☆金沢名所めぐり~21美に友禅の五彩、白い布まとう男~
先日久しぶりに金沢21世紀美術館に入った。中には観光客が大勢いた。21美は円形の建物になっていて、「正面」という概念はなく、いろいろな場所からの入り口がある。市役所側からの入り口で「チケットをください」と言うと、「きょうは休館日です」との返事。すかさず、「交流ゾーンでは作品が無料で見れますので、どうぞ」と丁寧な対応だった。休館日でもこれだけ人が入るのかと思うくらいのにぎわいだった。
せっかくなので無料ゾーンで楽しんだ。館内の市民ギャラリ―の壁に描かれている、色鮮やかな花や植物の文様。台湾のアーティストであるマイケル・リン氏の作品=写真・上=。金沢市民だったら、おそくらイメージが沸く。加賀友禅の模様だ、と。推測だが、マイケル・リン氏が金沢を訪れて加賀友禅の着物に描かれた文様が気に入ったのだろう。模様は加賀友禅の中でも古典的な図案のモチーフだ。そして、「加賀五彩」と称される藍、臙脂(えんじ)、黄土、草、古代紫の5色を基調に描いている。かなりのめり込んだ作品だ。
手前には壁と同じモチーフのロッキングチェアがある。この美術館を共同設計した妹島和世氏と西沢立衛氏によるデザインのイス。そして、このイスに座ると見えてくるアートが、空に向かって定規をあてる姿を描いたブロンズ像「雲を測る男」。ベルギーの作家ヤン・ファーブル氏の作品だ=写真・中=。作品目録によると、ヤン・ファーブル氏はあの有名な昆虫学者ファン・アンリ・ファーブルのひ孫という。
作品は映画「アルカトラズの鳥男」(1961年・アメリカ)から着想を得た、とある。サンフランシスコ沖のアルカトラズ島にある監獄に収監された主人公が独房で小鳥を飼ううちに、鳥の
難病の薬を開発したという実話に基づく。映画の終わりの場面で「研究の自由を剥奪された時は何をするか」と問いに主人公が答えたセリフが「雲でも測って過ごす」だったことからこの作品名がついたとか。昆虫学者の末裔らしい、知的なタイトルではある。
これは自身の個人的な見立てなのだが、雲を測る男が白い布をまとうときがあり、これが空に映えてまるで生きた人物のような存在感がある=写真・下、2004年9月撮影=。何しろ屋上に設置されているので、大型の台風が接近すると倒れるかもしれないと、美術館のスタッフが布を胴体に巻いて、その上にワイヤーを巻いて左右で固定し、台風一過で取り外すそうだ。レアな日でしか見ることができない、「白い布をまとう男」になる。
⇒8日(水)午後・金沢の天気 はれ時々くもり
しかし、日本政府の方が浮き足立っている印象だ。読売新聞(7日付)によると、経産省は6日、韓国向けの輸出管理の厳格化措置について、両国間で解除に向けた協議を始めると発表した。韓国政府が日本のこの措置についてWTOに提訴していたが、紛争手続きを「中断する」と発表したためだ。近く、2020年3月を最後に途絶えていた局長級の政策対話を再開する。
NHKニュースWeb版によると、韓国の朴振外相はきょう6日午前11時半からの記者会見で、元徴用工訴訟をめぐる問題で韓国政府がまとめた解決策を発表した。それによると、韓国最高裁の判決で賠償を命じられた日本企業に代わって、韓国政府の傘下にある既存の「日帝強制動員被害者支援財団」が原告への支払いを行う。財源は「民間の自発的な貢献などを通じて準備する」としていて、韓国企業などの寄付で賄う見通し。
「鼓門」のデザインのもととなっているのが、金沢で盛んな伝統芸能である能楽「加賀宝生」の鼓とされる。そして、鼓門とセットになっているのが、3019枚の強化ガラスで造られた「もてなしドーム」=写真・下=。中は広場になっていて1万9400平方㍍(東京ドームの半分足らず)の広さ。ドームのサイドにバスターミナル、タクシー乗降場などが連なる。雨や雪の多い金沢で、「駅を降りた人に傘を差し出す、もてなしの心」を表現したドームだ。鼓門とドームは2005年3月に完成し、その10年後の2015年3月に北陸新幹線の金沢開業が始まる。で、この金沢駅東口広場を整備したのはJRではなく金沢市で、投資額は170億円にもなった。
JRは民営化(1987年)以降、徹底したコスト主義を経営の柱に据えていて、金沢だからと言って特別なフォルムの駅はつくらないし、つくれないのである。北陸新幹線の駅はどの駅ものっぺりしとした、ワンパターンの建物である。そこで、金沢市が先手を打って、駅の玄関口に170億円を投じた。「金沢の玄関口」に見合う立派な母屋=駅をつくってほしいとのメッセージをJRに対し送ったのだった。
インバウンド観光のツアーのガイドが金沢城の石垣を指さして、「加賀百万石」を「カガ・ワン・ミリオン・ストーンズ」と直訳しているとこのブログでも紹介したことがある。「百万石」はコメの量を示す尺貫法なのだが、金沢城には百万個の石があると説明されると、妙に納得する。
石垣の城郭は城をぐるりと囲むように広がる。中でも壮観なのは菱櫓(ひしやぐら)、
金沢城の石垣の石は8㌔ほど離れた戸室山の周辺から運ばれた安山岩だ。金沢では「戸室石(とむろいし)」として知られる。赤味を帯びた石は「赤戸室」、青味を帯びたものは「青戸室」と称される。戸室山で発掘した石を運んだルートを石引(いしびき)と言い、現在でも「石引町」としてその名前は残っている。
アメリカ軍はこれまで単独で2回、斬首作戦を実行している。2001年9月11日にニューヨ-ク・マンハッタンなどで起きた同時多発テロを仕掛けた国際テロ組織アルカイダの首謀者オサマ・ビン・ラディンに対して、
た。ただ、命名した人物には諸説ある。これ以降、兼六園のシンボルとも言える霞ヶ池が造られるなど本格的に手が入ることになる。兼六園に隣接する「いしかわ生活工芸ミュージアム」に、当時の加賀藩主から依頼を受けた幕府の老中・松平定信の筆「兼六園」の扁額=写真・上=が飾られている。
わりまで楽しませてくれて、潔く花の命を終わらせる。まさに散り際の美学である。武家の庭園らしい見事な花だと語り継がれる桜でもある。慶應年間(1865-68)に天皇より加賀藩主が賜わったものと伝えられ、別名「御所桜」ともいわれている。
10年ほど前の話だが、この曲水の源流を訪ねて水の流れの上流をさかのぼってみた。すると「山崎山」という兼六園のもっとも東側の小高い山の下に小さな洞窟があった。この中には入れないので、山崎山の裏側に回ると、池があった。ガイドマップには「沈砂池(しんさち)」という池だった。ここから向こうは兼六園ではないので、ここが曲水の発生源の池だと分かった。池は深く、よく見ると水道管と思われるパイプラインとつながっている。そこで、兼六園管理事務所を訪ねると、当時の所長が丁寧に説明してくれた。「この池は辰巳用水という江戸時代につくられた用水から水を引いている。ここで水を調整し、1秒間に160㍑の水が流れるように計算して下流に流している」と。