☆そこにブログがあるから
ブログ「自在コラム」を元に構成した出版した『実装的ブログ論 日常的価値観を言語化する』(幻冬舎ルネッサンス新書)の帯封に書かれている「ニュースはいつも自分のなかにある」は出版社が考えたチャッチフレーズだが、まさに私が言いたいことのポイントだ。
日常には多彩なニュースであふれていると思って、周囲を観察するとさまざなことが見えてくるのだ。それをニュースとしてブログにする。雪の日の朝のご近所さんとの会話から、街の除雪のルールや金沢人の季節感を描くことできる。庭に咲く花から、茶道の文化を語るきっかけになることもある。冬型の気圧配置が続いている日本海の荒波が押し寄せてる能登の海岸を眺めれば、国際ニュースにもなっている北朝鮮の木造漁船はさらに転覆軒数が増えるのではないかと不安がよぎる。それはまさに自分の中にあるニュースだ。
私が大学のプログラムで通っている能登を眺めれば、少子高齢化や若者の農業・地方離れといった多くの地方が抱える問題がそのまま見えてくる。この問題は能登だけでなく東南アジアや欧米でも起こっているのだ。グローバルな課題が能登で見えるではないか。だったら、「課題先進国」ニッポンとして、世界に向けて問題解決へのアプローチをいち早く提案してもよい。その取り組みが実施にそこで行われているのだから。
ところが、ニュースは新聞やテレビにお任せになっている。ニュースは視聴するものだ、読むものだという感覚に私たちは慣れ切ってしまっている。しかも、マスメディアは東京目線のニュースの価値付けに偏っている。東京にばかり目を向けず、しっかりと日常や地方にも目を向ける必要がある。もちろん、地方には新聞社もテレビもある。ニュースはマスメディアにお任せではなく、自分のニュースを発信しようという発想でなのだ。そこにブログがある。これを使わない手はない。
話は少々くどくなるが、本作のタイトルにもある「日常的価値観の言語化」はごく簡単に言えば、自ら日頃考えていること、思うことを言葉として伝えることである。つまり、ブログのように文章化して、読み手に自分の考えを伝えることだ。文書の構成は起承転結でなくてもよい。結論を先に持ってくる逆ピラミッド型もありだ。問題は読み手に伝える技術である。言葉に皮膚感覚や、明確な事実関係の構成がなければ伝わらない。実際に見聞きしたこと、肌で感じたこと、地域での暮らしの感覚、日頃自ら学んだことというのは揺るがないものだ。
それらは日常で得た自らの価値観なのである。その価値観を持って、思うこと、考えることを自分の言葉で組み立てることが「実装」なのだ。ブログを書く作業は、他のSNS と違って実に孤独だ。ただ、誰にも気兼ねせず、邪魔されずに自分の価値観を言語として実装するには最高の場でもある。
⇒7日(木)夜・金沢の天気 くもり