☆金沢の犀川大橋が架設100年 歴史と詩の流れ
金沢市の中心部を流れる犀川に架かる犀川大橋では今月7日に架設100周年を迎えるイベント「百寿(ももじゅ)祭」が開催された。同日夜は犀川大橋周辺を全面通行止めにし、歩行者天国とするなどにぎやかなイベントとなった。
その犀川大橋の歴史を調べてみると、犀川の洪水の歴史でもある。大正時代の1922年8月3日、金沢測候所が明治の開設以来ともいわれた豪雨に見舞われ、犀川の堤防決壊は60ヵ所に及んだ。繁華街の片町や香林坊も大水害となった。犀川大橋はその3年前の1919年に市内電車の敷設のため木造から
鉄筋製に架け替えられていた。ところが、上流に架かる大桑橋や上菊橋、桜橋などの木橋が押し流され、犀川大橋に追突し、大橋も流されてしまう。
その後、犀川大橋は先の大水害の教訓を生かし、橋脚のない橋に設計され工事が進んだ。が、1923年9月1日の関東大震災の影響で鋼材が入手困難となり、一部はイギリス産を使用するなど困難を極めたが、1924年に現在の犀川大橋が完成した。そして、2000年には国の登録有形文化財に登録され今に至っている。(※写真は、上流から撮影した犀川大橋)
この犀川大橋を身近に感じていたのは、金沢出身の詩人で小説家の室生犀星(1889-1962)かもしれない。何しろ犀川大橋の橋詰に近い真言宗の寺院「雨宝院」という寺で幼少期から青年期を過ごした。「美しき川は流れたり そのほとりに我はすみぬ」。この「犀川」の詩が収められている詩集『抒情小曲集』は大正7年(1918)に刊行された。ということは犀川大橋が木造から鉄筋橋に替わるときにこの詩を創ったのだろうか。犀星は1910年ごろから上京し、詩人の北原白秋らを訪ねるなど、帰郷と上京を繰り返している。結婚し、東京に新居をかまえたのが1918年だった(Wikipedia「室生犀星」)。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」。この詩も『抒情小曲集』に収められている。遠方にあって故郷を思う詩ではなく、犀星が金沢に帰郷した折に創られた詩とも言われている。犀川大橋から犀川を眺めながら詠んだのではないだろうか。
⇒31日(水)夜・金沢の天気 くもり
難所に留まらざるを得ない人がいる。行政の責任として1人1人の事情に沿って対応する必要がある」と改めて述べた。(※写真・上は、石川県庁公式サイト「知事のホームページ 」より)
県危機対策課のまとめ(7月30日時点)によると、避難生活を送っている人は1422人いる。被災地の地元の公民館や体育館など48ヵ所(1次避難所)で654人、県が指定した金沢市などのホテルなどの宿泊施設97ヵ所(2次避難所)で705人、そのほかで63人となっている。このほかにも、役所には届けていないが、県内外の親戚や知人宅に身を寄せている人が多くいると言われている。行政も実態はつかみ切れていない。(※写真・下は、地震で半壊した住家には「危険」などの貼り紙が)
知事として避難所で生活をしている人々のことを、「所得が低い」や「ホテルにいた方が楽」などと語る必要性があったのだろうか。能登半島地震で対応した関係府省庁の職員らを集めた会合だったので、身内のような気持でリップサービスをしたのかもしれないが、これは政治家としては舌禍だ。
話は変わる。きのう近所のスーパ-に行くと、久しぶりに「うな蒲ちゃん」を見つけた。ウナギのかば焼きもどきの蒲鉾なのだが、「土用の丑の日」の特設コーナーで本物のかば焼きと並んで販売されていた。水産加工会社「スギヨ」の商品だ。スギヨは能登を代表する企業の一つでもある。うな蒲ちゃんを手にして、能登の復興の兆しを感じた。
現した『香り箱』という商品は練り物のコーナーではなく、鮮魚コーナーで陳列されていた。
て、巨大な聖火台に点火すると、聖火台が気球のように浮かび上がるという異例の光景が繰り広げられた。パリらしい演出で華やかに平和の祭典が幕を開けた。(※写真・上は、パリオリンピックの開会式で気球の様に浮き上がる聖火台=NHK番組)
ォーラムが開催され、自身も参加した。佐渡の金山をめぐるツアーが興味深かった。テーマは「佐渡GIAHSを形成したジオパークと佐渡金銀山、そして農村の営み」。
にある大宮坊の敷地まで行く。見るのは初めてだったが、まさに白い華麗な花だ=写真・上=。よく見るヤマユリよりも大きく、ひとつの花で25㌢ほどだろうか。茎は点在していて、1茎に12の花をつけているものもある。石動山ユリは、修験者たちの厳しい修行を見守っていた花なのだろう。
逮捕のニュースを知って、熊本地震ときのフェイク情報を思い出した。2016年4月に熊本でマグニチュード7.0の地震が発生したとき、熊本市動植物園のライオンが逃げたと画像をつけて、当時ツイッターでデマを流したとして偽計業務妨害の疑いで神奈川県の男が逮捕された。災害時のデマで逮捕されるのは国内ではこれが初のケースだった。男は2017年3月に「反省している」として起訴猶予処分となった。(※写真・下は、ライオンが逃げたとの偽情報を拡散させた当時のツイッター)
た。左が稲光の前の夜の風景、右が稲光が走った瞬間の風景。稲妻はすでに遠ざかって、音は小さく聞こえる程度だが、光は何度も走る。まるで光のショーのような光景だった。しばらく眺めていた。
志賀町、小松市、白山市、内灘町)による合同の審査会がきのう23日に開かれた。能登地区以外の小松市、白山市、内灘町の関連死の審査は初めて。審査会は今回で4回目で、医師と弁護士による5人の委員が関連死を審査する。
ボランティア活動の運営に携わる石川県石材組合連合会の番作一之会長は「全国から職人に来ていただき助かっている。墓を直す機械を墓地に入れるためにもまずは通路の安全確保を進めたい」と話した。地元石川の職人を含めて延べ70人があす24日まで七尾市のほか輪島市や穴水町の寺院も訪れ、墓石の仮復旧を進める。
院は山門(国文化財)などは無事だったものの、33㍍の廊下「禅悦廊」(同)が崩れるなどブルーシートがあちこちに被せてあった。
近所の人と話をすると、「石屋に修理を依頼しているが手が回らんようで、墓参りに間に合うかどうかは分からん」とのことだった。能登の墓参りは8月の旧盆が多い。以下は個人的な想いだ。被災した人たちの生活再建が優先で、墓石はその後でも致し方ない。修理の順番待ちで2年かかろうが3年かかろうが、墓参りを絶やさないことが何よりの先祖供養ではないだろうか。
たものの、水温が低くなりすぎるなど生育環境が悪化して死に至った。(※写真は、2018年9月に撮影した「のとじま水族館」のジンベエザメ)