☆鼻毛大名のヒストリー
前回(5月11日)のブログ「★気になる沖縄での動き」を書いてから、アメリカで起きたトランプ大統領をめぐる動きが気になっている。それはトランプ氏とロシア側との不適切なかかわり「ロシアゲート」疑惑の始まりではないかとメディアで騒がれている、FBIのジェイムズ・コミー長官解任事件(5月9日)だ。トランプ氏の「やましい」ところを内外に晒す格好になった。さらに、司法省は去年のアメリカ大統領選挙にロシアが介入したという疑惑を捜査するため、ロバート・モラー元FBI長官を特別検察官に任命(5月17日)。一気にロシアゲート疑惑に真実味が帯びてきた。25日にはアメリカのメディアが、FBIが、トランプ氏の義理の息子で上級顧問を務めるジャレッド・クシュナー氏の事情聴取を検討していると伝えた。
こうした一連の動きにで気になっていることは、追い込まれたトランプ氏は何をしでかすか分からない。ひょっとして、メディアや世論の目をそらすため、北朝鮮への「斬首作戦」を実行するのではないかと。その実行の日は「★気になる沖縄での動き」で述べたように、真っ暗闇となる5月の新月、つまり今月26日だったが、注目していた動きはなかった。ただ、日本のメディアが26日にアメリカ太平洋艦隊の発表として伝えたように、アメリカ西海岸ワシントン州の海軍基地に空母ニミッツを太平洋の北西部に派遣すると発表した。朝鮮半島の近海には
すでに空母カール・ビンソンとロナルド・レーガンが展開している。それにニミッツが加わることで、核実験や弾道ミサイル発射などの挑発行為を続ける北朝鮮に圧力をかけるのが狙いだろう。そして次の新月は6月24日だ。
話はがらりと変わる。先日、知人らを誘い合って東京国立博物館に特別展「茶の湯」を見学に行った。その帰り、茶道と加賀藩の歴的な関わりなどについて造詣が深い知人からエピソードなど教わった。京都の茶道・藪内家の茶室「燕庵(えんあん)」には「利家、居眠りの柱」とういエピソードがある。京の薮内家を訪れた加賀藩祖の前田利家が燕庵に通された時、疲れがたまっていたのか、豪快な気風がそうさせたのか、柱にもたれかかって眠リこけてしまったという。こうした逸話が残る燕庵を後に利家の子孫、11代の治脩(はるなが)が1774年に燕庵を模して兼六園内に夕顔亭を造った。3代の利常には大名茶人として知られた小堀遠州の娘婿・小堀新十郎を召抱え、加賀藩の茶道の基盤をつくった。
話はここから深みに入る。「ところで3代の利常は加賀藩が幕府から警戒されないように、鼻毛をわざと伸ばしていたんですよね」と金沢では知られた話を知人に投げると、「いや、話はまったく逆で幕府を刺激するために伸ばしていた説がある」と磯田道史著『殿様の通信簿』(新潮文庫)を薦めてくれた。さっそく買って読むと、これまでの利常のイメージとはまったく異なり、目から鱗が落ちるとはまさにこのことか思った。
金沢に育った多くの人の間では、先の「利常の鼻毛」は百万石という大藩を守るため、あえて愚鈍さを演出することで幕府の警戒感を和らげたとというのが相場である。本著は見事にそうした相場感を覆してくれる。もともと藩祖・利家は「槍の又左」と言われた剛腕で、息子の2代利長は父から豊臣秀頼公をお守りするよう厳命を受ける。ただ、時代の趨勢は徳川に傾いていて、母親まつを江戸に人質として差し出すことをバランスを取った。3代の異母兄弟であった利常は父親似で長身で体格もよかった。家康は慶長10年(1603)に引退する利長と3代として家督を継ぐ利常と面談した。利常13歳である。作者によると「利常を子どものころから徳川の色にそめていきたいと、目論んでいただのだろう」と推論し、家康は秀忠の娘・球姫を3歳にして9歳の利常に輿入れさせた史実を上げている。利常は13歳で義理の祖父・家康と初めて対面したのである。そして「松平筑前守」を名乗るように利常に名前を授けた。名実ともに「家康は前田を完全に徳川に取り込もうとしていた」。さらに、家康は側近の本多正純の弟・本多政重を家老として加賀藩に送り込む。
秀吉側だった利家、父より厳命を受けていた利長はバランスを取ることに苦心した、そして利常は徳川家の娘婿として、22歳で大阪冬の陣に4万、夏の陣に2万5千の軍勢を整えて豊臣攻めに参戦することになる。本著で初めて知ったのだが、その後、利常は家康から国替えの話を持ちかけられた。四国一円(阿波、讃岐、伊予、土佐)である。それを利常は「加賀が本国でござりまするゆえ」と断わっている。家康は加賀が京と近く、京に上る可能性のある大名として警戒感を解かなかったのではないかと推測している。これは著者の記述だが、「前田家が北国の雪にとざされておらず、四国に巨大藩として存在していたら・・(中略)・・明治維新は加賀藩の手でなしとげられていたかもしれない」。
こうして成長した利常は若年の家光を「いじめた」。利常は戦国時代の申し子であり、豪快に笑い、大声で怒鳴った人物、そして長身で大阪冬の陣、夏の陣でも活躍した。その大名が鼻毛の長さを気にするタイプでなかった。まさに著者が述べている。「近世という時代をひらいたこの精神は信長の生をもってはじまり、利常の死をもって終わった」。戦国動乱から天下太平の世を生き抜いた大名のヒストリーを著書から感じた。
⇒28日(日)午前・金沢の天気 はれ
「米軍嘉手納基地上空で10日午後7時35分、パラシュート降下訓練が実施された。同基地所属のMC130特殊作戦支援機=写真=から降下し、パラシュートを開いて基地内に着地する兵士の姿が4人確認された。嘉手納町によると、夜間の訓練は少なくとも近年では例がない。沖縄県や基地周辺自治体は沖縄防衛局や外務省沖縄事務所を通じて訓練の中止を申し入れたが、米軍は強行した。嘉手納基地での同訓練は4月24日に6年ぶりに実施されて以来。…」
ダム建設後、八田與一は軍の命令でフィリピンの綿花栽培のための灌漑施設の調査ため船で向かう途中、アメリカの潜水艦の魚雷攻撃で船が沈没し亡くなった。1942年(昭和17年)5月8日だった。つまり逝去75周年だ。慰霊祭は烏山頭ダム公園の座像の前で営まれ、日本側から八田與一の子孫や金沢市の山野之義市長らが出席した。ホームページによると、あいさつに立った台南市の頼清徳市長のあいさつは以下だった(要約)。
除幕式は台南市の烏山頭ダム公園であり、式には日本側から八田與一の子孫や金沢市の山野之義市長らが出席したようだ。ホームページによると、あいさつに立った台南市の頼清徳市長は「銅像の破壊者(元台北市義)は台湾と日本の友情を破壊しようとしたが、試練を経て両者の感情は本物になった」と強調した。山野市長は「銅像の破壊は残念だったが、台湾のみなさん始め頼市長が修理に全力を尽くしてくれて感謝している。地元金沢の偉人の銅像に再び会うことができ、日本と台湾の友好関係を確認できた」と述べた。また、八田與一の孫にあたる八田修一氏は「銅像が完全に修復されて、台湾のみなさんに感謝したい」と述べた。
えると小豆島は日本の縮図だ。大きな島と隣接する小さな島がより合わさって大きな島になっている。
れ、前列の女子にちょっかいをかけて廊下に立たされた。そんな忘却の彼方に追いやられているような記憶が校舎という記憶の再生装置によって湧き上がってくるのだ。これって、認知症や脳のリハビリに活用できないだろうか、素人ながらそんなことを考えた。
オリーブ発祥の地としても知られるが、オリ-ブオイルだけでなく、現地では葉をお茶として重宝しているそうだ。ここで、「島の営業マン」ドライバー氏が語る。「オリーブオイルは果実から非加熱で搾油できる唯一の植物油ですが、採れるオイルは重量の1%。100㌔の実か1㌔から絞れない。残りの99%はハマチの養殖や牛や豚の飼料として活用されています」。昨夜ホテルで食べた「オリーブ牛」のステーキは確かにオイルと肉の相性が引き立ち、赤ワインとの相性もとてもよかった。朝食の「オリーブハマチ」もオリーブ醤油で食するとこれもなかなかのものだった。
列車内ではやはりこの歌を口ずさんでモチベーションを上げた。「こんぴら船々 追手に帆かけて シュラシュシュシュ まわれば四国讃州那珂の郡 象頭山こんぴら大権現 一度廻れば…」。琴平駅に着いたのは11時09分。そこから参道口に向かって歩き、石段のぼりの開始は11時30分だった。
㌔、石段は583段だ。奥社まで目指す人はまばらだ。その分、進みやすくなった。ただ、北原白秋の歌碑があるあたりで足腰が急に重くなるのを感じ、参道をゆっくり目でのぼる。「守れ権現 夜明けよ霧よ 山はいのちのみそぎ場所」(歌碑)。「イノシシ出没注意」の看板も横目で見ながら。
海抜421㍍から眺める讃岐富士の美しいこと=写真・下=。うれしくなって賽銭箱に千円札を投げた。二礼二拍手一礼を済ませ、今度は石段を下る。実は下りの方が危険に感じた。そのまま下ると膝がこわばって前に転倒しそうになる。そこで石段を左斜め、今度は右斜めというふうにW字を描くように降段する。本宮に戻ってくるころには爽快感で満たされていた。
なるほど万葉集からの地名かと想像をめぐらせながら、入ると、さっそく案内看板から与謝野晶子が名前が飛び込んできた。各地の名所を旅すると、芭蕉か与謝野晶子の名が競うように出てくる。「わだつみの 玉藻の浦を前にしぬ 高松の城龍宮のごと」。とても美しい龍宮城のようだと称賛している。
先月28日、民進党のヒアリングに籠池氏が応じ、「国との土地取引の交渉の最中、たびたび昭恵氏に経緯を報告していた」と述べたという。報道によると、2014年4月、籠池氏が小学校建設を目指していた国有地に昭恵氏を案内し、財務省との交渉の内容を説明、早く工事を進めたいとの意向を昭恵氏に伝えていたという。このニュースの文脈だと、あたかも昭恵氏が国有地売却に裏で関わっていて、籠池氏が財務省との交渉過程を逐一報告していたような印象を与える。