☆過剰適合の悲劇
この過剰適合の悲劇は実際に日本の社会のあちこちで起きている。人種も言語も多様ではない、この国の社会は画一性を生み、工業化社会では断トツのチカラを発揮した。しかし、多様性が発揮される情報化社会では出遅れてしまった。その代表例が「民主主義と選挙」の関係ではないかと考える。
選挙運動の公平さを保つため、選挙ポスター、選挙チラシ、選挙看板、選挙看板立札、選挙ちょうちんなど細かな規制をつくった。公職選挙法は、選挙期間中に指定している枚数のビラなど以外の文書図画を配ることを禁じている。候補者1504人、現憲法下で最多となった今回の選挙は、それだけ原発政策、消費税増税などの経済政策、憲法観などをめぐって多様な争点がある。ところが、公示後、候補者は情報発信することを一斉に止めてしまった。ホームページやブログ、ツイッターなどは指定外の文書図画とみなされ、公示後の更新などは公選法にふれるおそれがあるのだ。つまり、多様な争点がありながらも、公選法違反の疑いありとして候補者が有権者と直接コミュニケーションを取ることをネット上では止めざるを得ないのである。
この国の行方を左右する大事な総選挙での、ネット上の沈黙は何だろう。候補者ではないので実名をあげるが、橋下徹氏(大阪市長)の言葉が印象的だ。「今のネット空間の重要性を考えたら、こんな公選法なんてバカげたルールは政治家が一喝して変えなきゃいけない。こんな状況を変えられない今までの政治家に何を期待するんですか。もしかすると僕は選挙後に逮捕されるかもしれません。その時は皆さん助けて下さい。公選法に抵触するおそれがあるとかいろんなこと言われてました。僕はそれはないと思うんですけどね」(9日、東京・秋葉原での街頭演説で)=朝日新聞ホームページ(12月10日付)
冒頭の話に戻る。選挙の公平さを期する余り、息苦しい選挙になっている。これでは情報化社会はおろか、議会制民主主義の共倒れになりはしないか。日本社会の過剰適合の悲劇はまだまだある。
⇒10日(月)朝・金沢の天気 ゆき