☆秋の夜長、祭りに浸る
「盆や正月に帰らんでいい、祭りの日には帰って来いよ」。能登の集落を回っていてよく聞く言葉だ。能登の祭りは集落や、町内会での単位が多い。それだけ祭りに関わる密度が濃い。子どもたちが太鼓をたたき、鉦(かね)を鳴らす。大人やお年寄りが神輿やキリコ=写真=と呼ばれる大きな奉灯を担ぐ。まさに集落挙げて、町内会を挙げての祭りだ。
2011年8月、輪島市のある集落から、金沢大学地域連携推進センターに所属する私にSOSが入った。「このままだと祭りの存続が危うくなる。学生さんたちのチカラを貸してほしい」と。当時地域連携コ-ディネーターをしていた私は事情を聴きに現地に足を運んだ。黒島地区という集落。ここで営まれる天領祭は江戸時代からの歴史がある。かつて、北前船で栄えた町で、幕府の天領地でもあったことから曳山は輪島塗に金箔銀箔を貼りつけた豪華さ、奴振り道中など、他の能登の祭りとは異なる都(みやこ)風な趣の祭りだ。
SOSの電話をいただいた祭礼実行委員会の方と会って、話を聞くと行列の先導の旗を持つ「旗持ち」に女子学生10人、曳山の運行で方向転換など担う「舵棒取り」に男子学生10人のサポートが欲しいとの要望だった。他の大学の学生も含め20人余りが、8月17、18日の両日に営まれた天領祭に参加した。今年は40人余りの学生を連れて参加した。もともと、地元の高校生や帰省した若者らがその役回りを担っていたが、少子高齢化で担う人数そのものが減少しているのだ。
ほぼ毎年参加しているが、頼まれ仕方なくではなく、学生たちには地域の伝統文化を実際に体験する、フィールドの学びとして貴重な教育プログラムにもなっている。こうした地域の祭り体験ができるプログラムは日本人学生だけではなく、海外からの留学生にとっても貴重な「日本体験」になっている。今年の天領祭で、インドネシアから修士課程で来ている女性は、見事な太鼓のバチさばきで地元のベテランから一目置かれる存在になった。
能登だけではなく、多くの過疎地で祭礼の人手不足現象が起きていることは想像に難くない。それは危機的だ。一方で祭りが大好きな都会人や、日本で文化体験をしたいインバウンドは大勢いるはずだ。人手不足の祭礼と、参加したい人たちとのマッティングをどうビジネス化していくか、まさに課題解決型のビジネスだ。
そうそう、私は能登半島の先端・珠洲市の方から、「ことしもお願いします」と依頼され学生たち6人を連れて、10月13日にキリコ祭りに行く。秋の夜長、どっぷりと祭りに浸る。
⇒30日(土)夜・金沢の天気 はれ
午後2時すぎ、金沢大学で担当している共通教育科目「マスメディアと現代を読み解く」を履修した学生たちに次のようなメールを出した。「きょう臨時国会で冒頭解散があり、10月22日の衆院選挙が決まりました。メディア(新聞・テレビ)は選挙情勢や候補者の当落など分析に動いています。ここでお誘いですが、22日の投票が終わり次第、開票作業が始まります。この開票作業を双眼鏡でウオッチして当落を見極める「開披台(かいひだい)調査」というメディア独自の調査手法があります。メディアと連携して開披台調査を実施します。学生30人を募集します。この調査に参加するとメディアの選挙報道の在り様を学ぶことができます。交通費・手当も出ます。10月12日に説明会を開催しますので、参加希望の学生は集まってください。講義を履修していない学生の参加も可能です。」
25日午後6時からの安倍総理の記者会見をNHK総合でライブで視聴した。質問時間を入れて40分だった。この記者会見で、安倍総理は今月28日召集の臨時国会の冒頭で解散する方針を固め、その解散の理由を事前表明し国民に理解を求めた。衆院解散ならば10月10日に公示、同22日に投開票となる。
北朝鮮は15日朝、平壌近郊から弾道ミサイルを発射した。北朝鮮が8月29日に発射したものと同じ中距離弾道ミサイルで、北海道上空を通る飛行コースもほぼ同じだった。16日に北海道で買い求めた新聞各紙は「渡島半島と襟裳岬の上空を通過するルートは北朝鮮の『実験街道』になっているのではないか」と今後もミサイルの通過があると危惧する記事を載せていた。
先のブログで述べた 定期的に噴火を繰り返す有珠山と共生する、という周辺地域の人々の価値感があれば、被災地域を超えて「大地の公園」、ジオパークという発想に立てる。ところが、ミサイル発射は人為的なリスクだ。それでも、北海道の人々は自然災害と同じように「防災」「減災」「リスクヘッジ」をひたむきに追求している。もちろん、この危機対応や被災に対する心構えといった感性は北海道の人々だけではないのは言うまでもない。
自然のシステムや生物の営み、人々の生業(なりわい)、歴史、技術などを総合的に評価するものだ。
教育を通じて共有の認識となる。さらに気象庁は火山の監視と診断(緊急火山情報、臨時火山情報、火山観測情報)の精度を高め、大学などの研究機関は予測手法の確立(マグマの生成、噴火に伴う諸現象など)をすることで「火山学」を極める。
学生からさっそくこんな質問が飛んだ。「冷凍庫に冷凍イカを出し入れする際にどのような服装で入るのですか」と。すると漁協職員は「普段着ですよ」と。冷凍イカは箱詰めされていて、フォークリフトで出し入れする。そのフォークリフトの運転席は個室タイプになっていてドアを閉めて暖房を入れることができる。すると普段着でもマイナス28度の冷凍庫に入ることができる、というわけ。ニーズに応じたフォークリフトがあるのだ。
講義の後、稲刈りが終わって、はざ干しされた田んぼに出かけた。稲の言い匂いが漂ってきた。学生や留学生は始めてという。ただ一人、ベトナムからの女子留学生は「私も好きです。農村の匂いです」と。
午後、珠洲市で開催されている「奥能登国際芸術祭」の会場を巡った。印象深い作品を2つ。塩田千春:作品「時を運ぶ船」(旧・清水保育所)=写真・上=。珠洲市の塩田村の近くに、塩田氏が奇縁を感じて作品に取り組んだと地元のガイドが説明してくれた。赤い毛糸を部屋の全方位に巡らし、下に佇む、ひなびた舟。この赤い空間と舟は、人々の血のにじむ屈折と労働、そして地域の歴史を支えてきた子どもたちを育んだ胎内を表現しているのだろうか。直接話が聞きたくて「作者の塩田さんはここにおられますか」とガイド氏に尋ねると、「体調を壊されましてドイツに戻っておられます」と。作品づくりについて直接話を聞いてみたい一人だ。
国指定史跡である雨の宮古墳群は、眉丈山(びじょうざん)の尾根筋につくられた古墳群で北陸最大級。地元では古くから「雨乞いの聖地」として知られた。尾根を切り開いて造られた古墳は前方後方墳(1号墳)と前方後円墳(2号墳)を中心に全部で36基が点在している。全長64㍍の1号墳は、4世紀から5世紀の築造とされ、古墳を覆う葺石(ふきいし)も当時ままの姿。早稲田大学から参加したイギリス人の女子留学生は「まるでエジプトのピラミッドのよう。この地域の富と人々の知恵がなければ造れないですね」と考察した。山頂にあるこの古墳からは周囲の田んぼが見渡すことができる。この地域はコメの産地であり、海上交通・輸送の一大ルートだった。粘土で被われた石棺から、全国でも珍しい四角い鉄板で綴った短い甲、鉄剣、神獣鏡、腕飾形碧玉など多数出土している。古墳時代の能登がこの地でイメージできる。
させて広大な地域に対する超強力EMP攻撃まで加えることができる多機能化された熱核戦闘部だ.)と戦闘能力を誇っている。ここに出てくる「EMP」、これが電磁パルス(electromagnetic pulse)のことだ。北朝鮮は初めて公式にEMP開発の事実を明らかにした。
(朝鮮民主主義人民共和国の核兵器研究所声明 – 大陸間弾道ロケット搭載用スソタン試験で完全に成功)。スソタンは朝鮮語で「水素爆弾」のこと。
