★メディアの選挙モード
では、なぜそうしなけらばならないのか。これは法律で決められている。「新聞紙(これに類する通信類を含む)又は雑誌が、選挙に関し、報道及び評論を掲載する自由を妨げるものではない。但し、虚偽の事項を記載し又は事実を歪曲して記載する等表現の自由を濫用して選挙の公正を害してはならない」(公選法第148条)
「放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。1.公安及び善良な風俗を害しないこと。2.政治的に公平であること。3.報道は事実をまげないですること。4.意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」(放送法第4条)
私がテレビ局に在籍していたころの経験だ。「神の国」発言で森喜朗内閣が解散して行われた第42回総選挙(2000年6月25日)のときだったと記憶している。公示の日、候補者の第一声で12秒ほどの取り切りを使った。ところが、ある党の選挙事務所から「おたくのテレビは扱いが平等ではない」とクレームがついた。調べてみると、その党の候補者は10秒だった。昼のニュースだったので、時間がなかったのと、ちょうど10秒で切れがよかったのでそのまま放送したのだった。意図的ではなかった。選挙事務所では録画してチェックしていたのである。率直に詫びて、夕方のニュースでは12秒にした。話の内容ではなく、公平な扱いにこだわるというのが選挙期間のシビアのところではある。
とくに今回の選挙は多党乱立。困っているのはテレビ局だ。比例代表には12党が届け出ている。2日に放送されたNHK「日曜討論」は壮観だった。この日は11党の幹部が勢ぞろいしていた。司会者が「1回の発言は1分以内」と念押ししていた。全員が発言を終えたときには、放送開始から20分経過していた。番組として争点や論点を戦わせるというより、「なるべく公平に話してもらう」という司会者の気遣いが目立った。こうなると番組の体をなさないため、とくに民放テレビ局は選挙期間中はニュース番組でも選挙ネタをなるべく避け、経済や環境といったテーマにシフトさせる。
「テレビ選挙」といわれるアメリカでもかつて、フェアネスドクトリン(Fairness Doctrine)があり、番組の内容を政治的公平にしなければならないとされていた。ところが、ケーブルテレビなどマルチメディアの発達で言論の多様性こそ確保されなければならないとの流れになる。1987年にこのフェアネスドクトリンは撤廃された。つまり、フェアネスドクトリンは、チャンネル数が少なかった時代のもので、多チャンネル時代にはそぐわないという考えだった。
日本の場合、全国紙の系列であるテレビキー局が固定され、一長一短はあるが多チャンネル化とはいまだにほど遠い。
⇒4日(火)夜・金沢の天気 くもり