2024年 5月 の投稿一覧

★能登の里山景観にマッチする「木造長屋」の仮設住宅

★能登の里山景観にマッチする「木造長屋」の仮設住宅

  能登半島地震の被災地に行くと、プレハブの仮設住宅が目立つようになってきた。石川県では8月までに仮設住宅6400戸余りを整備するとしている。知人から輪島市南志見地区に木造の仮設住宅があると聞いて見に行った(今月3日)。

  現地に赴くと、黒瓦で壁面は木板、1棟に4戸の玄関戸がついていた=写真=。外観だけを見ると「長屋」というイメージだ。この木造タイプの仮設住宅は全部で27棟で、1DKや2DKを中心に計100戸になる。知人によると、木造の仮設住宅はプレハブと比べて長く使用でき、輪島市では原則2年間の入居期間後も市営住宅に転用するなど被災者が長く住み続けることができるようにする計画だという。確かに、プレハブより木造の仮設住宅の方が住み慣れるかもしれない。

  仮設住宅の建設が進む一方で、全半壊となった住宅の撤去作業は思うように進んではいない。馳県知事の記者会見(4月25日)によると、所有者に代わって自治体が解体撤去する「公費解体」はこれまでに申請数が8528棟あったものの、着手は244棟にとどまっている。申請の受理から解体着手までには、自治体職員らによる現地調査や住民の立ち会いが必要で、手続きの調整がネックとなっている。

  このため、連休明けの今月上旬から、市町が委託する書類審査や費用算定を行う専門のコンサルタント職員を6割増員し、公費解体の手続きを集中的に進めるとしている。さらに、解体事業者らで構成する5人1チームの作業班を新たに500から600班編成し、現地に投入することで作業のペースを加速させる。来年10月の完了を目指す(4月25日・知事記者会見)。大型連休明けから復旧・復興の勢いが加速することを期待したい。

⇒7日(火)夜・金沢の天気     くもり

☆能登の里山に人が戻り 田んぼに緑が戻るとき

☆能登の里山に人が戻り 田んぼに緑が戻るとき

  奥能登の輪島市町野町の金蔵(かなくら)地区を訪れた(今月3日)。じつに残念な光景が広がっていた。里山に広がる水田が見渡す限りで一枚も耕作されていないのだ。金蔵は2009年に「にほんの里100選」に選定されていて、「金蔵米蔵金」という独自のブランド米も有している。その田んぼ一面に雑草が伸び放題となっていた。元日の地震は能登の農村、そして農村文化までも破壊したのかとの思いがよぎった。

  同地区は現実問題に直面している。地域メディア各社の報道によると、地区の区長が3月4日に輪島市役所を訪れ、同地区内に仮設住宅を設置するよう申し入れた。金蔵では地震前に53世帯95人が暮らしていたが、現在はそのうちの70人が金沢市などへ避難し、現在は25人に減少している。避難した多くの世帯は地元に仮設住宅ができれば金蔵に戻る意向を示していると区長は説明した。

  金蔵へは毎年、大学の授業の一環として「能登を学ぶスタディ・ツアー」を企画し、学生たちを連れていっている。去年8月23日にも、現地で「地域おこし達人」として活躍する石崎英純氏から講義を受けた。そこで、田んぼが耕されていない金蔵の現状について、石崎氏に電話を入れた。このような内容だった。

   3月4日時点では25人だったが、同月中旬に水道が通るようになり、現在(5月6日時点)では60人ほどになっている。田んぼについては、地域内で36町歩(約35㌶)ほどあるが、これから田植えができるのは2町歩ほどしかない。田んぼを潤す主要なため池「保生池」を水源としているが、その用水路などが地震でかなり損傷しているからだ。行政には、用水路の補修をお願いしているが、なかなか手が回らないようだ。合せて、地域内に仮設住宅の建設を依頼しているが、まだ返事がない、とのこと。

  石崎氏の口調は穏やかだったが、行政については憤りを感じるテンションだった。地震で3割近くの家屋が損傷し、市街地へ向かう道路が寸断されたものの、今は輪島市街地へのつながる国道249号も復旧した。「若い人たちも戻ってきている。金蔵の将来を見据えた復旧・復興を話し合っていきたい」。石崎氏のこのひと言に地域復興の途に就いた、との印象を受けた。金蔵に緑の田んぼが一日も早く蘇ることを祈りたい。

⇒6日(月)夜・金沢の天気    くもり

★漂う総選挙の雰囲気 どうする能登地震の被災地

★漂う総選挙の雰囲気 どうする能登地震の被災地

  総選挙が近いのだろうか。最近、代議士のポスターが街中で目立つようになってきた。近所の交差点に地元代議士らの「自民党演説会」のポスターが貼ってあった。よく見ると、演説会の日程はことし9月8日とある。ということはこのポスターをあと4ヵ月間はこのまま貼って置くということなのか、と。とても選挙を意識したポスターのようにも思える。

  4月28日に投票が行われた衆院3補欠選挙で自民党が不戦敗を含め全敗した。このころから、にわかに衆院解散・総選挙が取り沙汰されるようになった。「6月23日の今国会会期末か」とか、「9月の自民党総裁選の後か」などと。このような新聞・テレビのニュースやコメンテーターの論調を目にするたびに、「能登半島地震のことを忘れるな」と言いたくなる。

  一つには、被災地の避難所では2420人、被災地を離れて金沢市の宿泊施設などに避難している人が2186人、合せて4606人がいまも避難所での暮らしを余儀なくされている(4月30日現在・石川県危機対策課まとめ)。被災地の避難所にいる場合は投票に行けるが、遠隔地で避難している有権者はわざわざ出向いて当日か期日前で投票することになる。これが負担にならないか。

  二つ目は、自治体が対応できるかのか、どうか。「能登の自治体は戦時下の状況だ」と知り合いの議員から聞いた言葉だ。全半壊した建物の公費解体の手続きや上下水道の復旧工事、避難所の運営管理などの対応に自治体職員の手が相当に取られている。現在の状況で選挙となれば、地震で壊れた公民館などの投票所の復旧は難しい。さらに、自治体が避難先を把握できていない人の数も相当数に上るといわれていて、有権者名簿の確認といった作業ができるのかどうか。

  総選挙にそれ相当の大義名分があるのであればいざ知らず、自民党の裏金問題の逆風を避ける思惑を抱いた選挙であれば、有権者の不信感を煽るだけだろう。震災の復旧・復興を最優先で判断してほしい。そして地元選出の代議士はぜひ、「待った」と選挙の阻止に動いてほしい。そう願うばかりだ。

⇒5日(日)夜・金沢の天気    くもり

☆「5・5」と「1・1」震度6強を2度 復興キーワードは「子ども」

☆「5・5」と「1・1」震度6強を2度 復興キーワードは「子ども」

  あす5日は「こどもの日」。今月3日に訪れた輪島の被災地では、焼け跡の近くにこいのぼりが掲げられていた=写真・上=。地域の住民が一日も早い復旧・復興を祈って掲げたのかも知れないと勝手に想像を膨らませた。

  「5月5日」と言うと、能登では地震を思い出す人も多くいるだろう。そう、去年5月5日午後2時42分に発生した、能登半島の尖端・珠洲市を震源とするマグニチュード6.5、震度6強の地震。同日午後9時58分にもマグニチュード5.9の地震が発生するなど、震度1以上の揺れは5日当日だけで58回も発生した(気象庁観測データ)。この地震で死者1人、負傷者数48人、住宅の全半壊131棟だった。

  「5・5」地震で最大震度6強の揺れだった珠洲市は今回の「1・1」も6強だったので、6強に2度見舞われたことになる。その珠洲市の人口は1万1591人(ことし2月1日現在)で、「日本一小さな市」でもある。しかし、石川県での県民の評価は「一番頑張っている自治体」ではないだろうか。その印象を強くしたのは「5・5」の地震にもかかわらず、その年の秋に開催した「奥能登国際芸術祭2023」(9月23日-11月12日)を無事やり遂げたことだった。

  当時、珠洲市議会では、震災復興を優先して開催経費をこれに充てるべきとの意見や、行政のマンパワーを復旧・復興に集中すべきとの意見が相次いだ。開催予算は3億円だった。泉谷満寿裕市長は「地域が悲嘆にくれる中、目標や希望がないと前を向いて歩けない。芸術祭を復興に向けての光にしたい」と答弁した。予定より3週間遅れで開催にこぎつけ、14の国・地域のアーティストたちによる61作品が市内を彩った。このとき、震災にめげずに芸術祭をやり遂げたとの印象が県民にも広く根付いたのではないだろうか。

  その珠洲市を熊本市の大西一史市長がこの3月に訪れ、「必ず復興はできる」と泉谷市長を激励した(3月14日付・NHKニュースWeb版)。熊本では2016年4月14日と16日に震度7の揺れに2度見舞われ、災害関連死を含む270人余りが死亡し、19万棟以上の建物が全半壊した。この熊本地震に当時から対応した大西市長がその教訓を伝えようと訪れた。大西市長のアドバイスは、▽子どもたちの生活が戻ると、大人の生活も戻りやすくなり復興が進んでいく▽断水が夏場まで続くと衛生環境も悪化するので、それまでに子どもたちの生活を取り戻すことが重要、などと具体的な内容だったという(同)。(※写真・下は、左から泉谷珠洲市長を激励に訪れた大西熊本市長=3月14日付・NHKニュース)

  珠洲市は大西市長のアドバイスを率直に受け入れ、この際、子どもたちの日常を取り戻すことを最優先課題に実行してはどうだろうか。避難所を学校の体育館から公民館や廃校舎などに分散して移す。子どもたちの日常を確保することで、他の市町への移住を防ぐこともできるだろう。「必ず復興はできる」の励ましに応えて、泉谷市長を中心に珠洲市が「震災復興のモデル」になることを期待したい。

⇒4日(土)夜・金沢の天気    はれ

★土砂崩れ国道249号 隆起した海岸にバイパス道路が完成

★土砂崩れ国道249号 隆起した海岸にバイパス道路が完成

  きょう能登半島地震で震度6強の揺れに見舞われた被災地の輪島に友人と2人で出かけた。友人の知り合いの自宅が輪島にあり、一度現場を見ておきたいとの話が出たので、こちらから誘った。自身も、海岸沿いの大規模な土砂崩れで通行止めになっていた国道249号が、隆起した海岸線にバイパス道路を新設し、きのう2日に開通したことをニュースで知り、現場を見たいと思っていた。

  金沢から能登に行く主要道路「のと里山海道」は半島の奥に行けば行くほど道路側面のがけ崩れがひどく、道路の盛り土の部分の崩落個所が多くある。この里山海道の修復は国直轄で行われ、大きく崩落した個所は盛り土で修復するのではなく、新たに鉄橋を架ける工事が進められていた。

  金沢から1時間半余りで輪島に到着。倒壊した漆器製造販売会社「五島屋」の7階建てのビルを見た。この現場を初めて目にしたのは2月5日だったが、当時とほとんど状況は変わっていないように見えた。続いて千枚田を見に行った。一部田起こしが行われていたが、ほかに地割れが入った田の修復作業も行われていた。

  隆起した海岸に新設された国道249号の迂回路は千枚田の近くにある。迂回路は幅5㍍の1車線で、長さは430㍍ほど=写真=。近くにはすれ違い用の待避所も設けられている。ただ、「緊急車両等・地域住民以外 通り抜けできません」と看板があった。そこで近くで車を止めて歩いて周囲を撮影した。印象的だったのは、地震で隆起した海岸の岩場は白く、そこを走るアスファルト道路は黒く、そして海と空は青く、じつに絶妙なコントラスが描かれていた。

  迂回路の入り口には別の看板もあり、地震や大雨、波の高いときなどは通行止めになると書かれてあった。梅雨時期の大雨で再び土砂崩れが起きるかもしれない。そして問題は冬の海だ。強烈な寒波で海岸線には高波が押し寄せる。道路を設置した国交省では道路脇に積まれた土のうをさらに積み上げることで高波の対策を講じるようだ。今回の迂回路の完成が復旧・復興への弾みになることを願う。

⇒3日(金)夜・金沢の天気   はれ

☆震災から4ヵ月 復旧・復興の「ふ」の字が見えない現場

☆震災から4ヵ月 復旧・復興の「ふ」の字が見えない現場

  元日の能登半島地震の発生からきょうで4ヵ月が経った。人的被害では、亡くなった人は245人(うち災害関連死15人)、重傷者は320人におよんでいる。そして、被災地の避難所では2420人、被災地を離れて宿泊施設などに避難している人が2186人、合せて4606人がいまも避難所での暮らしを余儀なくされている。住宅の全半壊と一部損壊は7万8568棟にも上り、うち1割を超える8142棟が全壊だった(4月30日現在・石川県危機対策課まとめ)。

  被災者の方々は生活再建に向けて、どう手立てをしたらよいか悩んでおられることだろう。その選択肢として、能登に戻らず金沢やその周辺地域への移住を考える被災者が多いのではないだろうか。数字が物語っている。地震直後に避難所に身を寄せていた被災者は県のまとめで3万4000人に上っていた。現在は4606人となり、数字的には7分の1に減ったことになる。

  減った理由の一つとして、仮設住宅に入居した被災者が増えているからだろう、と考えられる。では、仮設住宅の希望者はどのくらいなのか。県では被災が大きかった能登の6市町(七尾市、輪島市、珠洲市、志賀町、穴水町、能登町)で仮設住宅6254戸の建設を進めている。4月末時点で半数にあたる3200戸が完成、8月中にはすべてを被災者に提供する、としている。仮設住宅の建設戸数は被災者からの希望を集計したもので、自宅が全壊、あるいは半壊で解体する場合に入居可能となる。

  ところが、6市町の全壊は7832戸、半壊は1万3095戸となっている。つまり、仮設住宅の入居希望者が少ないのだ。もちろん、全半壊の住宅には空き家となっていた家もあるだろうが、そのことを勘案しても少ない。

  別の数字もある。石川県教委の発表(4月27日)によると、今月12日時点で奥能登2市2町の児童・生徒の数は小学生が1266人、中学生が770人だった。 去年5月時点と比べ小学生が453人、中学生が191人、合わせて644人減少していることが分かった。単純に計算すれば、小中合せて児童・生徒数が24%減少したことになる。震災をきっかけに奥能登を離れた家庭が増えたと推測される。

   なぜだろう。以下は憶測だ。生活再建に欠かせないのは、まずは住まいの安定化だろう。おととい(先月29日)珠洲市の被災現場をめぐった。同市の被災地に初めて入ったのは1月30日だったが、がれきが山積みの市街地の様子はまったく変わっていなかった。いまも道路では突き上げているマンホールがいくつもあった=写真=。マンホールは道路下の下水管とつながっている。液状化で水分を多く含んだ地盤にマンホールが突き上がったのだろうと想像した。下水管の損傷も相当なものだろう。そして、珠洲市では現在も2320戸が断水となっている(4月30日現在・県企画調整室調べ)。

  被災者にとってはまだまだ生活再建が見通せない。だったらこの際、金沢などに移住するかと考える若い家族層が多いのではないだろうか。奥能登4市町の4つの総合病院では3月末時点で退職、または退職意向を示している看護師が計65人に上るというショックなニュ-ス(4月13日付・毎日新聞Web版)があった。家を失った人や、目に見えない負担を背負っている人も相当にいるのだろう。震災から4ヵ月、とりとめもなく暗い話を書いてしまった。

⇒1日(水)夕・金沢の天気  くもり