★道央走春-中-
道央自動車道を走り、登別から小樽に着いた(4日)。予約しておいた小樽運河沿いのホテルにレンタカーを停め、周辺を散策した=写真・上=。2007年8月にも家族で小樽に来ているので、5年9ヵ月ぶりになる。で、小樽はどうのように変わったのか印象を述べてみたい。
どこか似てきた小樽と湯布院の街並み
その前に小樽の成り立ちをたどってみる。大正12年(1923年)に完成した小樽運河は、かつて「北のウォール街」と呼ばれたこの地に莫大な富をもたらした。日本銀行のほか、大手銀行が支店を出し、総合商社も軒を連ねた。戦後、物流の機能を失った。保存論議の末に昭和58年(1983年)から埋め立て工事がスタートし、運河は幅が半分になり、道路ができた。小樽の観光戦略は旧銀行や倉庫、商家の建物が中心だ。街全体が「レトロな観光土産市場」という感じだ。ガラス細工、オルゴール、カニ、寿司、チョコレート…、オール北海道という感じは変わらない。ただ、一部はブランド化して新しい提案型のショップへと変貌しているものもある。街をそぞろ歩
きしていると、中国語の会話をしながらワイワイと歩くグループとよく会う。海外からも観光客を呼び込む戦略も成功しているのだろう。
個人的な印象を少々辛口で言えば、「小樽も湯布院も同じ」である。小樽観光のメインである静屋(しずや)通りが俗っぽい。観光客向けの全国どこの観光地にもある、雑貨店やギャラリー、カフェなど若者、女性向けのものが多く、個性のない店が多い。人力車も走り回っていた=写真・中=。これは昨年10月に訪ねた湯布院でも見た光景だ。さらに、小樽は寿司を売りにして、あちこちに寿司店がありにぎわっている。ただ、小樽の寿司の売りがなんだか理解できない。きょう入った寿司店で、メニューに目を凝らしたのだが、「運河にぎり」などとメニューにはそれらしいことは書いてあるが。結局のところ、マグロ、ウニ、イクラ、イカ、エビではないか。おそらく、ネタは新鮮で魚介類が豊富なことは間違いないだろう。だとすれ
ば、北海道どこでも味わえるのではないか。その土地で磨かれた文化としての食はどこのあるのだろうか。
ところで、奇妙な光景、小樽らしいといえば小樽らしい光景がある。ギリシャ建築様式の昭和初期の典型的な銀行建築。内部は銀行らしい回廊付きの吹き抜け。かつての財閥、旧安田銀行小樽支店(1930年に建築)だ。戦後、富士銀行が継承した後に地元の経済新聞社の社屋として使われた。それが今、和食レストランチェーンの店舗となっている=写真・下=。化粧室が金庫室内にある。小樽市の歴史的建造物に指定されているこの建物。金融の歴史遺産とロマン、今風の居酒屋、港町の潮の香りと魚臭さが混じり合って、何か今の小樽の姿を映すシンポリックな存在に思える。店自体は客待ちが出るほどにぎわっていた。
⇒4日(土)午後・北海道小樽の天気 あめ
定的となったのか、熱が出るやら咳き込むやらで体長不良に陥った。季節は春とは言え、今回の寒さは、地元紙の北海道新聞にも「札幌 21年ぶり5月の雪観測」(3日付)と1面の見出しで、2日夜に札幌でみぞれが降り、積雪(1㌢未満)を観測した、季節外れの戻り寒波を記していた。タマネギやジャガイモを作付する道内の農家が「寒い春」の影響で低温と日照不足を案じる声も記事にされていた。
登別温泉に到着して。さっそく地獄谷を見学に行った。硫黄のにおいが立ち込め、いまも水蒸気を噴き上げている。「地熱注意」の看板も目につく。下に降りると、薬師如来の御堂がある。看板が書きに江戸時代に南部藩が火薬の原料となる硫黄を採取した、とある。そしてところどころに、閻魔大王の像やら漫画風のキャラクターが温泉街を彩っている。そして、楽しそうに写真を撮影しているグループの中には中国語が飛び交っている。