2024年 9月 の投稿一覧

★復興の第一歩は食から 「福幸丼」がメニューの珠洲市の共同食堂に行く

★復興の第一歩は食から 「福幸丼」がメニューの珠洲市の共同食堂に行く

  きょう「すずなり食堂」に行ってきた。能登半島の尖端、珠洲市で開設された仮設店舗の食堂だ=写真・上=。能登半島地震で被災し休業を余儀なくされた市内の飲食店が協業するカタチで共同で食堂を始めた。地震前は、「グリル瀬戸」「レストラン浜中」「庄屋の館」「典座(てんぞ)」と特徴と歴史がある4店だったが、それぞれ被災したため合同会社「すずキッチン」を設立して、きのう(6日)から「すずなり食堂」の運営を始めた。

  地元メディアの報道によると、仮設店舗は270平方㍍の平屋で、中小企業基盤整備機構の補助金を活用して珠洲市が建設。原則無償で入居でき、光熱費や内装費などは事業者が負担する。合同会社の代表は、典座を営んでいた坂本信子氏。これまで典座で何度も能登の料理をたしなんだことがあり、気安くすずなり食堂を開店した経緯について話を聞いた。「地域の復興の第一歩は食からと思い、共同で食堂を立ち上げました。自分たちの暮らしを取り戻し、珠洲の観光や生活が元に戻るようにしたいですね」と話した。

  平屋のプレハブの建物には、共同の食堂と弁当専用の工房があり、食堂に入った。食券の自動販売機があり、「福幸(ふっこう)丼」を注文した=写真・下=。「福幸」は「復興」を意味している。2750円。値段としては高いが、地元で獲れたエビやブリなど新鮮な魚介類をふんだんに乗せた海鮮丼だ。市内の食堂はほとんどが休業状態ということもあり、店はとても繁盛していた。合同店の厨房に立つ板前さんたちも生き生きとした感じで動き回っていた。

  メニュー表を見ると、「福幸丼」のほかに、「タコカツ丼」(1430円)、サバ塩焼き定食(1100円)、カツカレー(1380円)、かき揚げうどん(860円)などメニューは10種。それぞれの店が得意とするメニューが並ぶ。中でも、注文が多かったのはタコカツ丼だった。これは、上記の4店のうちの「庄屋の館」が得意とするメニューで、タコをカツにして独特のソースをかける特徴ある逸品だ。そんな話題性もあったせいか店は大繁盛で、自身は20人待ちの状態だった。

  店の雰囲気は明るかった。上記の坂本さんが「復興の第一歩は食から」と言ったように、店の中では笑い声も聞こえ、家族連れのほかに若い人たちや業者らしき人たち、おばさんたちのグループなどさまざまが顔ぶれがあった。復興への希望を感じる雰囲気があった。今度はタカコツを食べに来よう。

⇒7日(土)夜・金沢の天気   はれ

☆地震損壊の共同墓地や墓石を行政が支援 この際「一村一墓」の発想を

☆地震損壊の共同墓地や墓石を行政が支援 この際「一村一墓」の発想を

  旧盆には間に合わなかったが、秋の彼岸までにはなんとかならないかと思っている人たちは多いのではないか。元日の能登半島地震で倒壊した墓石のことだ。いまもブルーシートで包まれた墓石を各地でみかける。この光景を見かねたのか、被害が大きかった奥能登の穴水町では、倒壊した墓石の修復費用の半額を補助する制度を創設することにし、2024年度の補正予算案に8000万円を計上した(4日付・新聞メディア各社の報道)。

  補助金額は1世帯当たり最大で10万円で、宗教や宗派は問わない。ただ、修復に当たる石材業者の数が限られ、年度内に作業が終わらないことも考えられ、町では来年度も継続することを検討しているという。墓石の地震被害では、2018年の北海道地震で被災した自治体が見舞金を支給したケースはあったものの、墓石の復旧費用を自治体が住民に助成する制度は全国的にも珍しいようだ。

        一方、石川県は県予算で被災した集落が管理する共同墓地の復旧を支援するとし、9月補正予算に8800万円を計上した。補助はたとえば、共同墓地で共有の通路に倒れた墓石の移動や壊れたフェンス、共同墓地の敷地内の水道の普及費用など。ただ、集落の共同墓地のみが対象で、宗教法人や市町などの公共団体などが運営する墓地、個人管理の墓石などは対象にならない。  

  8月13日付のこのブログでも述べたが、能登には「一村一墓」という言葉がある。半島の尖端・珠洲市三崎町の大屋地区での言い伝えだ。江戸時代の「天保の飢饉」で人口が急減した。能登も例外ではなく、食い扶持(ぶち)を探して、大勢の若者が離村し人口が著しく減少した。大屋村のまとめ役が「この集落はもはやこれまで」と一村一墓、つまり集落の墓をすべて集め一つにした。そして、ムラの最後の一人が墓参りをすることで「村じまい」とした。その後、村は残った。江戸時代に造られた共同墓は今もあり、共同納骨堂とともに一村一墓は地域の絆(きずな)として今も続いている。(※写真は、珠洲市三崎町大屋地区の共同納骨堂。20年ほど前に建て替えられ、地域を出た人でも死後この納骨堂に入ることが多いという)

  いまは珍しくないが、共同墓の原点のような話ではある。この際、「令和の一村一墓」という構成を描いてはどうだろうか。「墓じまい」という言葉を最近よく聞くようになった。子孫が東京や大阪などで暮らし、墓だけが能登にある。菩提寺に依頼して「墓じまい」を行う。その墓じまいを知らずに親戚や縁者の人たちが新盆や旧盆、彼岸の墓参りにきて戸惑うことがある。この際、能登の集落で共同墓と共同納骨堂を広めてはどうか。そうした一村一墓に行政は補助金を出せないものだろうか。地域コミュニティの維持に必要と思うのだが。

⇒5日(木)午後・金沢の天気    はれ 

★輪島・千枚田で稲刈り 被災から耕作にこぎつけた120枚の物語

★輪島・千枚田で稲刈り 被災から耕作にこぎつけた120枚の物語

  台風が去り、能登半島ではようやく稲刈りのシーズンが到来した。先月24日に輪島市の白米千枚田を訪れると、ボランティアで耕作を行っている「千枚田愛耕会」のメンバーがいて、31日から稲刈りを行う打ち合わせをしていた。元日の能登半島地震で千枚田に多数のひび割れが入ったことから田んぼの修復作業を重ね、5月に120枚の田植えにこぎつけた。展望台のから千枚田を見渡すと、120枚の田は黄色く色づき、海風が通るとかすかながらサラサラと音を立て稲穂がそよいでいた=写真、8月24日撮影=。

  その千枚田で稲刈りが始まったのはきのう(3日)だった。台風10号の影響で31日の稲刈りを延期、今月1日に台風から熱帯低気圧になったものの、能登地方では2日にかけて雨が降っため、稲刈りが遅れていた。地元メディアによると、作業を行ったのは棚田のオーナー制度で田んぼを借りて耕している会員や愛耕会のメンバーら20人。稲刈り機は田んぼに入らないので、鎌で一株ずつ刈り取り、ワラで結んではざ掛けした。稲は「能登ひかり」という早生品種。

  「能登ひかり」にはちょっとしたストーリーがある。一昔前まで能登の気候に合う品種ということで生産されていたが、モチモチ感のあるコシヒカリに押されて生産する農家は少なくなっていた。それを見直したのが、京都や大阪といった関西の寿司屋だった。「ベタベタとした粘りがない分、握りやすく、食べたときにも口中でパラッとバラけるので、寿司によいのだという」(講談社新書『日本一おいしい米の秘密』)。さらに、このバラける食感がスープ料理にも合うということで、金沢市内のレストランなでども使われるようになった。

  4㌶の斜面に小さな棚田が連なる白米千枚田は2001年に文化庁の「国指定文化財名勝」に指定され、2011年に国連世界食糧農業機関(FAO)から認定された世界農業遺産「能登の里山里海」のシンボル的な存在だ。こうした評価の重荷を背負いながら愛耕会メンバーが中心となって、「1000分の120枚」の耕作にこぎつけた。メンバーの大半も被災し、いまも金沢市に2次避難している人もいると聞く。そして来年も耕作枚数を増やそうと、いまも田んぼの修復作業を重ねている。苦労がしのばれる。稲刈りは8日まで続く。

⇒4日(水)夜・金沢の天気     はれ

☆能登地震の復興さなか UFO伝説の街・羽咋市で激突、市長選へ

☆能登地震の復興さなか UFO伝説の街・羽咋市で激突、市長選へ

  能登半島の人口が急減している。石川県総務部統計情報室はきのう(2日)、8月1日時点での県内の人口推計を発表。それによると、元日の能登半島地震で被害が大きかった半島北部の6市町(七尾市、輪島市、珠洲市、志賀町、穴水町、能登町)の人口は1月1日時点から5266人減少し、11万4384人となった。減少数は前年同期比で2.5倍にも上る。出生者数が死者数を下回る「自然減」とともに、転出者が転入者を上回る「社会減」が加速している。(※数字は、3日付の地元新聞メディアの記事を引用)

  社会減が加速している背景には、「みなし仮設住宅」(賃貸型応急住宅)という制度があるからかもしれない。自治体が仮設住宅の代わりに、民間のアパートや一戸建て住宅を借り上げて、全半壊などで住宅に住めなくなった被災者に提供する。家賃は国と県が負担する。入居期間は2年以内。元日の震災で、県内では4300戸のみなし仮設住宅を用意された。金沢市は能登地方にアクセスしやすいということもあり、みなし仮設住宅の希望が多いとされる。金沢のみなし仮設住宅に入居し、職探しや子どもたちの転校手続きをする際に住民票を移すことになる。一時的な現象かもしれないが、能登からの転出者が増え、人口流出につながっている。一時的と言うのも、みなし仮設の人たちが能登で住宅を再建して2年以内に故郷に戻れば転入増になるのだが。

  話は変わる。能登で首長選が始まる。地元メディアによると、羽咋市長選に現職が再選を目指し立候補することを表明。同市長選にはすでに女性市議が出馬を表明しており、選挙戦は確実となった。選挙の争点は何だろうか。能登半島地震で同市では589棟が全半壊、一部損壊は3137棟の被害が出た。460棟で公費解体の申請があり、完了したのは69棟(8月19日時点)だ。現職は「未来につながる復興は私に課せられた責務」と訴え、女性市議は災害公営住宅の建設場所の選択制や住民提案型のまちづくりなど被災者に寄り添った市政運営を訴えている。まさに復興のさなか、今月29日告示、10月6日投開票となる。(※写真は、羽咋市役所の外観=8月17日撮影)

  知る人ぞ知る話だが、羽咋はUFO伝説で知られる。同市に伝わる昔話の中に「そうちぼん伝説」がある。そうちぼんとは仏具の一つで、楽器のシンバルのような形をしている。伝説はそうちぼんが同市の北部にある眉丈山(びじょうざん)の中腹を夜に怪火を発して飛んでいたという話だ。この眉丈山の辺りには、「ナベが空から降ってきて人をさらう」神隠し伝説もある。さらに、同市の正覚院という寺の『気多古縁起』という巻物にも、神力自在に飛ぶ物体が描かれているそうだ。UFOという歴史文化遺産を有する世界でも珍しい地域でもある。

⇒3日(火)夜・金沢の天気    はれ

★能登地震とジオパーク 連帯に向けた共同声明「大地の営みに学ぼう」

★能登地震とジオパーク 連帯に向けた共同声明「大地の営みに学ぼう」

  各地に「記録的雨量」をもたらした台風10号が北陸に向かってくる途中で熱帯低気圧になり、金沢ではきょう(2日)未明に強い雨が降っていた。日本気象協会では、「元台風10号」という言葉を用いて、いまも関東や近畿地方で大雨に警戒するよう呼び掛けている。が、民放各社はあれほど「台風10号」「台風10号」と繰り返し叫んでいたのに、低気圧になったとたんに静かになった。気象情報とすれば「格落ち」なのだろうか。

  話は変わる。自然公園「ジオパーク」の保全に取り組む関係自治体が開催していた日本ジオパーク全国大会(青森県むつ市)の最終日のきのう、能登半島地震の記憶継承を支援するとの共同声明を発表した。声明を出したのは糸魚川(新潟)、佐渡(新潟)、苗場山麓(新潟・長野)、立山黒部(富山)、白山手取川(石川)、恐竜渓谷ふくい勝山(福井)の6地域のジオパーク協議会。

  この共同声明を読むと、まさに地殻変動を重ねて出来たジオパークについて地形や地質の保存・活用に関する知見を有する自治体の「使命」というものを感じる。「地震で得た多くの教訓を風化させず、防災意識の向上に生かす」と強調。地震の発生要因や被害の実態を国内外へ発信することで連帯感をにじませている。また、能登地震で4㍍隆起した海岸が続いており、石川県ではジオパークに登録申請するために調整を行っている。被災地の復興と合わせてジオパーク登録へと動き出すチャンスではないだろうか。(※写真は、海底が隆起した輪島市門前町の漁港=3月4日撮影)

          「令和6年能登半島地震の記憶継承に関する共同声明」

「令和6年1月1日に発生した能登半島地震は、能登地方において地震および津波により甚大な被害をもたらしました。また、その影響は北陸地方一帯の周辺地域にも広く及び、各地で被害も発生しました。被災委された地域の皆様にお見舞い申し上げますとともに、お亡くなりになった方々に、心よりご冥福をお祈りいたします。甚大な被害が発生した地域では、復興への道のりはまだ遠く、未来に向けた歩みが一歩ずつ前に進むことを願ってやみません。

さて、今日までジオパーク活動を進めてきた私たちにとって、今回の地震は地球の動きと人々の暮らしの関わりについて改めて強く意識した瞬間でもありました。ユネスコ世界ジオパークである、糸魚川地域、白山手取川地域、日本ジオパークである佐渡地域、苗場山麓地域、立山黒部地域、ふくい勝山地域は、能登半島地震で得た多くの教訓を風化させることなく、さらなる防災意識の向上や災害に関する知識の定着に生かすことを使命であると感じています。そして、国内外のジオパークネットワークを活かし、防災・減災活動の普及啓発につなげていきます。

また、ジオパーク地域のみならず能登地域に関しても、大地の営みと人々の暮らしの普遍的な関係性とその価値について、大地の営みに直面した被災地域の人々が学ぶことへの支援を行っていきます」

⇒2日(火)夜・金沢の天気    あめ 

☆能登地震から244日 救援物資、人命救助、そして入浴支援・・自衛隊の任務終える

☆能登地震から244日 救援物資、人命救助、そして入浴支援・・自衛隊の任務終える

  きょう9月1日は「防災の日」。元日の能登半島地震から244日が経過した。この日の重なりは自衛隊の災害支援の日の重なりでもあった。物資輸送の自衛隊のヘリコプターが航空自衛隊小松基地を飛び立ち、金沢の上空を経由して能登へ頻繁に飛んでいた。救難物資を積んだ海上自衛隊の艦艇「せんだい」や「はやぶさ」が輪島市や珠洲市に港に入った。崩落した土砂の撤去作業や、孤立した集落への物資輸送や住民の移送などを担ったのは陸上自衛隊だった。このほかにも、給水活動や人命救助、診療、患者搬送など多様な支援に当たった。その自衛隊の支援活動がきのう8月31日で終止符が打たれた。

  自身が現地に赴いて実際に目にしたのは、珠洲市で行われていた陸上自衛隊による被災地での入浴支援だった。珠洲市では住家3700棟余りが全半壊し、さらに災害を免れた家々でも一時2320戸で断水状態となり、今でも断水が一部で続いている。給水が可能になっても、ガス供給がストップして給湯器が使えなかったりしたケースもあった。そして、現在も177人が避難所生活を余儀なくされている(8月27日時点)。そんな中で被災地の人々にとって、心の安らぎの一つが入浴だったろうと思う。同市では3ヵ所で陸上自衛隊が入浴支援を続けていた。

  その一つの宝立小中学校に設置されている仮設風呂に行った。校舎の裏手に「男湯」テントと「女湯」テントがあった=写真、6月24日撮影=。入浴は午後3時から入浴の受付が始まっていた。近くの仮設住宅に住んでいるという男性は「無料でとても助かっている」と話していた。仮設住宅にも小さな浴槽はあるものの、足の膝を痛めていて足を伸ばすことができないので、ここを利用しているとのことだった。  

  防衛省は地元の要望に基づき、同市での入浴支援を続けてきた。8月末まにで延べ49万4千人が仮設風呂を利用した。市内では2ヵ所に民間の入浴施設があり、このほど営業を再開したことなどを受けて、自衛隊の入浴支援の終了が決まったようだ。

  それにしても自衛隊がなぜここまで能登に配慮したのだろうか。石川県には3つの自衛隊の基地がある。石川県の南から加賀地区に航空自衛隊小松基地、金沢地区には陸上自衛隊金沢駐屯地、そして能登地区には半島の先端に航空自衛隊輪島分屯基地がある。輪島市の高洲山(567㍍)の山頂にあるレーダーサイトには航空警戒管制レーダーが配備され、「G空域」と呼ばれる日本海上空に侵入してくる航空機や弾道ミサイルを速く遠方でも発見するため24時間常時監視を行っている。日本海に突き出た能登半島は「守りの要(かなめ)」の地でもある。おそらく自衛隊員ならばこの認識は共有されている。「能登を守る」。地域住民のために丁寧な支援を続けることで自らの任務も自覚したのではないだろうか。

⇒1日(日)午前・金沢の天気    はれ