★AI、ヤポネシア人、新幹線、ミンコフスキ
きょう(26日)一日の行動をキーワードで表現すれば、少々長ったらしいタイトルにあるように「AI、ヤポネシア人、メンデルスゾーン、新幹線」だった。行動範囲も広く金沢と東京の往復だった。
午前9時46分、JR金沢駅から北陸新幹線「かがやき」に乗った。目指すは東京・品川にある日本マイクロソフト社。午後2時からの勉強会「AIと放送メディアの活用を考える」(主催・月刊ニューメディア)に参加するためだった。金沢大学での講義「マスメディアと現代を読み解く」「ジャーナリズム論」の科目を受け持っていて、AIとメディアのつながりの可能性について関心があり、参加を申し込んでいた。
北陸新幹線での金沢駅から東京駅への所用時間は2時間28分。この時間を利用して、読みかけの本がカバンにあったので取り出した。『日本人の源流 核DNA解析でたどる』(斎藤成也著、河出書房新社)。著書は10年足らずの間に急速に蓄積してきた膨大な核ゲノム・データの解析結果を分析して、日本人のルーツを論じている。アフリカを出た人類の祖先はいかにして日本列島にたどりついたのか、縄文人や弥生人とは異なる集団が存在したのではないか、日本列島の民を「ヤポネシア人」と定義して、謎解きに挑んでいるのが面白い。
午後0時20分、ぴったりに東京駅に着いた。品川の日本マイクロソフト社に向かう。品川駅の港南口を出ると同じようなビルが高層ビルが群立していて、とにかく場所が分かりにくい。近くの書店で店員に尋ね、「確か、向こうのビルです」と指刺された方向を歩く。オフィスはテレビや雑誌に取り上げられることも多く、TBSで放映された「安堂ロイド〜A.Ⅰ. Knows Love?〜」や「下町ロケット」で、企業オフィスシーンの撮影に使用されたことでも有名なのだが。
午後2時00分、東京湾が一望できる31階で勉強会「AI(人工知能)と放送メディアの活用を考える」が始まった。東京大学大学院情報理工学系研究科 の山崎俊彦准教授が「AI研究と放送メディアへの応用」と題して講演が面白かった。番組(TV局、曜日、時間帯)、役者(俳優、女優)、スタッフ(原作、脚本、監督、主題歌など)、役者人気(検索、Twitter)などのデータをAIで解析すれば、放送前でも視聴率が予測できる時代なのだ。また、「AIジャーナリズム」を掲げて、SNSの画像をAIで解析してメディアに提供、さらに「AIアナウンサー」を提供している株式会社「Spectee」代表取締役の村上建治郎氏の話はとてもリアルだった=写真・上=。たき火と火災の写真の違いの判断、偽造写真をAIが分析する時代だ。そこで質問をした。「昨年正月にドイツのドルトムントでイスラム教徒の暴動で、教会に放火とのフェイクニュースが世界的に問題となった。フェイクニュースを摘発するAIを開発してはどうか」と。すると「実は、すでに着手・・」と話が広がった。
午後5時24分、東京駅から北陸新幹線「かがやき」に乗った。読みかけの本『日本人の源流 核DNA解析でたどる』の続きを。「あとがき」の最後は「本書を、故埴原先生に捧げる」と締めくくられていた。もう40年余りも前の話だが、東京の学生時代に、人類学者の埴原和郎氏の研究室を訪ねたことを思い出した。いきなり「君は北陸の出身だね」と言われ、ドキリとしたものだ。その理由を尋ねると、「君の胴長短足は、体の重心が下に位置し雪上を歩くのに都合がよい。目が細いのはブリザード(地吹雪)から目を守っているのだ。耳が寝ているのもそのため。ちょっと長めの鼻は冷たい外気を暖め、内臓を守っている。君のルーツは典型的な北方系だね。北陸に多いタイプだよ」。ちょっと衝撃的な指摘だったものの、目からウロコが落ちる思いだったことを覚えている。
午後7時58分、金沢駅に着いた。「あと7分しかない」と年甲斐もなく駅構内を走った。金沢駅前の県立音楽堂で開催されているマルク・ミンコフスキ氏指揮のクラシックコンサートを聴くためだ。ミンコフスキ氏は現在フランス国立ボルドー歌劇場の音楽監督だが、こし9月からオーケストラ・アサンブル金沢(OEK)の芸術監督に就くことなっている。指揮する姿をぜひ一度見たいとS席を購入していた。ただ、東京で勉強会もあるので、3曲目のメンデルスゾーン交響曲第4番「イタリア」が始まる午後8時15分までに音楽堂に入る予定だった。
ところが番狂わせが起きた。当初は①序曲「フィンガルの洞窟」(11分)、②交響曲「スコットランド」(38分)、③交響曲「イタリア」(27分)だった。休憩は午後7時55分-8時15分だった。前日の25日になって①序曲「フィンガルの洞窟」(11分)、②交響曲「イタリア」(27分)、③交響曲「スコットランド」(38分)に順番が入れ替わったのだ。したがって休憩は午後7時45分―8時05分と10分前倒しとなった。この知らせをOEKスタッフの知人から聞いて慌てた。金沢駅到着7時58分、演奏8時05分、「あと7分」と走ったはこのためだった。
結果的に休憩時間も後にずれたので間に合った。ミンコフスキ氏のタクトを十分に楽しませてもらった。ちょっと印象的だったのは、服装だった。これまでのOEK音楽監督の故・岩城宏之氏や井上道義氏を見てきたので、指揮者はタキシ-ドというイメージだったが、ミンコフスキ氏は体にぴったりのこげ茶色のディレクターズウエアだった。年齢は55歳、丸肩で肉付きがよく幅広タイプの体格。指揮する後ろ姿は、言葉はふさわしくないかも知れないが、クマが起ち上って体を左右上下に動かし、タクトを振っているようなイメージでとても「おちゃめ」な感じがしたのは自分だけだろうか。
⇒26日(月)夜・金沢の天気 はれ
同プログラムがスタートしたのは2007年、「能登里山マイスター養成プログラム」(科学技術振興機構「地域再生人材創出拠点の形成」補助事業)として5年間、2012年からはその後継事業として「能登里山里海マイスター育成プログラム」(大学と自治体の共同出資)を実施し、現在に至っている。今年11年目、これまで144人のマイスターを輩出。ここに来て、栄誉ある賞をいただいた。全国の大学や産業支援機関でつくる「全国イノベーション推進機構ネットワーク」による表彰事業「イノベーションネットアワード2018」で最高賞の文部科学大臣賞を受賞した。先日23日に東京で表彰式があった=写真=。
「保存が効くマデイラワインは大航海時代に重宝され、旅するワインとも言われたようです」とマスターは歴史の話を持ち出した。15世紀ごろからポルトガル、スペイン、イギリスなどからアフリカ、アジア、そしてアメリカ大陸への航海が始まる。保存性が良い酒精強化ワインは大航海の必需品となった。マデイラワインをもっとも有名にしたのは1776年、後に大統領となるトーマス・ジェファーソンが起草したアメリカ独立宣言が大陸会議で承認され、祝った酒がマデイラワインだったとの伝説だ。
「まともな時間」と冒頭で述べたが、それでもフィギャースケートのハイライトと、スピードスケートのハイライトの開始時間が8時間もあるのはなぜか。韓国が開催国なのだから同国のテレビ視聴のゴールデンタイム(午後7時‐同10時)にハイライトを中継できないのか。と言いながらも、私はかつてテレビ局で番組づくりに携わっていたので、裏事情を明かすことにする。
国宝・松林図屏風を初めて鑑賞したのは2005年5月、石川県立七尾美術館だった。等伯が生まれ育った地が七尾だ。もとともこの作品は東京国立博物館で所蔵されている。七尾美術館が会館10周年の記念イベントとして東京国立博物館側と交渉して実現した。当時、国宝が能登に来るということで長蛇の列だった。東京国立博物館は俗称「トウハク」、等伯と同じ語呂だと話題にもなっていた。
日本海側の各地の海岸で北朝鮮の難破船がすさまじい勢いで流れ着いている。石川県だけでも、きょう羽咋市の海岸で木造船が1隻見つかった。今月11日にも加賀市の海岸で木造船が1隻、10日にも志賀町の海岸に2隻、9日にかほく市で1隻、7日に輪島市で1隻と、今月だけでも6隻が漂着している。1月には10日に7人の遺体が見つかった木造船が金沢市の海岸に、24日と28日に志賀町と羽咋市にそれぞれ1隻、計3隻が流れ着いている。ことしに入って石川県の海岸だけで9隻も、だ。船体にハングルと番号表記があり、船底が平らな同じ型の船だ。漁網などもあり漁船と推測される。船の大きさにもよるが、1隻に8人が乗っていたと仮定すれば72人の人命が失われている。すさまじい現実だ。
(わだち)があちこちにでき、そこに軽四の自動車などがはまって、動けなくなるケースが町内でも続出していた。デイケアなどの福祉車両も通るため、町内会では人海戦術で一斉除雪となった=写真・上=。
過ぎており、「ワタシにはちょっと重すぎる」と言われたので、私がツルハシを引き受けた。ツルハシは見たことはあるものの、作業は初めて。とにかくやってみた。大きく頭上に振り上げて降ろすときは全身を腰ごと下げる。すると、凍った雪がパカンと割れた。ブロックのサイズだが、きれいに割れた。周囲で見ていたご近所さんも「この人こんなことができるんだ」と言わんばかりにうなずいてくれた。うれしくなって2度目、今度はブロックが3つに割れた。「ひょっとしてオレにはツルハシの仕事は向いているのかしれない」と3度目。ご近所さんたちは割れた雪をスコップで、あるいは手で道路側面に積み上げていく。除雪作業のピッチが上がってきた。
日などはテレビ画面がブラックアウトとなる日がこれまで何度かあった。完全復旧に向けて遅くとも8月末までかかるようだ(北陸放送HPより)。
1時間ほどだったが、屋根雪降ろしをして、今度は1階の土間に行く。土間の木戸がなかなか開かない。落とした雪が軒下に積み上がり、木戸を圧迫していているのだ。何とか木戸を開けると、背丈をはるか超える雪壁が迫っていた=写真・上=。2006年6月に、南極の昭和基地と金沢大学をテレビ電話で結んで、小中学生向けの「南極教室」を開催したことがある。そのときに、観測隊員が基地内の戸を開けると、雪が戸口に迫っていて、「一晩でこんなに雪が積もりました」と説明してくれたことが脳裏にあった。木戸を開けて、「南極や」と思わず声が出た。
このままにしておくと、落雪の圧迫で木戸が壊れるかもしれない。そこで木戸と雪壁の間隔を30㌢ほど空ける除雪作業を行う。スコップで眼前の雪壁をブロック状に掘り出すのだ。木戸6枚分の幅を除雪するのにこれも1時間ほどかかった=写真・中=。除雪は楽しみや義務ではない。迫りくるダメージという、危機感との闘いなのだと改めて意識した。
きる絶妙な風味であることに初めて気がついた。癒されるのだ。
ブルドーザーなど重機のオペレーターには頭が下がる。深夜、早朝関係なく出動して交通インフラの復旧に奔走しているのだ。雪国の持続可能性とは閉ざされた生活空間でいかにじっと耐えて暮らすかではなく、自然の猛威にいかに柔軟に対応して生活インフラを速やかに復旧させるかだろう。