2022年 9月 の投稿一覧

☆台風去れど 岸田内閣への逆風止まず

☆台風去れど 岸田内閣への逆風止まず

   台風14号はきょう午前9時に東北地方の太平洋側へ抜けて温帯低気圧に変わったとニュースが伝えている。未明に能登半島を通過し、輪島では最大瞬間風速32.9㍍を記録したほか、金沢でも26.7㍍を観測している。窓ガラスを叩きつけるような激しい雨もあり、夜中に2度目覚めた。倒木などの被害がないか、自宅の周囲を見回ったが、外では肌寒さを感じた。午前9時で外気温は19度だった。台風が去り、北から冷たい風が入ってきているようだ。

   台風は去ったが、岸田内閣への逆風は止みそうもない。毎日新聞と社会調査研究センターの世論調査(今月17、18日)によると、内閣支持率は29%で、前回調査(8月20、21日)の36%から7ポイント下落した。不支持率は64%で、前回の54%より10ポイント増加した。各社の世論調査も下落傾向だが、20%台はこれが初めて。

   共同通信の世論調査(同)も各紙が報じていて、内閣支持率は40%で、前回調査(8月10、11日)から14ポイントも急落した。不支持率は18ポイント増の46%で、同調査で初めて岸田内閣の支持率と不支持率が逆転した。日経新聞とテレビ東京による世論調査(今月16-18日)でも支持率は43%で、2021年10月の政権発足後で最低となっている。不支持は49%だった。

   毎日新聞、共同通信、日経新聞ともに、内閣支持率の低迷、不支持率の急増の原因として、自民党と世界平和統一家庭連合(旧「統一教会」)との関係を上げている。岸田総理は今後、統一教会や関連団体と一切関係を持たないことを基本方針とし、党所属の国会議員との関係を点検して公表したが、自民党の対応は十分だと思うかという問いでは、「不十分」が毎日では76%、日経では79%、共同では80%となっている。もう一つの内閣支持率の低迷の要因が、安倍元総理の「国葬」をめぐって、だ。「反対」が毎日では62%、日経では60%、共同では61%となっている。

   注目するのは読売新聞の世論調査だ。読売の調査で内閣支持率の20%台は政権の「危険水域」、20%以下は「デッドゾーン」とよく言われる。第一次安倍改造内閣の退陣(2007年9月)の直前の読売の内閣支持率は29%(2007年9月調査)、その後の福田内閣は28%(2008年9月退陣)、麻生内閣は18%(2009年9月退陣)。民主党政権が安倍内閣にバトンタッチした2012年12月の野田内閣の支持率は19%だった。

   読売の直近の世論調査(今月2-4日)では、内閣支持率は50%と前回調査(8月10、11日)の51%と横ばいだった。岸田内閣はこの数字を見て、「まだまだやれる」と安堵しているのではないか。支持率は落ち始めると急カーブを描く。それが世論調査の怖さだ。

⇒20日(火)夜・金沢の天気   くもり時々はれ

★イギリスの女王国葬 洗練された伝統的な儀式

★イギリスの女王国葬 洗練された伝統的な儀式

   今月8日に死去したイギリスのエリザベス女王の国葬をNHKの放送とネットで生中継していた。国葬はロンドンのウェストミンスター寺院で執り行われ、就任間もないトラス首相が聖書を読み上げ、参列者が聖歌を歌った。女王の棺は「砲車」に載せられ、兵士に引かれて、チャールズ国王も行進していたた=写真=。

   その後、棺は車で運ばれ、沿道を埋め尽くした大勢の市民が歓声と花束を投げて見送っていた。そして、沿道ではマスクしている人の姿はなかった。中継を見た視聴者は、イギリスの洗練された伝統的な儀式を見て、国葬の真価に感じ入ったのではないだろうか。

   ふと、邪推が脳裏をよぎった。今月27日の安倍元総理の国葬には海外からの700人ほどが参列し、アメリカのハリス副大統領やインドのモディ首相、オーストラリアのアルバニージー首相も出席を予定していると報じられている。が、参列して、がっかりするのではないだろうか。「これが日本の国葬なのか」と。エリザベス女王の国葬とあまりにも違いすぎる、と。

   そもそも、国家元首でもない安倍元総理を「国葬」にする理由について、岸田総理は憲政史上最長の通算8年8ヵ月にわたり総理を務めたことなどを挙げていたが、エリザベス女王は在位70年だ。さらに、岸田総理は「弔問外交」の重要性を掲げているが、ハリス副大統領やモディ首相、アルバニージー首相のほかは、たとえば、G7では元職が多いようだ。

   おそらく、今後何かと国葬については、イギリスと比較されるのではないだろうか。

⇒19日(月)夜・金沢の天気      あめ

☆「かなりやばい」台風14号 金沢また猛暑そして豪雨か

☆「かなりやばい」台風14号 金沢また猛暑そして豪雨か

   「かなりやばい」。大型で猛烈な台風14号の見通しについて行われたきのうの記者会見で、気象庁の予報課長が思わず吐いた言葉だ。910ヘクトパスカルの猛烈な勢力を維持したまま九州に接近するとみられ、この勢力で鹿児島県の薩摩半島に上陸すると、これまで類似する台風がないような非常に危険な台風となる。台風は大きな雲を伴い、過ぎ去ったあとも大雨が続くと予想されると説明した。本人は相当に危機感を持っていたのだろう、「衛星画像を見ていて、かなりやばいなと思った。私が気象庁で働き始めてから見たことがない」と感情を露わにした。

   きょう午前中のNHKニュースによると、台風の接近で、鹿児島県の屋久島で午前9時すぎに43.5㍍、鹿児島市で午前9時に39.1㍍、宮崎県串間市で午前9時半ごろに37㍍の最大瞬間風速を観測している。風速35㍍以上は走行中のトラックが横転するくらいの「猛烈な風」だ。また、午前9時までの1時間に鹿児島県錦江町で68㍉、宮崎県都城市で53㍉の非常に激しい雨を観測している。鹿児島県と宮崎県の両県では「土砂災害警戒情報」が出されている。

   気象庁公式サイトで台風14号の進路予想図(18日午前10時現在)を確認すると、北陸地方には19日夜から20日朝にかけて最も接近しそうだ=写真=。さらに、金沢市の天気を日本気象協会の予報でチェックすると、あす日中は晴れで最高気温は35度の猛暑日、あさって20日朝は豪雨で風速15㍍、午後は晴れるものの日中の最高気温21度としている。前回、台風11号に見舞われた今月6日も南風のフェーン現象で、金沢市では最高気温が38.5度まで上がり、120年前の記録に並ぶ観測史上1位となった。

   風が強まり、台風の進路や雨雲の発達の程度によっては、石川県内も警報級の大雨になるおそれもある。台風14号、「かなりやばいぞ」。

⇒18日(日)午前・金沢の天気   くもり

★「小泉訪朝」から20年 「拉致1号事件」から45年

★「小泉訪朝」から20年 「拉致1号事件」から45年

   もう20年になる。2002年9月17日、当時の小泉総理が北朝鮮を訪れた。金正日総書記は小泉総理に対し、日本人拉致の事実を認めて謝罪した。拉致被害者5人の生存も確認され、帰国した。ただ、日本政府が認定している拉致被害者17人のうち、帰国できたのはこの5人だけだった。

   北朝鮮による拉致問題はいまだに解決していない。2021年11月、国連総会で人権問題を扱う第3委員会は北朝鮮に対してすべての拉致被害者の即時帰還を求める決議案を採択した。採択は17年連続となる。拉致被害者は日本だけではない。ヨーロッパではオランダ、フランス、イタリア、ルーマニアなど5ヵ国に及んでいる。アジアでは日本のほか韓国、タイ、マレーシア、シンガポール、マカオの6つの国・地域だ。   

   これまで何度か、日本人拉致「1号事件」の現場を訪れたことがある。能登半島の尖端近く、能登町宇出津(うしつ)の遠島山公園の下の入り江がその現場だ=写真・上=。1977年9月19日に事件は起きた。以下、当時事件を取材した元新聞記者のK氏から聞いた話だ。

   同年9月18日、東京都三鷹市の警備員だった久米裕さん(当時52歳)と在日朝鮮人の男(同37歳)はJR三鷹駅を出発。翌19日、現場と近い旅館「紫雲荘」に到着した。午後9時、2人は黒っぽい服装で宿を出た。怪しんだ旅館の経営者は警察に通報し、石川県警の捜査員らが現場に急行した。旅館から歩いて5分ほどの入り江で男は石をカチカチとたたいた。数人の工作員が船で姿を現し、久米さんを船に乗せて闇に消えた。男は外国人登録証の提示を拒否したとして、駆けつけた捜査員に逮捕された。旅館からはラジオや久米さんが持参していた警棒などが見つかった。

   しかし、当時は拉致事件としては扱われず、公にされなかった。その後、拉致は立て続けに起きた。同年10月21日に鳥取県では松本京子さん(同29歳)が自宅近くの編み物教室に向かったまま失踪(2号事件)。そして、11月15日、新潟県では下校途中だった横田めぐみさん(同13歳)が日本海に面した町から姿を消した(3号事件)=写真・下=。

   政府は拉致事件として認定していないが、1963年5月11日、能登半島の志賀町沖に刺し網漁に出た寺越昭二さん(当時36歳)、寺越外雄さん(同24歳)、寺越武志さん(同13歳)の3人が行方不明となり、後日、船だけが沖合いで発見された。1987年1月22日、外雄さんから姉に北朝鮮から手紙が届いて生存が分かった。2002年10月3日、武志さんは朝鮮労働党員として来日し、能登の生家で宿泊した。武志さんは「自分は拉致されたのではなく、北朝鮮の漁船に助けられた」と拉致疑惑を否定している。このケースは、北朝鮮の工作船と遭遇したため連れ去られた「遭遇拉致」と見られている。 

   1999年3月23日朝、能登半島東方沖の海上から不審な電波発信を自衛隊が傍受し、能登沖と佐渡島沖で2隻の「漁船」が発見された。北朝鮮の不審船による日本領海侵犯事件として、海上自衛隊と海上保安庁の巡視船など追跡したが、不審船は高速で逃げ切った。いまでも海上保安庁は北朝鮮の不審船による領海侵犯に目を光らせている。拉致事件は終わってはいない。

⇒17日(土)午後・金沢の天気    はれ

☆「旅するチョウ」アサギマダラが舞う季節

☆「旅するチョウ」アサギマダラが舞う季節

   「旅するチョウ」と称されるアサギマダラが能登や加賀の空に舞う季節がやってきた。このチョウは春は日本列島の北の方へ、秋には南の方へ。その距離は2000㌔にも及ぶと言われる。金沢大学に在職中はこの時季に学生や留学生といっしょに、能登半島で一番高い山である宝達山(637㍍)によく登った。山頂付近にはエサとなるフジバカマやホッコクアザミが繁っていて、東北方面からやってきたアサギマダラを間近に観察できた。

   地元でアサギマダラの保護活動を取り組んでいる人たちに同行してもらい、アサギマダラを捕獲し、マーキングして放す様子を見せてもらった。面白いのは捕獲の様子だ。右手で白いタオルを振り回すと、そのタオルをめがけてふわふわとまるでダンスを踊っているようにアサギマダラが飛んで来る。近寄って来たところを、左手に持ったネットで捕まえる。

   なぜアサギマダラは回るタオルに寄って来るのか。解説も面白かった。寄って来るタオルの色は白色と水色。白色と水色でも、回転しないタオルには寄って来ない。ゆっくり回すより、はやく回すと寄って来る。アサギマダラには回転する白や水色のタオルはどのように見えているのだろうか。吸蜜植物のホッコクアザミやフジバカマ、ヒヨドリバナなどお花畑が広がる光景のように見えるのかもしれない。

   ところで、「アサギマダラ」という名前はなぜついたのだろうか。ネットで調べると、「前ばねは黒、後ろばねは茶色の地色ではねの中央に透き通るような部分があります。この白い部分が新鮮な個体では青みがかっており、日本古来の色『あさぎ色』に見えることからアサギマダラの名前がついています」(「愛媛県総合科学博物館」公式サイト)との解説がある。

   アサギマダラの命は羽化後4、5ヵ月とされる。その間に2000㌔の旅をする。いま能登で蜜を吸って、これから小笠原諸島や与那国島、さらに台湾まで移動する。この時節は台風の季節でもある。向かい風をどう乗り切って南に向かうのか。そして、なぜ過酷な旅をするのか。人の人生というものを連想させる、不思議なチョウではある。

(※写真は、世界農業遺産「能登の里山里海」情報ポータル公式サイトより) 

⇒16日(金)夜・金沢の天気     はれ

★内閣支持率がドロ沼化 「聞くチカラ」の限界

★内閣支持率がドロ沼化 「聞くチカラ」の限界

   内閣支持率は下がる一方で、底が見えない。NHKの世論調査(電話・9月9-11日)によると、岸田内閣を「支持する」と答えた人は、前回調査(8月5-7日)より6ポイント下がって40%だったのに対し、「支持しない」と答えた人は12ポイント上がって40%となった。

   内閣支持率の足を引っ張っているとされるのが、安倍元総理の「国葬」(今月27日)の実施についてだ。「国葬」を行うことについて、「評価する」が32%、「評価しない」が57%だった。さらに「国葬」についての政府の説明は十分だと思うかとの問いでは、「十分だ」が15%、「不十分だ」が72%だった。

   そして、岸田内閣をさらに支持率低下へと引きづり込んでいるのが、自民党と世界平和統一家庭連合(旧「統一教会」)との関係だろう。自民党は、今後、統一教会や関連団体と一切関係を持たないことを基本方針とし、党所属の国会議員との関係を点検して公表したが、自民党の対応は十分だと思うかという問いでは、「十分だ」が22%、「不十分だ」が65%だった。「国葬」と合わせ、統一教会についても大半の有権者は納得いく説明がなされていないと感じているのだ。

   内閣支持率の低下は他のメディアの世論調査でも同様の結果が出ている。時事通信の世論調査(今月9-12日)によると、内閣支持率は前月比12ポイント減の32%と急落した。不支持率は同11ポイント増の40%で、初めて不支持率が支持率を上回った。「国葬」については「反対」が51%で、「賛成」は25%だった(15日付・時事通信Web版)。

   また、読売新聞の世論調査(今月2-4日)では、内閣支持率は50%と前回調査(8月10、11日)の51%と横ばいだったものの、不支持率は41%で、前回調査34%よりアップしている。「国葬」を決めたことに対する評価では、「評価しない」が56%で、「評価する」38%を上回っている。読売の調査でも、岸田総理がその意義や理由を十分に説明していないという不満が、否定的な評価として現れている。

   内閣支持率はドロ沼化している。内閣支持率の20%台は政権の「危険水域」、20%以下は「デッドゾーン」と言われる。「聞くチカラ」を岸田総理は強調してきたが、いま必要なのは説得ある政策の実行だろう。政権が反社会的な宗教団体との関係性を絶つには、税務調査と警察による情報収集で実態解明に着手すること。その上で、問題が露呈すれば非課税などの優遇措置の解除、場合によっては解散命令(宗教法人法第81条)を検討すると有権者に公約することだ。 

   苦境に陥っている岸田内閣をいま高笑いして眺めているのは、むしろ統一教会の教団幹部ではないだろうか。「岸田さん、地獄の底までお付き合いさせていただきますよ」と。

⇒15日(木)夜・金沢の天気   くもり

☆ドングリ実らぬ秋の山 クマ出没警戒アラート

☆ドングリ実らぬ秋の山 クマ出没警戒アラート

   「クマが出るので注意を」。石川県はきのう、メディアなどを通じてツキノワグマ出没警戒情報を出した=写真・上=。県庁公式サイトによると、ことし1月から8月までに報告されたクマの目撃情報は208件で、過去最多のペースで増えている。クマ出没警戒情報が出されるのは15人の人身被害が出た2020年以来だ。

   ふだんは山奥にいるクマが人里に降りてくるのは、エサ不足が主な原因とされる。とくに冬眠前になるとクマも必死にエサを探し求めて人里に降りてくる。そのエサとなるブナの実のドングリが、県が調査した24ヵ所中16ヵ所で「大凶作」ないし「凶作」だった。このことから、秋の深まりとともにクマの出没頻度が高まると予測される。

   クマは場所を選ばない。これまで金沢市内のいろいろなところに出没している。金沢の野田山は加賀藩の歴代藩主、前田家の墓がある由緒ある墓苑だ。市街地とも近い。お供え物の果物を狙って出没する。なので、「お供え物は持ち帰ってください」との看板が随所にかかっている=写真・下=。

   クマは中心街にも出る。兼六園近くの金沢城公園で、たびたび出没していたことから、捕獲用のおりを仕掛けたところ体長1㍍のオスがかかったことがある(2014年9月)。周辺にはオフィスビルなどが立ち並ぶ。

   クマは柿が大好物だ。一度食べたら、また翌年も同じところに柿を食べにくると言われる。知人から聞いた話だ。痩せたクマが金沢市街地の民家の柿木に登って、無心に柿の実を食べていた。通報を受けたハンターが駆けつけたが、その無心に食べる姿を見て、「よほどお腹がすいていたのだろう」としばらく見守っていた。満足したのか、クマが木から下りてきたところをズドンと撃った。クマはたらふく食べることができてうれしかったのか、目に涙が潤んでいたという。

    クマの出没は県内では金沢や加賀地方を中心だが、その余波が能登地方にも及ぶ。まもなくキノコ採りのシーズンを迎えるが、出没警戒情報が出されるとクマの出没が比較的少ない能登地方に金沢や加賀地方のキノコ採りの人々がやってくる。能登の人々にとっては迷惑な話なのだが、能登の人たちが目指しているキノコはコノミタケと地元で呼ぶホウキダケの仲間だ。コノミタケと能登牛のすき焼きは季節の料理として人気がある。

   一方、金沢や加賀地方からやってくる人たちは、能登ではゾウゴケ(雑ゴケ)と呼ぶシバタケがお目当て。目指すものが異なるので、山でトラブルになったという話は余り聞いたことがない。ただ、マツタケがはえる山には縄を張って、立ち入りを警告する山主もいる。クマの話がいつの間にかキノコに逸れた。

⇒13日(火)午後・金沢の天気   はれ

★「ニュース砂漠」広がるアメリカ

★「ニュース砂漠」広がるアメリカ

   アメリカのメディアの現状を理解する上で興味深いが調査報告がノースウエスタン大学の公式サイトに掲載されている。「As newspapers close, struggling communities are hit hardest by the decline in local journalism」の見出し=写真・上=で、新型コロナの感染拡大が始まった19年末以降で日刊や週刊などを合わせた地方紙が360紙超が廃刊となっていて、過去17年間では地方紙全体の4分の1以上にあたる2514紙を失ったとしている。「ニュース砂漠(news deserts)」がアメリカ全土に広がっていて、「草の根の民主主義」の危機と訴えている。

   地方紙が廃刊に追い込まれる理由として、社会のデジタル化と、リーマン・ショックやコロナ禍による広告収入の減少が原因としている。確かに、地元で何が起きているかを住民が知ることができない「ニュース砂漠」化は地域に深刻な問題をもたらすかもしれない。実例がある。

   カリフォルニア州ベル市(3万5000人)では1998年ごろに地元紙が休刊となり、市役所に記者が来なくなった。2010年にたまたま同市を訪れた「ロサンゼルス・タイムズ」の記者が市の行政官(事務方トップ)の年俸を聞いて驚いた。オバマ大統領の年俸の2倍に相当する78万7000㌦を受け取っていた。市議会の承認を得て、議員や警察署長、公務員給与も引き上げ、まさにお手盛りの高額給与。低所得の労働者が住民の大半で、住民の6分の1が生活保護レベルの貧困を強いられている市で起きていた出来事だった。メディアの記者が入ればチェックできた行政の汚職が10年余りはびこっていた。(※写真・下は、ベル市幹部の汚職摘発を報じるロサンゼルス・タイムズ紙=2010年7月23日付)

   新聞紙だけでなく、記者も激減した。1990年代に5万6千人とされたが2014年には3万8千人に減った(アメリカ連邦通信委員会=FCC)。新聞だけでなく、ネット動画配信が普及し、コードカッティング(Cord Cutting)と呼ばれる「テレビ離れ」も深刻で、テレビ業界の経営も危ぶまれている。

   アメリカのこうしたアナログメディアの減少による、「ニュース砂漠」「取材空白地」といった現象は日本でも起こりうるのか。そもそも新聞の収入構造がアメリカと日本では異なる。アメリカの新聞は販売収入が2割、広告収入が8割とされ、経営は広告に左右されやすい。日本は戸別配達が普通で販売収入が7割、広告収入が3割であり、経営は広告に左右されにくいとされる。が、購読者の減少などで苦戦が強いられているのが現状だ。

   テレビはどうか。「2021年 日本の広告費」(電通)によると、インターネット広告費が2021年に2兆7000億円となり、マスコミ4媒体(テレビ、新聞、雑誌、ラジオ)の広告費(2兆4000億円)を初めて上回った。テレビ広告費は巣ごもり・在宅需要などで前年比で二桁増となったものの、先行きは楽観できない。日本のアナログメディアも遠からず、アメリカの後追いをすることになりかねない。

⇒12日(月)午後・金沢の天気    はれ

☆「9・11」から21年、アメリカの徹底した対テロ戦争

☆「9・11」から21年、アメリカの徹底した対テロ戦争

   きょうは2001年に起きたアメリカでの同時多発テロ事件「9・11」から21年となる。国際テロ組織アルカイダによるテロは現地時間で午前8時46分だった。ニューヨ-ク・マンハッタンの高層ビル「ワールドトレードセンター」に民間航空機が追突した。日本でも当初、航空機事故としてテレビ朝日の報道番組「ニュースステーション」などは生中継で伝えていた。間もなくして、2機目が同じワールドトレードセンターの別棟に突っ込んできた。世界中の視聴者がテロリズム(terrorism)の目撃者になった瞬間だった。日本人24人を含む2977人が死亡した。

   アメリカは「テロとの戦い(War on Terrorism)」を錦の御旗に掲げ新たな戦いを始める。当時のブッシュ大統領はアフガニスタンで政権を握っていたタリバンが、テロ事件の首謀者とされたオサマ・ビン・ラディンをかくまっていると非難。同年10月にはアメリカが率いる有志連合軍がアフガンへの空爆を始め、タリバン政権は崩壊する。

   テロとの戦いはオバマ大統領に引き継がれ、2011年5月1日、パキスタンのイスラマバードから60㌔ほど離れた、ビン・ラディンの潜伏先をステルスヘリコプターなどで奇襲し殺害。DNA鑑定で本人確認をし、アラビア海で待機していた空母カール・ビンソンに遺体を移送し、海に水葬した。

   ことし7月30日、アメリカはもう一人の首謀者とされていたアイマン・アル・ザワヒリを潜伏先のアフガンのカブール近郊のダウンタウンで、無人攻撃機に搭載した2発のヘルファイアミサイル(空からの対戦車ミサイル)で攻撃し殺害した。ホワイトハウスでの声明で、バイデン大統領は「Now, justice has been delivered and this terrorist leader is no more.」とアルカイダとの戦いの集結を宣言した。

   これで、対テロ戦争は終わったのか。テロリズムはテロ集団と国家だけではなく、国家と国家という図式もアメリカにはある。ブッシュ大統領が「9・11」の翌年2002年の一般教書演説で述べた「悪の枢軸」がこれだ。それ以前からイランやイラク、北朝鮮などを「テロ支援国家」や「ならずもの国家(rogue state)」などと称して敵視してきた。いまでもアメリカではこの認識は根強い。

   では、日本人はこの「9・11」から何を学んだのだろうか。その後も欧米で自爆テロなどが繰り返され、遠巻きながら日本人もテロに恐怖心を抱き、身構えるようになった。JR駅からゴミ箱が撤去されたのはその一例。2017年には北朝鮮による弾道ミサイル発射を警戒した全国瞬時警報システム「Jアラート」が作動するようになった。

   そのJアラートなどを用いた住民避難訓練について、政府は今月から北海道や沖縄県など8道県の10市町村で実施を再開する(今月10日付・時事通信Web版)。2018年6月に米朝首脳会談が行われて以降、緊張緩和が進んだとして政府は実施を見合わせていた。4年ぶりだ。

⇒11日(日)午後・金沢の天気     はれ

★天皇が参列するイギリスの国葬、しない日本の国葬

★天皇が参列するイギリスの国葬、しない日本の国葬

   前回のブログの続き。イギリスの君主として歴代最長となる70年にわたって在位してきたエリザベス女王が96歳で亡くなった。女王の国葬は2週間以内にウェストミンスター寺院で執り行われる予定(9日付・BBCニュースWeb版)。

   NHKニュースWeb版(10日付)によると、エリザベス女王の国葬には天皇陛下が参列される方向で政府と宮内庁の間で調整が進められている。皇室とイギリスの王室は、昭和28年(1953年)に上皇がエリザベス女王の戴冠式に昭和天皇の名代として出席するなど、古くから親密な関係にある。天皇陛下は2019年5月に即位後、2020年にエリザベス女王からイギリスに招待されていたが、新型コロナウイルスの影響で延期となっていた。こうした経緯など踏まえてイギリスでの国葬に参列する調整が進められている、という。

   エリザベス女王の国葬には、天皇陛下が参列する。そして、安倍元総理の国葬(今月27日)には、秋篠宮夫妻ら皇族の参列を宮内庁が調整していると報じられている(8月29日付・毎日新聞Web版)。葬儀委員長を務める岸田総理から宮内庁に「皇族各殿下」の国葬への参列依頼が文書で出されていた。「皇族各殿下」には天皇、皇后両陛下と上皇ご夫妻は含まれない。両陛下と上皇ご夫妻は使者を派遣するとみられる。1967年の吉田元総理の国葬には、当時は皇太子夫妻だった上皇ご夫妻が参列し、昭和天皇ご夫妻は使者を派遣した。2020年の中曽根元総理の内閣・自民党合同葬には秋篠宮夫妻が参列し、両陛下と上皇ご夫妻は使者を派遣している(同)。

   上記の記事を読んでの印象だが、日本の国葬には天皇、皇后両陛下はこれからも参列しないだろう。国葬に関して取り決めた法律がない、また、国葬に値する人物の基準もないので当然と言えば、当然だろう。議論を呼ぶような国葬にあえて両陛下が参列するはずもない。岸田総理は国会の閉会中審査(今月8日)で「憲政史上最長(通算8年8ヵ月)の政権を担った」「暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜くという決意を示す」などと国葬を実施する理由を繰り返し述べていたが、政権の単なる理屈にすぎない。

   国葬は国民がこぞって賛同するような価値基準がない限り難しい。内閣府設置法という法律の枠組みの中で「国の儀式」が出来るから国葬を行うというのでは、今後さらに有権者の反発を招くのではないか。

(※写真は、2020年10月17日に都内のホテルで営まれた中曽根元総理の「内閣・自民党合同葬」=総理官邸公式サイトより)

⇒10日(土)夜・金沢の天気   はれ