☆フードバレー十勝の農力
シンポジウム参加のため、冬の帯広にやって来た。帯広畜産大学と帯広市が主催する「第5回十勝アグリバイオ産業創出のための人材育成シンポジウム~十勝の『食』を支える人づくり~フードバレーとかちのさらなる前進を目指して~」(1月26日、ホテル日航ノースランド帯広)。シンポジウムの講評をお願いしたいと依頼があり、引き受けた。帯広畜産大学は帯広市と連携して、平成19年度から5年計画で「地域再生のための人材養成」のプログラム「十勝アグリバイオ産業創出のための人材育成事業」を実施している。社会人を対象に、十勝地方で産する農畜産物に付加価値の高い製品を産み出す人材を養成しようと取り組んでいる。今回のシンポジウムはいわばこの5年間のまとめのシンポジウムでもある。帯広市(人口16万)を中心とする十勝地方(19市町村)の農業産出額は北海道全体の4分の1を占め、一戸あたりの農家の平均耕作面積は40㌶に及び、全体でも26万㌶、全国の耕地の5%に相当する。食料自給率は1100%、小麦やスイートコーン、長芋などは全国トップクラスの生産量を誇る。年間2000時間を超える日照時間も強みだ。帯広畜産大学の取り組みはこうした恵まれた環境に甘んじることなく、「さらに十勝の農力を伸ばせ」と人づくりにチカラを注いでいる。
十勝の自治体も合併ではなく、近接する市町村が様々な分野で相互に連携・協力する「定住自立圏形成協定」を結び、さらに農業経済を活性化かせるために「フードバレーとかち推進協議会」(19市町村、大学、農業研究機関、金融機関など41団体)を結成。フードバレーとはフード(food=食べ物)とバレー(valley=谷、渓谷)の造語だが、オランダが発祥地。バレーといっても谷がある訳ではなく、食に関する専門知識の集積地を目指しているのだ。さらに、昨年12月には食の生産性と付加価値を高めることで国際競争力の強化を先駆的に推進する国の国際戦略総合特区に指定されている。食へのこだわりを生産地からとことん追求する、そんな印象だ。シンポジウムも、気温マイナスにもかかわず、会場は熱気があった。
気になった点が一つあった。27日付の読売新聞北海道版で、「カナダの団体とTPP反対で一致 JA道中央会長」の見出しのベタ記事だ。JA道中央会長がの記者会見で「カナダの農業団体と協力してTPP(環太平洋経済連携協定)に反対する」と述べたとの記事内容。一戸あたりの農家の平均耕作面積が40㌶に及ぶ十勝地方、さらに北海道の農業が国の国際戦略総合特区に指定されたのも、TPPを迎え撃つ準備かと思っていたが、どうやらそうではないらしい。関税の撤廃で、酪農や小麦の生産が打撃を受けるとの懸念があるようだ。
過疎化が進む、本州や四国、九州の農業と違って、すでに大規模農業で有利な北海道から農業革命を起こし日本の農業をリードしてほしい、と願う。シンポジウムの熱気からそんなことを感じた。
※写真は、街角の氷の彫刻。気温が日中でもマイナス10度ほどあり融けない=帯広市内
⇒27日(金)朝・帯広の天気 はれ
世界遺産でもあるイフガオの棚田でブランド米と呼ばれるのが、「WONDER」の米。赤米で、粒が日本のジャポニカ米と似てどちらかといえば丸い。値段は1㌔100ペソ。マニラのマーケットでは米は1㌔35ペソから40ペソなので、ざっと3倍くらいの値段だ。この米をアメリカのNGOなどが買い付けてイフガオの棚田耕作者の支援に動いているという。もう一つ、「棚田米ワイン」も味わった。甘い味でのど越しが粘つく。アルコール度数は表示されてなかったが25~30度くらいはありそうだ。ブタ肉のバーベキューと合いそうだ。イフガオでは棚田米に付加価値をつけて販売する動き出ているのだ。こうした取り組みが一つ、また一つと成功することを願う。
ちの田から心が離れてしまっていることではないかという印象を受けたのですが、そういう解釈でよいか」と質問を投げた。
いまでもイフガオ族には一神教には違和感を持つ人が多いといわれる。コメに木に神が宿る「八百万の神」を信じるイフガオ族にとって、一神教は受け入れ難い。一方で、それゆえに少数民族が住む小中学校では、欧米の思想をベースとした文明化の教育、「エデュケーション(Education)」が徹底されてきた。今回の訪問では、14日に現地イフガオ州立大学で世界農業遺産(GIAHS)をテーマにしたフォラーム「世界農業遺産GIAHSとフィリピン・イフガオ棚田:現状・課題・発展性」(金沢大学、フィリピン大学、イフガオ州立大学主催)を開催したが、発表者からはこのクリスチャニティとエデュケーションの言葉が多く出てきた。どんな場面で出てくるのかというと、「イフガオの若い人たちが棚田の農業に従事したがらず、耕作放棄が増えるのは特にエデュケーション、そしてクリスチャニティに起因するのではないか」と。
られたとされる棚田は「天国への階段」とも呼ばれ、イフガオ族が神への捧げものとして造ったとの神話があるという。村々の様子はまるで、私が物心ついた、50年前の奥能登の農村の光景である。男の子は青ばなを垂らして鬼ごっこに興じている。女子はたらいと板で洗濯をしている。赤ん坊をおんぶしながら。車が通ると車道に木の枝を置き、タイヤが踏むバキッという音を楽しんいる子がいる。家はどこも掘っ建て小屋のようで、中にはおらくそ3世代の大家族が暮らしている。ニワトリは放し飼いでエサをついばんでいる。器用にガケに登るニワトリもいる。七面鳥も放し飼い、ヤギも。家族の様子、動物たちの様子は冒頭に述べた「昭和30年代の明るい農村」なのだ。イフガオの今の光景である。
つぶさにその様子を観察していると一つだけ気になることがあった。人と犬の関係が離れている。子供の後をついてきたり、子供が犬を抱きかかえたり、「人の友は犬」という光景ではないのだ。今回の訪問に同行してくれた、イフガオの農村を研究しているA氏にそのことを尋ねると、こともなげに「イフガオでは犬も家畜なんですよ。それが理由ですかね…」と答えた。人という友を失ったせいか、その運命を悟っているのか、犬たちに元気がない、そしてどれも痩せている。気のせいか。
ちで車が停まると、少女が手作りのネックスレのよなものを売りに来た。初めてのフィリピン、初日からカルチャーショックを受けた。それにしても、フィリピンは新旧、貧富がはっきりと浮かび上がる都市だ=写真=。
羽柴秀吉の時代の地震が中心に書かれている。秀吉は2度、度胆を抜かれる地震を経験している。1度目は1586年1月18日、中部地方から近畿東部が激しく揺れた天正地震。越中の佐々成政を攻めて、大阪城への帰路、琵琶湖南西岸の坂本城にいた。揺れは4日間も続き、その後、秀吉は馬を乗り継いで大阪に逃げるようにして帰った。この坂本城はもともと明智光秀が築いた城だった。光秀は、本能寺の変を起こし、秀吉に敗れて近江に逃れる途中で殺された(1582年7月)。著者も「明智光秀ゆかりの城にいて、大地の怒りに触れた瞬間、どのような思いが胸をよぎっただろうか」と書いているように、秀吉には因縁めいて居心地が悪くなったに違いない。この地震では、岐阜県白川郷にあったとされる帰雲城(かえりくもじょう)が山崩れで埋まり、城主の内ヶ島氏理ら一族が一瞬にして絶えた。
元旦の朝は、金沢・兼六園にある金沢神社に初もうでに家族と出かけた。時折晴れ間ものぞく小春日和だった。列につくのだが、近年の傾向だとそれほど列は長くはない。金沢神社は菅原道真を祀っていて、受験生とその家族が多いのだが、かつてほどの熱気が感じられない。天気がよいにもかかわらず、列の長さがさほどではないということは、受験に縁起を担ぐ時代はもう終わったのかも知れない。列についていると、家族がふと、「この灯篭の彫り物は竜だね=写真=、ことしのエトだから一枚写真を撮っておこう」と。その言葉でことしは辰(たつ)年かと初めて気が付いた。辰年は上昇の年とされるがどんな年になるのだろう。12年前の平成12年(2000)は、三宅島が噴火し、ITバブルが崩壊した年、その前の昭和63年(1988)はバブル経済の真っ盛りで東証株価3万円、そして政界の金にまつわるスキャンダルのリクルート事件が発覚した年だった。辰年は、こうしてみると浮くか沈むかの明暗がはっきりする年。ことしはどちらだ。ひょっとして大底か。