2024年 7月 の投稿一覧

☆能登の損壊家屋の修理を「オール石川」で担う仕組みづくり

☆能登の損壊家屋の修理を「オール石川」で担う仕組みづくり

       前回ブログで、能登半島地震によって8万8000棟の住宅が損壊したものの、建物や電気、水道などの修理工事が業者の人手不足で間に合っていないと述べた。きょう19日付の新聞メディア各社によると、石川県の馳知事は18日の記者会見で、住宅再建や修理の相談受付の窓口を今月26日に開設し、さらに、応急修理を担う工事業者の宿泊費補助なども始めると発表した。

  被害の大きかった能登の6市町(輪島市、珠洲市、七尾市、能登町、穴水町、志賀町)では、地元以外の工事業者に修理を依頼すると交通費や宿泊料などの追加費用が発生することなどから、被災者は地元の業者に依頼して順番待ちの状態となっている。ところが、地元では業者が限られているため日程が見通せないことが問題となっている。そこで、県木造住宅協会と県建設業協会が26日に「住宅再建相談受付窓口」(電話など)を開設し、工事業者を紹介していほしいといった被災者からの希望に応じて工事業者を手配する仕組みを設けた。

  これは、県が6市町以外から来る工事業者の燃料費や宿泊費、人件費などを助成する動きと連動したもので、金沢市の電気工事業者が100㌔近く離れた輪島市の損壊家屋で配線工事を行うといったことも可能になる。地元以外の工事業者の経費補助については、すでに水道工事に対して県が補助する制度を設けていて、今回はその枠を広げることになる。

  県と木造住宅協会と建設業協会が連動したこうした動きは家屋の復旧・復興へのステップでもある。一方で現場では、悪質業者が横行しているということも背景にある。業者を名乗る数人が来て屋根の無料点検と称して屋根に上がり、「このまま放置すると雨漏りする」と言い、高額な契約をさせられたといった事例。さらに、見知らぬ業者が来て「この家は保険で修理できる」と言い、保険請求の手続代行と住宅修理を勧誘されたというケースも相次いでいる。こうした家屋の修理をめぐるトラブルなどを避けるため、窓口を一本化するという狙いもあるようだ。

  能登の損壊家屋の修理を「オール石川」で担う仕組みづくりに期待したい。(※写真は、ブルーシートが貼られた屋根が軒を連ねる能登町の家々=7月5日撮影)

⇒19日(金)夜・金沢の天気   くもり時々はれ

★ことし初「熱中症警戒アラート」 能登の被災地の人はこの暑さどうしのぐ

★ことし初「熱中症警戒アラート」 能登の被災地の人はこの暑さどうしのぐ

  朝から蒸し蒸しとして、石川県内の各地では午前中から30度を上回る厳しい暑さ。気象庁と環境省は石川県にことし初めての「熱中症警戒アラート」を出した。日中の最高気温は金沢、輪島ともに34度で、エアコンを適切に利用したり、こまめに水分や塩分を補給したりするなど熱中症予防に努めてくださいと呼びかけている。能登半島地震の被災地では、公費解体などの作業に追われている被災者や作業員の人たちも多く、熱中症になるのではないかと気になる。(※写真は、金沢の自宅前から撮影。18日午後0時24分ごろ)

  気象庁によると、太平洋高気圧とチベット高気圧が強く張り出して重なる「ダブル高気圧」となっている。このため7月から9月にかけての気温は全国的に平年より高くなる見込みで、観測史上最も暑かった去年の夏に匹敵する猛暑になる可能性もあるようだ。

  ことしの夏もあの暑さに見舞われるのか。去年8月10日に加賀地方の小松市では観測史上最高の40.0度を記録し、この日は全国1位の最高気温だった。そして、去年8月に県内で出された熱中症警戒アラートは24回。5月1日から8月27日の間に石川県で熱中症による救急搬送は934人に上り、前年同時期より281人多かった(消防庁全国まとめ)。

  元日の地震で、今も被災地の一次避難所に762人、県が用意した金沢市などでの二次避難所に892人、ほか67人で合わせて1721人が避難所生活を送っている(7月18日時点・石川県危機対策課まとめ)。半年を経て、相当のストレスと疲労が蓄積されているのではないだろうか。被害を受けた住宅は8万8千棟余りに上り、このうち8000棟が全壊だった。県では申請があったうち仮設住宅6642戸を着工し、6月末で5000戸を完成させている。

  そして、半壊は1万6000戸、一部損壊は6万戸に上る。エアコンなどの家電修理は進んでいるのだろうか。これは珠洲市の事例だが、上下水道が使えない住宅がまだ757世帯に上り、通水割合は84%だ(7月2日時点)。家々と下水道管の本管をつなぐ業者の人手不足が指摘されている。この夏の暑さをどうしのぐのか。

⇒18日(木)午後・金沢の天気    はれ   

☆能登の幹線道路の復旧 積雪の時季までに間に合うのか

☆能登の幹線道路の復旧 積雪の時季までに間に合うのか

  能登と金沢を結ぶ自動車専用道路「のと里山海道」と直結する「能越自動車道」は、能登半島地震で21ヵ所で路面が崩れるなどの被害が出た。そのうち被害が大きかった徳田大津ICから、のと里山空港ICまでの33㌔は奥能登方面への一方通行となっていたが、きょう(17日)正午から、ほぼすべての区間で対面通行が可能となった。さっそく、のと里山海道と能越自動車道を往復してきた。

  「ほぼすべての区間」と述べたのは、ごく一部区間だが、奥能登にある「能登大橋」付近では橋を支える盛り土部分の復旧工事のため片側交互通行となっている。対面通行が可能になるには「9月末」までかかるようだ(国土交通省ニュースリリース)。

  以下、実際に自家用車で往復して思った考えた率直な感想だ。対面通行はほぼ可能になったものの、道路のアップダウン勾配や、左右の急をカーブが続く道のカタチが悪い。ベテランのドライバーでも夜間にこの道路を走行するとなるとためらうのではないか。そして、制限速度は時速40㌔に引き下げられたままだ。これだったら時間は少々かかるが、金沢方面への道路は現在ルートとなっている富山湾側沿いの国道249号を利用した方が安心ではないだろうか。

  走行して思ったことは、この道路を使用するのは12月末が限度だろうと。というのも、能登の冬の訪れは例年だと、12月後半だ。積雪も多い。去年2023年12月21日から22日かけて能登では60㌢もの積雪があった。同じ積雪があった場合、アップダウン勾配や左右急カーブの道路では、除雪車の走行すら難しいのではないだろうか。(※写真は、対面通行が可能になった「のと里山海道」。道路の崩落現場=右=では転落した車が生々しい姿で残っていた)

  もちろん道路の修復は終わったわけではなく、これからさらに改良が重ねられていくのだろう。積雪の時季まであと5ヵ月余り、これからが時間との戦いではないだろうか。

⇒17日(水)夜・金沢の天気   くもり

★能登の道路を災害に強く再生するチャンス

★能登の道路を災害に強く再生するチャンス

  能登半島地震の影響で、金沢と能登をつなぐ主要地方道「のと里山海道」は現在、徳田大津ICから穴水IC区間(27㌔)が金沢から能登への片側一方通行となっている。実際に走行すると、半島の奥に行けば行くほど道路側面のがけ崩れがひどく、いわゆる「盛り土」の崩落個所が多くある。大きな崩れは21ヵ所で見つかっている。

  能登半島は平地より山並みが多い。このため能登の道路は、山を削った土で谷を埋めて造成する、盛り土の道路でもある。ここに地震の揺れや大雨で地崩れが起きる。かつて大きな事故もあった。1985年7月11日午後2時21分、穴水町の山中で、金沢発の急行「能登路5号」(4両編成)が脱線し、前方3両が7.5㍍下の水田に転落。乗客の7人が死亡、29人が重軽傷を負った。事故の12日前から大雨が続いていた影響で、線路の盛り土が崩れ、線路が宙づり状態になっていたところに能登路5号が走ってきたのだった。能登線は2005年に廃止となり、現場から線路は消えたが、慰霊碑が立っている。

  能登の人たちが大規模な盛り土の崩落現場を目にするのは3回目となる。前述の、ことし元日の能登半島地震での「のと里山海道」、1985年7月11日の能登線事故、そして、2007年3月25日の能登半島地震で起きた各地の道路崩落だ。

  NHK・Eテレの科学番組『サイエンスZERO』(7月7日・再放送は同月13日)で「能登半島地震から半年 暮らしの大動脈・道路を守れ」をテーマに能登半島地震で被災した橋梁やトンネル、道路盛り土に関する土木研究所の取り組みが紹介されていた。

  番組では、能登で造成されている新たな道路「輪島道路」では2007年の盛り土の崩落の教訓などを活かして、崩落の原因となる道路地下の水を抜く「排水工」=写真・上=や、崩れを防ぐため金網に石を詰め込んだ「ふとんかご」を道路の下部に設置して耐久性を高めるなど強靭な道路が造られている。このため、新たな道路では元日の地震で盛り土などでの崩れはなかった。また、のと里山海道の橋梁では橋脚の部分を鉄板で耐震補強が施されていたため大きな損壊などはなかった=写真・下=。

  冒頭で述べた盛り土の崩落現場がまだ21ヵ所ある。地震や大雨などで泣かされたきた能登の基幹道路が最新の土木工学や震災工学で再生するチャンスかもしれない。

⇒16日(火)午後・金沢の天気     くもり時々はれ

☆情報化社会にあって 能登半島地震の復旧・復興どう発信するのか

☆情報化社会にあって 能登半島地震の復旧・復興どう発信するのか

  それにしても衝撃的なニュースだ。日本時間できのう14日、アメリカ・ペンシルベニア州で演説中に銃撃されて負傷したトランプ前大統領が右耳あたりから血を流しながらも、こぶしを振り上げて無事だと聴衆にアピールする映像が繰り返し放送されている。ニュースを知ったのはきのう朝7時過ぎ。一瞬いろいろと思いが交錯した。「トランプ氏に同情票が集まり、大統領選に優位か」「トランブ、ケネディ、安倍晋三・・・、民主政治の国になぜ銃撃事件が起きるのか」、そして「この事件が能登半島地震の風化を加速させるのではないか」などと。

  元日の能登半島地震では299人もの貴い命が失われた(7月9日時点、関連死を含む)。メディアは大きく取り上げ、海外にもこのニュースは流れた。しかし、記事の扱いは時間の経過とともに徐々に小さく少なくなっている。世の中はニュースにあふれていて、古い順番でニュースは忘れ去られていくのか。 

  これは何も情報化社会に生きる現代人の特性ではない。265年前、イギリスの経済学者アダム・スミスは著書『道徳感情論』で、災害に対する人々の思いは一時的な道徳的感情であり、人々の心の風化は確実にやってくる、と述べている。日本人に限らず、災害に対する人々の心の風化や記憶の風化は人としての自然な心の営みと説いているのだ。しかし、変らないのは被災地の人々の心情だ。「忘れてほしくない」という言葉に尽きるだろう。被災地の復旧や復興は一般に思われているほど簡単に進まない。

  この被災地の人々と一般の人々の意識のギャップを埋めるのが、新聞やテレビ、ネットなどメディアの役割ではないだろうか。災害発生から定期的に被災地の現状と課題、そして被災した人々の心情を伝えることだ。ただ、メディアにも難題がある。「既視感」という視聴者や読者が有するハードルだ。「以前どこかで読んだ記事」「以前に視聴した番組と同じ」などと、視聴者や読者から指摘されることをメディアは嫌がる。なので常に斬新で新たな視点からの切り口で問題に挑もうと、ディレクターや記者は懸命になる。

  話はずいぶんと逸れた。今月26日に開幕する「パリ2024オリンピック」、11月のアメリカ大統領選などこれから話題は尽きない。情報化社会にあって、能登半島地震の復旧・復興を国内外に前向きにどう発信、アピールしていくのか。重要なテーマではないだろうか。

⇒15日(月・海の日)夜・金沢の天気   くもり

★幸せを運ぶコウノトリ、「来年も能登に来いよ」

★幸せを運ぶコウノトリ、「来年も能登に来いよ」

  先日(7月6日)国の特別天然記念物のコウノトリの日本の最北端の営巣地といわれる能登半島の志賀町富来に行ってきた。元日の地震では能登にいなかったものの、このコウノトリのペアは台湾など南方との「二地域居住」で、3年連続で富来で営巣している。このコウノトリの様子を見に行ったのはことしで3回目だった。

  ことし最初に訪れた1月31日のときは、営巣地である電柱の上にはコウノトリの姿は見えなかった。電柱は傾いておらず、巣も崩れてはいないように見えた。ただ、巣がかなり小さくなっていて、見た目で2分に1ほどになっていた。巣の下を見ると、営巣で使われていたであろう木の枝がかなり落ちていた。住宅に例えれば、「半壊」状態だったのはないだろうか。

  地元紙によると、ことし1月下旬から町内の田んぼにいるのを複数の住民が目撃していた。個体識別の足環が確認されており、町内に巣を持つ親鳥だった(2月3日付・北陸中日新聞)。コウノトリは1月下旬には飛んできていて、このころ巣づくりを開始していたのだろう。

  現地を訪れた2回目は6月6日だった。巣は1月31日に見たときより大きくなっていた。ということは、枝を加えて巣を補修したのだろう。しかし、3日前の6月3日に能登でマグニチュ-ド6.0、震度5強の揺れを観測した。何しろ電柱の上に営巣しているので揺れも大きかったのではないのかと想像する。でもこの揺れを何とか耐え忍んだのだろう、親鳥のほかにひな鳥が1羽がいて、合わせて3羽が見えた=写真・上、6月6日午後4時59分撮影=。ひな鳥はかなり成長していた。去年5月23日に訪れたときは、3羽のヒナがいた。ということはことしすでに巣立ったひな鳥がいたのかもしれない。

  3回目が7月6日だった。このときは巣に親鳥もひな鳥もいなかった=写真・下=。ただ、一瞬見えたのが遠方へ飛んでいく二羽のコウノトリの姿だった。また台湾に帰っていく姿だったのか。思わず、「来年も来てくれよ」と心で叫んだ。

  1月に来たときはこれまでエサ場としていた谷川などは土砂崩れなどで一変していたのではないか。そんな中、元日の地震で壊れた巣を直し、6月3日の震度5強など余震が続く中、ひな鳥を育て上げた。幸せを運ぶといわれるコウノトリ。来年も能登に希望を運んできてほしいものだ。

⇒14日(日)夜・金沢の天気   あめ

☆輪島の海女漁が再開 130人が朝の海に潜りモズクを2㌧収穫

☆輪島の海女漁が再開 130人が朝の海に潜りモズクを2㌧収穫

   能登の海岸では海藻がよく採れる。冬場の岩ノリは有名だが、ほかにもこの地で「カジメ」と称されるツルアラメやモズク、ワカメ、ウスバアオノリ(あおさ)、ハバノリ、アカモク(ぎばさ)、ウミゾウメン、マクサ(てんぐさ)、ホンダワラなど。そして海藻ごとにそれぞれ料理があり、海藻は能登の食文化でもある。こうした海藻を近場の海で採ることもできるが、海に潜って生業(なりわい)として採取しているのが輪島の海女たちだ。

  地元メディア各社の報道によると、きょう130人の海女たちが午前6時半ごろから漁船15隻で輪島港を出て、8㌔沖合で素潜りでモズク漁に励んだようだ。例年だと7月1日が「解禁」のなのだが、しけ続きできょうになった。例年ならば海女一人で200㌔採ることもあるが、きょうは1人15㌔に制限されていて、今回の全体の水揚げは2㌧だった。荷捌き場がある輪島漁港は地震で2㍍も隆起していて、船からモズクを運ぶのにも大変だったようだ。(※写真は、文化庁「国指定文化財等データベース」サイトより)

  報道によると、海女たちの3分の1は輪島市外で避難生活を送っていて、この日のために各地から輪島に入った。7月はアワビやサザエの解禁でもあるのだが、海底の地形の変化などで素潜り漁の見通しは立っていないという。

  冒頭で述べたように、海女たちは魚介類や海藻を専門とするプロの漁業者だ。アワビやサザエのほか25種類も採取している。アワビは貝殻つきで浜値で1㌔1万円ほどする。よく働き、よく稼ぐ。新聞記者時代に取材に訪れたとき、海女さんたちから「亭主の一人や二人養えんようでは一人前の海女ではない」という言葉を何度か聞いた。自活する気概のある女性たちの自信にあふれた言葉だった。「輪島の海女漁の技術」は国の重要無形民俗文化財に指定されている(2018年)。

  地震で海底の地形が一変しているとすれば、今後は魚介類や海藻が繁殖する場所探しが肝心だ。きょうは試験操業の意味合いがある。海底隆起が海の生態にどのような影響を与えているのか。海の経験知が高い輪島の海女漁はそのような意味からも注目されるのではないだろうか。

⇒12日(金)夜・金沢の天気   くもり

★能登地震から半年の風景~⑩ 日常を取り戻す、能登の人々の心意気

★能登地震から半年の風景~⑩ 日常を取り戻す、能登の人々の心意気

  能登半島地震の被災地では日常を取り戻そうといろいろな動きがある。震災と火災で開けなくなっていた輪島の朝市が市内の商業施設できのう10日から営業を再開した。イメージカラーのオレンジ色のテントで海産物や野菜を並べた35店舗が出店している。地元メディアの報道によると、発災以来、初めて顔を合わせる店主と客が近況を報告したり、握手したりして再開を喜ぶ姿も見られたという。

  先日(7月5日)に能登町の仮設住宅の横を通ると、簾(すだれ)が掛かっている家々があった。そして、窓の日よけのためだろうか、つる性の植物が伸びていた。夏の暑さ対策をエアコンだけでなく、いろいろと工夫している様子がうかがえた=写真・上=。これまでの日常の生活で行ってきたことを仮設住宅でもさりげなく、そんな雰囲気を感じた。

  同じ日に輪島市門前町で見た光景だ。被災した中高年の女性と、がれきの撤去などを行う支援ボランティアの人たちの笑い声が聞こえた。話の内容は分からなかったが、楽しそうに会話している様子が伝わってきた=写真・下=。能登の人たちは初対面の人たちと違和感なく話すことに長けている。これは能登の特性と言えるかも知れない。

  それは迎え入れの文化と言える。能登では夏祭りや秋祭りが集落単位で行われ、山車を回し、キリコを担いで威勢よく盛り上がる一方で、家々では「ヨバレ」という「もてなし」が行われる。家族全員がホスト役となる、年に一度の盛大なホームパーティーである。ヨバレた側は今度、自らの集落の祭りの際には呼んでくれた人を招くことになる。祭りを通じて能登の人たちは幼いころから招き、招かれる振る舞いの所作を身に着ける。こうした祭り文化を通じて、能登の人たちの初対面の会話力が身についているのだと思う。

       勝手な想像かもしれないが、日常を取り戻す能登の人々の心意気が垣間見えた気がした。

⇒11日(木)夜・金沢の天気    くもり   

☆能登地震から半年の風景~⑨ 公費解体の膨大な木くずを海上輸送

☆能登地震から半年の風景~⑨ 公費解体の膨大な木くずを海上輸送

  能登は半島の地形で、元日の地震で自動車専用道路「のと里山海道」や国道249号などが寸断されたことで交通インフラが一時マヒ状態となった。のと里山海道は一部を除いて、対面通行が今月17日からようやく可能になる。249号は大規模な土砂崩れでまだ2ヵ所で通行不能の状態にある。こうした道路の復旧の遅れが能登の復旧・復興の遅れの原因の一つと指摘されている。これ以上の遅れは許されないだろう。問題は2万2千棟におよぶ全半壊住宅の公費解体が本格化し、木くずなどの大量の災害ごみをどう運搬するのか。

       陸路が脆弱ならば海路で。公費解体を迅速に進めるため、石川県は災害廃棄物の海上輸送をきょう10日から始める。その積み出し拠点の一つ、能登町の宇出津新港をきのう見に行った。岸壁の近くの広場には公費解体で発生した木くずが山と積まれていた。そして、クレーンを搭載した運搬船が接岸していた。地元メディア各社の報道によると、船は1千㌧クラスで、2千立方㍍の木くずを搭載できる。ほぼ25棟分に相当する。陸上輸送に換算すると、連結トレーラーの33台分に相当するという。今月下旬からは珠洲市の飯田港でも積み出しを始める。(※能登町宇出津新港に運ばれた木くずと新潟県へ輸送する運搬船=7月9日撮影)

  木くずは新潟県糸魚川市の姫川港で下ろされ、中間処理施設で破砕された後、セメント製造施設で燃料として使用されるようだ。

  報道によると、県は地震で発生した災害ごみを244万㌧と推計していて、このうち38万㌧の木くずを海上輸送で28万㌧、陸上輸送で10万㌧に分けて県外に運ぶ計画を進めている。木くずのほか、金属くずやコンクリート片など120万㌧については、県内で製鋼原料や家電部品、復興の建設資材に再利用する。また、可燃物13万㌧、不燃物73万㌧は県南部の処理場へ搬入する。県は2026年3月までの処理完了を目標としている。

⇒10日(水)夜・金沢の天気   あめ

★能登地震から半年の風景~⑧ 能登で選挙はできるのか

★能登地震から半年の風景~⑧ 能登で選挙はできるのか

  東京都知事選は候補者のイメージカラーから「緑のタヌキと白いキツネ」と揶揄されていた。NHKは選挙特番を組んで、投票締め切りの午後8時の瞬間に「小池氏当選確実」のテロップを出した。小池百合子氏の圧勝だった。むしろ、自身が注目したのは同時に行われた都議補選だった。裏金問題を受けて各地の選挙で敗北続きの自民党だが、首都決戦ではどうなるのか。結果はまたしても惨敗。自民が候補者を立てた8選挙区で2勝6敗だった。今後の国政選挙が気になるところだ。

  衆院選は早ければ年内、遅くとも来秋までには行われ、来夏には参院選がある。ところで、元日の震災に見舞われた能登で選挙は可能だろうか。5月5日付のブログでもこのテーマを取り上げたが、発災から半年を経て、正直なところ今年度内は無理ではないかと読んでいる。 

  被災地の避難所では888人、石川県が指定した金沢市の宿泊施設などに避難している人が1116人、ほか82人、合せて2086人が避難所の暮らしを余儀なくされている(7月3日現在・石川県危機対策課まとめ)。選挙となった場合、被災地の避難所にいる場合は投票に行けるが、遠隔地で避難している有権者はわざわざ出向いて当日か期日前投票をすることになる。2086人は被災地の自治体が把握している人数で、住所などが把握できない、たとえば金沢の親族宅に身を寄せている人や、マンションやアパート、借家に自ら借りて移住している人はさらに多くいる。

  この状態の中で、有権者に投票所入場券をこれまでのように郵送で届けることができるのだろうか。届いていなくても、有権者が投票所に行き、選挙人名簿に登録されていることが確認されれば、投票用紙が交付され、投票することができる。(※写真は、2022年7月10日の参院選の候補者ポスターの掲示板)

  選挙権が能登のあって金沢に住んでいる場合は、不在者投票という手段もある。ただ、この場合は有権者が選挙人名簿に登録されている市町の選挙管理委員会に、「不在者投票請求書・宣誓書」を直接または郵送、電子申請サービスで送り、投票用紙を請求することになる。公示日(または告示日)の翌日以降に現在住んでいる最寄りの選管委に行き、不在者投票をする。

  問題は、輪島市や珠洲市など能登の自治体が対応できるかのか、どうか。自治体は全半壊した建物の公費解体の手続きや上下水道の復旧工事、避難所の運営管理などの対応に今でも職員の手が取られている。現状で選挙となれば、地震で壊れた公民館などの投票所の復旧は難しい。選挙対応を見据えた人事を新年度で行うのでしばらく総選挙は待ってほしいというのが能登の自治体の願うところではないだろうか。

⇒8日(月)夜・金沢の天気   あめ