2024年 8月 の投稿一覧

★金沢のスーパーでもコメ品切れ 「令和のコメ騒動」の前兆なのか

★金沢のスーパーでもコメ品切れ 「令和のコメ騒動」の前兆なのか

  さきほど近くのスーパーに行って来た。きのう家族から、いつも買っている石川県産のコシヒカリが品切れになっていると聞き、そんなバカなコメは余っているはずだろうと思い、コメの販売コーナーを見に行った。確かに、棚にはコメはなく、「お客様へ」と書かれた札に「令和5年度、ひゃくまん穀の精米が今期分、終了しました。新米が出るまで品切れとなります。宜しくお願いします。」と記されていた=写真=。隣県産や他の品種のコメは別の棚に若干あった。 

  昭和20年代生まれのシニア世代にとって、コメは生産過剰というイメージがある。パンや麺など食文化の多様化などから、毎年10万㌧のペースでコメの消費が減っていると言われてきた。このため、農水省はコメの生産農家に補助金をつけて転作を促すなどしてきたはずだ。それなのになぜ、いまごろ「コメが品切れなのか」と納得いかなかった。

  ネットでいろいろ検索してみると、さまざまな要因が重なってコメ不足に陥っているようだ。2023年の収穫量は前年比1.4%減の661万㌧となり、過去最少だった。それに拍車かけたのが昨夏の猛暑による「高温障害」だ。気温が日中で35度、夜間で30度を超えると、イネにこの障害が発生する。イネの吸水が蒸散に追いつかず、枯れてしまう障害だ。去年は収穫後に高温障害で白濁したコメが大量にみつかった。コメどころの新潟県では被害が深刻だった(2023年8月18日付・新潟県農産園芸課「報道資料」など) 。

  この高温障害に見舞われたコメは、炊けば普通に食べられるものの、見た目がネットリしておかゆのような感じで見栄えがよくない。コメの主成分であるデンプンの構造が変化して、水分を吸収しやすくなっているようだ。問題はことしの収穫だ。盆明けでも気温35度以上の猛暑日が各地で観測されている。気象庁はきのう19日、「高温に関する早期天候情報」を発表した。10年に一度レベルの高温が予想され、厳しい残暑が続く。これが、ことしのコメの収穫にどのような影響を与えるのか。

  コメの品切れは金沢だけでなく、全国的に起きているようだ。1993年に記録的な冷夏でコメ不足となり、「平成のコメ騒動」という社会・経済不安をもたらした。ことしの酷暑は「令和のコメ騒動」を起こすのか。

⇒20日(火)午後・金沢の天気    くもり

☆アニメ聖地など個性的な店も 震災・能登で初の「仮設商店街」

☆アニメ聖地など個性的な店も 震災・能登で初の「仮設商店街」

  元日の能登半島地震では住家だけではなく、多くの店舗も被災した。七尾市ではそうした事業者の生業(なりわい)の再生に向けて、「仮設商店街」がこのほどオープンした。商店街を訪ねてみた。

  開設されたのは七尾市中心部にある「一本杉通り」。老舗の和ろうそくの店や和菓子の店など寄棟造りの町家が軒を並べていたが、いくつかの店舗が全半壊するなど被害が出ている。その一角にある駐車場の空き地に、七尾市役所が国の助成制度を活用してプレハブの仮設店舗を設けた。入居したのは、喫茶店、飲食店、結納品や文具を販売する店、美容室の4つの事業者。市の広報によると、入居は2026年8月まで2年間で、家賃は無償だが、光熱費などは自費負担。2年間に店舗を再建することが条件となっている。

  なかなか個性的な店がある。喫茶店「中央茶廊」に入った。店には、奇跡的に被害を免れたという焙煎機があった。店のママさんは「おかげさまで、これまでとは変わらないコーヒーの味を楽しんでいただけます」と話していた。この店は、2023年春にアニメが始まり、夏に映画が公開された漫画『君は放課後インソムニア』の「聖地」の一つとして知られる。店の再開を知った常連客が次々と訪れていた。店で売られていたコーヒーを購入すると袋の中に「被災地応援イベントレポート」が入っていた。アニメの作家と協働でいろいろとイベントを仕掛けているようだ。(※写真・上は七尾市一本杉通りに開設された仮設商店街。写真・下はこだわりの喫茶店「中央茶廊」の店舗)

  隣の飲食店「太左エ門」は材料の仕入れのため店は閉まっていた。太左エ門は能登島で知られた民宿だった。地震で地盤沈下などの被害が出て、民宿の経営を断念。ただ、能登島の漁港で水揚げされた鮮魚を使った海鮮丼など飲食に特化した料理店として再建を目指している。

  生業の再建を目指した初の七尾市の仮設商店街だが、別の地域でも整備を進められている。輪島市では曹洞宗の総持寺がある門前町で。また、志賀町では道の駅「とぎ海街道」などに隣接するカタチでスーパーや衣料品店など9業者が開業を目指している。このほかの自治体でも、9月から10月にかけて、仮設商店街が完成する見通しという。個性的な店が寄り添ってにぎわいを創出してほしい。

⇒19日(月)夜・金沢の天気    はれ

★城下町・金沢の夜 復興祈願の能登キリコが乱舞

★城下町・金沢の夜 復興祈願の能登キリコが乱舞

   城下町・金沢の夜に能登のキリコが舞った。昨夜、金沢の中心街にある「しいのき迎賓館」(元石川県庁)の広場で能登の夏祭りのシンボルでもあるキリコ5基が、ソーレ、エイヤの掛け声とともに担ぎ出され街中を練り歩いた。これまで金沢での単発のイベントで1基が担がれるのを見たことがあるが、笛や太鼓の祭りばやしとともに5基が街中を巡行するのは初めて。能登のキリコ祭りそのものが金沢に出張してきて、にぎやかな雰囲気を醸し出していた。

  「能登復興祈願キリコ大祭」と銘打った今回のイベントは能登と金沢の神社が中心となって企画した。地元メディア各社の報道によると、毎年8月下旬に夏季大祭を開催する輪島市の重蔵(じゅうぞう)神社は元日の能登半島地震で社務所が全壊、拝殿の一部が損傷した。このため、同神社では大祭の自粛を検討していたところ、ご神体を一時避難で預かってもらっていた金沢市の石浦神社から提案があった。金沢で2次避難している輪島市民を励まし、能登復興の機運を盛り上げるためにも、金沢でキリコ祭りを出張開催してはどうかとの提案だった。

  重蔵神社の呼びかけで輪島市内のキリコ4基、隣接する志賀町から1基、そして同神社の神輿が広場に集結した。担ぎ手は募集に応じた市民や学生、そして輪島市から駆けつけた有志ら300人。夕方、石浦神社で復興祈願祭が営まれ、午後7時に神輿を先頭に出発し、キリコが続いた。神輿は見るからに大きく、「能登復興」の文字が入ったTシャツを着た若者ら男女100人余りで担ぎ上げていた。

  金沢城跡公園の石垣をバックにキリコが練り歩き=写真=、エイヤ、ドッコイと乱舞すると見物に訪れていた大勢の人たちから「能登ガンバレー」などと歓声が上がっていた。金沢の夜を明るくにぎやかに照らしたキリコ祭りだった。

⇒17日(土)夜・金沢の天気     くもり時々はれ

☆「ポスト岸田」自民総裁選と衆院選をつなぐシナリオなのか

☆「ポスト岸田」自民総裁選と衆院選をつなぐシナリオなのか

  暴風を伴った台風7号が関東甲信に接近して、各地で避難情報が出されている。東海道新幹線の東京・名古屋間は終日運休で、空の便もかなりが欠航しているようだ。眼がくっきりとした不気味な台風だ。北陸・金沢でも朝から曇り空で、時折木の葉がなびく風が吹いている。

  前回ブログの続き。岸田総理が9月の自民党総裁選に立候補しないことを表明したことを受けて、「ポスト岸田」は誰かとメディアのテンションも高まっている。読売新聞(16日付)によると、自民党総裁選の日程は今月20日に決定されるが、「9月20日」と「同27日」の案が浮上しているという。気になるのはその後の流れだ。

  総裁選後には臨時国会が召集され、首班指名(総理就任)・組閣となる。が、問題はその後、衆院解散の流れに進むのではないか、ということだ。岸田総理のときは、2021年9月12日に総裁選告示、同29日の投開票で新総裁が決まった。10月4日に臨時国会が召集され、首班指名と組閣、そして会期末の同14日に衆院を解散。同19日に衆院選公示、10月31日に投開票という流れだった。総裁選から衆院選の投開票まで1ヵ月半余りの期間で、自民は何を得たのか。  

  前回の総裁選では、新総裁選出の過程を公開討論会を開くなどして幅広く国民にアピールした。岸田氏は「聞く力」や「新しい資本主義」を訴え、さらに総選挙でも同様にアピールし、自民党は単独過半数の議席を確保した。つまり、総裁選で勢いをつけて、一気に総選挙へにつなげるという展開で有権者の関心を惹き付けた。

  読売新聞によると、自民党は総裁選の選挙期間を15日程度(前回12日間)に日数を増やす方向で検討しているようだ。ということは、総裁選を総選挙につなげた前回の成功事例を今回も描いているのだろうか。総裁選には石破茂、茂木敏充、高市早苗、河野太郎、上川陽子、小林鷹之、小泉進次郎の各氏の名前が取り沙汰されているが、「本命不在 混戦か」(読売新聞の見出し)のようだ。

  そして、もし総裁選から総選挙へと展開した場合、能登半島地震の被災地では選挙は可能だろうか。そんなことを考えながら、岸田総理退陣のニュースを読んでいた。

⇒16日(金)午前・金沢の天気    くもり

★総理退陣で政治空白の懸念 能登復興に遅れをもたらさないか

★総理退陣で政治空白の懸念 能登復興に遅れをもたらさないか

       また「回転ドア内閣」が始まるのか。岸田総理がきのう14日、9月の自民党総裁選に立候補しないと表明した。直近のNHKの世論調査(8月2-4日)によると、内閣支持率は25%、不支持率は55%と低迷している。広島でG7サミットを開催した去年5月の調査では支持率が46%と盛り上がったが、その後は政治資金の裏金問題などで続落していた。

  冒頭で述べたように、回転ドアのように内閣がころころと変わる政治状況がときにある。小泉内閣以降の2005年から短命政権が続き「7年間で7人の首相が誕生する」状況だった。総理の名前を覚える間もないほど交代劇が続き、日本のガバナンスや国際評価の足を政治が引っ張っていた。その政治状況に終止符を打ったが安倍内閣で、7年8ヵ月続いた。その後の菅内閣は1年余りだった。岸田内閣は3年足らずだが、政権運営という意味では「そこそこ頑張った内閣」ではないだろうか。問題は、岸田総理の後継者に本命がいないことだ。また短命政権の政治が到来するのか。

  話は変わる。今月8日に宮崎県日向灘でマグニチュード7.1の地震が発生し、気象庁は南海トラフ地震の「巨大地震注意」を発表していた。きょうで1週間となり、注意の呼びかけは午後5時に終わった。そして、能登半島地震の被災状況も徐々にではあるが、変化している。

  石川県危機対策課のまとめ(8月13日付)によると、被害が大きかった奥能登の穴水町では地元にある1次避難所がすべて閉鎖された。同町ではピーク時に54ヵ所で3991人が1次避難をしていたが、被災者から要望のあった仮設住宅532戸が全て完成し、鍵の受け渡しも完了したことから、今月12日に1次避難所を閉鎖した。

  現時点での他の市町での1次避難所の状況は、珠洲市は18ヵ所で223人、輪島市は13ヵ所で155人、志賀町は5ヵ所で70人、七尾市は1ヵ所で43人、能登町は1ヵ所で5人と合せて496人が避難所生活を続けている。県が借り上げた金沢などの旅館やホテルなどの2次避難所では63ヵ所で365人、そのほか8ヵ所で58人となっている。1次から2次避難所の被災者を合わせると919人となり、1月31日時点の1万4632人に比べると随分と減ったことになる。

  話は冒頭に戻る。岸田総理はこれまで3度、能登の被災地に足を運んでいる。今回の退陣表明の中で、「総理総裁として能登半島地震からの復旧復興、南海トラフ地震や台風などへの災害対策をはじめ、最後の一日まで政策実行に一意専心あたってまります」と語った(地元メディア各社の報道)。被災者とすれば心強い言葉だが、一方で総理や大臣が交代することで一時的かもしれないが、復旧復興への時間的な空白が生まれないか、復興対策に遅れが生じるのではないか。被災者はそんなことも懸念しているに違いない。

⇒15日(木)夜・金沢の天気    はれ

☆松に寄り添う一輪のタカサゴユリ 好かれ嫌われ「旅する花」

☆松に寄り添う一輪のタカサゴユリ 好かれ嫌われ「旅する花」

  自宅庭の五葉松に寄り添うようにタカサゴユリの花が一輪咲いていた=写真=。例年ならば旧盆が過ぎたころに咲く花だが、早咲きのようだ。この時節は花の少ない季節なので目立つ花でもある。ヤマユリのような高貴な香りはないが、「立てば芍薬(シャクヤク)、座れば牡丹(ボタン)、歩く姿は百合(ユリ)の花」の言葉のように、花は白く美しく、人目をひく。この時節には茶花として床の間に飾る花でもある。

  漢字名は「高砂百合」。名前の通り、日本による台湾の統治時代の1924年ごろに園芸用として待ち込まれたようだ(Wikipedia「タカサゴユリ」)。いまだったら、「外来種」として持ち込みに批判が出たかもしれない。国立研究開発法人「国立環境研究所」の公式サイトには、「侵入生物データベース」にリストアップされている。「日当たりの良い法面や道路わき、空き地などに侵入する」と。持ち込まれた当時は外来種という概念もなく、花の少ない季節に咲くユリの花ということで日本で受け入れられたのだろう。

  侵入生物データベースの「備考」欄には、「全国的に分布を広げている種であり、自然植生に対して悪影響が及ばないよう、適宜管理を行う必要がある」と記されている。「適宜管理」とは伐採して根ごと処分するという意味なのだろうか。とすると、こうしてブログで画像をアップすることも罪深いということだろうか。

  タカサゴユリには意外な特性もある。同じ場所に何年も生育すると、土壌に球根を弱める特定のバクテリア(病原菌)が繁殖して枯死してしまう。連作障害だ。このため、種子を多く付け、種子は新たな原野を求めて風に乗って各地に拡がる。種子がたどり着いたその地が伐採などで一時的に明るくなると生育して勢力を拡げ、ときに群生して大きな花を咲かせるも、数年経つとまた他の地へ旅立つように去ってゆく(Wikipedia「タカサゴユリ」)。ひととき白く輝く花を咲かせ、やがて別の場所に飛び立っていく。「旅するユリ」とも称される。

⇒14日(水)午前・金沢の天気     はれ

★旧盆墓参り 奥能登で目立つ「ブルーシート墓」

★旧盆墓参り 奥能登で目立つ「ブルーシート墓」

  パリオリンピックが終わり、少々気が抜けたような気分になっている。これまで、目覚めるとスマホで日本の金メダルの数をチェックすると心が沸いた。そして、派手な見出しと写真で彩られた新聞紙面を眺め、競技実況で点が入るごとにアナウンサーが絶叫を連発するテレビ画面を視る日々だった。それが日常に戻った。心に残るシーンを一つだけ挙げるとすれば、柔道女子52キロ級の2回戦でまさかの敗退を喫し、大会2連覇を逃した阿部詩選手のあの号泣する姿だ。試合会場に響き渡るようなあの泣き声は耳に残る。 

  話は変わる。能登には「一村一墓」という言葉が残っている。半島の尖端・珠洲市三崎町の大屋地区での言い伝えだ。江戸時代の「天保の飢饉」で人口が急減した。能登も例外ではなく、食い扶持(ぶち)を探して、大勢の若者が離村し人口が著しく減少した。大屋村のまとめ役が「この集落はもはやこれまで」と一村一墓、つまり集落の墓をすべて集め一つにした。そして、ムラの最後の一人が墓参りをすることで「村じまい」とした。その後、村は残った。江戸時代に造られた共同墓は今もあり、共同納骨堂とともに一村一墓は地域の絆(きずな)として今も続いている。

  きのう旧盆の墓参りで奥能登の墓地を訪れた。多くの墓石にはブルーシートが被せてあった。元日の能登半島地震の影響で墓が損壊し、骨壺を納める場所(納骨室)がむき出しになったのだろう。この墓地は山の斜面地に造られている。墓石の修繕は進むのだろうかと気がかりになった。道が細くて機械が入れないところもある。道路に面したフラットな地形の墓地の場合は、小型クレーン車などを使って墓石を吊り上げて元の位置に戻すことで作業が進むだろう。が、細道や斜面地の場合は小型クレーン車などが入れないので、現場で柱を三又に組んでチェーンブロックを取り付け、墓石を一つ一つ上げ下げして修復することになる。とても手間暇がかかる。

  「令和の一村一墓」という言葉を頭の中で描いた。この際、共同墓と共同納骨堂の構想を描いてはどうか、と。余計なことを勝手に言っては、地元の人に失礼にあたるので言葉を慎む。

(※写真・上は、ブルーシートが被せられた墓石=輪島市の墓地で。写真・下は、墓の塔の部分に当たる竿石が石段を転げ落ちた墓石=能登町の墓地で)

⇒13日(火)夜・金沢の天気   くもり時々はれ

☆「もしトラフ」なら 金沢の森本・富樫断層への影響は

☆「もしトラフ」なら 金沢の森本・富樫断層への影響は

  宮崎県日向灘沖で8日に発生した地震を受け、気象庁は南海トラフ地震の臨時情報「巨大地震注意」を発表、きょうで3日目となる。会見では「地震発生から1週間程度、特に2、3日は大きな地震が発生することが多いということで注意が必要」と述べていた。実際に2011年の東日本大震災の時も、3月9日にマグニチュード7.3の地震が発生し、その2日後にマグニチュード9.0の巨大地震が起きている。

  気象庁公式サイトで南海トラフ地震の各地で想定される最大震度をチェックすると、石川県内は、加賀市などで5強、金沢市など5弱、輪島など能登が4となっている。金沢の5弱はまさに元日の能登半島地震だ。当時は金沢市海側の平地の西念地区などが5強、山手の寺町台などが5弱だった。その地震で、金沢の山手の住宅街でがけ崩れがあり、民家4軒が道路ごと崩れ落ちた。また、民家の庭にある石灯篭などが数多く倒れた。

  金沢に住んでいるとやはり気になるのは、森本・富樫断層のことだ。国の地震調査研究推進本部は毎年、社会的に影響が大きい「主要活断層」を公表していて、そのうち切迫度が最も高い「Sランク」は全国で31あり、その一つが森本・富樫断層だ。断層は全長26㌔におよび、今後30年以内の地震発生確率が2%から8%とされる。

  金沢市の公式サイトに掲載されている「平成24年度(2012)被害想定調査結果」によると、この森本・富樫断層帯で市内中心部の直下地震が起きた場合、マグニチュード 7.2、最大で震度7と想定され、死傷者数1万4000人、避難者数19万3000人、建物被害は3万1700棟との予測だ。

  適切な表現ではないが、能登半島で震度7の地震があり、さらに南海トラフ地震が起きると、上下に挟まれた位置にある森本・富樫断層帯へどのような影響を及ぼすのか。発生する確率が高くなるのか。

⇒11日(日)夜・金沢の天気    はれ

★アメリカ発祥のブレイキン ロス五輪でなぜ競技から外すのか

★アメリカ発祥のブレイキン ロス五輪でなぜ競技から外すのか

  ストリートダンスがオリンピック競技になっているとはきょうようやく知った。メディア各社の報道によると、パリオリンピックで唯一の新競技「ブレイキン」の女子決勝が9日、コンコルド広場で行われ、日本の湯浅亜美選手がリトアニアの選手を破り、栄えある初代金メダリストに輝いた。

  そこでブレイキンについてネットで調べてみる。自由度の高いダンスパフォーマンスを特徴としている。ダンスに合わせる音楽は、選手たちに事前に知らされていない。DJがその場で選択した音楽に選手たちが即興で得意とするムーブで踊っていく競技。初めて知った。ブレイキンはアメリカのニューヨークが発祥の地でもあるものの、2028年のロサンゼルスオリンピックでは競技から外されている。なぜか。さらに調べてみる。

  ブレイキンは、別名「ブレイクダンス」として知られ、1970年代のニューヨーク市のブロンクス地区で始まった。当時は「ヒップポップ(hip hop)」と呼ばれ、黒人の若者たちが音楽やダンス、ファッションを通じて発した白人社会への抵抗の文化だった。(※写真は、パリ五輪で日本人選手の金メダル獲得を報じる10日付の夕刊各紙)

  一方で、ブロンクスはマファイの抗争の地でもあった。ロバート・デ・ニーロ監督の映画『ブロンクス物語』(1993年制作)はマフィアのボスと一人の少年の物語として知られる。ブロンクスはニューヨークヤンキースの本拠地であるスタジアムがある場所としても知られるが、ギャングの抗争など治安の悪さはいまも続いている。

  本来ならば、ヒップホップ文化で生まれた競技スポーツがパリオリンピックの競技に選定されれば、それはそれでアメリカとしては栄誉なことではないだろうかと単純に考える。ところが、ロス五輪大会組織委員会は去年10月の段階で、ブレイキンを追加競技候補から外す決定を下している。ブレイキンを競技スポーツと扱うことにアメリカ国内では違和感を持つ人が多いということだろうか。アメリカ社会の複雑な断面をあらためて知った思いだった。

⇒10日(土)夜・金沢の天気    はれ

☆5・5、1・1、8・8「ゾロ目」地震が続く 能登の被災地に「変化の光景」

☆5・5、1・1、8・8「ゾロ目」地震が続く 能登の被災地に「変化の光景」

  昨夜は眠れなかった人たちが大勢いたのではないだろうか。気象庁はきのう8日、九州・日向灘で起きた地震を受け、南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)を初めて発表した。同地震の想定震源域では甚大な被害が想定されている。今後1週間は平時より発生の可能性が高いとされるので、防災・減災が最優先すると日常生活もままならない。それにしても不気味だ。去年能登の震度6強は5月5日、元旦の能登の震度7は1月1日、そして日向灘の震度6弱は8月8日だった。

  きのう、元日の能登半島地震の被災地をめぐった。その中でみつけた「新たな変化」をいくつか。珠洲市で7月にオープンしたホテルのレストランで、ココナッツをベースとした薬膳カレーを注文し、夏のカレーを楽しんだ。ホテルとレストランの支配人の男性は札幌市出身で去年7月に珠洲市に移住。震災直後から、焚き出しや高齢者の避難所への送り、被災地の支援で訪れた人たちに自宅を開放するなどのボランティア活動に取り組んできた。

  レストランから少し離れた場所で、新たに建築中の建物があった。支配人に「あれは何ですか」と尋ねると、「3Dプリンターの住宅ですよ」と。兵庫県西宮市の建築会社が施工している建物で、ホテルのオーナーがホテルの一室として活用するために発注したようだ。2人暮らし向け平屋タイプで、ダイニングや寝室、バスルームなどがあり、9月早々には完成の見込み=写真・上=。石川県では初めての「3D住宅」だとか。どのような家なのか。また珠洲市を訪れる楽しみができた。

  その後、6月21日付のこのブログでも紹介した、建築家・坂茂(ばん・しげる)氏が手掛けた木造2階建ての仮設住宅を訪れた。木の板に棒状の木材を差し込んでつなげる「DLT材」を使用している。DLT材を積み上げ、箱形のユニットを形成する。石川県産のスギを使い、木のぬくもりが活かされた内装となっている。外装の色合いも周囲の松の木と妙にマッチしていて、まるで軽井沢の別荘地のような雰囲気を醸し出している=写真・中=。

  この後、輪島市で焼け野原状態になった朝市通りを訪れた。通行規制などがかかっていて、現地への立ち入りも許されなかった。そこで遠目で見渡して分かったのは、焼けたビルなどはまだ残ってはいるものの、散乱していたガレキはかなり片付いているということだった=写真・下=。

       まったく変化が見られないところもある。平家の子孫とされる輪島市町野町の「上時国家」は国の重要文化財に指定されているが、地震で全壊した。また、能登で唯一、国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に指定されている輪島市門前町黒島のシンボル、「角海家」も倒壊しそのままだった。輪島市は重伝建保存対策事業費として3億4000万円の予算を組んでいる。「国の遺産」をいつまで手つかずの状態にしておくのか。

⇒9日(金)夜・金沢の天気    はれ