに農地がある。今月3日付のブログでも述べたが、がけ崩れや河川の氾濫が顕著だった輪島市町野町の農村部では、町野川の周囲の田んぼでは流れ込んだ河川水で横倒しになった刈り入れ前の稲が一面に広がっていた。泥水をかぶり倒れた米はおそらく3等米以下、規格外だろう。元日の能登半島地震で田んぼに亀裂が入ったり水路が壊れたりで、奥能登では作付け面積は例年の6割ほどと言われていただけに、農家にとっては二重の災害だ。

  先日(今月8日)輪島の白米千枚田の大雨被害の様子を見に行った。棚田の中腹あたりが大きく崩れている様子だった=写真=。ほかにも、水路が壊れたりしている部分などもあった。千枚田は立ち入り禁止となっていたのでつぶさに見ることはできなかったが、かなりの被害が出ているのではないかと推測した。

  この光景を見て正直な話、胸騒ぎがした。元日の地震で地盤が緩み、豪雨で一部土砂崩れが起きたのだろう。千枚田がある能登半島の外浦は海岸と山が接したいわゆるリアス式海岸で、山崩れやがけ崩れがよく起きる。輪島市の「土砂災害ハザードマップ」=図=をチェックすると、千枚田の真ん中を通る国道249号(赤線)から上手の山の斜面は土砂災害特別警戒区域(赤塗)となっている。千枚田がある白米町では、「大ぬけ」と今でも地元で伝えられる大きな土砂崩れがあった。1684年のこと。いわゆる深層崩壊だ。その崩れた跡を200年かけて棚田を再生という歴史がある。大ぬけの歴史が繰り返さなければよいのだが。

  石破内閣の小里農水大臣が10日、輪島市を訪れ千枚田を視察した。案内したのは棚田の維持活動に取り組む白米千枚田愛耕会のメンバーだった。小里大臣は視察のあと記者に質問に答え、「1月の地震から復旧・復興に取り組んでいた矢先の豪雨災害で心を痛める思いだ。地震の被害に対して支援してきたが今回の新たな被害についても同じような形で支援したい」と述べ、能登半島地震での支援の枠組みを活用して壊れた水路や設備の修繕の費用などを能登の農業を支援していく方針を示した(10日付・NHKニュースWeb版)。

  千枚田は2001年に文化庁の「国指定文化財名勝」に指定され、2011年に国連世界食糧農業機関(FAO)から認定された世界農業遺産「能登の里山里海」のシンボル的な棚田だ。震災と豪雨後に「持続可能な棚田」をどう復元していくのか、国際的にも注視されているのではないだろうか。

⇒13日(日)夜・金沢の天気   はれ

☆ノーベル平和賞が授与される日本被団協 「被爆者の証言活動は唯一無二」と評価

☆ノーベル平和賞が授与される日本被団協 「被爆者の証言活動は唯一無二」と評価

  「ノーベル平和賞」という言葉で思い出すのが、もう50年前の1974年に受賞した佐藤栄作元総理だ。佐藤氏の受賞は、非核三原則の宣言や核拡散防止条約(NPT)に署名したことが当時高く評価された。そしてきのう(11日)、ノルウェーのノーベル賞委員会はノーベル平和賞を広島と長崎の被爆者の全国組織「日本原水爆被害者団体協議会」(日本被団協)に授与することを決めた=写真・上=。このほか「核」に関連する平和賞は、「核兵器なき世界」を掲げたアメリカのオバマ元大統領が2009年に、非政府組織「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)が2017年に受賞している。ノーベル賞委員会はまさに平和賞の授与を通じて、核廃絶・核軍縮の運動を後押し、国際世論を喚起してきたのだろう。

  平和賞の授賞を発表したノーベル賞委員会のヨルゲン・ワトネ・フリドネス委員長は授賞の理由を次のように述べている(「ノルウェー・ノーベル委員会」公式サイトの動画より)=写真・下=。以下抜粋。

  「広島、長崎での被害を生き抜いた被爆者の証言活動は唯一無二のものである」「歴史の証人として個人の体験を語り、自らの経験に基づく教育キャンペーンを張り、核兵器の拡散と使用に対する警告を発することで、核兵器に対する反対運動を世界中に広げ、定着させることに貢献してきた。被爆者の活動は、私たちが言葉で言い表せないことを表し、考えられないこと考え、核兵器によってもたらされる理解し難い痛みと苦しみを理解する助けとなっている」「アルフレッド・ノーベルの意図することの核心は、献身的な人々が変化をもたらすことができるという信念だ。ことしの平和賞を被団協に授与することで、肉体的な苦しみや辛い記憶を平和への希望や取り組みに生かす選択をしたすべての被爆者に敬意を表したい」

  うがった見方をすれば、今回の被団協への平和賞授与は、現在世界は核の脅威にさらされているとの警鐘なのかもしれない。2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻以降、ロシアは核兵器の使用をほのめかすなど脅しを繰り返している。ノルウェーやスウェーデン、フィンランドの北欧はロシアと隣接している。ノルウェーはNATOにすでに加盟していたものの、 中立国を掲げていたスウェーデン、フィンランドはロシアのクライナ侵攻を機に相次いでNATO入りした。それほど北欧では切迫感があるのだろう。

  もう一つ、ノーベル賞委員会の日本政府に対するメッセージかもしれない。核兵器を法的に禁止する「核兵器禁止条約」は2021年1月に発効したものの、日本は批准も署名もしていない。むしろ、条約に一貫して反対してきた。なぜ反対してきたのか。日本政府は「条約に核兵器を保有する国々が参加しておらず、日本が加わっても、核廃絶にはつながらない」を繰り返してきた。アメリカの「核の傘」に入っている気兼ねがあるのか。被爆国であり、核兵器の非人道性を訴える非保有国のリーダーとなるべきは日本ではないのか、と。

  きょう12日に開催された日本記者クラブ主催の党首討論会で、立憲民主党の野田代表が石破総理に対し核兵器禁止条約について「せめてオブザーバー参加をしてはどうか」と質した。すると、石破氏は「核のない世界を究極的にはつくりたい」と述べたものの、「現実として核抑止力は機能している」と言及。オブザーバー参加ついての返答は避け、核の力で相手の攻撃を思いとどまらせる核抑止力を強調していた。石破氏は佐藤元総理、そして被団協のノーベル平和賞を受賞をどう受け止めているのだろうか。

⇒12日(土)夜・金沢の天気    はれ

★能登震災から280日余り 変わる風景・変わらぬ風景~風車停止、転落車そのまま~

★能登震災から280日余り 変わる風景・変わらぬ風景~風車停止、転落車そのまま~

      元日の地震の被災地をさらに記録的な豪雨が襲い、多くの住宅が損壊した。これまで自治体は災害ごとに罹災証明書を発行していた。この場合、判定結果によって公費解体や生活再建支援金給付の対象にならないケースもある。そこで、石川県では内閣府と協議し、地震と豪雨の二重被災を一体的に扱うことで、被害認定を迅速にそして被災者への支援を拡充できるようにした(11日付・地元メディア各社の報道)。たとえば、地震で公費解体から除外されていた「準半壊」の家屋が豪雨で浸水によって「一部損壊」となった場合、被害を加算して「半壊」扱いとする。これによって公費解体が行われるようになり、生活再建の支援も手厚くなる。県と内閣府と協議がスムーズに行われたことは、石破総理による能登視察(今月5日)の成果の一つかもしれない。

  話は変わる。能登半島を縦断する自動車専用道路「のと里山海道」を走行すると、震災直後と変わらぬ風景がいくつか見えてくる。その一つが山並の山頂にある停止した状態の風力発電の風車だ=写真・上、9月10日撮影=。金沢から走行すると横田ICの手前に見える風景はまるで、「山頂の一本足のカカシ」ではないかと。メンテナンスを施して順次稼働させればよいのではと考えるが、風車は山地にあり、たどり着くまでの山の道路に亀裂ができたり、土砂崩れなどで寸断されているのだろう。風力発電が立地する場所は珠洲市が30基、輪島市が11基、志賀町が22基、七尾市が10基で、いずれも震度6弱以上の揺れがあった地域だ。そのうち再稼働しているのは、志賀町にある日本海発電(本社・富山市)の9基を含めて10数基ではないだろうか。記録的な豪雨でさらに山道が崩れメンテが難しくなっているところがあるのかもしれない。

  横田ICを過ぎてしばらくして見えてくるのが、アスファルト道路に大きなひび割れが入り陥没した風景だ。崩落した道路を走行した乗用車が転落した現場はいまもそのままの状態だ=写真・下、8月8日撮影=。道路から転落した車の風景だ。のと里山海道を走行していると見えるので、自身を含めて多くの人が「いつになったら車体を引き揚げるのか」「なぜ片付けないのか」などと思っているに違いない。むしろ、車の所有者と道路を修復している国交省の間でどのようなやり取りが交わされているのか。ある意味で不思議な風景ではある。(※写真・上と下の風景は今月9日に確認。そのままだった)

⇒11日(金)夜・金沢の天気    はれ

☆解散いろいろ「バカヤロー解散」や「郵政解散」 選挙手始めはポスター掲示板

☆解散いろいろ「バカヤロー解散」や「郵政解散」 選挙手始めはポスター掲示板

       きのう(9日)NHK中継の衆院本会議での模様を視聴した。額賀議長が解散詔書を読み上げ、恒例の万歳三唱が響き渡った。総選挙(今月15日公示・27日投開票)へと動き始めた。その後の記者会見で、石破総理は今回の解散を日本の社会のあり方を大きく変える「日本創成解散だ」と強調していた。今一つピンと来ないネーミングだ。解散をめぐる俗称はいろいろあるが、強烈なのは「バカヤロー解散」だろう。1953年(昭和28)3月の衆院予算委員会で、当時の吉田総理が社会党の議員との質疑応答中に「バカヤロー」と発言したことがきっかけで解散にいたった。日本の政治史に残る名称となった。(※写真・上は、衆院解散を報道する各紙)

  自身の印象に残る解散は「郵政解散」だ。2005年(平成17)8月8日、参院本会議で郵政民営化法案が否決されたのを受けて当時の小泉総理は臨時閣議を開いて衆院の解散を決定。小泉氏は郵政法案が参院で否決された場合は衆院を解散して総選挙に打って出ると予め明言していた。そして、衆院で反対票を投じた自民議員には公認を与えず、郵政民営化に賛成する候補を擁立した。郵政民営化を前面に出したことで改革イメージが有権者に浸透し、9月11日の投開票では自民は公示前の212議席を大きく伸ばして単独過半数(233)を上回る296議席を獲得。当時は「地滑り的勝利」と評価された。

  1986年(昭和61)7月6日の衆院選で初当選を果たし、2002年(平成14)9月30日の小泉内閣で防衛庁長官に任じられた石破氏は上記の「郵政解散」のいきさつなど小泉氏の手法を熟知していることだろう。身内であっても断罪する姿勢だ。今回、派閥の政治資金規正法違反事件をめぐり、収支報告書に不記載があった議員と選挙区支部長の計12人は公認せず。不記載があったほかの34人については公認したものの、比例選の重複立候補は認めず。ただ、非公認の議員については、「選挙のみそぎ」を受けて当選すれば、追加公認をする(9日・党首討論)。

  自宅近くの金沢市総合体育館を前を通ると、選挙のポスター掲示板が早々と設置されていた=写真・下=。能登半島地震や9月の記録的な豪雨にさらされた能登の市町では選挙実施は重荷だろう。災害対応に関わっている職員が多く、果たして職員の人手が足りないのではと憶測する。とは言え、選挙は選挙だ。震災と豪雨、そして選挙の難関をどう能登の自治体は乗り切るのか。

⇒10日(木)夜・金沢の天気     くもり