2012年 3月 10日の投稿一覧

★冬の終わりにBBCの本

★冬の終わりにBBCの本

 1月11日から16日にフィリピン・ルソン島のマニラやイフガオの棚田(1995年世界遺産、2005年世界農業遺産)を調査研究に関する交流で訪れた。その折は、気温が30度余りあった。このころから体の調子を少々崩した。帰国してから9日後の25日に北海道の帯広市をシンポジウム参加のため訪れた。この日の夜中、小腹がすいてホテル近くのコンビニに買い物に出かけた。冷気を吸って気管支が縮むのか、ちょっと息苦しい感じがした。翌日のニュースで気温マイナス20度だったことが分かった。フィリピンと帯広の気温差は50度。これが決定的となったのか、その後も京都(1月31日)、仙台(2月2日、3日)などと続いたせいか、熱が出るやら、終日咳き込むやらで調子が悪い。いまも続いている。家族からはマスク(飛沫ウイルスを通さないWブロックの、高機能フィルタータイプの…)の着用令が出ている。

  もう一つ。ことし金沢の自宅周辺は雪が多かった。スコップでの除雪は、2月前半は来る日も来る日もだった。そのうち、右肩が上がらなくなってきた。軽い腱鞘炎だと自己判断している。カバンがいつもより重い。テーブルに座って、ワインのボトルを持って、グラスに注ぐのでさえ痛みがある。57歳の身にとって、数日安静にして、休養すればよいのに、不徳のいたすところで、毎日酒は欠かさず、夜中に起きてはPCに向かってもいる。

 そんな中、時間を見つけて『公共放送BBCの研究』(原麻里子・柴山哲也編著、ミネルヴァ書房)を読んでいる。まだ読み終えてはいない。イギリスのBBC(英国放送協会)は、メディア論やジャーナリズム論の研究者だったら、ぜひとも調査したいテーマの一つだろう。何しろ、公共放送のモデルとして、ジャーナリズムの姿勢や、知的で教養高い番組は高く評価されている。ただ、BBCは「巨大」であり、さまざま顔を持っている。その一つが、世界に対するリーチ・アウト、つまり手を差し伸べるということだろう。実はこれがこの本を手にするきっかけともなった。

  世界の地域おこしを目指す草の根活動を表彰するBBCの番組「ワールドチャレンジ」。世界中から毎年600以上のプロジェクトの応募がある。最優秀賞(1組)には賞金2万ドル、優秀賞には1万ドルが贈られる。2011年のこの企画に私の身近な能登半島の能登町「春蘭の里」が最終選考(12組)に残った。日本の団体が最終選考に残ったのは初めてだった。惜しくも結果は4位だったが、地元は「BBCに認められた」と鼻息が荒い。春蘭の里は30の農家民宿が実行委員会をつくって里山ツアーや体験型の修学旅行の受けれを積極的に行っている。驚いたのは、BBCに取り上げられてからというもの、実行委員会の役員たちの名刺の裏は英語表記に、そして英語に堪能なスタッフも入れて、来るべき「国際化」に備えているのである。そのような心がけに能登の人を導くほどに、BBCの名はインパクトがあったのだ。これがアメリカのCNNであったら、ここまで本気にさせただろうか。

  さて、BBCの名を高めたエピソードに、あのサッチャー首相(当時)との確執がある。1982年のフォークランド紛争(諸島をめぐるイギリスとアルゼンチンの武力衝突)の折、BBCはイギリスの軍隊を「イギリス軍」と呼んだ。サッチャーにすればイギリスの公共放送なのだから「自軍」と呼ぶべきではないのか、一体どこの国のテレビ局なのか、とかみついたのだ。さらに北アイルランド問題ではBBCのドキュメンタリーやインタビュー番組が「放映は敵に宣伝のための酸素を与える」として、放送禁止令が発動された(1988年)。こうした露骨な政府介入が、かえって世界では名声を上げることに。

 一方で、第二次世界対戦を扱った番組では、日本批判は容赦ない。「日本人は非人道的、残忍、非文明的」だっとという元捕虜のインタビューを印象付ける(2005年『東洋の恐怖』p169)という側面もあるようだ。信頼度の高いBBCがそのように放送すれば、世界の人々の日本への印象もそのように固まる。咳き込みながら冬の終わりに読んでいるこの本は何とも複雑な心境にさせてくれる。

 ⇒10日(土)夜・金沢の天気  くもり