2024年 8月 の投稿一覧

★屋内でも熱中症になる 「暑熱順化」を社会教育のテーマに

★屋内でも熱中症になる 「暑熱順化」を社会教育のテーマに

  能登には伝統的な特徴ある住家がある。黒瓦と白壁、そして「九六の意地」と呼ばれる間口9間(約16㍍)奥行き6間(約11㍍)の大きな家だ。「意地」というのも、家を建てるなら大きな家を建ててこそ甲斐性(かいしょう)がある、とされるからだ。10年ほど前だが、実際に九六の家を訪ねると、畳にして32畳の広い座敷があった。能登では結婚式や葬儀を自宅で行う。家の主に「エアコンを使わないのですか」と尋ねると、「夏は風が通るし、冬は石油ストーブがあればそれで十分」とのことだった。このとき、能登の大きな家ではエアコンは必要ないのだろうと思った。

  きょう(7日付)地元紙・北陸中日新聞が、「奥能登 相次ぐ熱中症搬送」の見出しで記事を掲載している。以下引用する。能登半島地震で大きな被害があった奥能登2市2町(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)で、7月に熱中症の疑いで24人が救急搬送された。24人のうち、住宅内で症状を訴えたのは9人。1人は仮設住宅にいた70代の男性でエアコンはあったが、使っていなかった。さらに、4人は住宅内のエアコンのない部屋にいた。ほか4人に関しては住宅内でどのような状況で熱中症に罹ったのかについて詳細は分かっていない。

  このほか、仕事場や学校など住宅以外での屋内にいたのは5人、農地や道路といった屋外は7人、車内は3人だった。熱中症で搬送された24人のうち、半数超えの13人が65歳以上だった。熱中症というと、炎天下の屋外で起きるというイメージを持っていたが、上記の記事を読んで分かることは、屋内でも、屋外でも発生するということだ。7月下旬になってからほぼ毎日の最高気温が30度を超えていて、この期間で13人が搬送された。

  屋内であっても熱中症になる。ではどうすれば熱中症を防げるのか。ネットで調べると、「暑熱順化」という言葉が出て来る。本格的に暑くなる前から、徐々に体を暑さに慣れさせるとの意味。さらに医学系ネットの解説では、暑さに対して適切な体温調整ができるように、発汗機能を高めること、とある。身体は発汗によって体温を調節するが、熱中症は暑さによって発汗機能が乱れて体温が上昇することで起こる。こうなる前に、適度な運動を習慣化することで発汗機能を高めることや、半身浴によって意図的に汗をかくようにすることなどが有効のようだ。

  厚生労働省公式サイトの「熱中症による死亡数の年次推移」によると、2018年以降は国内で毎年のように1千人以上が命を落としている。ことしはすでに40度を超える暑さが各地で観測されている。暑さが生命に被害を及ぼす時代だ。各家庭でのエアコン設置の義務化や、行政や教育機関による「暑熱順化」の教育が必要な新たな段階に入った。

⇒7日(水)夜・金沢の天気     はれ時々くもり

☆緑に浮かぶ能登キリコ祭り 埼玉・行田市が田んぼアートで復興応援

☆緑に浮かぶ能登キリコ祭り 埼玉・行田市が田んぼアートで復興応援

  能登のキリコ祭りが埼玉県行田市の「田んぼアート」で描かれ、2.8㌶にもおよぶダイナミックなデザインが話題になっている。このブログでこれまでキリコ祭りを取り上げているので、掲載を思い立ち行田市の田んぼアート担当者にメールを送り、画像の使用許可をお願いした。すると、担当者からOKの返信が来て、画像も添付されていた(※写真・上)。

  行田市の田んぼアートは行政とJAが企画し、2008年から毎年実施されている。タテ180㍍余り、ヨコ150㍍余りの田んぼには、色の異なる4種類の稲(緑は「彩のかがやき」、白は「ゆきあそび」、赤は「べにあそび」、黒は「ムラサキ905」)が植えられる。この世界最大級の田んぼアートは2015年にギネス世界記録に認定されている。

  6月上旬に行われた田植えには、市長の行田邦子氏はじめ、子どもたちほか916人が参加した。ことしのテーマは『がんばろう!能登 日本遺産 キリコ祭り』。田んぼアートを通じ、世界に向けて能登復興を発信したいとの思いから、日本遺産「灯り舞う半島 能登~熱狂のキリコ祭り~」のキリコ祭りを図柄に選んだ。苗が成長し、7月下旬から見頃を迎えている。花火の下でキリコが3基舞い、キリコを担ぐ人々の姿などが緑の中に浮かび上がる。デザインの中の「能登」「復興祈願」「がんばろう!」の文字は、石川県立能登高校の書道部員の作品を使用している。(※写真・下は、毎年9月に開催される珠洲市正院のキリコ祭り)

  現地には、田んぼアートを見渡すことができる「古代蓮会館」という施設の展望台があり、稲刈りが始まる10月中旬まで楽しめる。入館料は大人400円、小中学生200円。うち10円が震災復興の義援金として石川県に寄付されることになっている。

  壮大なスケールで、しかもデザインや文字にこだわりがある。田んぼアートに込めた復興への願いが強烈に伝わって来る。石川県民の一人として感謝したい。

⇒6日(火)夜・金沢の天気   くもり時々はれ

★奥能登芸術祭の破損作品を再生し 復興のシンボルに

★奥能登芸術祭の破損作品を再生し 復興のシンボルに

  株式相場が荒れまくっている。先週末の終値より一時4600円以上値下がりした。岸田内閣は、「貯蓄から投資へ」というスローガンを掲げ、ことしから「新NISA(少額投資非課税制度)」を始めるなど資産運用を奨励してきたので、この制度を活用して株式投資を始めた人も多かっただろう。また、円安でドル建て外債を購入した人も多かった。ところが、株式市場の暴落と急激な円高だ。もちろん、投資は自己責任なのだが、「政府や日銀が余計なことをするからだ」といまさら嘆いている人も多いのではないか。詰まるところ、個人消費が一段と冷え込み、景気全体が腰折れするのではないか。

  話は変わる。去年秋、能登半島の尖端の珠洲市で奥能登国際芸術祭が開催されたとき、「奇跡の作品」と称された作品があった。その年の5月5日に同市北部を震源とするマグニチュード6.5、震度6強の地震が発生し、市内だけでも住宅被害が690棟余りに及んだ。その強烈な揺れにもビクともしなかった作品が、金沢在住のアーティスト・山本基氏の作品『記憶への回廊』(2021年制作)だった。

  写真・上は、去年5月の震災後の8月23日に金沢市内の学生たちとスタディ・ツアーで、作品の展示会場を訪れたときのもの。スカイブルーの室内で、白い塩の作品。高さ2.8㍍の塩の階段だ。床と階段で7㌧の塩を使っている。作品の階段の中ほどと頂上付近で崩れたように見える部分があるが、これは2021年の制作のときとまったく変わっていない。

  作品は2021年9月16日の震度5弱、2022年6月19日の震度6弱、そして去年5月の震度6強とこれまで3度の大地震に耐えた。しかし、ことし元日の震度7の地震では、珠洲市の関係者から「残念ながら壊れた」との話を耳にしていた。

  どのように壊れたのか一度見てみたいと思い、先日(7月24日)、展示会場を訪ねたが、鍵がかかっていた。きのう、芸術祭の総合ディレクター・北川フラム氏が震災支援を目的に立ち上げた「奥能登珠洲ヤッサープロジェクト」公式サイトをたまたま見つけた。チェックすると、「5月の活動報告」(6月11日付)に壊れた『記憶への回廊』の現状の画像が掲載されていた=写真・下=。塩の塔が無残にも崩れ落ちた姿だ。この画像を見る限りでは、根こそぎ倒壊したように見える。

  公式サイトによると、作品を点検に訪れた山本基氏が「落下した天井板が当たったことにより塩の塔が崩れた」と述べた。また、「今後の修繕も出来る限り現状のものを利用していく考え」と語るなど、作品の復旧に意欲を燃やしているようだ。

  プロジェクト名の「ヤッサープロジェクト」の「ヤッサー」は、珠洲のキリコ祭りの掛け声で、若い衆が力を合わせてキリコや曳山を動かすときに「ヤッサーヤッサー」と声を出して気持ちを一つにする。北川氏は芸術への想い、地域復興への願いを一つに込めて、「ヤッサープロジェクト」と名付たのだろう。この作品『記憶への回廊』の再生が復興のシンボルの一つにならないだろうか。

⇒5日(月)午後・金沢の天気   はれ時々くもり

☆阿部詩選手と能登の「泣き女」の号泣 威勢よくキリコ巡行

☆阿部詩選手と能登の「泣き女」の号泣 威勢よくキリコ巡行

  パリオリンピックで柔道女子52キロ級の2回戦でまさかの敗退を喫し、大会2連覇ならず号泣した阿部詩選手の姿が印象的だった。試合会場に響き渡るようなあの泣き声、テレビで視ていて、ふと自身の故郷の奥能登のことを思い出した。小学生のころだから今から50年以上も前のことだ。親戚の葬儀に参列すると、棺(ひつぎ)にしがみつくようにして、ワァッーと号泣する女性がいた。子どもながらにびっくりしたのを覚えている。あのときのイメージと阿部選手の号泣が重なる。

  能登では真言宗の葬儀などで「泣き女(め)」と呼ばれる女性の号泣で死者を弔う儀式がかつてあった。泣き女の泣く姿に周囲の人たちも泣いて弔う。そんな儀式だったと記憶している。それぞれの地域には泣き女役の女性がいた。ただ、いまは見たことも聞いたこともない。すっかり昔の話になった。(※写真・上は、東京五輪女子52㌔級で阿部詩選手が金メダル。史上初の兄妹同日優勝を飾った=JOC公式サイト動画より)

  話は変わる。能登では夏から秋にかけて祭りのシーズンとなる。「盆や正月に帰らんでいい、祭りの日には帰って来いよ」。能登の集落を回っていてよく聞く言葉だ。能登の祭りは集落や、町内会での単位が多い。それだけ人々が祭りに関わる密度が濃い。子どもたちが笛を吹き、太鼓をたたき、鉦(かね)を鳴らす。大人やお年寄り、女性も神輿やキリコと呼ばれる大きな奉灯を担ぐ。集落を挙げて、町内会を挙げての祭りだ。(※写真・下は、燃え盛る松明をキリコが威勢よくめぐる能登町宇出津の「あばれ祭」=7月5日撮影)

  きのう夜(3日)能登で最大級のキリコが巡行する七尾市の「石崎奉燈祭」が行われた。キリコは高いもので15㍍になり、五階建てのビルの高さに匹敵する。重さ2㌧ほどのキリコを男衆100人が担ぎ上げ、「サッカサイ、サカサッサイ、イヤサカサー」と威勢のよい掛け声で町内を練り歩いた。元日の地震で倒壊した家屋があり、道路も一部で歪んだりしているため、祭りの開催には町内で賛否両論があったようだ(8月4日付・地元メディア各社)。そこで、前夜祭は中止とし、キリコの巡行も道路に傷みが少なかった300㍍に限定して行われた。

  もう一つ、能登でよく聞く言葉。「1年365日は祭りの日のためにある」。震災があっても祭りの伝統は絶やさない。能登の人たちの意地でもある。

⇒4日(日)夜・金沢の天気    はれ時々くもり

★住家再建へ公費解体の長い道のり 集落ごと集団移転の動きも

★住家再建へ公費解体の長い道のり 集落ごと集団移転の動きも

  能登半島地震で損壊した住宅などの公費解体は進んでいるのだろうか。先日(7月24日)、半島尖端に位置する珠洲市をめぐった。倒壊した家屋の解体作業が行われていて、ショベルカー2台が屋根や壁、柱などは解体していた。その中から木材や金属類、家電製品などを分別するのは手作業だ。それを終えて、ショベルカーでトラックの荷台に積み込んでいた=写真=。この後、市内に設けられた災害ごみの仮置場に運んでいく。この様子を見ていると、徐々にではあるものの復旧・復興へと向かっているようにも感じた。

  公費解体は4月から本格化に始まり、4ヵ月余り経った。珠洲市の場合は、公費解体の申請件数は5095棟、うち7月15日までに完了したのは465棟、解体完了率は9%となる(環境省公式サイト「公費解体の課題と取組状況について」より)。このほか、穴水町は11%となっている。ただ、輪島市は3%、七尾市は4%と進捗状況についてはバラつきがある。石川県は、申請の総件数2万3400棟におよぶ公費解体を2025年10月までに完了させる目標を立てているが、目標達成は可能なのだろうか。

  では、公費解体のハードルは何か。石川県は、解体作業の業界団体「石川県構造物解体協会」に依頼し、解体チーム664班を編成しているが、まだフル稼働には至っていない。また、原則として建物の所有者が解体作業に立ち会うことになっているが、遠くに避難している所有者の場合、日程調整に時間がかかる場合があるようだ。1つの現場で解体を終えるには1週間から10日ほどかかる(環境省公式サイト「公費解体の課題と取組状況について」などより)。公費解体を終えて、新たな住まいづくり計画している世帯も多いはずだ。長い道のりではある。

  一方で、公費解体などせずに集落ごと集団移転する動きがある。輪島市門前町の浦上地区では26集落に235世帯455人が居住していたが、震災でほとんどの住家が全半壊となり、市外に避難している人も多く、11集落が無人となっている。そこで、地区として60世帯にアンケートを実施したところ、8割が「災害公営住宅」への入居を希望した。同地区の区長らが今月1日、輪島市長を訪れ、浦上地区の中心部に災害公営住宅の建設を求めた(8月1日付・共同通信Web版)。地区では、一人暮らしの高齢者も多く、自力での住宅再建が困難であるとの背景があるようだ。

⇒3日(土)午後・金沢の天気   はれ

☆能登地震の災害ごみ 大量輸送する連結トレーラーの壮観さ

☆能登地震の災害ごみ 大量輸送する連結トレーラーの壮観さ

  まさに「ブラックマンデー」(1987年)のような動揺だ。きょう2日の東京株式市場は、日経平均株価の終値は前日より2200円余りも値下がりした。おそらく政府の面目丸つぶれではないか。貯蓄から投資へと、政府は投資で得られた利益が非課税となる少額投資非課税制度「NISA」の枠を今年から拡大して、株式や投資信託への投資を煽った。これをきっかけに株式投資に手を染めた人たちも大勢いるはずだ。投資は自己責任とは言え、新NISAがまだ8ヵ月目のホヤホヤな時期でこの大きな下落はタイミングが悪すぎる。

  話は変わる。能登の基幹道路である自動車専用道路「のと里山海道」や国道249号を走っていて、目につくのは「連結トレーラー」だ=写真=。大型トラックの荷台が二つ連なり、大容量の荷物を運ぶ。一般的なごみ収集車の積載能力は2㌧から4㌧とされるが、連結トレーラーは16㌧積める。これが、能登を行き来している。連なって走行しているとなかなか壮観な光景だ。

  きょう能登町宇出津の港に行くと、連結トレーラーが待機していた。港のヤードには公費解体で発生した木くずが山と積まれていた。この木くずがクレーン車で連結トレーラーに積み込まれていた。

  地震で発生した災害ごみを244万㌧と石川県は推計していて、このうち38万㌧の木くずを海上輸送で28万㌧、陸上輸送で10万㌧に分けて県外に運ぶ計画を進めている。木くずのほか、金属くずやコンクリート片など120万㌧については、県内で製鋼原料や家電部品、復興の建設資材に再利用する。また、可燃物13万㌧、不燃物73万㌧は県南部の処理場へ搬入する。県は2026年3月までの処理完了を目標としている。

⇒2日(金)夜・金沢の天気    はれ

 

★北陸ようやく梅雨明け 「草むら」化する金沢の風景

★北陸ようやく梅雨明け 「草むら」化する金沢の風景

  北陸はきょうようやく梅雨明け。気象庁の発表によると、平年より9日遅く、去年より11日遅かった。午後、金沢の自宅近くにある大乗寺丘陵公園に行った。標高差83㍍の丘陵地に広がり、頂上部からは市街地や日本海を見渡すことができる=写真・上=。それにしても暑い。公園の近くにある街路の気温計を見ると33度だ。厚生労働省公式サイトの「熱中症による死亡数の年次推移」を読むと、2018年以降は国内で毎年のように1千人以上が命を落としている。すでに40度を超える暑さが各地で観測されている。生命に被害を及ぼす暑さはことしもか。

  話は変わる。前回ブログで犀川大橋について述べた。その犀川大橋の下流域は荒れている。写真・中は、下流の新橋から撮影したものだ。犀川の川床にクズなどの雑草や草本、雑木が生い茂り、川水の流れが河川の3分の1ほどになっているところも見られる。素人目線から見ても、局地的豪雨が発生すれば、河川が氾濫する箇所となるのではないかと思ってしまう。犀川は二級河川で管理者は石川県。このまま河川を「草むら」化させておいてよいのだろうか。

  「草むら」化しているのでは河川だけではない。道路もだ。犀川の左岸の高台に位置する寺町五丁目の交差点。県道45号金沢鶴来線の風景。主要地方道、つまり幹線なのだが、草が生え放題の状態だ=写真・下=。河川にしても道路にしても、本来ならば定期的な除草作業などが施されているはずだ。それが「手抜き」状態となっている。なぜか。

  これはある行政の担当者から聞いた話だが、金沢市の道路や河川の関連業者の多くは、能登半島地震の河川や道路の復旧工事で輪島市や珠洲市、七尾市などの被災地に出向いている。このため、金沢市の関連作業は遅れている、とのことだった。県道45号のほかにも街路樹や下の雑草は伸び放題だ。被災地が最優先なので、それはそれで致し方ない。

      それだったら、県が主導して街路の草刈りボランティアを募ってはどうだろうか。とりあえず、豪雨が来ないことを祈るのみ。

⇒1日(木)夜・金沢の天気     はれ